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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

俺の幼馴染が絶対俺のこと好きなのに告白にうんと言ってくれません

作者: 宮野鞠

高校生BLです。


受け :悠真(ゆうま)

攻め:陽斗(はると)

 春、キスをされた。

 桜が枝の端を、ドレスのディテールのように新芽で細やかに着飾り始めた頃。足元には散った花弁が川や水溜まりの縁に溜まり、登下校する悠真の靴を彩る。

「悠真、好きだ」

 学校のチャイムが鳴る。俺がもしシンデレラなら、さよならの零時はここだろう。彼がもし王子なら、誰しもが夢のようなこの一瞬から、零時を越えても目覚めたくないだろう。悠真は真剣な表情の幼馴染を見て思った。それを悠真は昨日、ガラスの靴の代わりも落とさず逃げ出した。

 悠真は彼が好きだった。それでも、自分が全身ガラスならとうに透けた恋心は、そこに残さず逃げた。

 このガラスをパリンと割って、見せてはいけなかったから。

 大切な彼のために、余計な靴は置いていきたくなかったんだ。


 ***


「悠真、聞いてるのか」

「え、ああ、ごめん陽斗」

「ここの計算式、最初から間違ってる」

「え、そうなの」

 そうなの。彼は優しく言い聞かせるように答えた。中間試験も間近で、悠真は陽斗と勉強会の約束をしていた。昨日の今日で、あからさまに避けるのもよくないと思うところもあり、なあなあにしているうちに約束の時間になった。下手くそな作り笑顔を浮かべて、悠真は自分の家に陽斗とセットで帰ってきた。

「悠真のおばさんにジュースもらってこようか」

「うん、さんきゅ」

 気もそぞろなことは、相手に知られているところだ。

 月曜日。サッカー部に入っている陽斗の、唯一部活が休みの日。きまって靴箱の前で待ち合わせて、陽斗と一緒に帰る日だった。小学校から変わらない、今では当たり前になった習慣である。

 自分の家の方が学校に少し近いので、高校受験の勉強はいつも陽斗に家に上がってもらう形でしている。勉強がなくたってだいたい二、三時間だらだらと過ごしていた。そして陽斗の家が夜ご飯の時間になる前に、彼が自分の家に帰る。

 高校で一緒になってからも、帰宅部一択の自分を部活の日でもないのに、急いでクラスの前に迎えに来てくれるのが嬉しかった。

 陽斗がクラスに来たら、あらゆる花々が咲き乱れるように女子が色めき立つ。もはや恒例行事と化したその一部始終を見届けてから、陽斗が女子をあしらいつつこちらにやってくるのを、かっさらうのが自分の仕事だ。

 黒塗りの髪をかき分けて、彼は俺と目が合うとにか、と笑い、またそれも女子を沸き立たせた。自分もどこかで毎日ときめいたのかもしれない。

 友だちでこんなにまっすぐに笑って来てくれるなんて、本当にありがたい存在で、今日も嬉しかったのには変わりないんだ。昨日のことがなければ。

「悠真のお母さん、ジュース切らしちゃったからお茶で勘弁してくれって。ブドウ糖代わりにラムネ食べてってさ」

 両手にコップを持った陽斗が足で部屋の扉を閉める。足癖表に出るぞ

「コーラもうないんだ」

「悠真、コーラ好きだもんな」

 俺は昨日の返事を、まだしていない。


 ***


 昨日は、陽斗のサッカーの試合だった。昼から始まり、夕方になるまで接戦を繰り広げて、最後の一点差を譲らずに陽斗のチームが勝ち切った。

 次の大会に進めるかを決めるここ一番の勝負で、大盛り上がりで試合は幕を閉じた。その試合に、悠真も観戦に行っていた。

「悠真!」

 興奮冷めやらぬまま、部活の片付けを終えた陽斗が自分のもとに走ってきた。

 ユニフォームから着替えていつもの制服姿に戻った彼は大きく手をこちらに振っている。袖から伸びた白い肌は体質上日焼けしないらしく、綺麗な柔肌に見えるのを男っぽくないと本人は気にしていたが、彼の笑顔を映えさせる一つの要素なのだからなにもかも絵になるもので羨ましいとさえ思う。

 化粧でも施したような彼の目鼻立ちの美しさを、入学当時から女子はこぞって話題にした。どんなに女子が話題にしようとも、彼は自分の元にこうやって走ってくるのだから、独り占めできて最高というものだ。

「最後の見た? 俺マジで相手に抜かれるんじゃないかってひやひやした!」

 鞄をぶんぶん揺らして彼は悠真の元で立ち止まる。

「先輩がヘルプに入ったから助かってただろー!」

「それもあるけどさあ!」

 悠真は思い出したように手元の袋を陽斗に見せる。

「晩飯前にさ、ほら!」

 陽斗が試合の後片付けや終礼で慌ただしくしている間に、コンビニで飲み物と大量のお菓子を買いそろえてきていた。

「教室で祝杯上げようぜ! まずは一勝! 毎回俺が陽斗の試合を見にこれるか分からないからさ」

 大きく膨らんだビニール袋の口を広げてみせると、陽斗はタオルで汗を拭いながら柔らかい笑顔を浮かべる。

「ありがとう。お前はコーラ飲むだろ?」

 ビニール越しに黒い液体に目をつけると、彼はもう一本の炭酸を袋から抜き取った。

「そ! 俺の血液はコーラだから」

「なんだよそれ」

 くくく、と笑う陽斗の汗が夕日で光る。

 改めて思う。俺は彼が好きだった。

 でもこの夕日に勝てるほどの眩しい存在に、自分はなれないとも思っていた。

 暗くなる前にパーティーしようと、悠真は自分のクラスに陽斗と向かった。前から3番目の窓がいつも戸締りが甘いのは把握済みだ。みんなが忘れ物を取りに行くとか、こっそり入る用の出入口である。

「こっち、早く来いよ」

 声をひそめて陽斗を呼ぶ。彼はそわそわしながらついてきた。抜き足で教室に、かかとを潰した上履きでパタパタと二人で向かう。

 ガラガラと立て付けの悪いスライドの窓を開けて、お菓子を先に机にのせた。窓の塀をまたいで教室内にどすっと降り立つ。

「騒ぐと先生に見つかるぞ。職員室には部活の顧問がいるんだから」

 小さい頃は俺の方が背が高かったのに、陽斗は中学の頃からタケノコのようににょきにょきと伸びて、見下ろしていたのが見上げるようになった。つまり陽斗は足も長く、彼は上履きの先が縁にかからないよう気をつけながら、悠々とまたいで教室に侵入した。

「ちぇー。俺もこの三年間で追いついてやるんだからな。むしろ越す」

「なにが? 勉強の順位の話?」

「身長! 勉強は陽斗に叶わねえよ」

 俺のクラスは普通科だが、彼は特進科に進んだ。特進科のクラスは学年問わず五階にあり、学校の中でも特別扱いされている。身長を越されたのも、陽斗が塾に入り浸って疎遠になっていた頃だ。

 加えていつの間にか背中の肉付きが良くなり、たくましい背中だと気づいた中三のときには、彼は成績順位がトップクラスな上、サッカー部のエースになっていた。

 対して俺は、部活と言い張るなら帰宅部。陽斗に抜かれこそしたが、身長は百六十八センチメートル。理想は高く、もう少しほしいところだ。勉強普通、運動能力普通。なにか自慢が言えるなら、人気者の陽斗と幼馴染なことで、陽斗の服の下のホクロがどこにあるかだって答えられる。

 こんなどこにでもいそうな俺を、仲のいい幼馴染だからと誰よりもかまってくれる彼に恩を返す気持ちで、ささやかだが率先してお菓子の袋を開ける。校庭がよく見える窓際に並べられた、使い込まれて傷のついた机を囲んで、ロウソクでも買えばよかったと小さなパーティー会場気取りでいる。調子に乗って窓も開けると、日差しと吹き込んでくる春風が心地よかった。

「乾杯! 次も頑張れよ!」

 悠真の突き上げたペットボトルに、陽斗がちょんと自分のボトルの口を当てる。

「悠真が来てくれるなら、また勝てるよ」

「俺ってば勝利の神様?」

 ポテチを開けたそばから頬張りつつ、陽斗へ手拭き用にコンビニ店員がつけてくれたおしぼりを渡す。

「うん。受験のときも、その前も今も、悠真は俺の神様」

 陽斗は笑って、ペットボトルへ伸ばす俺の手を取り、ぐっと引き寄せた。

「わ、」

 素肌の彼の手のひらはザラザラとしている。幼少期にへなへなと泣きながらついてきているのを手を繋いで家まで送ったのを思い出した。そのときの陽斗の手のひらは、まだ怪我もしたことがないような純真な危うさをふにふにと柔らかい感触が包んでいて、赤子の手のようだと思ったのを覚えている。ああ、大人になっていってるんだなと、バームクーヘンの薄皮一枚分くらい、成長と寂しさをどこか感じていた。

「ずっと一緒にいてほしい。悠真、俺」

 机をぐるっと回って陽斗が俺のそばに歩いてくる。その間ずっと手を離さず、握った彼の手のひらは汗ばんでいた。まだ部活のあとの汗が引かないんだ、頑張ってたもんなと、窓の外から聞こえる部活の掛け声に気を取られながら思っていた。

「陽斗?」

 風に吹かれたおしぼりの袋が机から落ちる。ポテチの袋は落ちるのを我慢しているが、机の端へ徐々にずれていっていた。陽斗と悠真の制服の袖や襟元は風の通り道となり、ふくれてはしぼんでいる。カーテンがときおり頬や頭を撫でた。

 彼はしばらく言い淀んでいたが、掴まれた手は離さなかった。陽斗はずっと固く握り、離さなかった。

「俺、おれさ」

 相槌を打とうとしたそのとき、陽斗のなにか決意したような目とあった。

 その一瞬、まばたきをする間に、陽斗は殴られるように何かが顔にぶつかり、体勢を崩していった。

「はるとお!? 大丈夫か!」

「いっ……てえ」

 テニスボールが彼の横顔に綺麗に当たったのだ。陽斗のすっきりとした頬骨に赤いアザが残り、ボールは逃げて身を隠すように教室の隅に転がっていった。

「ごめーん二階の人ー! 大丈夫ー?」

 陽斗の代わりに答える。

「大丈夫じゃなーい! もっかい陽斗にあやまれー!」

「キャー、陽斗くんに当たっちゃったの?」

「うそー!」

 ラケットを持った二人組の女子テニス部が駆け寄ってくる。

 どう打ち返したボールが二階まで飛んできたのか、かなり勢いのある球で、陽斗からはだいぶ鈍い音がしていた。「気をつけろよー」と言いながら悠真は机の合間を縫って拾いに行く。たまたま窓を開けていてガラスを割らずに済んだのは不幸中の幸いなのか。陽斗を思えば不幸なのか。

「あんた明日から学校出禁よー!」

「やだー!!」

 下の彼女らがバタバタと慌てふためいて飛んだり跳ねたりしている。彼女らにあたらない程度の場所を狙って、近からず遠からずのところにボールを落とした。彼女らはボールを拾い上げると交互に頭を下げて、そそくさと去っていった。

「あいつら二組のやつらだぜ。陽斗が中学の塾で一緒じゃなかった?」

 窓の桟に寄りかかって、テニス部の二人がおさげだとか、ポニテだとかを数ヶ月前の記憶と照らし合わせる。

 陽斗がそれからなにも言わないので、教室内に視線を戻すと彼が顔を押えていた。

「マジでやばいじゃん。大丈夫かよ陽斗」

 湿布はどこか。絆創膏はないか。口の中は切れているのか。焦って自分のあらゆるポケットを探ってみたが、なにか傷にいいものが出てくるわけではなかった。

 陽斗の怪我の具合を見ようと、彼の顔を覗き込む。

「保健室、行くだけ行ってみようぜ。それか職員室にさ、冷やすのとか貸してもらえるかも! 試合の帰りに当たっちゃったーっつってさ。なあ、はる……」

 陽斗は優しく俺の後ろ首を触って、静かに自分へと引き寄せた。

 春の風にのった桜の花びらよりも遅い速度で、そんなやわらかいあたたかさで、陽斗は俺にキスをした。

「好きだ。ずっと、初めて俺がこの町に引っ越してきたときから。庇ってくれたあのときからずっと、悠真のことが好きだった」

 陽斗の頬が少し赤い。それは怪我とは関係なく、そうだった。

「付き合ってほしい。一生、大事にする」

 古めかしいチャイムの音が鳴る。これが彼に憧れ焦がれる誰しもなら、ウエディングの鐘に例えただろう。スピーカーから流れるざらついた音は、どきどきとおっかなびっくり早くなる俺の心臓の音を雑にごまかした。

 喉が震えたのを感じた。出てきたのはか細い「え」という言葉と、陽斗を乱暴に押し返す力だった。フローリングの上を走り出す足がずるずるとすべり、どうしようもなく力が入らなかった。足やら腰やらを机の角にぶつけながら、俺はその場を走り去ることしかできなかった。

 お菓子も、春の風に揺れるカーテンも、陽斗も、全て教室においてきた。


 ***


 それからかれこれ二十四時間以上は経っているが、未だに彼との接し方がまるで分からないでいた。手汗はにじみ、背筋は吊りそうなほど伸び、いつもならうたた寝をしてもおかしくないというのに、目はギンギンとさえている。それなのに目の前の宿題はてんで終わっていないので、今俺は非常に困っている。

 そろそろ陽斗の家で夕飯ができる時間だ。つまり陽斗も家に帰る。それまでいたっていつも通りにしたかったが、そうはいかないのがこの挙動不審極まりない自分だ。

「ちょっと、トイレ」

「まって」

 陽斗が悠真の袖をつかんだ。机の端に体が当たりガタッと机のお茶が波打つ。気まずくて席を立とうとしているなんて彼にはバレバレだった。

「な、なに、陽斗」

「昨日の返事、まだもらってない」

 いたって真剣な面持ちで、陽斗は自分をじっと見据える。ぐっ、と喉が鳴った。

「だって、その。ねえ?」

「俺のこと好きなんだろ」

「なんでそうなるんだよ!」

 陽斗は意表を突かれたような顔をする。

「え、なんでって、その。お前の教室行ってもあからさまにイヤな顔しないし、いや、悠真が油を差してないロボットみたいに一日中カクカクしてぎこちないのはみてて面白いけど。昨日のことがあっても、家にあげてくれるし。正直イエス待ちなんだけど」

 なんて切れ長な目だと思った。アイライナーなんて引くことはないのだろうなと、男にも思わせるほど目尻へゆったりと伸びるまつ毛。それが上下に動いて、陽斗が自分の答えを待っているのを思い出す。

「だって、陽斗が?」

 声が少し震えた。

「あの学年トップクラスで優秀、スポーツ万能、小学校で会ったときから右に出る者はいないあの陽斗が、女子を差し置いて、俺?」

 かゆいわけでもない頭をくしゃくしゃとかいて、動揺と焦りとを混ぜ合わせる。

「ないでしょ。俺なんか。陽斗に釣り合わないよ」

 陽斗の手に強く力がこもる。痛いと思うひまもなく、彼に手を引かれてベッド脇に座らされた。

「陽斗っ、わ」

 体勢を整える間もなく、彼にきつく抱きしめられた。

「お前のことめちゃくちゃこうしたかった、いつも」

 しばし脱出を試みたがそのうちに、陽斗は抱きしめる以上のことは何もしてこないことに気づいた。彼の胸がこんなに近いのは、彼が引っ越してきたばかりのころ、立ち上がり損なってひっくり返り、一緒にこけたとき以来だ。

 でも今はそのときよりずっと、彼と近く、彼の心臓の音を聞いている。ひどく早くて乱雑に俺へ「好きだ」と伝えていた。

 部屋の外から夕飯の香りが漂ってくる。今日はカレーだ。俺が好きなチキンカレーだろう。福神漬けとらっきょうが添えてあって、陽斗がこのまま食べていくなら、彼の好きなラッシーも母さんが用意してくれて。

 それだけ他のことを考えていられるくらいには、ずっと長く悠真は彼に抱きしめられていた。深く息を吸う音がすぐそばで聞こえてくる。泣き虫だった幼い頃の彼は、俺が慰めているとすり寄ってきて、こうやってハグされるのが好きだった。俺も彼の体温が伝わってくると、安心してたまに寝こけていた。

 彼の柔軟剤の香りを深く吸うと、落ち着いて好きだった。

「今は、ぬいぐるみ的な?」

 そっけなく彼に聞いてみた。

「恋人的な。めっちゃ妄想した。こうやって抱きしめるの。ケガしたとか、傷ついたとか、そんなの関係なく、大好きなお前を抱きしめるの」

「ひょえー。かっこいいこと言うじゃん」

「惚れた?」

 彼は顔をあげると、ひどく優しい声で、ひどくやわらかい声で俺に聞いてきた。

「……いえ、そういうふうにはとらないでいただきたく」

「なんでだよ」

 ぶすくれた彼が背中からするすると手をおろすと、俺の背中や腹を力いっぱいくすぐった。おらおら、と手を止めない彼にかなわず、俺がやり返せないことに少し機嫌を直した陽斗はにやにやしている。

「わはは、だって、だって。おれ、おまえのこと」

 はた、と彼が手を止める。

「大事にしたいもん」

 両手で彼の手を押される俺が、今の彼に精一杯いえることだった。

「俺さ、さっき抱きしめたいって言ったけど、本当は違う意味もあってさ」

 くすぐられた勢いではだけた制服の隙間から、陽斗はそろりと俺の脇腹に手を忍ばせる。

「っ、陽斗」

 触ってくる手が、思ったよりもごつごつしていて、ぞわぞわするのに気持ちよかった。

「はる、はると、だめ、っだめ」

 俺の体の形を知り尽くしたように、彼の手は脇腹をなでて、背骨をなぞり、親しみとは違って色っぽさを含んでいた。さっきのハグとはうって変わって、陽斗はぴたりと俺に体を合わせると、低く唸るような声で言った。

「ただ抱きしめるだけじゃなくて、悠真と今すぐにでもこういうことできるって、知ってほしい」

 話している間にも、俺の尾てい骨を指でとんとんと叩いて、意図して俺の体を刺激している。腰から脊髄から心臓から、下腹部も、俺の全てを抱きしめながら。

「俺の全部を知ってほしい」

 言わんとしていることは、いやでも分かった。

 体中が火を噴きそうとはこのことだ。好きな相手にこんなに迫られて、うんと言わないやつがいるか? いやいないだろう。

 ここ以外には。

「い、いやああああ!」

「え。うわっ」

 ばたばたと暴れて机を蹴り、コップの中身を全部こぼしたが、そんなことは気にしていられなかった。この監獄から抜け出し、今にも爆発しそうな頬の火照りを沈下させる必要があった。だって今にも好きだとこぼしそうだから。

「トイレ! 行くって言っただろ!!」

「は!? 今??」

 くねくねと体を曲げて、人の手から逃げ出す猫のように脱出した俺は、トイレに駆け込み便座に座ってようやく一息ついた。

 俺じゃダメなんだ。椅子代わりに便座に座って反芻する。

 世間の目を見ろ。クラスの女子を見ろ。当たり前に陽斗は女の子に好かれている。男の俺が陽斗の人生に介入していいわけがない。

 もちろん傍に立ってやりたい。彼が喜ぶなら何でもしてやりたいし、仲の良い友だちの延長線なんてぶった切って、家族になる未来があるならそれがいい。

『悠真。ゆうま』

 ほどなくして、彼がトイレの前に立つ気配がした。

「なんだよ。ぜってー出ないからな」

 家族になる未来を俺が叶えずに、陽斗が幸せになるならもっといい。

『俺、諦めないから』

「諦めなよ」

 大好きだ。小さい時には俺を頼ってくれて、泣きべそかいてたら俺の隣にきて励ましてくれて。今も仲良くしてくれて。いつかそれは友だちに向けるものではないと、どこかで分かっていた。

 俺じゃだめなんだ。もっと陽斗には綺麗で、可愛くて、頭良くて気の利く、そんな女の子が隣を歩くべきなんだ。

 俺じゃないんだ。

 カタ、とトイレの扉に手を置かれた音がする。

『毎日お前に愛してるって言いにいく。絶対、お前に好きって言わせる』

「は??」

『楽しみにしてて』

「はあ??」

 ガタガタと慌てて俺が扉を開けようとすると「今開けたら俺はすぐにでもお前にキスできるぞ」と返ってきて、はた、と扉を開けかけた手を止めた。

 きっと陽斗は真剣な顔をして、いつもみたいに優しく笑っていた。きっとその優しい顔は、俺のことが好きだから向けられた笑顔だったんだと、ようやく想像できた。

『おばさーん。俺帰るね。また勉強しにくる』

 陽斗の気配とともに足音が離れていった。遠くで母さんがまた来週かな、と聞いているのが聞こえた。


 ***


 翌日。なんでもない一日の始まりのはずだった。

「おはよう、悠真」

 眠たい頭でも目の前にいるのが誰かなのは一瞬で分かった。

「昨日からの今日で……?」

「うん。迎えに来てみた。小さい時みたいでいいだろ?」

「朝練は?」

「腹痛いって休んだ」

「バカ! 『治ったから来ました』つって早く行け!」

「ええー」

 じゃあこれだけさせて、と陽斗は俺の手を引く。目が冴えた頃には、「案外あっさり手を取られてくれるな?」と陽斗がケラケラ笑っていた。

「ありがと。大好きだ」

「~~三秒! 三秒だけな!」

「みじけー」

 くつくつと笑いながら、たった三秒の時間をきっちり守り、彼はぎゅうぎゅう俺を抱きしめた。


 ***


 陽斗が人気すぎると何が困るかというと、女子に呼び出しをされることだ。

「仲良いのは黙認してたけど、最近独り占めしすぎじゃない??」

「そんなこと言われても……あいつに言ってくれよ」

 女子に囲まれるのは世の男子ならば嬉しいのかもしれないが、この囲んでいる全員が陽斗目当てだと確定しているのだから気が滅入る。

「なに、悠真に用事?」

 ぐっと体重をかけて、陽斗が寄りかかってくる。どこから聞きつけたのか、今回は西校舎にいたというのにどこからともなく表れた。

「わ、陽斗くん」

「こいつが陽斗くんと仲良すぎって話!」

「仲良いもん。な?」

「普通だよ。フツー」

「つれねえなー」

 陽斗はニコニコしている一方、俺が逃げようとするのを、腰を腕でがっちりとホールドして離さなかった。

「つか、なんで来てんの。次の授業が理科室とか?」

「お前に会いにきた」

「ウソつけ」

「ホント。先生が呼んでる」

「早く言えよ。職員室?」

「うん」

 ようやく陽斗から解放されて、教室を出る。昼休みだというのに何の話だと、不機嫌顔で歩いていくと、後ろから女子に話の区切りをつけてきたらしい陽斗もついてきた。

「お前は関係ねえだろ」

「だって、用があるの俺だから」

「あ?」

 職員室は一階にある。そのすぐ側に階段があるので、たいていは大きく騒ぎを起こすと叱られる。そんなもんだから、二階の廊下とは打って変わって、一階までの踊り場に人が近寄ることはほとんどなく、昼休みの喧騒がはるか遠い気がした。

 人がうっかり下りてくることもあるというのに、人目もはばからず陽斗は俺を角に追いやって、足を俺の足に割り入れて逃げ道をふさぐ。

「悠真、好き。うんっていってほしい」

 上から降ってくる声は変わらず優しげだったのに、どうにも俺は同じように陽斗へ返事をしてやれなかった。

「んなこと言うわけねえだろ!」

 踊り場にわん、と声が響く。陽斗がなにか口を開こうとしたところで、彼は目を見開いた。俺の手が震えていたからだ。

「俺がどんだけがまんして、お前と友だちでいたい思ってんだよ。普通でいてくれよ陽斗!」

 怒っていいのか、悲しんでいいのか、嬉しいのか。誰か答えを教えてくれ。でないと俺という器はもう陽斗への気持ちでいっぱいなんだ。答えたい気持ちでたくさんなんだ。

 陽斗は俺を優しくなでて、そっと頬にキスをした。

「ごめん、できない」

 彼はごく真剣に言う。少し濡れた陽斗の唇を見て、自分の思いの丈が涙になって頬を伝っていたのを、今になって知った。

「でも、ウソついたのは悪かった。次はもっと真っ向から挑戦する」

「それをやめろって言ってんだよ!」

 押しのけようと陽斗を押す手を逆に取られて、これが今日最後、と彼は言った。

「キス、いやじゃない?」

「いやじゃない、けど、やめろ」

「なんでいやじゃない?」

 少しずつ正解を導き出すように、陽斗は優しく聞いてくる。そこに辿りついてしまったら、俺は本当に彼に「うん」と言わなければならない。それは何としても避けたかった。

「もうやだあああ!」

 というより、勝手に答えを決められるのは癪だった。

「っええ、悠真!? あだっ」

 俺は陽斗の足を思いきり踏んで、その場から逃げ出す。階段を駆け上がり、手の出せない高さまで登り切って、俺はうずくまる彼に思い切り言ってやった。

「俺にどんなに仕掛けてきても、陽斗に「うん」なんて言ってやらねえからな!」

 走り去ったあとの彼のことは、よく知らない。たぶん彼のことをよく慕う、女子や先生に介抱されてたらいいと思った。それもなんだか癪だなと思う自分も確かにいたが、それは走り出したときに踊り場に置いていくことにした。


 ***


 それから数日は、会いに来られては逃げて、帰りの迎えは避けてを繰り返して、彼に遭遇する頻度は極力少なくした。その一方で寂しく思っているのも事実だった。

 一週間経った頃、つまり月曜日がやってくるわけで、要するに陽斗の部活が休みなので即逃げなければならなかった。

 ホームルームが終わり、帰り支度を終えていた俺は、脱兎のように教室を出る。階段を下りていると、間もなくして二段飛びで駆け下りてくる陽斗の姿が見えた。特進科のある上階から下りてきているというのに、既に振り返れば姿が見えるのだから、マジで運動神経の塊だ。

「悠真! お前いつもどこにいんだよ! マジでクラスメイト全員で結託して逃げやがって!」

「陽斗の人気者ー! お前がいつ来るって言ってたらみんなキャッキャ言いながら協力してくれるぜ! 羨ましいわ!」

「この! お前昔から足速いよなあ!」

 この会話はあくまで廊下を全力疾走しながらしている会話である。

 俺はもう一度いうが帰宅部で、帰ったあと勉強もせずに何をしているかというと、一つは飼い犬の「おはぎ」を毎日散歩させている。日課の犬の散歩で犬に負けじと走っているのが、ここで活かせるなんて思いもしなかった。

 途中ですれ違った先生には走るなと怒られた気もしたが、かまわず俺は特別教室が多く存在する学校の西館に逃げ込んだ。

「悠真、待てって!」

 美術部の友だちが部活で使うと言っていたので、昼のうちにそのつてで鍵を借りていた。学校が余らせている予備室だが、各部活が練習場所や更衣室替わりに使用しているのは知っていた。陽斗を巻いたのを見計らって錠を外して中に入り、フローリングが軋む。さすがに活動中は邪魔になるので、しばらくやりすごしたらすぐに出ていくつもりだった。掃除用具入れのロッカーに忍び込み、じっとを潜めて時間が経つのを待つ。幸いロッカーの隙間から時計は見えていたので、部員の声が聞こえてきた頃に帰ることにした。

 ずっと陽斗が好きだ。陽斗と勝利パーティーを開いたあの日から、何回でもそう思った。泣き虫で可愛くて、でもどんどんとかっこよくなって、友だちとして誇らしい奴になって、でも頼ってくれて優しくて。

 それはただの友だちだから叶った関係で、その先に進んだら、俺は。

 惚れないわけがないだろう、こんないい男。俺には似合わない眩しさだ。

 足音が使づいてくるからか、それとは別か、心臓のドキドキは止まらない。

「悠真」

 部員を期待したが、俺の名前を確かに呼んだこの声は彼だった。

「南京錠がこの教室だけ開いてる。ここなんだろ」

 教室のドアを開ける陽斗の姿が見えた。袋のネズミとはこのことだ。

 息を切らしている彼は咳き込みながら、隙あらば逃げるだろう俺を警戒して、教卓の下や机の隙間を屈んで探している。最後に陽斗はロッカーの扉に手をかけた。勢いよく彼は扉を開ける。

「マジでホラーかよ……!」

 開ける勢いが強すぎて、中に収納されていた箒がバタバタと倒れて陽斗を襲う。

 箒をまとめて横に立てかけて、それでも俺の逃げ道はしっかりと手足で塞ぎ、なんなら箒をつかみ取ろうとした俺の手はそのまま陽斗に掴まれた。

「どんだけ俺のこと好きなんだよ!」

「好きだよ。天国でも地獄に行ってもお前を愛したい」

 好きなんてとっくになってた。そういえたらいいのにな。

 掴まれた手を利用して、俺は陽斗を抱き寄せる。

「ゆ、悠真……?」

 わずかに警戒を解いた彼が、俺の肩に手をかける。そうだ、そのまま俺を抱きしめてくれたらどんなにいいか。このまま夜になっても、また朝になっても、彼の匂いに安心して眠りにつけたらどんなに幸せか。そう思いつつ、俺はそのままぐるっと背を向けてロッカーに陽斗を押し込み、逆に中へ閉じ込めた。

「っ、おい、悠真! 出せって!」

 内側から陽斗が扉をどんどんと叩く響きが伝わってくるが、俺は開かないよう押さえ続ける。大きい図体を押し込むには少々苦労したが、最後まで掴んでいた手は傷つけるつもりのない優しい握り方だった。足を踏んで逃げた俺とは大違いだ。

 ガタガタと開けようとする陽斗に「このまま開けたら先手で教室の鍵を閉める」と言い放つと、ピタリと音が止んだ。不用意に力を脱げばいつでも扉が開けられる気配と、ロッカーの隙間から覗かれる視線を感じた。

「なあ。俺、お前のこと好きなんだ。どうやったら俺のこと好きになってくれる」

 お菓子で祝ったあのときも、踊り場で言ったあのときも、今も、真剣に彼は聞いてくれた。

「どうやったら好きって言ってくれる」

 俺の心がとっくに見透かされているのも、知っていた。

 それでも踏ん切りがつかない俺を見守ってくれたのも知っていた。

 あとは俺の問題だというのに、解答用紙に丸かバツかでいえば、さっと丸をつけるだけの問題に、なにも答えをかけないまま、ここまできたのを彼はずっと待っていてくれていた。

「好きもなにもないんだよ。いつも通りでいてくれよ。お願いだから」

 彼に渡される解答用紙を、ぐしゃぐしゃにしてごみ箱に捨ててしまう自分を、いっそ一緒に捨ててくれればいいのにと、思っていた。

 そのとき、地響きのようにロッカーの扉が開かれる。

 残りの掃除用具全部と一緒に、陽斗が俺に飛び込んできた。

 めいいっぱい抱きしめられて、彼はそばで叫ぶように言った。

「俺は! お前と会ったとき、怪我して絆創膏貼ってくれたとき、両親がいなくて泊まりに来てくれたとき! お前の優しさ全部覚えてる! その優しさに惚れ込んでんだ」

 彼が続ける。絞り出すようなその声に、彼のここまで必死な姿は初めて見たように思った。

「どうか、俺を好きって言ってくれ」

 解答用紙にただ丸を書くだけ。それがどんなにむずかしいことか、分かっているんだろうかこの男は。

「……す」

 分かっていなくても、たとえバツをつけたとしても、きっと俺が丸を書くまで消しゴムで消して解答をなしにしたり、新しい紙を用意する男なんだろう。

「……す?」

 何回でも俺の正解を導き出してくれる男なんだろう、陽斗ってやつは。

「すき、って言ったら、満足?」

 彼と数日ぶりに目が合った。

「っ、ああ、一生離さない。何があっても大事にする。約束させてほしい」

 きらきらとした目や、ふんわり笑う彼の笑顔が、やっぱり好きだった。

「付き合おう、悠真」

「え」

「なんだよ。そういうことだろ? これからデートしたり一緒に飯食ったり、その前に試験間近なんだから勉強がてらおうちデートもできるし」

「デート……?」

 陽斗とデート、遊ぶのではなく?

 遊びに行くのも朝昼晩ご飯を食べるのも、一緒に過ごしていたら、全部デート?

「わ」

 忘れていた羞恥が今更波のように押し寄せてくる。

「悠真? どうし」

「いやああ! まだ心の準備があああ!」

 今俺の中では大嵐にもほどがある恥ずかしさでいてもたってもいられなくなった。

「なんでだよ! おい!」

 教室の扉を開け放ち、窓のガラスが揺れる。陽斗の手を振りほどいて走り去ってく俺を見て、彼はあっけにとられているのが最後に見えた。

「……は? 俺たち付き合わないのかよ!」

 俺たちの春花は、まだ咲き始めた青いつぼみだ。

「……『まだ』?」

 俺たちの春花は、まだぎゅっと口を閉じたつぼみだ。









【おまけ 本日の陽斗~悠真の部屋にて~】


「嫌」って言うかあれ絶対「びっくりした」って感じだよな……

「うん、いける」

 悠真の部屋で置いてけぼりをくらった俺は、一旦作戦を練る。

 ぜったい、ぜったい悠真は俺のことが好きだった。

 考えてもみろ。俺がしつこいくらいに悠真の傍から離れなくても、むしろ嬉しそうにしてる。いつ思いを伝えてもイエスとしか返ってこなさそうな空気。笑う悠真、可愛い、大好き。一生離さない。

「決めた。俺。もう悠真に容赦しない」

 立ち上がって、勉強のために広げたノートや筆箱を片付ける。俺が帰るまで悠真は立てこもって出てこないだろう。

「絶対、悠真に『うん』って言わせる」

 広げたままの祐真のノートの端に、「好きだ。待ってろよ」とだけ書いて、その場を立ち去り、一階に逃げた幼馴染を追った。


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冒頭の一文、『大切な彼のために、余計な靴は置いていきたくなかったんだ』の、物語へとぐっと引き込む力がすごいです……! その後も場面転換の際の言葉選びに毎回引きを感じて、ずるずると続きを読み進め、あっと…
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