表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

第4話

アリア視点です。

 数時間で牢から出された。

 処刑されるのではと考えていたが、杞憂に終わった。

 リリエンシャールが行方不明だと、真っ青な顔で陛下が仰った。 

 聞くと同時に、私は走った。

 駆けながらファンデルの差し出した剣を受け取り、腰へと戻した。


 リリエンシャールの行動範囲は狭い。

 奔放なようでいて、実は意外と用心深く……臆病で怖がりだ。

 その彼女が1人で外へ出ることは、有り得ない。

 屋敷内を侍女達と探したが見つからなかった。

 庭にも見当たらなかった。


 庭。


 まさか、と思った。

 温室……だが、リリエンシャールはあそこが嫌いだ。

 幼い時に、リリエンシャールが母親の死体を見つけた場所。

 陛下も使用人も、それを知っている。

 だから、誰も確認していなかった。


 彼女は、そこに居た。

 先週あつらえたばかりの、淡い紫色のドレスを纏ったリリエンシャール……。

 最奥の隅に蹲るようにして身を隠していた。


「リリエンシャール!」


 私が手荒く引いた所為で、硝子製の温室の扉に亀裂が入った。


「遅いわよ、アリア! 何やってたのよ!? な……なによ、その顔!? なにか文句があるの!?」

「…………ご無事で、リリエンシャールッ」


下げた視線の先には、私を見上げる年下の姉。


「文句などありませんよ、リリエンシャール」

「……そ、そう。なら、いいけど」


 

 姉。

 姉?

 違う。

 この人は、姉ではない。


「お怪我はありませんか?」


 もう、姉ではない。

 私は、弟ではない。


「怪我なんか、してないわ……でも……」


 座り込んだ姿勢のまま、私を見る彼女の頬がいつもより赤かった。


「リリエンシャール? 頬が少し赤いような……まさか熱が!?」


 私は焦った。

 彼女は普通の身体ではないのだ。

 ちょっとした油断が、命取りになる恐れさえあるというのに!

 体温を確認しようと白金の髪に隠れた額に手を伸ばしたら、白い手に押しもどされた。

 その手は、とても冷たくて。


「……っ」


 自分の不甲斐無さに、吐き気がした。

 宮廷騎士第一位になったとて。

 この人を守れなくては、全ては無意味なのだから。




 拒まれるかと思ったが。

 リリエンシャールは躊躇無く、私の背に身体を寄せた。

 16だとは思えぬ程、彼女は小柄だ。

 4歳の時から度重なる手術、服用し続ける薬のせいだと彼女の父親が言っていた。

 だから彼女の周りからは、同世代の者が排除されていたのだ。

 父親の異常なまでの過保護な愛と皇帝陛下の絶大なる力で、彼女は隔離されながら生きてきた。

 彼女は自分を『お馬鹿』だというが、彼女に知識を与えるのを拒んだのは……恐れたのは。

 彼女の周りの大人達だった。

 それを受け入れ。

 私の知る限り、不満など一切口にしない彼女の強さが。

 彼女の笑顔が。

 ずっと。

 ずっと、私を支えてくれていた。

 10才も年下のこの少女は私にとって、確かに<姉>でもあったのだ。



 リリエンシャールを背負い、屋敷へと歩いた。

 屋敷……彼女の家は、広大な宮殿の敷地内にある。

 皇帝陛下がリリエンシャールの母親に贈ったそこは。

 御伽噺に出てくる妖精の住処のような、なんとも可愛らしい建物だった。

 クリスタルの珠をつけた尖塔を持ち、白い壁一面に淡い黄色の蔓薔薇が這わされていた。

 無数の貴石で飾られた扉、ステンドグラスの優しい光が満ちるエントランス。

 リリエンシャールはここで生まれ、ここで育った。

 彼女は誰よりも特別で。

 帝国にとって、貴重な存在なのだ。

 

「……私は」


 ずっと伝えたかったのに。

 この十年間、言いたかった言葉をようやく口にできるのに。

 いざそうなると緊張のあまり、面と向かって口にすることはなかなかできなかった。

 前回は大失敗だった。

 世間の女性達とは少々違う彼女にも理解できるように、分かりやすく簡単に言わねばならなかったのだ。

 歩きながら、言わねばならなかった事を言った。


「困らないところが、貴女らしくて……私は好きです。私はリリエンシャールが……好きです。大好きです」

「え?」


 隙間無く私の背に押し付けられていた柔らかな感触が、途中で離れていってしまったことは正直寂しく、残念だった。

 だが、そのことが。

 私に希望を与えてくれた。


「ふ、ふ~ん……アリアはお馬鹿が好きなの?」


 特殊な育ち方をしたせいか、彼女には羞恥心というものがあまり無い。


「……違います。基本的には、私は馬鹿が嫌いですから」


 医療行為、不自由な身体への介護や補助。

 身体に触れられること、見られることに慣れすぎた所為かもしれない。

 彼女の父親は眉間を太い指で揉みながら、以前そう言っていた。


「馬鹿が……き、き……嫌い? つまり、私が嫌いだってこと!?」

「貴女を嫌う? この私が? 大好きだって告白した直後に、なんでそうなるんですか?」


 その彼女が。

 不自然なまでに、私から距離をとったのは。

 その胸が、駈けるような鼓動を刻んでいたのは。


「順番がおかしなことになってしまいましたが」


 弟ではなく。

 男として、意識してくれたのかもしれない。

 

 弟ではなく。

 

「ずっと、貴女を愛していました。私の姉ではなく、妻になってくださいませんか?」


 足を止め、振り返って彼女の顔を見つめた。

 大きなエメラルドの瞳が、まん丸になっていた。


「し、したわよ!? なんとかって書類にサインしたもの。やだっ、アリアまでお馬鹿になっちゃったの!? わかった、牢屋で饅頭を食べさせられたのね!?」

「は? 饅頭……あぁ、なるほど」


 彼女の気に入りの冒険小説の主人公は悪い妖術使いに捕まり、怪しげな饅頭を無理やり食べさせられ記憶喪失になった。

 多分、それを脳内で結びつけのだろう。


「ど、どうしよう……私のせいだ、もっと早く牢から出してあげれば……ごめんね、アリア」


 リリエンシャールの宝石のような眼に、涙が浮かんできた。

 風に撫でられた湖水のように、揺らいで溢れる。

 昨夜は、泣かなかったのに。

 婚儀の事は何も教えられてなかったのだと、すぐに分かった。

 けれど、私は止めなかった。

 私はずっと、彼女に焦がれていたのだ。


 彼女の指が、私に初めて触れたあの日から。


「アリアが、アリアが私と同じお馬鹿に……ど、どうしよう?」


 あの主人公は毒饅頭により記憶喪失になったのであって、お馬鹿になったわけではないのだが……。

 それに皇帝陛下は毒饅頭などといった、生ぬるいことはなさらない。

 饅頭を食わせる前に、頭を飛ばす(・・・)だろう。


「どうしようっ!? ご……ごめんね、ごめんねアリアッ」


 私は泣き出したリリエンシャールを背から下ろし、地面に立たせた。

 精巧に作られた美術品のような美貌を持つ彼女だが、その表情は煌めきながら常に変化する。

 私を見上げるその泣き顔も、息を呑むほど美しい。

 たとえ。

 彼女の身体と同じ傷跡がこのかんばせを覆い尽くそうと、私は同じように見惚れてしまうだろう。

 リリエンシャールという存在は、私にとって至上のものなのだから。


「違います。牢では何も食べていません。私はもともと馬鹿だったんです。大切なことを言い忘れてしまうほど、とんでもない大馬鹿でした。……すみませんでした。ごめんなさい、リリエンシャール。許してくれるまで、何度だって謝ります。なんでもします」


 エメラルドの瞳を瞬かせ、リリエンシャールは首をかしげた。


「それって、もしかして。……昨夜、お返事してくれなかったことを謝ってるの? なんでも……じゃあパンケーキ焼いてよ。今日も明日も、明後日も」

「パンケーキ? 申し訳ありません。私が主に謝りたかったのはパンケーキの事ではなく、貴女に……表現が適切ではないかもしれませんが、貴女の肌にたくさん触ったことです。告白もしていなかったのに」


 幸いなことに。

 幸い? ……少々、微妙だが。

 彼女にとってはパンケーキのほうが、重要だったらしい。


「触ったこと? う~ん、アリアがした事はびっくりしたし、ちょっと痛かったけど。背中にするでっか~い注射の方が何倍も痛いんだよ?」

「注射、ですか? そうですか、注射……くっ」


 注射と比べられるとは、複雑な心境を通り越して笑うしかない。


「あ~! なんで笑うのよっ!? アリアは背中に注射をしたことないクセに! もっともっと痛いのを、私はいっぱい知ってるの。すごいでしょう!?」


 もっと痛いの。

 彼女のこの小さな身体は、ずっと痛みと共にあった。

 痛みに慣らされ、苦しんできた。


「ええ、凄い事です。貴女はとても、凄い方です」


 強い痛みを‘知っている‘ことを得意気に言うその姿に、私の方が悲鳴をあげたくなる。

 彼女の変わりに『痛い』と叫び、『もうやめてくれ』と逃げ出したくなる。

 だが、彼女はけっして逃げたりしない。

 リリエンシャールは、そういう人なのだ。


「リリエンシャール。私が貴女と結婚を望んだのは、貴女がずっと好きだった……愛しているからです」


 私は白金の柔らかな髪に手を伸ばし、触れた。

 今の私には【権利】がある。

 人目を憚らずに貴女に触れられる。

 私は貴女の弟ではなく、夫なのだから。 


「それって、アリアは弟じゃなくて私の旦那様になりたかったってこと? 私が本物の奥さんだってこと? ……ちょっと聞くけど。弟から夫に変わっても、家族は家族? 夫婦は家族と違うんでしょう?」


 ハンカチでごしごしと濡れた頬を擦りながら、リリエンシャールは言った。

 思い切って口にした『愛している』には、特に反応が無いのが少し残念ではある。

 私の残念気分などより、リリエンシャールの行動の方が問題だった。

 最上級の絹で作られているからといって。

 このように力を入れ乱暴に拭いたら、肌に負担がかかってしまう。

 お人形のような繊細な美しさを持つ見た目に反し、この人は自分自身に対して意外と無頓着なのだ。


「お顔、もう綺麗に拭けていますから終わりにして下さい。……まさか、それが分からなくて弟に拘ったんですか?」


 レースで飾られたハンカチを彼女の手から奪い、制服のポケットに閉まった。


「だ、だって、父様が死んじゃったから確認できなかったんだもの。……ふん。どうせ私は物知らずで本も読めないお馬鹿な我侭女ですよ!」

「あのね、リリエンシャール。弟と姉はずっと一緒にはいられないんですよ?」


 遅かれ早かれ、リリエンシャールには夫が与えられたはずだ。

 皇帝陛下の選んだ由緒正しい家柄、最高の血統を持つ男が夫としてあの屋敷に来ただろう。


「えっ!? な……何それ、どういうことよ?」


 リリエンシャールがその男を気に入り、私に飽きたら。


「弟の私はいずれ、よそのお家に婿に行かなくてはなりませんでした」


 私は用済みとなり、あそこから放逐され。

 処分されただろう。


「アリアがよそのお家に? だ、駄目よ! 絶対駄目っ! そんなの許さないっ。よそのお家に行くなんて言ったら、陛下に頼んでそのお家を潰しちゃうんだからね!?」


 彼女が言う家を潰すとは、そのままの……建物を壊すという意味だ。

 だがもし彼女が陛下に『そのお家を潰して』と言ったなら、建物どころかその一族全てが消える(・・・)ことになるだろう。

 

「陛下にお願いしなくとも、大丈夫です。私は貴女の夫になりましたから、墓の中まで一緒です。……本が読めなくても計算が苦手でも、私が教えて差し上げます。ずっと一緒に暮らすのですから、時間はいっぱいあります。頑張ってお勉強しましょう」


 彼女の父親が存命中は、彼の異常な過保護ぶりに内心では怒りさえ覚えていた。

 今は。

 その気持ちが、よく解かる。


「ずっと、一緒のお家で暮らせるのね!? それならいいわっ! じゃあ、私はアリアを夫にする。そっか、弟だとお婿にいっちゃう可能性もあったなんて……やっぱり、アリアは賢いわっ!」


 お勉強の辺りは見事に流されてしまったが、これはゆっくりと進めていけばいい事だ。

 義父上。

 私は貴方を見てきたので、貴方のようにはなりません。

 私は私のやり方で、彼女を幸せにするべく努力すると貴方に誓います。


「お腹、空いた~。アリア、私がお風呂に入ってる間にパンケーキを焼いておいてね! 急いで食べて、お出かけしなきゃっ! あ、ファンデル君のは無いわよ? アリアはね、いつも私だけに作ってくれるんだから。君の分のパンケーキは無いの」

「僕の存在、忘れて無かったんですね……って、リリエンシャール様っ睨まないで下さい! けけけけっこうです! 宮廷騎士第一位のアリア様のパンケーキ、恐れ多くてとても口に入れられませんからっ。あぁ、強くて頭も御顔も良くて、さらにお料理も出来るなんて! アリア様は僕の目標です!!」

「……いや、それほどでもない」


 すまない、ファンデル。

 お前の存在を忘れてたのは、私だ。


「目標? ファンデル君って、意外と勇気あるのね。どう考えても、アリアみたいにはなれないのに。だって、君はわんこが怖いでしょ? アリアは、わんこが好きだもの」

「うぅ~っ。目標は高い方が良いんだって、団長が言ってました。僕は諦めません! 犬恐怖症だって、克服してみせます……そのうちにですけど」


 わんこ。 

 リリエンシャールは陛下の犬を欲しがっていた。

 あれは‘わんこ‘なんて可愛らしいモノではないので、無理だ。

 代わりに無難な室内犬を用意すべきか……。


「アリア、パンケーキに添えるものちゃんと分かってる?」

 

 リリエンシャールが可愛いと絶賛する‘わんこ‘は、本当は猟犬などではない。

 あれは。

 あれも、私と同じ【皇帝陛下の剣】なのだ。

 私と同じ。

 貴女を守るモノ。


「はい。今日は生クリームと苺のソースの気分なのでしょう? ……ドレスが紫ですからね」


 リリエンシャールの頬に両手を添えて言うと。

 帝国の至宝と讃えられるエメラルドの瞳が輝きを増し、花弁のような唇が綻んだ。


「さっすがアリア! やっぱりアリアは、とっても賢い。私の自慢の弟……あれ? 自慢の旦那様って言うのが正解なのかしら……ねぇ、あの、そのっ! ア、アリアはどっちがいい?」


 私に向けられた彼女の頬がまた赤くなったのは。

 絹のハンカチで、擦りすぎたからではないはずだ。


「はい、旦那様を希望します。これから私を誰かに自慢して下さる場合、そう言っていただけると嬉しいです」

「……うん!」


 手のひらに伝わるのはその柔らかさと、微熱のような温かさ。

 それはまるで。

 私の想いへの、リリエンシャールからの返答のようだった。


「とても、嬉しいです。ありがとうございます、リリエンシャール」


 これからも、ずっと。


 姉だった貴女に。

 妻になった君に。


 愛しいリリエンシャールの為に、最高のパンケーキを焼こう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ