5話
思わず、私は胸を抑えてその場に屈み込んだ。続いて額に片手を当てる。悠久の時を生きた私をして考える前に体が動いてしまうほどの何らかの蠢き。
これは何だ──いや。これは。この力は……。
遠い昔、今は観測しか出来ないと感じた時と同様に、しかし当時とはまた違った感覚が訪れる。力の使い方が、今までに無かった知識が泉のように滾々と湧き出て脳に刻み込まれていく。
これは誰しもが経験している事なのか? それを知る為に再び観測に意識を割く私ではあったが、地球の何処を見てもそんな事が起きている様子は無かった。
人類は皆、新年を迎えたのと同時に顕現した大小様々な異界から溢れ出てくるモンスターを相手取るのに手が一杯で、それ以外に変わった様子など無かった。普段から観測していた通り、元々獲得していたスキルを行使して身に付いていた能力で戦っている。新たに力に目覚めた様子は無い。
何故私だけ力が増しているのか。それも、世界に脅威が訪れたこのタイミングで。私に世界を守護する役目でもあるのだろうか? それにしては世界を守る事自体に対する興味は薄い。ではまさか私が世界の敵対者だと? それも腑に落ちぬ。私は地球に居た時に他の人間と同様に異界から現れたモンスターに襲われているからだ。
異界由来の存在の行動原理は未だ解明されていないが、普通は味方を殺そうとはしないはずだ。私にも人類をどうこうしようという気はない。強いていえば、同じ人類として人類の永きに渡る存続を願ってはいるが、それが原因となる試練のようなものならこんな形は取らないのではないだろうか。
それこそ、この手の短絡的な人類への害意に繋がるのも妙な話だ。どう考えても被害が大き過ぎる。それに人類の存続という願いは全人類に共通するようなもの。重篤な病を患っていたり、老年に達し寿命が迫っている者ならともかく、口では破滅を願う人間も自らの明日を疑っていないように、人類の奥底には種の存続の願いは必ずある。
よって、今回の変化を迎えているのが私のみという点は明らかにおかしい。ある意味、地球で起きている異界からの攻勢よりも謎だった。
私が自らの存在への謎を深め、また増大した力の使い方の把握に追われている間にも、地球の戦火は拡大の一途を辿っている。
戦況は良くない。備えがあったからこそ各国の軍隊や探索者達は善戦出来ているものの、異界側の規模があまりにも違いすぎた。いくら斃しても次々と現れるモンスター達の軍勢に、戦力を軍として機能させる為に部隊ごとに纏まった数でバランス良く展開していた国軍と探索者の軍勢に綻びが見え始めている。
雲霞の如きモンスター達を相手に、むしろよく戦えているといえるだろう。千年前を知る身としては、人類の進歩の程に驚くばかりだ。
──しかしだ。
このまま戦況が推移していけば、十中八九人類は負ける。九重を始め、幾人もの強者達が戦場を駆け巡り、脅威度の高いモンスターの撃破や圧されている部隊への支援を行っているが、それにも限界はある。
いつか何処かで致命的な損害を負って破綻してしまうだろう。私が新たな力を掌握しようとし始めてから──地上で戦端が切られてからもう数時間の時が経とうとしている。
優れた戦術眼を持つ者ーー特に九重は、早くも暗雲の漂う未来に勘付いたのか、異界由来の鉱石にモンスターの素材を織り交ぜて鍛えられた無骨な刀で脅威度の高いモンスターであるトロールを斬り殺しながらも、上空に浮かぶ異界の穴を睨んでいた。
ただ出現したモンスターを処理するだけではなく、無数に顕現しているあれらをどうにかせねば根本的な解決にはならないと理解しているのだ。
それでも九重がその為に動く様子は無い。自分がそちらに注力すれば他の部隊の手が回らなくなり、現状どうにか保っている戦線が破綻すると分かっているのだろうな。日本のみならず、海外も似たような状況だった。
「──、ふふ……」
人類の苦境を前に、私は──笑った。
笑い声を漏らした自分に驚き、思わず口元に触れ、小さく吊り上がった口角を自覚してまた驚く。
誓って言うが、人類の苦境を笑ったのではない。掌握した力が──新たに目覚めた力の内約が、自分のこれまでとこれからを分かつ決定的なものだったからだ。
私は思考する。この力を行使してどうなるのかを。
この力を使えば、少なくとも今地球で起きている異界の攻勢を跳ね除ける事など容易い。
……急に何を言っているのかと思うかもしれないが、これは事実だ。だからこそ私は力の行使を躊躇い、考えている。
この力を行使すべきか否か、その是非を。
「…………」
その答えは、すぐに出た。
いや。正確には論理的な理由付けなど出来ていない。
これは極めて主観的な、私の私情による答え。
力を、使おう。
自分の往く道を左右するほどの力の行使への決意。
──こういったものを称して、人は「欲望」というのだろう。
「顕現せよ。私の眷属。私の第一の創造体よ」