耳と声で
学校が好きでは無い、全ての方へ。
耳と声で
私は嫌いだ。
集団生活ってやつが、嫌いだ。
以前から、そう。
保育園の頃から嫌いだった。
保育園に行ってもいいかな、と思ったのは、卒園の二日前。
「今頃、ようやく?」
って言われた。
二日前は、歌の練習ばかりした。
卒園の歌だ。
私は歌うのが好きだし、一人一言ずつ述べる卒園の言葉も好きだった。
一際大きな声で、ハッキリと言えた。
緊張は高揚だ。
胸が高鳴って、私の大きな声が体育館に響くと、ワクワク、ドキドキした。
この感覚が気に入ったの。
だから保育園に、行ってもいいかな、って思った。
二日後に卒園してしまったけど。
私にとっては、大切な記憶。
大人はすぐに、クラスの“お友達”、って言う。
でも私には、友達と紹介できる子はいなくて。
学校帰りに、遊びに誘ってもらった事も無い。
なのにどうして、クラスの“お友達”、なんて一纏めにするのか、私には分からない。
“お友達”じゃないのに。
小学校の学年が上がるともっと。
集団生活が嫌になっていった。
「バーカ」「死ね」ってクラスの“お友達”が言う。
初めて聞く言葉だった。
そして。
“お友達”三人一組のグループ活動、ってやつは、一番厄介だと気付いた。
同じグループになった他の二人がヒソヒソ話し合って、私を仲間外れにして、話しを進めていくから。
私の案は、知らんぷりして聞いてすらくれない。
不満を口にしたら、二人揃って「バーカ」「死ね」って言う。
何で私が「バカ」で「死」なないといけないのか、全然分からない。
自慢じゃないけど、私のテストの点数は二人より断然良いし。
バカと死ね、以外の言葉を知らないなら、やっぱり二人は、私よりバカだと思う。
私よりバカなやつが、私を「バカ」と呼ぶ。
これじゃあ、話し合いにならない。
私だって腹が立つから、そっぽを向いて黙っていたら。
今度は二人して「あの子が、一緒に話し合ってくれません」「聞いても無視します」って先生に告げ口に行った。
そうして、重い腰を上げてやってきた先生は。
皆の前で私を問いただす。
後ろで、嫌な二人がニヤニヤしているから、私は何も答えたくない。
そしたら「何で黙ってるの」「ちゃんと話し合いに参加しなさい」と皆の前で、先生が私を叱った。
それが愉快だったのか。
二人は何度も、先生に私を訴えに行った。
その度に、私が皆の前で怒られた。
先生が、嫌いになった。
嫌いな先生とも、口を利きたくない。
黙っていると、余計怒られた。
先生が公然と私を叱り続けると、クラスの“お友達”全員が、私をそういう風に叱って良いのだと勘違いした。
クラスの“お友達”から、私へ投げ付けられる言葉は、日に日に口汚くてキツイ口調になっていった。
酷い言葉を耳にするのも慣れて来た頃。
先生が「〇〇さんへの言葉かけが、最近キツくないですか?」と言い出し、学級会を開いた。
先生って、意味が分からない生き物だ。
自分の言葉かけのせいで、そうなったのに。
いったい何がしたいのか、理解不能。
クラスの“お友達”は、先生の言葉を真似て私を叱って遊んでいるだけ。
先生が原因だって分かっているから、取り繕うように学級会なんて開くの?
先生って、ズルい。
先生なんか、嫌いだ。
勿論、クラスの“お友達”は、もっと嫌いだ。
皆、何もかも嫌いだ。
学校なんて、ぶっ壊れて、どっか遠い星に飛んでいけばいい。
学校行事は、全部消え失せてしまえ。
修学旅行は、絶対要らない。
社会科見学も要らない。
運動会も要らない。
遠足も要らない。
クラブ活動も要らない。
休み時間も要らない。
掃除時間も要らない。
登下校の時間も、一人だから要らない。
クラスの“お友達”が楽しみな事は、何一つ、要らない。
皆の顔が見たくなくて、掃除時間に一人、背を向けて黙々と黒板を拭いているのを。
“黒板掃除を一生懸命頑張っている姿が印象的でした”なんて言葉に置き換えて、通信簿に記載する先生も、要らない。
誰も私を見ていない。
私にかけられる言葉はいつも、汚くて、つっけんどんで、悪意がある。
学校に在るモノは。
何一つ無くていい。
そう思っていたけど。
“委員会”だけは、あってもいいと、最近思い始めた。
四年生になって。
私は勝手に“放送委員”にされた。
私の意思じゃなくて。
クラスで一人しかなれない“放送委員”は、仲の良い“お友達”と一緒に入るには不向きだったから。
そんな理由で、私は一人、残った“放送委員”になった。
委員の仕事内容は。
朝や、中休みや、昼休みに、放送室からマイクで時間や次の予定を報せる役目で。
毎日、決まった言葉を読み上げる。
皆知らないけれど。
放送室の、音量レバーのカバーは、引っ張るとスポッと抜ける。
ボタンもボロッと取れる箇所がある。
全部、上級生が教えてくれた。
私は声を立てて笑った。
立派に見える機械だけど、あちこちガタがきているんだな、って。
だけど、放送の時間は。
何だか神聖な空気。
放送中は、誰も放送室に入っちゃいけないんだって。
クラスの“お友達”に会わなくて良い時間は、清々しい。
最初は上級生に教えてもらいながら、紙に書かれた文字を緊張しながら読み上げるので、精一杯だったけど。
私はすぐに慣れた。
一際大きな声で、ハッキリと言うのは、得意だ。
程よい緊張感。
緊張は高揚だ。
胸が高鳴って、私の声が学校中に響くと、ワクワク、ドキドキした。
クラスの“お友達”とは違う、綺麗な言葉遣い。
滑らかな抑揚。
放送の最後には「今の放送は〇〇でした」って、自分の苗字を付け加える。
「バカ」では無い、ちゃんと元からある私の苗字が、学校の隅々にまで響き渡る。
この感覚は、くすぐったい。
家でも、放送の練習をした。
上級生に、上手くなったね、って褒められた。
クラスの誰かが「聞き取りやすい」って、私に言ってきた。
だから今は。
学校に、行ってもいいかな、って少し思っている。
私の放送で、皆が休み時間の始まりや終わりを知り、掃除場所に散って行く。
私の使う綺麗な言葉が。
練習した柔らかな抑揚が。
声から、マイクを通して、皆の耳に届く。
何でか分からないけれど、すごく気分が良い。
学校は嫌いだけど。
マイクを前にした私は、嫌いじゃない。
集団生活が得意な子ばかりではない。
学校が嫌いなら、時には逃げても良いと思う。
学校やクラスという単位は小さいのに、子どもの目から見ると、世界の全てに思える事がある。
その小さな世界で、あなたの魅力を分かってくれる人が居なかったとしても。
世界は広く、たくさんの人で溢れている。
あなたの魅力を分かってくれる人は、きっとどこかに居るし、自分の魅力を活かせる世界はきっとあるから。