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天外の観測者  作者: 神竜王
18/18

18話

 ────────────────


 現世では季節的には夏の終わり、実際にはまだまだ暑さの色濃い8月も末に迫ってきた頃。

 高天原、天照の屋敷にて。



 「──問題がないわけでもないが、神代資源の流通も順調と言っていいだろう。見ろ」

 「ん。──へぇ、遂に武具も大々的に解禁か。思ったより早かったね」

 「軍人や探索者から意見を聞きたいらしい。解禁初期は性能や形状を限定して流通させることになる。

 これがその目録だな」


 それなりに規模のある屋敷故に当然の如くいくつも存在する座敷の一つ、来客を考慮していない個人的な一室で天照は月読と顔を突き合わせて話していた。


 話題は探索者ギルドから送られてきた要望書兼許可証のことである。

 時候の挨拶から始まり近状を語っていくつらつらとした書面の内容を要約すると、探索者ギルド側が提示した条件での新たな神代資源の提供を求める旨と──


 「形状を限定してるわりにけっこう多いね……剣型とか槍型とか杖型とかはオーソドックスだと思うけど、鞭型に輪型に手型はともかく……液型?

 他にも変なのがちらほら……何これ?」

 「スキルによってはそういった物を得物とする者もいるらしい」

 「人間って変わってるね……──ん、次に降臨できるのはいつになりそうか、か。柔らかーく姉さん以外の神々にも降臨してほしいって言ってるね。

 人類への顔出しが主になると思うけど、どうする? 探索者ギルドの審査員には高天原と神々の撮影を許可していたはずなんだけど情報を絞っているみたいだし、これたぶん向こうの都合だと思うんだけど」


 天照に対して次の降臨の日程の催促を、また天照以外の神々にも現世に降臨してもらいたいという旨が婉曲的に並べられていた。

 ぱさり、と音を立てて書面を置く月読。

 その美貌は面倒臭そうな表情に彩られている。

 書面に記載されている内容から別の意図も読み取ったのだろう。

 天照にしてもそれは同じことで、茶の入った湯呑に手を添えながら言う。


 「仕方あるまい。これに関しては人のことを言えた義理ではないが、情報を制限しているのは神の名を騙る者が出てこないようにするためであろう。

 降臨祭、とやらになったあの日、探索者ギルドと政府との取り決めを経て直接現世に降り立ち政府から民間にまで広く姿を見せている私を模倣できる者などいまいが、未だ姿を現さぬ神々となれば話は別だ」

 「写真なり何なり姿さえ知っていれば姿形だけは化けれるスキルもあるみたいだしね。その点、姉さんは公的な組織の仲介を経て大多数の目前に現れているから下手に化けたりしようものなら即バレると」

 「私は現世で鑑定も受けているからな。真贋など容易く見抜けよう──こちらに連絡を取るまでもなく向こうで完結できる話だ。

 それに……降臨祭となったあの日、集った者達の中にはおそらく探索者ギルドや政府に属さぬ『鑑定』スキル持ちやそれに代わる何かを保有する者もいたはずだ。

 大多数の前に実物が姿を現していたかどうか、というのは馬鹿にできん」


 神の名を騙り利という名の甘露を得ようとする者──はっきりいってこれは正に天照達こそが当て嵌まる事例なのだが、そこには目を瞑るとして。

 仮に神の御姿のみが世に出回れば確実に神の名を騙る者が出てこよう。

 人間という生物は無数に存在する種の中でも最も理解し難い種だと言っても過言ではない。理性的に考えてすぐにバレると理解できているにも関わらず虚飾を纏う者もいる。

 仮にも神の名を騙るのならば御姿はもちろん力も肝要だ。天照達のようにその両方の条件をクリアしていれば或いは問題ないのかもしれないが、そのような存在は現状天照達以外には存在しない。

 だからこそ、神の名を騙る者が現れればその者は手練手管を弄して神に成り代わろうとするはずだ。


 もしそんなことになれば大層面倒なことになるであろう。

 今現在、この地球に於いて神の名を騙るというのは単なる詐欺では済まされない。

 教養や能力もない単なる愚か者ならばともかく、頭が回り優れた能力を持つ者が計画的に神に成り代わろうとすればコトが露見する前に社会に被害が出る可能性が高い。

 そうなれば被害を未然に防げなかった探索者ギルドや政府に批判が殺到し、組織として神々との関係性の希薄さを疑われかねない。

 探索者ギルドと政府という人類側の組織と高天原の神々という神側の組織。組織間の連携が取れていないのではと疑われることは非常時の対応能力を疑われることに繫がる。

 人類側としてはそれは避けたい。月読の言う向こうの都合というのはこのことだ。

 中途半端に情報を与えた結果コトが起こるのと情報を規制した上でコトが起こるのでは、コトの様相と責任問題の度合いが違う。


 人類と神々の繋がりの脆弱性に対する疑念は人類側のみならず天照達にも強く影響を及ぼす。

 已むに已まれず、探索者ギルドと政府は天照達に厄介な制約を持ちかけてくるだろう。

 天照達としてもそれは避けたい。絶対に。

 一見天照達が優位に立っているような人類との関係性だが、その実天照達としては何としても人類には交流の場を保ち続けてほしかった。

 気に入らないが故に不都合なものは片っ端から撥ね退ける、そもそも交渉の席にすら着かないというわけにはいかないのだ。

 そんな信用ならざる人面獣心な輩を相手に下手に出続けるほど人類は甘くはない。人類と天照達の道が交わる機会は永遠に失われるであろう。


 ──さて、どう動くべきか。

 脳内で次の手を思い描きながら天照は茶を飲む。

 渋味の主張が強めの濃い煎茶の味と芳香が口に広がり、天照はほぅと息を吐く。

 天照は渋味の強い茶が好みだった。

 天外の君も、茶であれば渋味の強い濃い茶を好んでいた。

 示し合わせるわけでもなく至尊の御方と同じ物を好きになる、というのは天照としても嬉しい。

 茶の味わいに癒やされたのか天外の君との一致に高揚したのか、若干気分が上向いたのを天照は自覚した。

 一つのことに悩んでいても仕方ない。問題は他にもあるのだ、もう少し気楽に構えるべきか──そう思い天照は話題を変える。


 「時に、現世から持ち込んだ魔石の実験はどうなっている? 私の方には特に報告は上がってきておらぬのだが」

 「魔石の実験というと少名毘古那だね。このあいだ会った時は魔石から抽出したエネルギーを現世の宇宙空間に照射して同位のエネルギーの存在を探ってたけど……」


 何か進展はあったかな、と瞑目する月読。

 高天原の何処かに居る少名毘古那の気配を探り視点を跳ばそうとしているのだろう。

 自分も遠見をしようかと考え、天照はやめた。

 何かしら進展があればそもそも天照の方まで話がきているということもあれば、人に任せてしまうことも大切だという考えもある。

 天照がゆったりと構えていると、ややあってから月読が口を開く。


 「やっぱり、進展らしい進展はないみたいだね。異界の根源が何処に在って何に起因するのかはさっぱりみたい」

 「そうか。まあ、それで簡単に判明すれば始めから苦労はしておらんな。この試みを開始してからそう時を経たわけではないが、望み薄か……場合によっては入手した異界資源は暫く腐らせることになりそうだ」


 天照がそう暗い見通しをしていると、


 『いや、いやいやいや。期待を捨てるにはまだ早いぞ』


 明るくエネルギッシュな、溌剌とした声が座敷に響く。

 遠方から声のみを届けているのだろう。声の主はこの場にはいない。

 湯呑みをそっと置くと、天照は言う。


 「少名毘古那か。──魔石を利用した異界の研究は思うように進んでおらぬようだが?」

 『くふふふふっ、耳の痛い話じゃのう』


 座敷の片隅の方に灰色の光の粒子が漂い、像を結ぶ。

 現れたのは一人の女性の姿だった。

 本人はこの場にはいないことは変わらない。先ほどは声のみを届けていたが、話し込むことを見据えて御姿の幻を送ってきたのだ。

 無論、幻像の正体は少名毘古那である。


 少名毘古那。

 日本神話に国造りの協力神、薬神、禁厭神、農業神、常世の神、石の神、温泉の神、そして知識の神として名高き天津神。

 神話としては大国主と共に語られ、大国主の国造りにその知識を以て協力したとされている神格だ。

 少名、という神名から小柄な神であると認識されていたり小さきもの、小人の神なのではないかと解釈する者もいるという。

 日本神話に明るい者でなくとも日本人であれば聞き覚えだけはあるような、有名どころの神ではあるのだが、神話上から多くの神性を読み取れるわりに謎も多い神である。


 そしてこの少名毘古那、天照達が人類側に開示している神々の起源的には神話上存在していてはいけない神である。

 記紀によって記述されている神名が異なるが、少名毘古那神は神産巣日神あるいは高皇産霊神の子であるとされており、天照達が人類側に開示した「造化三神の不在」という設定と齟齬が発生してしまうことになるからだ。

 とはいえ、そこはそれ。天照達が自らの起源を語っていた折に念を押していたように、少名毘古那は神話との乖離を意識して意図的に割り込ませた存在だ。

 現世に浸透せんとする天外の君と天照達の計画に支障はない。


 そんな少名毘古那だが、神話との乖離を意識して男神ではなく女神として創造されていた。

 身長はおよそ150センチほどと小柄ではあるものの、その肢体は女性らしい凹凸がはっきりとしていて幼さは窺えない。

 色白の顔も凛とした女性のそれだが、透明感のある金色の瞳を宿した眼は悪戯げに伏せられ、潤いのある艷やかな唇の端には笑みが刻まれている。

 真昼の曇天を思わせる灰色の髪を肩甲骨の辺りで緩く紺金の髪留めに纏め、臀部の辺りまで伸ばしていた。

 身に纏うのは着物というより振袖といった方が正しいであろう和服。多くの振袖に見られるような派手な柄のない白無垢のような無地の生地が大部分を占めるそれは、裾から衽の辺りにかけて海原の波飛沫の模様が灰色の染料で描かれている。

 華美な印象は受けないであろう和服ではあるのだが、少名毘古那はこれを一部着崩しており本来閉じられているべき衽は膝の辺りで開かれ膝頭までを覆う濃紺の足袋を穿いた美脚が露わになっていた。


 「期待を捨てるにはまだ早い、とは?」

 『確かに成果は出ておらんよ。現世の何処を探しても地球以外に異界の痕跡は見つからん。少なくとも地球が存在する太陽系が属する銀河系──天の川銀河といったか。

 天の川銀河で異界という存在が影響を及ぼしているのは地球のみじゃな。銀河系外にも探査の手は伸ばしておるが、未だ異界から齎されるエネルギーと同位のエネルギーは発見できておらん』

 「……言葉遊びのつもりか? 嫌いではないが時と場合は選んでほしいものだな。進展とはいかずとも期待するに値する何かがあったのではないのか」


 咎めるように少名毘古那を見やる天照。

 胡乱げな天照の視線を受けて、少名毘古那は唇の前で右手の人差し指をピンと立てた。


 『それよ。正にその「成果が出ていない」というのが期待するに値するのじゃよ』

 「研究が行き詰まっているからこそ期待も大きい、などとは言わんだろうな──…………いや、待て。銀河系規模で探査して成果なしだと……?」


 成果が出ていない現状に対して肯定的な意見を続ける少名毘古那に苦言を呈そうとした天照は、ふと引っかかるものを感じ考え込む。

 自分が何に気を取られたか。喉元まで出かかっているそれを現状と照らし合わせ、天照は言葉を紡ぐ。


 「銀河系規模で探査して何も見つからんというのは、妙だな。ただ単に手掛かりがないのではない。銀河系規模で見れば太陽系以外にも生命が息づく恒星系は存在しているはず──その辺りはどうだ?」


 少名毘古那は笑みを深める。


 『無論のこと、生命体の存在する惑星を従える恒星系は存在するとも。知能レベルには差があるがのう』

 「そうか。知能レベルに差があるらしいが、そもそも人間はそちらにもいるのか?」

 『おらん。人型に似た形状の生命体はおるし科学的にも地球より多少発展しておる惑星はあれど、人間という種は地球でしか確認できておらんのう。

 ──が。それは異界が顕現しない理由にはなり得んはずだ。異界顕現が自然に起こる現象であるのなら』


 薄っすらと気づきかけていた事実に理解が追いつく。

 天照は俄然鋭い目つきで少名毘古那を見つめた。


 「やはり異界の存在には何者かの意思が介在するか」

 『確実に、のう。宇宙の法則とか世界の条理とか、そういった無機的な法則性に基づくモノであるのなら広い目で見れば他にも事例が見つかるものよ。

 異界にはそれがない。明らかに地球という場に指向性を絞って顕現しておる。これは人為的なものだ』


 ──企んでいるのは人ではないだろうがの。

 少名毘古那はそう付け加えた。


 黙って話を聞いていた月読が小首を傾げる。


 「……なんでピンポイントで地球? 別に他の場でもいいだろうに」

 『さてのう……他の星系との明確な差といえば人間の存在くらいじゃが。地球というより人間という種を狙っておるのか?

 実際、異界と同じ根源を由来とする力と思わしきスキルとやらは人間にしか芽生えておらんのじゃろう?』

 「然り。千年前の異界顕現以来、人間以外の生物にスキルが宿った事例はないな」

 「うーむ」


 少名毘古那は腕を組み唸りながら考え込む構えを見せかけたが、頭を振って思考から脱してくる。

 異界顕現が何者かの意図に依るものだと断定するためだけに御姿の幻を送ってきたわけではないのだ。

 本題にはまだ続きがある。


 んんっ、と咳払いをすると、少名毘古那は遠慮がちに申し出る。


 『そこで、なんじゃが。天照よ、そなたに一つ頼みがある』

 「私にか。申してみよ」

 『天外の君に繋ぎを取ってはくれぬか? ある実験を行う許しを得たいのじゃよ』


 ──天外の君に繋ぎを取る。

 つまり天外の君と連絡を取りたいということだ。

 何故そんなことを天照に頼まねばならぬのかといえば、天外の君が御座す領域まで知覚を届かせることをできるのが現状天照しかいないからである。

 計画上必須であったが故に創造された眷属たる神々は、天外の君が御座す領域まで知覚を到達させる術を持たなかったのだ。

 天外の君からの力の供給は可能であるにも関わらず、だ。


 これに関しては天外の君にも天照にも何故かは分からない。

 天照以外の眷属は天外の君単体の干渉によるものではなく、天照との共同によって創られた存在だ。或いはそれが理由かと天外の君が単体で創造を行った眷属は、しかし天外へ到る知覚を持たず誕生した。

 この時、天外の君は天照と同等の力を持つ眷属を創造しようとも試みたのだが、創造されたのは通常の眷属と変わらぬ創造体。

 結局、天照に伍する存在は現れなかった。


 天外の君の第一の創造体である天照は、単純な力量のみならず天外の君との繋がりという点に於いても特別であった。

 少名毘古那は他の創造体の例に漏れず天外に届き得る知覚を持たない。故、唯一天外の君との拝謁の叶う天照に仲介を頼みにきたのだ。


 天外の君に繋ぎを取るのは問題ない。

 しかし少名毘古那が行おうとしている実験の内容が見えてこなかった。

 少名毘古那には異界研究に関して権限を一任している。ある程度のことは確認など取りにこずとも少名毘古那自身の裁量で実験を行えるはずだが……。

 天照は形の良い眉をひそめて言う。


 「我が君に取り次ぐのは構わぬが……一体どのような実験を行うつもりだ? まず私に話せ」

 『あまり妙な話を我らが君に持ち込むわけにはいかぬよのう。道理も道理、無論そのつもりじゃ』


 少名毘古那は悪戯げに薄く笑うと、会話の勢いを失わぬ内にその言葉を口にした。





 『──遠方の惑星を一つ、実験で使いたい。人間並みの高度な知性を持つ生命体はおらぬが、野生動物としてはそれなりの知性を持つ生命体が住む星じゃ。

 この星に異界由来のエネルギーを照射した上で生命体に干渉し、異界由来の力を備えさせてみたい。星一つを実験場に生態系に異界由来の力を持ち込み、地球と共通点を持たせるのじゃよ』





 ──意味は分かるな?

 少名毘古那は囁くように言う。


 「…………暫し待て」


 少名毘古那の口から出てきた案に、天照は麗しい唇を横一文字に引き結んで思案する。

 もちろん、この話が出てきた時点で天照は少名毘古那の意図することを凡そ理解していた。

 その上で判断に迷ったのだ。いや、少名毘古那の意図を理解できたからこそ迷いが生じたというべきか。

 天外の君が何処とも知れぬ遥か天外の間より出ることの叶わぬ現状、天外の君の代行者ともいえる天照は全権を持っている。

 そんな天照をして、確かに少名毘古那が持ち込んだ案件は独断するには些か重い。仮に天照が独断したとて天外の君は穏やかに笑って流すだろうが……特別な理由もない限り、天外の君に判断を仰ぐべきだろう。


 少名毘古那が行おうとしている実験。星一つとそこに存在する生態系を対象としたそれは、大掛かり且つ人道的とはいえない試行だ。

 これにはいくつかの問題点がある。天照としては想定される実験内容自体に思うことはない……おそらくは天外の君も。

 しかし人類側が絡んでくると話は別だ。人類側との取り決めの一端として異界資源を用いた研究内容の共有というものがある。

 天照も研究内容の何から何までを人類側と共有するつもりはなく、人類側の指導者的立場に在る者達との会談の際に「こちらが危険と判断した研究については多くは語れぬ。識者であると自覚があらば理解せよ」と釘を刺してはいるが、研究成果を伝えるには最低限語らねばならないラインが存在する。

 具体的には「何をしてどんな結果を得たか」という話だ。結果を語るには過程の全てを黙秘しているわけにもいかない。

 つまり研究成果を人類側に開示する際、何処までを話すにせよ「大規模な生体実験を行った」旨を説明せねばならないのだ。


 厄介な話だった。

 ただ単に厄介なだけの話であれば切って捨ててしまえばいい。利点がないのだから当然だ。

 しかし少名毘古那の提案は理に適ったものであり、これを実行するかしないかで今後の異界研究の展開の仕方が違ってくる。

 こちらとしてはこの実験は行うべきだと判断しているが、人類側との関係も気にしなければならない。

 生体実験といえば、天照が人類側に語った地球の運行に干渉し生命の発展を操作していたという設定も論理的には危ういものだが、人とは己の関知しないことには反応が鈍るもの。

 極論、その当時人類が存在していなかったが故に人類もまた罪の意識を問う考えを持ち難かっただけにすぎない。

 この時代で新たに生体実験を行うのでは話が違う。異界研究は天照達だけではなく、人類側の課題でもあるのだから。


 思い悩む天照であったが、やがて一つ深呼吸をして腹を決める。

 どのみち、先を見るならば選択肢は一つしかない。

 天照は少名毘古那の金色の瞳を見つめ返すと、答えを出す。



 「私としてもその実験は有意義なものになるだろうと考えている。我が君に判断を仰ごう」

 『よきかな。では早速頼む』



 少なくとも天照は星一つを使った実験に対して前向きな意見を持っていると分かった少名毘古那が得たりと笑う。

 天照は瞑目し天外へと意識を傾けた。





 ────────────────


 天外の間。

 自分以外には何も存在しない領域で、私は今も独り佇んでいた。

 周囲に広がるのは光源一つない真っ暗闇の空間のみ。しかし私の瞳は遠い現世を映していた。


 ──今日も現世はコトもなし、か。


 視点をいくつか切り換え、日本国内から海外に至るまで観測するも、相変わらず変化という変化は見られない。

 千年紀以前からそうであったように大小様々な規模の異界が存在し、探索者ギルドや軍の手で攻略され消滅する異界もあれば新たに顕現する異界もある。

 国家、探索者ギルド、暗部、民間……所属を問わず、戦闘系のスキルの保持者は個人個人の事情で異界探索に精を出し、日常は続いていた。

 人、モンスター問わず今までにない特殊な個体の出現だとか特異な異界の顕現だとか、そういった事例は全く見られない。


 眉根を寄せて悩む。

 千年前を契機に今現在まで続いている異界顕現とスキルの発現。

 地球──というよりは、この宇宙由来のものとは思えないこれは、何者かが仕掛けたものではないのか……?

 異界側からのリアクションがなさ過ぎて判断に迷う。

 私達は表立って大々的に現世に干渉している。異界側の意図的な動きと思わしき千年紀を叩き潰している。

 普通は何かしらの対応──例えばこちらと接触を図るか、様子見として異変を起こすか……そのぐらいのことはしそうなものだが。


 現世への干渉の手を強めるべきだろうか。

 それこそ私達が直接、積極的に異界の攻略にでも乗り出せば異界側も反応するだろうか?

 千年紀のような事変の時であればともかく、平時より私達が直接手を下していくとなれば今を生きる人の世の社会と経済に悪影響を及ぼすゆえ、それは控えていたのだが……。

 ──いや。仮に私達の手による異界攻略を進めたとして、私達が既にここまで干渉の手を伸ばしているというのに反応一つしない相手が応手を打ってくるだろうか……?


 思考を巡らせるもこれといった考えは浮かばない。

 より正確には「どうしていいのかが分からない」といったところか。

 世の中、儘ならぬことが多過ぎる──そう深くため息を吐く。

 顔が曇っているのを自覚しながらぼんやりと現世を眺めていた時、一つの思念の波が私に届いた。



 『我が君。申し上げたき儀がございます』

 「天照──もちろんいいとも。聞かせてほしい」



 念話は天照からのものであり、私もすぐに返事をする。

 見ていた限り現世では何もなさそうであったが……他に何かあったのだろうか?

 小さく首を傾げた私は、天照からその話を聞く。

 星一つとそこに住まう生命体の使用を想定した実験のことを。


 『──以上です』

 「……大掛かりだな」


 天照には現世への干渉に於いて全権を任せている形になっているが、その天照が私に話を持ってきた理由は私にもよく分かった。

 現代の人類でも到底知覚し得ない遠方の恒星系に属する惑星。そこに住まう生命体に、意図的に異界由来の力を備えさせられないか。

 また、狙いから逸れているであろう場に異界由来の力を持つ生命体が現れることで、異界側の反応を引き出せないか──主な目的はこの辺りになる。


 私としても少名毘古那の提案は魅力的だった。

 私達が現世に干渉し始めてから既に半年以上もの月日が経過しているが、異界側の動きに変動がない現状停滞しているのは明らかだ。

 そこで投じられる一石となり得るのが少名毘古那の実験。

 異界側の物の見方は依然として不明だが、自らが齎したものが想定外の使われ方をした場合はどうだろうか?

 これまで人類側が形にしてきた異界資源や異界エネルギーの運用法は異界側の想定を超えるものではなかったはずだ──そしておそらく、私達という存在を抜きにして語ればそれはこれからも変わらなかっただろう。

 その前提を私達が崩す。

 人類側には不可能なブレイクスルーにより異界側の腹を探るのだ。


 リスクはある。

 異界側の反応ではない。人類側の反応だ。

 人間という生物は……言い方は悪いが、どうしようもないものを多分に抱えた生命体だ。

 私も人のことを言えた義理ではないが、物事に対して徹底した姿勢をとれる者などいないといっても過言ではない。

 私達は自分達の事情のみならず人類側との取引の一端としても異界研究を引き受けている。それゆえ、人類側に対して結果を示さねば示しがつかない。

 為すべきことは為さねばならないのだ。とはいえ、そのために全く関係のない平和な星に在り方を著しく湾曲させるような力を持ち込み、生体実験をするとなれば……。

 危険を冒してでも成果を得るべきだという論理と、人道に反しているという道徳。

 少名毘古那にゴーサインを出すにしろ出さないにしろ、双方から板挟みになることは間違いないだろう。


 静かに私の答えを待つ天照。

 それに対して私は、思惑を巡らせることこそすれ、逡巡もなく答えを出した。





 「やろう。少名毘古那に動き出すように伝えてほしい」

 『承知いたしました』





 迷いを見せなかったのは自信の現れではない。

 何が正しいのかは分からず、起こり得る問題に対して堅実に対処し切れる保証もない。

 それでも決断を急いだのは──……焦燥、そう焦燥だ。私の中にそれがあったからだろう。

 進展のない現実に、このまま何も変わらぬのではないのかと。


 天照も私の内面を察してくれているのだろう。

 立場上は上である私が先の見通しの定かではない意見を押し通しても、眉一つ動かさずに聞き入れてくれた。

 ……矢面に立ち負担がかかるのは他ならぬ天照達だ。

 それにも関わらず動じた風もなく引き受けてくれるその姿に、頼もしさと申し訳なさを感じつつも意思は変えなかった。

 ──たぶん、いつかは通らねばならない道だろうから。


 天照の屋敷の一画、座敷の隅の方に幻像を送り込んでいた少名毘古那に天照が声をかけると、少名毘古那は了承の意を返し大仰に一礼して幻術を解いた。

 視点を変えてみれば、日本列島に例えれば数百年ほど前までは隠岐島と呼称されていた島にあたる地に構えられた居にいた少名毘古那が、現世から得た異界資源を貯蔵している拡張空間から大量の魔石を持ち出して現世への途を開き、何処かに干渉の手を伸ばし始めている。

 山と積まれた魔石の傍ら、片手を現世への途に翳している少名毘古那がぱちりとウインクした。

 少名毘古那には私の様子は見えていないはずだが、どうやら私が視点をそちらに向けていることを予測していたらしい。

 少名毘古那の美貌に浮かぶ悪戯っぽい笑みに私は苦笑した。洞察力に優れているようで何よりだ、と。


 少しの間、少名毘古那が行っている現世への干渉を観察した後、視点を天照の方に戻すとちょうど須佐之男が現れたところだった。

 ふらりと立ち寄った、という風ではない。何か目的があるようだが……。


 身内以外の目がない今、須佐之男命としての立ち振る舞いは意識しなくともよいのだが、普通に庭から上がり込んでくる辺り素であの性格らしい。

 石段に草履を脱ぎのしのしと座敷に上がる須佐之男に天照は白い目を向けていた。

 神話で語られている通りに不仲という傾向を持たせて創造した覚えはないので実際の仲が悪いわけではないだろうが──いや、趣深い座敷に庭から勝手に上がり込まれれば誰でも気になるか。

 月読も以前同じことをしていたが、あれは神話との乖離を演出する計画の一端として行ったことにすぎない。

 須佐之男のそれとは事情が違う。


 しかし、どうしたのだろうか。

 私は不思議に思い首を傾げた。

 現状、現世での役割のない須佐之男には高天原の海洋生物の調整を任せていたはずだが……様子を見るに問題が発生したわけではなさそうだ。

 であれば、別件か。


 座布団に腰を下ろすなり笑顔で茶と飯を要求してきた須佐之男を半目で睨むも、天照は二度手を打って女中としての役割を持つ眷属──女中といっても本来の意味合いからは程遠いが──を呼びつけ、望みの物を用意するように伝える。

 天照はもちろん、須佐之男も飲食物の創造など容易いがそれをしないのは生活感故か。


 『また随分と急な来訪だねぇ。海洋の生態で何かあった?』

 『いや? そっちに関しては話すことは何もねぇよ。ちょっと別件でな』


 月読の問いに須佐之男は唇の端にニヤッと笑みを刻みながら答える。

 飄々とした態度は相変わらずだが、決してふざけている風ではなかった。

 須佐之男は天照と月読を等分に眺めながら言う。





 『──祭りだ。祭りをやろうぜ』

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