5.レオポルドのアドバイス
レオポルドは書庫の奥から、カギのついた小箱を持ってきた。
「魔術書のたぐいは記録石に移す作業を進めているが、業務に直接関係のない手記はまだ手つかずだ。史料的価値はあるから、保管してはいるが」
「ありがたい。掘り起こして探さなければならないかと思っていた」
ライアスがホッとしたように笑顔を見せると、レオポルドは保存の術式を解いてから古びた黄銅色のカギを差しこむ。
「保管されている手記にはひととおり目を通している」
「ひととおりって……ここに保管されているもの全部ですか?」
小箱のフタを開けると、古びて擦り切れた革表紙の冊子がいくつもでてきて、ユーティリスは目を丸くする。
「業務で読むというよりは、報告書より肉声に近く、気晴らしに読むのにちょうどいい。母の手記もここで見つけた。さて、スーリア王妃のものはこれだ」
「塔にこもっているのは、仕事だけじゃなかったんだな」
ライアスの軽口に、レオポルドも眉をあげて応じる。
「竜騎士団も探せば、お前の父ダグの書いた報告書がでてくるぞ」
「親父の?まさか呼んだのか?」
驚くライアスに、レオポルドは淡々と答える。
「ああ。業務日誌といった感じのものだ」
「何でそんなものまで……」
銀の魔術師はさらりとした髪をかきあげた。
「探していた資料があって……偶然だ。文字があるとつい、目で追ってしまうのは性分だな」
「お前らしいな」
(すごい。ちゃんと会話が成り立っている……)
ユーティリスはふたりのやり取りをぽかんと見つめていた。父のアーネストはいつも『レオポルドと話すのは難しい』と嘆いていたのに。
レオポルドは速読眼鏡をかけると、パラパラと勢いよくめくり、目当てのページでとまった。
「バルザム王が集めていたハーブとはこれではないか?安眠効果のあるバーレムにマルボ草を採って、城の中庭で干したらしい。今は季節外れだが、薬種商のアムリタ商会に問いあわせれば、乾燥したものが手に入るだろう」
「助かった!こんなに早く解決するなんて!お前が魔術師師団長でよかったよ」
ライアスはくしゃりとうれしそうに笑い、見守っていたユーティリスのほうを向く。
「俺の用事は終わったから、つぎはユーティリスの番だ。レオポルドに教えてもらいたいことがある」
「私に?」
「あ、ええと僕は錬金術師になるため、研究棟に在籍しています。それで錬金術師のオドゥ・イグネルのことを知りたくて。ライアスから彼と親しかったと聞いて」
「オドゥのこと?」
銀の魔術師がけげんそうに眉をひそめた。
(何とかあいつの弱点を聞きださなきゃ……でもどういえばいいかな?)
考えを巡らせているうちに、ライアスがあっさりとレオポルドに告げた。
「ユーティリスはオドゥに勝ちたいんだそうだ。俺はあいつが苦手だから、お前が知恵を授けてやってくれ」
「…………」
(ちょっ、ストレートすぎるだろ!)
あせったものの、時が戻せるわけもない。ユーティリスは慌てて言いわけをした。
「休憩時間に彼とよく手合わせをするんですが、いつもコテンパンにされて。体格差があるとかじゃないんですよ。死角がぜんぜんないし、いつのまにかガッチリ押さえこまれてて」
レオポルドはとくに驚いたようすもなく、淡々としていて静かにうなずく。
「オドゥ相手ならそうだろう」
「ヒマになると、やたらちょっかいだされるんです。錬金術をいろいろ教えてくれるのはありがたいけど……めちゃくちゃ難易度の高い魔導回路の設計図を、持ってきて解読させるし」
「それは……」
それを聞いてレオポルドはわずかに目を見開いた。ライアスも意外そうに首をかしげている。
「ずいぶんとオドゥがかまっているんだな。それで何か対価を要求されたか?」
「いいえ、うっとうしいだけです。何ですか対価って」
師団長同士はふたりで顔を見合わせた。
「対価なしとは」
「かなり気にいってるみたいだな」
「迷惑しています。何か対策みたいなものはありますか?」
渋い顔をして文句を言うと、レオポルドは首をかしげた。
「さて……」
「オドゥは何でもできるし、器用だからなぁ」
ライアスは苦笑しているが、ユーティリスにしてみれば毎日のことである。どうにか対策を練らないといけない。
「私とてオドゥに一生勝てないことはある。ヤツが勝っているところは素直に認めて、見習えばいい。自分が負けている、と思うと下になる。まだ経験が浅い錬金術でも、やっていけばオドゥに勝てるところは見つかるだろう」
「そうですか……」
正論だ。それで納得するしかないが、結局オドゥの弱点はわからないし、今の状態が改善されるわけではない。
納得しきれていないのは、レオポルドにも伝わったのだろう。手記を小箱にしまって再びカギをかけ、彼はユーティリスに向きなおった。
「オドゥの苦手なものなら、ひとつだけ教えられるが……それを使うかどうかは自分でよく考えて決めるといい」
「何ですか、苦手なものって」
ユーティリスは赤い瞳を輝かせた。ついにオドゥの弱点が聞きだせる。それを使うかどうか……って、もちろん使うに決まっている。
(いちどでいい、あいつに『ぎゃふん』と言わせてやるんだ)
「……ライアス、この資料をマリス女史のところに持っていってくれ」
レオポルドは書庫の机に置かれた数冊の本を取り、それをライアスに渡した。
人払いをされたことに気づいた金の竜騎士は眉をあげる。
「俺には教えられないのか?」
「お前は自分で考えろ」
冷たいセリフにライアスは肩をすくめ、ユーティリスに目配せをすると何も言わずに書庫をでていった。
「それで彼が苦手なものって?」
うずうずしながらユーティリスがたずねると、銀の魔術師は物憂げにため息をつき、腕組みをして書架にもたれかかった。黄昏色の瞳がまっすぐに、ユーティリスを見つめ、心の奥底まで見透かされそうな気がした。
「家族の話だ」
「え……」
レオポルドは少しだけ目を伏せた。それだけで長いまつ毛が瞳を隠し、ふだん見せる厳しさがやわらぐ。
「オドゥの家族は全員土石流で亡くなっている。あいつが苦手な家族の話を、私はしないから……だから一緒にいても平気だったのだ」
「…………」
ユーティリスが言葉を失っていると、ライアスが戻ってきた。
「渡してきたぞ」
「こちらも話は終わった」
それで終わった。塔からでたユーティリスは奥宮に帰るのではなく、中庭から通路を通ってぶらぶらと研究棟へと歩いて行く。
研究棟前の広場で立ちどまり、二階にあるオドゥが使う研究室の窓を見あげた。
家族の話……まちがいなく確実に、オドゥにとっては急所だろう。まわりの人間が無意識に、グチやボヤきで何気なく口にする家族の話が、オドゥの心をえぐるのかもしれない。
『それを使うかどうかは自分でよく考えて決めるといい』
「……使えるわけがない。僕にもそれぐらいの分別はある」
(あの魔術師は……僕が得た情報を使えないことが、わかっていてあえて教えたのか)
長い銀髪に光のかげんで色を変える、黄昏時の空を思わせる瞳……精霊のようと評される天才魔術師。オドゥのこともさして苦手にしていないという……。
考えてみれば彼が師団長になったのは、十八で成人してすぐだったと思いだす。就任したばかりのライアスとちがい、五年目ともなるとベテランの風格すらある。
(今の僕と同じ……けれど僕があのグレンを押しのけて、さらにオドゥを差し置いて師団長になれるかというと……ムリだ)
前任のローラ・ラーラは任期が長かったとはいえ、今もメニアラ支部で活躍しているという。急いで引き継ぎをする必要はなかったはずだ。
(それだけの力量だってことか。しかも追いつけるどころか、どんどん離されていく……)
ユーティリスは居心地がいい、と研究棟でのんびりしていた自分をしかりつけたくなった。先輩の弱味を握ろうとしたのもバツが悪い。
けれど師団長たちはふたりとも、笑うことなくユーティリスの話を聞き、それなりに考えてきちんとした答えをくれた。
「ハッ、さすが師団長クラスともなると、一筋縄じゃいかないな」
ユーティリスは自分の赤い髪をくしゃりと握りつぶした。









