おくりもの ~エチエンヌ~
陛下視点です。
余はウィンディシュヴェール・グレイゴオデン・アルノマカリウス・ガンクローゼンウォーゼイス・イングウェバルト・アルフエチ・ツェル・セインツァー・ワルブリュギディエン。
リリィに言わせると‘呪文のようで覚えられない‘長い名だ。
ああ、最後にⅤ世のおまけがつくな。
こんなくだらぬ呪文を、リリィが覚える必要は無い。
リリィにとっては難解な呪文であり、余にとっては単なる個体識別記号のようなもの。
意味はあるが、無意味でもある。
「へ~い~か~」
「……リリィ?」
声。
外から聞こえるこの声は。
「へ~い~か! へい……あ、出てきたわ! 陛下、陛下!!」
声に誘われ、執務室のテラスに出た余にリリィが手を振った。
つま先で立ち、身体全体を使って大きく両手を左右に動かしていた。
「おぉ、リリエンシャール!」
淑女とは程遠い道化のような動きだが、妖精のような余のリリィがするととても愛らしい。
「お散歩中か? リリィ、余と茶を飲もうではないか……むっ?」
テラスからリリィのいる庭園へと足を向け、いつものように白いその手を取ろうとしたのだが。
リリィは余の手ではなく、隣に立っていたアリアと左手を繋いでしまった。
「……リリィ」
「お茶は明日ね! 私、これからアリアと街に行くの」
嬉しそうに。
誇らしげに。
自分から。
アリアの手に手を伸ばし。
その手を、アリアが柔らかな微笑を浮かべて包み込む。
そう。
もう、良いのだ。
隠れて手を繋がなくとも、そうして堂々として良いのだ。
その男はリリィの夫になったのだから、そなたに触れる権利がある。
「ごめんなさい、陛下。今日はまだ陛下のお顔見てなかったから寄っただけなの」
リリィの屋敷はここから徒歩で10分ほどの近さだ。
この距離ならば、リリィは一人でも気軽にこられる。
4箇所あった執務室をさらに増やし、ここにも作った。
ここは執務室ではなく、リリィの観察部屋件監視部屋だと昨夜も皇妃は苦笑して言っておったな。
観察。
監視。
当たっているだけに、その言葉は耳に痛かった。
「そうか。リリィはお出かけをするのか」
お出かけか。
なるほど。
それでそのようななりをしておったのか。
「うん!」
街娘のような膝丈のワンピース姿も、リリィはなんとも可愛らしい。
余と同じ白金の長い髪には同色同素材のリボンが結ばれ、リリィの動きに合わせて揺れていた。
義足にあわせた特注品である編み上げのブーツが違和感無く合う、品の良い紺色のそれは横に立つアリアの見立てなのだろう。
でかした、アリア。
アリアも街へ行くのに違和感の無い平服を着ておるが、帯剣しておるので誰が見てもその職は分るだろう。
余は一般人の帯剣を認めておらんからな。
……まあ、そんなことはどうでもいい。
余はアリアに目をやる時間が惜しい。
この目はリリエンシャールを見るのに忙しいのだ、アリアなんぞ見る暇は無い。
「アリアを1週間もお休みにしてくれて、ありがとう。陛下、大好き!」
大好き。
だ・い・す・き。
うむうむ、久々だ。
あぁ、五臓六腑に幸福感が染み渡る……。
その笑顔、凶悪なまでに可愛いぞ!
あまりの愛らしさに政務の疲れも消え去るようだ。
リリィ。
余の可愛いリリエンシャール。
アリアとのお出かけが、そんなに楽しみなのか。
アリアがそばにいることが、そんなにも嬉しいのか。
それを。
『贈り物』を気に入ってくれたのだな。
リリィが気に入りの猟犬などより、それはずっと役に立つ。
「リリエンシャール。街へ行ったらたくさん歩くのでしょう? おんぶも抱っこもお嫌なのでしょう?」
「うん。だって、小さな子しかそんなことしないってマーガレッテが……私、自分で歩きたい」
リリィには、自分の好きな時に好きなだけ歩ける『足』はない。
その日の体調にあわせ、1日のなかで時間を決めて『足』を使うのだ。
「リリィ、無理はするな。足を変えてからまだ日が浅いのだから」
「……無理なんかしない。ちゃんと分ってるもの」
エメラルドの瞳が、余を見上げた。
余と良く似た顔には穏やかな笑み。
「陛下。今度の足は、とっても調子が良いの。素敵な足をありがとう」
「リリィ」
リリィは余を責めた事などない。
幼い時から、一度も。
アリアの紫紺の眼が余を見、軽くうなずいてからリリィを抱き上げた。
「リリエンシャール、馬車まではこうしましょう。街に着いたら下ろしてさしあげますから」
「うん、ありがとうアリア」
それは余とジャガスの予定以上に、強くなった。
リリィを何者からも守るだろう。
リリィを守るためならば、それは余の首すら躊躇無く落とすだろう。
リリィを。
リリエンシャールだけを、幸せにしてくれるだろう。
余の望み通りに。
ジャガス……お前の願い通りに。
そして。
姉上の<夢>を叶えるには『アリア』が必要なのだと、お前の父が言っていた。
それが『アリア』の役目。
皇帝である余には出来ぬのだ。
リリィだけを守る事も、リリィだけを幸せにすることも。
愛しい姉の夢を、願いを叶えることが余には出来ぬのだ。
「陛下、行って来ます! 明日は絶対に遊びに来るから……お土産を楽しみにしていてね、エチエンヌ」
姉上が私にくれた名。
エチエンヌ。
記録に残らない、余だけの名前。
「たくさん楽しんでおいで、余の可愛いリリィ」
もうその名で[僕]を呼んでくれるのは。
君だけだ、リリエンシャール。
「はい、これ飲んで!」
余に会いに来てくれたリリィが土産をくれた。
リリィはアリアに背負われて現れた。
口に出さぬが、街を楽しみすぎて足が痛むのだろう。
余もあえて、それには触れなかった。
どんなに足が痛もうと、リリィは余に会いにきてくれる。
足の痛みで自分が寝込んだら、余の心がその足より痛むのではないかと案じているからだとジャガスが言っていた。
余が先日贈った淡いピンクのドレスを着たリリィはまさに妖精、天使のようだった。
アリアが背負っていたリリィをそっと床に下ろし、手をとりソファーへと導く。
リリィを定位置である余の右隣に座らせ、アリアは跪いてリリィのドレスの裾を整えた。
アリアよ、侍女顔負けの世話焼きぶりだの。
「リリエンシャール、1時間後にお迎えにきます。では、失礼いたします」
立ち上がり一礼し、退室しようとしたアリアにリリィは言った。
「アリア! ランチのパンケーキになにをそえるか分ってる?」
「ええ、桃のコンポートとアイスクリームですね? 今日のドレスはピンクですから」
余からの贈り物の答えに、リリィは満足げにうなずいた。
我の隣に腰を下ろした天使からの土産……贈り物は。
「こ、これを余に?」
コルク栓のついた茶色の小瓶には、胡散臭いラベルが張られていた。
遠い砂漠の国のものに良く似た文字で、みるからに怪しい呪語が紫のインクで書かれている。
「……リリィ。リリエンシャール、このような珍しい品物をどこで手に入れた?」
「え? 道端でお婆さんが売ってたの。すごいのよ、これ! 飲むととっても元気になる魔法のジュースなんだって!」
<飲むととっても元気になる魔法のジュース>だと?
「とっても元気になるらしいから、私が飲もうと思って買ったんだけど」
「なっ!?」
なんと、これを自分で飲むつもりだったのかーっ!?
「アリアが決められたお薬以外、飲んじゃ駄目っていうの」
当たり前だ!
こんなもの怪しげなモノを、余の可愛いリリィに飲ませられ~んっ!!
「アリアが『元気になってもらいたい人にあげたらどうですか?』って言ったから、陛下にあげるの。これを飲んで、もっともっと元気になって長生きしてね! 母様と父様の分も……」
「……」
さすだな、アリア。
皇帝である余を贄にするとは。
お前はリリィを守るためならば、手段を選ばんな。
「陛下は、私をおいていかないでね?」
あたたかな手が余のそれに重なり、小瓶を握らせた。
「リリエンシャール……」
案ずるなリリィよ。
そなた、まるで余を老人扱いだがの。
余はまだ35だぞ?
「うむ、そうだな。余はうんと長生きせねばな」
当分、死なん。
殺されん限りはな。
「飲んで、エチエンヌ」
余に瓶をしっかりと握らせてから、リリィがコルク栓を抜いてくれた。
「あ、良い香り」
ふわりと漂う、その香りは花のようだった。
「そうだな。……では、ありがたくいただくとしよう」
元気が出る……精力剤の類か?
粗悪品であろうから効き目も無いが、たいした害も無かろう。
まあ、多少害があろうと死にはせん。
「ありがとう、リリィ」
余はリリィの思いと怪しさが詰まったそれを、一気にあおった。
謎の液体は薔薇の香りと蜜の甘さ。
そしてシャンパンのような咽喉越しだった。
1時間後。
迎えに来たアリアに背負われて、余の天使は去っていった。
<とっても元気になる魔法のジュース>が、幼少の頃よりあらゆる毒に慣らされてきた余を、後宮ではなく厠の住人にしたことは、リリィには絶対に知られてはならなかった。