1.医務室での診察
エクグラシアの第一王子ユーティリスは、ララロア医師の訪問を断り、自分から本城一階にある医務室まで出向いた。奥宮のスタッフがいないところで、健診を受けたかったのだ。
「まったく数値が変わりませんねぇ。去年と同じです」
ミルクティ色の髪を束ねたララロア医師は、そう言って魔法陣を収束させるとペンを持ち、サラサラとカルテに書きこむ。
「だろうね」
それを聞く第一王子の表情も変わらない。そんなことは言われなくても、彼にだってわかってた。脱いでいたシャツに手を伸ばす彼の、首元にはまる鈍色のチョーカーに、ララロア医師はちらりと視線を走らせる。
その細い首にはどうにもそぐわない、暗褐色の魔石がセットされた鈍色のチョーカーがはまっていた。
まるで床にしたたり落ちた血が、そのまま濁って固まったような色で、ユーティリス王子が持つハッキリとした〝赤〟には、まったくもって合わない。
その魔石の内部で働いている術式を、ララロア医師もじっくりと観察したかったが、一介の医師にそれは許されていない。
「そのチョーカーのこと、グレン老に相談されましたか?」
もう何度も同じことを聞かれて、うんざりしているという顔で、小さな吐息が返ってくる。それでも王子はきちんと答えた。
「グレン老が言うには『時がくれば外れる』ってさ。まだその時じゃないんだろ。何か問題でも?」
「そうですねぇ。おおいに問題だとは思いますが……」
ララロア医師は難しい顔で、ミルクティ色のウェーブがかかった髪に、手に持ったペンを差しこんで頭をかく。第一王子の健康状態に問題はなく、肌の色つやや血色はとてもいい。
赤い髪は短く刈り、勝ち気そうな赤い瞳には、キラキラと強い輝きがある。ただその発育状態は明らかに異常だった。
背が低いだけなら小柄だと片づけてしまえる。けれど顔立ちのあどけなさ、眉と目の間隔にアゴの細さ、そしてノドぼとけもないすっきりした首のライン……十四、五歳に見えるユーティリス第一王子は、これでもれっきとした十八歳の成人男性なのだ。
王子の首にはまる魔道具は、錬金術師団長のグレンが用意したものだとされている。
(成長期の正常な発育を止めて魔力を伸ばす魔道具など、危険極まりない代物だが……確かに魔力は増えている)
本来なら成人したユーティリス王子は、大々的に〝立太子の儀〟を行い、成年王族としての公務が増えるはずだ。けれど肝心の儀式すら、いつ行うかも決まっていない。
ララロア医師が医務室を任されて数年になるが、働くスタッフも大勢いる王城での仕事は忙しい。ゆっくり調べるには時間も足りなかった。
(貴重な症例なのに……『症例』と言っていいのか微妙ではあるが)
王子の筆頭補佐官であるテルジオに渡す、報告書の内容を考えあぐねて、ペンをいじりながら彼は顔をしかめた。
「アルバーン魔術師団長にも、お聞ききになったらどうでしょう」
チョーカーの仕組み自体は、ララロア医師にもよくわからない。けれど他にも使用例があることは知っている。
現在の魔術師団長である、レオポルド・アルバーン。グレンのただひとりの息子であり、エクグラシアどころか、世界でも比肩する者がないほどの魔力の持ち主だ。彼の少年時代も、その首にチョーカーがはまっていた。
実の息子を実験に使ったと、その時もグレンは非難されたが、それにはアルバーン公爵家の意向もあると思われた。公爵が認めていなければ、グレンは抹殺されていたかもしれない。
彼という成功例があったから、グレン老は王子の成長を止めても、錬金術師団長の職を失わずに済んだ。それにチョーカーをはめたのは、どちらも本人の意思だという。グレンが無理矢理はめさせたわけではない。
とはいえ十代の少年に、魔道具の危険性について、きちんとした判断力があったかというと、また別の議論になる。
当時のアルチニ補佐官は責任を感じ、辞表をだしたが引きとめられて結局、結論はでていない。ただし魔道具の使用は禁止された。
グレン・ディアレスという錬金術師の功績は、それほどに偉大で責任を問うには失うものが大きすぎた。そのうえ王城の奥深くにある研究棟は聖域で、何人たりとも立ち入ることは禁じられている。
ユーティリス王子の髪は短めで、少しツンツンしており、少年のような雰囲気も相まって、やんちゃ坊主みたいに見えた。彼はシャツのボタンを留めながら、大きく息を吐いた。
「父上が聞いてみたらしい」
「それで何と?」
王子は袖のボタンをはめ、目をくりっと動かして肩をすくめる。着ている服にほどこされた精巧な術式さえなければ、そのへんにいる少年と変わらない。
「凍えるような声で『愚かな真似をしたものですね』と言われたそうだ」
「それは恐ろしいですね」
レオポルド・アルバーンの冷めた口調や声のトーン、長いまつ毛の向こうから放たれる凍てつくような視線を想像して、ララロア医師もぶるりと身を震わせる。
「だろ?とてもじゃないけど、僕から本人になんて聞けないよ」
人間離れした美貌というものは、見る者の息を止め、その魂すらも抜いてしまいかねない。
もちろん彼もふつうの人間なのだが、光のかげんで色を変える黄昏色の瞳を、まともに見返すことができる者はそう多くなかった。
ララロア医師とて興味がないわけではない。学園で突然意識を失って倒れた銀髪の少年は、一夜にしてすらりとした体格の若い男に姿を変えたという。
『まるで精霊のしわざだったとしか思えませんでした。ほら、精霊にさらわれた子が一夜にして成長するおとぎ話がありますでしょう?』
学園の保健室に努めるレメディ教諭は、興奮気味にララロア医師に向かってまくしたてた。
(あの話はたしか……まったく違う時間軸に跳ばされるもので、魔術師団長や第一王子のチョーカーとは働きが異なるが……)
『教室で倒れて保健室に運び込まれたら、つぎつぎに術式が発動して体がぐんぐん大きくなって。でもひどい痛みに苦しんでいました。鎮痛剤の量をどうすればいいか迷いましたわ』
(静観するにしても、術が解けたあとの対処法も考えておかないと……)
レメディ教諭と相談することにして、ララロア医師はひとまず話題を変えた。
「錬金術師の仕事はいかがですか?」
なんと魔術学園を卒業した王子は、グレン老の許しを得て、錬金術師団に入団した。
錬金術師団の研究棟は王城の中でも、部外者の立ち入りを厳しく制限している。ララロア医師どころか、王族すらも気軽に入れないその場所で、王子はひっそりと身を隠すように過ごしている。
「好きなだけ魔道具をいじれるし、静かで快適だよ。オドゥ・イグネルってヤツがムカつくけど、退屈はしないね」
王子がいたずらっぽく瞳を輝かせ、ララロア医師はおやと眉をあげた。
「殿下が好き嫌いをハッキリ言うのって、珍しいですね」
ユーティリスは舌をちろりとだし、決まり悪そうな顔をする。
「ちょっとめんどくさいヤツなんだ」
「めんどくさい?」
「知識は豊富で、いろいろ親切に教えてくれるけど、素直に感謝できないんだよなぁ」
むくれるとますます子どもっぽい。ララロア医師はオドゥ・イグネルという名前に心当たりがなくて、内心首をかしげた。
彼が知るグレンのほかに錬金術師といえば、実務をとりしきるカーター副団長と、中庭の水路でよくカタツムリを探しているウブルグ・ラビルぐらい。あとはなんといっても、〝毒の魔女〟ヌーメリア・リコリスだろう。
(彼女とはぜひ話してみたいのだが……)
王家の薬草園を管理していた、歴史ある名家の出身なのに、本人の引っ込み思案な性格もあって、王城内でもほとんど姿を見かけない。
(ほかには、パッとしないのが何人かいたようだが……)
たしか、ひょろっとしたのとふつうのと。
オドゥ・イグネルというのは、きっとそのどちらかだろう。ユーティリスは不満そうにぶつぶつと続けた。
「僕はまだ彼みたいに、うまく術式を紡げないし。いつも僕が気に入って眺めていた、大広間の魔導時計のメンテナンスまで任されててさ」
「八代目の錬金術師団長が製作した、あの魔導時計を手入れしていたのは、グレン老じゃなかったのですか。それはすごい!」
ララロア医師が素直に感心したとき、医務室の中庭に面したドアにつけられた、呼び鈴がチリリンと鳴る。
「ちょっと失礼」
ユーティリスにことわって、ララロア医師がドアを開けると、輝くような金髪に夏の青空みたいな蒼玉をした瞳……たいそうな美丈夫が、笑顔ですっくと立っている。
新任の騎士団長、ライアス・ゴールディホーンだ。









