8話
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ここまでは大体予想通りか。
九重に視線を投げ掛けて天照はそう思う。
想定外があるとすれば、このタイミングで異界側の動きに変化があった事だろうか。
あれらがどういう原理で発生しているものなのかは天照にも分からない。天照の主も目下それを探っている最中であるが故に。
ただ一つ分かる事があるとすれば、天照の存在が異界側の住人としてより疑われ易くなったという事だ。
実際には異界とは全くの無関係であり、何なら生まれ立てなのだが、人類側にはそんな事は知る由もない。
異界側の動き方が変わる直前に現れている事を紐付け、あらぬ想像をすることだろう。
天照としては傍迷惑な話だった。計画に支障が出たらどうしてくれようと。
まあ、それはいい。
今はこちらが先決かと天照は九重を見やる。
「助力だと……?」
九重は眉根を寄せてこちらの様子を窺っている。
状況が状況だ、対応に難しているのだろう。
無理もない。既に詰みが見えているとはいえ、破綻が訪れるまではまだ時間はある。
もし、たら、れば……それは軍人が最も頼りにしてはならない言葉であり、同時に最も忌避すべき言葉だ。
希望的観測など持つべきではないが、足掻く事によって未来へ繋ぐ可能性を見出せるかもしれない。
そこに不確定要素の塊としか言えない天照の干渉を許して、どうなるのか。
九重の頭にあるのはそんなところだろう。
天照がじっと九重の答えを待っていると、その様子を見て心が決まったのか九重は話を切り出す。
「見ての通り戦況は芳しくない──いや、はっきりと「悪い」と断言できる。
覆せるのか、この戦況を」
随分と素直に語るものだ、と天照は感心した。
おそらく天照が返答を待つ構えを見せたことで、天照を話の通じる相手だと判断しそこに賭けようとしているのだろう。
高い戦闘能力だけではない。急場での柔軟な対応を可能とする思考形態もまた九重が英雄たる由縁だ。
我が君の観測に留まるだけの事はあるらしい、と天照は内心で一つ頷いた。
「私の力を以てすれば、容易い事よ」
「そうか……では、是非助力を請いたい。
貴女が何者であるのかは分からないが、成功の暁には我が家を挙げて便宜を図る事を約束しよう。
これでも華族なのでね、多方向に役立つはずだ……口約束ですまないが」
きた。
その一言を待っていたと天照は小さく微笑む。
九重が約束を破るような人間ではない事は、生みの親の記憶を共有している天照にも分かっていた。
だからこそ、今回の件を利用して西日本に高い影響力を持つ九重の協力を得ようとしていたのだが、たった今口頭とはいえ九重から力添えの申し出を得られた。
これで我が君の計画の成就にまた一歩近づく──という内心はさておき、天照は了承する。
「よかろう。我が力、篤と見るがいい」
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九重の目の前で、アンノウンはふわりと浮き上がり空へと上昇していった。
ここは人類の生存圏から外れた危険域だ。
こんな所で空などと目立つ場所に居ては、周囲に隠れ潜む飛行可能なモンスターに狙われ襲撃を受けるのが関の山だが、九重はその心配はしていなかった。
九重よりも格で優るであろうこのアンノウンにそんな心配は不要であるからして。
「(……何をするつもりだ?)」
九重が静観に徹する中、アンノウンは徐々に速度を上げて上昇していく。
道中、力量の差を理解するほどの知性の無いモンスターに襲撃を受けていたが、やはりというべきかアンノウンには意味が無かった。
九重にも何が起きたのかは分からない。
アンノウンに特に何かをした様子は見られなかったが、アンノウンに向かっていったモンスターは突然何かに押し潰されたように拉げて死んでしまったのだ。
九重からそう遠くない位置にプレス機に潰されたかのようなモンスターの死骸が落ちてきて、その死に様を見た九重は肝を冷やす。
一歩間違えれば自分もこうなっていただろうと理解したのだ。
そんな九重の事など気にする事もなく、只管に上昇を続けたアンノウンは、とうとう世界最高峰の肉体を持つ九重の肉眼にも捉えられぬほどの高度にまで上昇していた。
その時点で九重は手持ちの増強剤の使用を決意。
作戦行動中は常備している薬剤の内、特に高級である強力な強化魔法の掛かった肉体強化剤を使用した九重の目が再びアンノウンを捕捉した時には、アンノウンは上昇を止めていた。
高度にして凡そ15000メートルほどだろうか。
気温にしてマイナス60℃ほどのその場所──成層圏に顔色一つ変えずに佇んでいる。
九重は瞠目した。
生身で成層圏に滞在している事にではない。それであれば九重にも可能であるからだ。
では何に目を見張っているのかといえば、成層圏に滞在するアンノウンの御姿にだ。
赤と白、青と紫を基調とした鮮やかな色合いの多層の着物を纏う肢体に、白桃のような桜色に透き通った羽衣が新たに纒われていたのだ。
それだけではない。その背には赤き黄金の光輪が顕現し、曙光を受けて今、輝きを増している真っ最中だった。
ゆらゆらと揺れる羽衣も仄かな燐光を放ち、アンノウンがゆっくりと両の腕を左右に広げるとそれに従うように羽衣もふわりと広がった。
その御姿は正に──太陽の女神が如く。
「あ、あれは……いや、まさか」
遥か上空、成層圏に在るアンノウンの姿を確認した九重は掠れた声を漏らした。
今は他者の目が無いという事もあるが、最早外面を取り繕う事も出来なかった。
この時点で九重の脳裏にはある神格の御名が浮かび上がっていた。
日本人であれば知らぬ者など居ないと断言できるほど高名な神格である。
アンノウンの口から直接名乗りを受けたわけではない。自らが人ではない事を暗喩する言葉こそあれど、その神格である事を匂わせるような言葉も無かった。
そもそも、九重はまださしてアンノウンと言葉を交わしたわけでもない。
そうと断定するには早過ぎる、のだが……九重が見た光景が余りにも様になっていたのだ。
忘れてはならない要素としてこの場所の事もある。
この大社跡地で祀られていた神格は九重が思い描いた神格とは全く別の神格であるのだが、この出雲という土地自体が古来より日本人に特別視され、神代の空気を現代に残す場として伝えられていた。
早い話、神話の神々──特に日本神話の神々とは土地として好相性である可能性が高いのだ。
正直なところ、九重は今まで神話や宗教などは知識乃至形式的なものとしか見做していなかった。
神話や宗教は統治者が民を統べる為に作り上げた儀礼的な物語として、そこに語られる神の存在自体は信じていなかったのである。
その前提が九重の中で崩れようとしていた。
日本。出雲の地。そこに現れた正体不明の女性。超越者。太陽の女神が如き御姿。太陽の女神の出典である神話。
九重の中で点と点が繋がり線になっていく。
予感がした。これから揮われるであろう力の何たるかを。
アンノウンの背に浮かぶ光輪が一際輝きを増した。
巨大な光が曙光と共に地上を照らし出す。
遥か上空、成層圏より莫大な力の波動が放たれ始める。
大瀑布の水圧すら超えるであろう重圧は、何故か人類を傷付けず異界の勢力のみを抑え付けた。
力の弱いモンスターはそれだけで命を落とす。
地球の全生命が圧倒的な力の波動に思考すら奪われ動きを止めていた。
そんな地上を見下ろし、アンノウンが動きを見せる。
すっと徐に右手を真横に突き出すと、その繊手に赤き黄金の光の粒子が集い一つの武器を象った。
全長は凡そ150センチほどと長大で曲線を描くそれは、部類としては長弓に分類される和弓であった。
黒金の装飾に控えめに飾られたその和弓を手にしたアンノウンは、次いで左手に一本の矢を顕現させると地上に向けて弓を引き絞る。
アンノウンの血色の良い薄紅色の唇が動いた。
『まつろわぬ世よ……我が光の前に散れ』
強化された九重の目がアンノウンの唇の動きを追い、紡がれた言葉の意味を脳に伝える。
その刹那、アンノウンは矢尻を離し矢を放った。
放たれた矢はアンノウンの背の光輪の光を受けて一条の光と化し、地上10000メートルの辺りで眩く発光すると突如として拡散。
無数の光の矢に分裂すると、方々に飛び散っていった。
この時、もし宇宙空間から地球を眺めている者が居れば、日本上空で赤き黄金の光が拡散しそこを中心として地球全体に無数の光の線が伸びていくのが見えただろう。
光の矢は流星のように世界中の空を飛び、新年を迎えると同時に出現した異界の穴と、そこに追い込みを掛けるようにして出現した異界の穴に命中して、次々と異界の穴を消滅させていく。
人類の常識としては、異界とは外からの干渉でどうにかなるものではなく、異界の穴を消滅させる場合にはその異界の最深部まで到達して、その何処かに秘匿されている『異界核』を破壊する必要があるというのが異界消滅の方法だった。
しかしアンノウンの放った光の矢は異界の穴に命中するや否や問答無用で異界の穴を消滅させている。
おそらく入口だけを潰したわけではないはずだ。文字通り異界を消滅させている可能性が高い。
九重の視界内でもまた一つ、光の矢に撃ち抜かれた異界の穴が消滅した。
斯くして、今回の戦いの原因となった無数の異界は時間にして僅か数分も保たずして地球から消滅した。
その絶対的な力の一部始終を見届けて呆然としている九重の脳内に何処からともなく声が聴こえてくる。
『これでまつろわぬ者共の増援は現れまい。後は汝らの力で戦うのだな』
「! ……ああ、了解した」
聴こえてきたのはアンノウンの声だった。
見上げれば、成層圏からアンノウンが九重を見下ろしている。
それにより我に返った九重は、自らの成すべき事を考え動き始めたのだった。