2.ケガをしたライアス
ライアスは見あげるように背が高く、筋肉質の体なのに圧迫感を感じないのは、まだ若くて甘い顔立ちをしているからだろう。
ライアスは眉をさげて診察室の内部を見回した。
「中庭からすまない。少しララロア医師に相談があって……だが診察中なら出直そう」
「いいえ、診察なら終わりましたよ。ゴールディホーン竜騎士団長、何かご用ですか?」
ララロア医師に招きいれられた彼は、ユーティリスに目を留める。最初は気づかなかったのだろう、驚いたように目をみはった。
「ユーティリス殿下」
ユーティリスは軽くうなずき、精一杯威厳を保ってたしなめる。
「ライアス。きみはもう竜騎士団長なのだから、僕のことはユーティリスでいい。『殿下』はつけないでくれ」
ただ医師にもライアスにも、少年がふんすと胸を張ったようにしか見えなかった。
「えっ、あぁ……そういうことも慣れないといけないんですね。ではユーティリス……」
(きっと僕のことは子どもに見えているんだろうな……)
モゴモゴと言いにくそうに口ごもる彼に、ユーティリスはため息をついてさらに注意した。
「敬語もなしだ。竜騎士団長はエクグラシアを守る双璧の長、堂々としていてくれ」
「わかりました……っと。承知した、ユーティリス」
こくりと素直にうなずいてから慌てて言い直し、照れたようにくしゃりと笑うライアスの笑顔に、ユーティリスは引きこまれた。
無愛想なことで有名な、魔術師団長のレオポルドと同期で仲がいいと聞いているが、それにしてもふたりを足して割ったらちょうどいいのでは……と思えるほどの好青年だ。
「それでどうしましたか、竜騎士団長。血のにおいがしますね」
「あ、はい……じゃなかった、ええと。訓練中にケガをして」
ララロア医師のいう『血のにおい』がさっぱりわからなかったユーティリスは、ドアのところに立つ青年を見あげた。
確かに服はところどころざっくり破れているが、むきだしになった肌は白く、どこにも傷はなさそうだ。
「ケガ?どこに?」
ライアスは困ったように髪をかきあげた。
「ああ。傷はレオポルドが治癒魔法を。浄化の魔法もかけたから血も残ってないはずだが……出血が多かったので、『念のため医務室へ行け』と」
「すぐに診察台へ!」
顔色を変えたララロア医師が動き、すぐにライアスは診療台に寝かされた。ごろりと横になった男の青い瞳の焦点は、よく見ると微妙に合っていない。
「骨と内臓に異常はない。ただ出血が多かったから……」
「どこを切ったんです」
ライアスの言葉は無視して、ララロア医師は冷静に魔法陣を展開すると、顔をしかめてチッと舌打ちをした。ライアスは申し訳なさそうに彼を見あげる。
「鎖骨のあたりをザックリと。すまないがレオポルドにも叱られたばかりなんだ……じゅうぶん反省している」
「なら私はたっぷりの嫌味でも言いましょうか。訓練中のケガとは……どれだけボーっとしてたんです」
術式を紡ぐ医師の目が据わっていた。ただでさえ竜騎士団は彼の仕事を増やしがちだ。新任の騎士団長にも自重してほしい……というのが彼の本音だ。
「まだ……ミストレイとの共有がうまくいかなくて。それで考えごとを……そうだ、レオポルドが『ララロア医師に相談しろ』と」
がばりと起きあがろうとした騎士団長を押しとどめて、ララロア医師はユーティリスに聞いてきた。
「殿下、調薬のご経験は?」
「え?」
「殿下を診るために、人払いをしたんです。騎士団長はだいぶ失血していますので、私は彼と話をしながら傷ついた組織を修復します。造血薬のレシピは棚にありますので」
できないと言える雰囲気ではなかった。いつも柔和な笑みを絶やさない医師が、厳しい表情でつぎつぎに魔法陣を展開していく。
ユーティリスはライアスを横目で見ながら、慌てて棚をあさって調薬レシピを取りだした。パラパラとめくればすぐに造血薬は見つかる。
「マウントダボスの肝臓?すごそうだな……」
新任の騎士団長が大怪我を負ったなんて、王都三師団の評判にもかかわる。レオポルドが応急処置をしたため、外見だけはとりつくろっているが、ララロア医師は助手を呼ぶつもりはないのだろう。
ユーティリスは慎重にレシピの素材を集め、調薬の魔法陣を展開すると、キッチリ分量どおりに素材を足していった。
「つっ……」
いくつかの素材をいれ終えたとき、ライアスが顔をしかめた。
「切れた神経をつなぐときは痛みますよ。気絶してもいいんですけどね」
「このていどなら……だいじょうぶだ」
「痛覚遮断を使わないところはほめてあげますが、そもそもケガをするのが不注意です」
「返す言葉もない」
力なく笑う騎士団長の横で、ユーティリスはようやく調薬を終えた。ホッとして背中の緊張をとくと、ララロア医師が瓶を持ちあげる。
「おお。これなら合格ですね。リコリス女史に習ったんですか?」
瓶をたぷりと揺らして品質を確かめ、ララロア医師はうれしそうにうなずく。
「造血薬ははじめて作ったよ。調薬はオドゥ・イグネルに習った」
研究棟でヌーメリアに会うことはほとんどない。わりとほっとかれているので、魔道具ばかりいじっていたユーリに、手がすくといろいろ教えてくれるのはオドゥだった。
「へぇ、あいつも一人前にやってるのか」
ライアスの声に、ふたりは診察台を振り向く。ユーティリスはゆっくりと身を起こしたライアスに造血薬を渡し、どう見てもまずそうなそれを、彼がごくごくとノドを鳴らして飲むのを見守った。
「あいつって……オドゥとライアスは知り合いか?」
「学園で同期だからな。レオポルドとも親しい」
ライアスはそう言い、唇のはしに残る薬液を、右腕でぐいっと拭う。
「あいつが……」
ユーティリスはまばたきをした。金の竜騎士と銀の魔術師、そこにオドゥが加わったところを想像しようとして……できなかった。
「ああ、そういえばカーター副団長について歩く若手がいましたね。思いだしました」
ララロア医師は納得したようにうなずいた。
「ひょろっとしたほうは僕と同じぐらいだからね」
「ひょろっとしたほう……」
ユーティリスにはすぐ、だれのことだかわかった。
けれど翌年ララロア医師から、結婚したヌーメリアへの想いを、ため息まじりに聞かされたとき。
「えっ……あっちを選んだヌーメリアの趣味っていったい……」
王城内にもファンが多い、ララロア医師の顔をまじまじと見つめ。首をかしげることになるとは……このときは予想もしなかった。
――それはまた別のお話。