4話
観測は出来ても観測している場所に干渉する手段はない。直感、というものなのだろうか。観測を続けていて自然とそんな感覚がしたのだ。
実際に何かが出来た試しもなく、現実的にも感覚的にもその解は正しかったのだと思う。理屈までは不明であるとはいえこちらに来る事が可能であり、今もこうして観測する事が出来ている辺り、地球への帰還手段もありそうなものなのだが……結局、何も出来なかった。
私のそんな状況を放って、時間は刻一刻と過ぎ去っていく。何日、何年、何十年、何世紀もの年月をただ観測し続けていた私は、早い段階で自分が不老かつ無窮の存在であると確信を得られた。まあ、髪は長くなったり見た目が若干変化したのにも関わらず老化らしい老化はせず、飲食物の無いこの場に在りながら飢えや乾きを覚える事が一向に無かった事から、そうであると信じるしかなかったという方が正しいか。
只人には有り得ぬ長き時の中で、しかし時間の感覚を失わずにいられたのは、一重に地球の観測のお陰である。もし何も基準に出来るものがなければ疾うの昔に時間の感覚を失っていたことだろう。
人の尺度では悠久といってもいい時間を過ごした私は、それでも精神的な面で限界を迎える事もなく──というよりそもそも摩耗らしい摩耗もする事なく、心身共に意外と健康的な状態を保っていた。
これも観測だけは出来ているお陰だろうか。見ているだけで干渉は出来ないのは酷くもどかしく口惜しさを感じる事も多々あったが、その所為もあってか心は常に多感さを保ち、地球もまた私を飽きさせる事はなかった。ちょっとした小事から歴史書に載りかねない大事まで、地球では今も様々な人類の物語が繰り広げられている。
……地球で販売されている商品である本やゲームなどの娯楽品の内容もタダで観測したりしているのは少し申し訳ない気もするが。
今日も今日とて、私は昔と変わらず地球を観測し続けていた。視点はまだ私が地球に居た頃には中国地方と呼ばれていた地域……今では西日本第一防衛都市群と呼ばれている場所に絞っている。本当はもっと別の場所……昔私が住んでいた地域を見ていたいものだが、そこはもう異界に没んでしまっている。
今から500年ほど前に起きた国家を揺るがす大災害、『本州中部大陥落』と名付けられた異界陥落現象に呑まれて異界へと消え去ってしまったからだ。
現在、そこには大地一面に異界への大穴が広がっている。時の流れに流されようと故郷は故郷だ。もう私の故郷は無い──無くなってしまった。そこを見ていても意味など無い……。
……少し気分が沈んでしまったか。話を戻そう。今日という日は人類に取っても私に取っても大きな節目になる。今現在の地球の西暦は2999年。そして今日は大晦日──12月31日だ。
ただ単に新年を迎えるだけではない。人類がスキルの力に目覚め、異界が顕現した西暦2000年の1月1日。あの日からちょうど千年の年月が経とうとしているのだ。
日本のみならず、世界中で今人類は緊張状態に陥っていた。
当然といえば当然だ。人類はかつて大きな節目を迎えた直後に未曾有の事態に見舞われている。かつての時は予言だの何だのは話の種になる程度のただのオカルトであったが、そのオカルトのような事象が現実となったのだ。
500年の節目を迎えた時にも未曾有の大陥落に襲われている。それらの経験は歴史として連綿と受け継がれ、人類は3000年を迎えるその時を最大限の警戒と共に待ち受けている。
世界中で、軍隊が普段は倉庫で眠らされている兵器群含めてフル稼働可能という臨戦態勢が取られている中、私が視点を注いでいる西日本第一防衛都市群の中心となる大都市でも日本軍が展開していた。
中でも私が注目しているのは、世界最強の戦士の一角として名高い『九重 蘯鷹』という男だ。
時代は変われど国として馴染み深い日本であり、この男が居たからこそ視点を注いでいる。一般的に人間の肉体が大きく衰え始める齢四十を迎える手前とは思えぬほど生命力に満ち溢れた精悍な面構えと、190はあろう長身と靱やかな筋肉に鎧われた肉体を誇る、戦士の中の戦士。
いくつもの異界を攻略し、危険度の高い異界の消滅にも貢献した経歴を持つ、紛れもない現代の英雄だ。
時刻はもう深夜といってもいい時間帯になっている。日が変わるまでそう時間は無い。
街中に異界由来の素材を注ぎ込んで作られたバリケードを展開し、緊張した様子で待機している軍人達の中に在って九重の表情は変わらない。じっと前を見据え、筋骨逞しい腕を組んで静かに佇んでいる。
が、私には九重の内なる戦意の高まりが分かっていた。外に出さないだけであれはそういう男だ。とにかく真面目で手を抜くという事を知らない。
それが国防に繋がる事であれば、尚更に。
その時が迫るにつれて、私も自身の緊張の高まりを自覚した。私もまた、異界顕現以前とその後の時代の移ろいを生きた者の一人だ。今となっては異界顕現以前の地球を知る唯一の生き残りというだけあって、私も予てから千年の節目を警戒していた。
新年を迎えるまで残り十分。
観測している先で軍人達の緊張が更に高まった。
残り五分。
軍人達の多くが固唾を呑む。
残り三分。
数万の軍人達が詰めているとは思えぬ程に静かな街並みだった。
残り一分。
九重が音も無く組んでいた腕を解いた。
残り三十秒。
無意識の内にか、九重は片脚を下げて半身の構えになっている。
残り十秒。五、四、三、二……一。
──零。
刹那。
地球の中でも人類の生存圏である位置の上空に、大小様々な黒い穴が出現した。
同時に、私の中で何かが鼓動する。