15話
語るべきは語れたか。
天照は軽く身動ぎして少し楽な体勢になる。
肩の荷が下りた、とはいかないが前提として話しておかなければならないところは話せたはずだ。
手元に小さな鈴を創造すると、耳障りにならない程度に鈴を鳴らす。
音を聴きつけ、すぐに現れた使用人としての設定を持つ眷属である女神達に人数分の温かい茶を頼む。
と、そこで天照は一応確認を取る。
「汝ら、茶は冷えている方がよいか?」
「いえ、温かい御茶で大丈夫です。御馳走になります」
「自分も同じものを」
元々温かいものがよかったのかそうでないのかは不明だが、日本人らしく行き過ぎない程度に慎み深い御堂とそれに続く九重。
「あ、僕は冷たい方がいいかな。多めに飲みたいから大きい容器でお願い」
「俺も冷えてるやつで。あと米も頼む、小腹が減った」
一方で遠慮というものが無いのは月読と須佐之男である。
特に須佐之男は茶の話で米まで要求している。
遠慮とかそういう次元ではなかった。
須佐之男の要求に小さくため息を吐いた天照であったが、その通りにするよう女神達に伝える。
少なくとも天外の君が求めた須佐之男命像に違わぬ態度であったからだ。
須佐之男命ならこのぐらいはやる──そういった点で須佐之男の行いは正しい。
天照としても寛容を見せざるを得なかった。
程無くして、運ばれて来た茶を「戴きます」と断って口をつけた御堂が話を思い返すように言う。
「しかし、不思議なものですね。聞いていた限り天照様方は太古の昔に現世への干渉を停止していたようですが、人の世に神話として名が伝わるとは……。
人の世に移行した後に何処かで御降臨なされたりは?」
「しておらぬ。下位の神は無論のこと、高位の神も人前に出たことはない。例外的に現世に赴いたことは確かにあるが、それも2万年ほど前のことであり現世のあらゆる生命体に知覚されておらんはずだ。
私達から直接的な形で情報が漏れた、ということではなかろう」
含みを持たせた受け答えをする天照。
御堂もそれを察したらしく、
「……失礼ながら、もしや心当たりがあったりは?」
「なくはない。とはいえ、私達にもそれが正しいのかは分からぬがな。──汝ら、私達の姿形を見ていて何か思うことはないか?」
「天照様方ですか? うぅむ……」
こちらを等分に観察し、手を組み合わせて思考している様子の御堂。
いくつか有力な線があるのだろう。どれを切り出すべきか逡巡している。
そんな御堂の傍ら、状況を見ていた九重は卒直に疑問を提示してきた。
「天照様やその他に見かけた神々は我々人間と同じ人型のようですが、肉体を得た時からその御姿で?」
やはり気づくか。
天照は薄っすらと笑った。
質問をした九重は勿論、御堂の方も九重の言葉を自然に聞き入れている。同様の疑問は御堂の中にもあったのだと分かる場面である。
結構、それなら理解も早かろう。
そんなことを思いつつ天照はまた一つの要素を開示した。
地味ではあるが、これも後の話にて重要なファクターとなり得る。
「無論、私達は生まれた時から──億年も昔から人間と同じ姿をしておるとも。より正確には、人間が私達神々と同じ姿をしておる……汝らであればこの意味は理解できるな?」
「我々人間は神々の手により一つの種として生み出された……時系列的には、人間という種が確立されるための生物的土台を神々により調整され生まれてきたと。
この認識に齟齬は?」
「ない。付け加えれば、系統樹に人間という種が現実的なラインで見えてきた辺りで私達は現世から切り離されているな」
僅かな間、九重の目が閉じられた。
人に問わず、意識ある生命体には集合的無意識という領域が存在するという。
今得られた情報から様々な観点が予想できたのだろう。
沈黙した九重に代わり御堂が続く。
「天照様方は元より人間という種の構造の絵を描いていたのですか?」
「ああ。私達が星と生命の運行に干渉を始めた当初はそうでもなかったが……神力の希薄化が始まった辺りでな。
私達は神力に依らぬ高度な知性体の誕生を目指した。もっと言えば、地球という星を定義付ける際に無くてはならないような存在を──私達と並び立てるような存在をな。
無論、神それぞれ個としての思惑は様々あったが。そんな私達と似た特性を持って誕生した種である人間の汝らであれば、或いはこちらの思考形態も疾うに把握できていよう」
「我々人類がロボットを造り、それを稼働させる為のプログラム……人工知能を構築するのと同じようなことだと。
無礼を承知の上で正直に言わせて戴ければ……神々も人間とさして変わらないのですね」
困ったように笑いながら、しかし意を決したように物を言う御堂。
御堂としても神を相手にこのような物言いは抵抗があるのだろう。平静で在ろうとはしているが、その声音はやや抑え気味だった。
それでも言ってのけたのは、こちらの意図が正確に読めているからだ。
天照はそう判断した。
天照は人類側に神もまた人とそう変わらぬ存在であると暗に伝え、御堂は先の展開を思い描きながらもその辺りの事情を理解している。
もう一人、九重もまたこのやり取りから多くを悟ったのだろう。
透き通った面持ちで天照を見ていた。
天外にて、天外の君が一つ頷く。
もう、よい。少なくともこの二人からは認識の大差は消えたと。
それを見た天照も様子見はやめる。
計画の構図を開示する条件が揃ったと。
月読がしていたようにホログラムの文書を形成すると、それを九重と御堂の前に移動させる。
天照の力の象徴色は赤き黄金だが、ホログラムの文書は白く色付いた青色をしている。
流石に赤き黄金の文字は読み難かろうという天照なりの配慮だった。
「では未来の話をしようか。前提として私達が人に求めるのは『異界顕現の理由とその根源の探索』だ。
読んで字の通り、異界が顕現する理由と、異界が何処から齎されているのかを解明すること。それを目指す案件よ。
これを人類に協力してもらう代価として、汝らが千年紀と呼んだ先の事変のような事象が起きた際には、私達神が直接コトに当たろう。
また、異界探索に於いて目覚しい働きを見せた者には私達から相応の褒美を取らせよう。具体的には、人の尺度で貴重であろう材料や薬品、物品のことになる。
これらの品々は今現在異界から得られる資源と比較してもより良い物であると断言しておこう。褒美にも格はある故、異界資源の最上の物と私達が与える資源の中でも容易に手に入る物とを比較されてはかなわんがな」
ホログラムに目を通しつつ、御堂が訊いてくる。
「確認させて戴きますが、褒美として戴ける資源という項目は異界資源に準拠する物ですか?」
「然り。異界資源の大部分を占める魔石や鉱物・自然由来の材料を始め、道具そのものも与えよう」
「よろしければ、試供品のような物を確認させて戴きたく思いますが……」
「かまわぬ。そうでなくては物の価値を見定めるに難儀しよう」
天照はその場でいくつかの勾玉を創造した。
大小様々、色も複数あるそれらを御堂と九重の方へと寄越す。
その内の一つを手に取った御堂に、天照は語る。
「今汝が持っている常盤色の勾玉は異界資源でいう魔石にあたる品になる。内在するエネルギーは魔石のそれとは異なるが、人の世で運用されている炉や器具で使用しても問題なくエネルギー資源として使用可能だ。
魔石同様、内在するエネルギー総量により等級を定めるものとする。人の世では確か、十等級ほど位階があったか。
こちらもそれに合わせよう」
「なるほど。新たな資源を既知の枠組みに当て嵌めて考えられるのは分かり易くて良いですね。等級ごとに外見的特徴を付与する事も可能ですか?」
「無論そのつもりだ、他の資源に於いてもな。次にそちらの群青色の勾玉についてだが──」
試供品として出した品が持つ役割を説明していく天照。
時折、月読や須佐之男が補足したり実演したりするそれらを検分する御堂と九重の反応は悪くない。
異界資源の代用品として不足なく、実用に足る物だと判断しているはずだ。
淡々とした風を崩さぬまま密かに手応えを感じていた天照ではあったが、懸念もあった。
やがて天照が一通り語り終えた頃、その懸念は的中することとなる。
「御話は分かりました。結論から申し上げれば、天照様方の御提案を受け入れることは可能です。
しかしながら、これらの条件を始めから全て適用することはできません。付け加えれば、ことと次第によっては天照様方から戴いた案件そのものが破綻するでしょう」
『そうだろうな。やはりそこが問題か……』
畏れながらも御理解賜りたく、と低頭する御堂。
天外へと繋がる天照の視界の中、天外の君は小さくため息を吐いた。
────────────────
「前提として、天照様方の御提案を実現するには異界探索者通商連合──探索者ギルド、とも呼ばれる事が多いですね。以降はそちらの呼称を使用したいと思います。
そこに話を持ち掛け、天照様方から下賜される品を世に流通させる許可を取る必要があります。
探索者ギルドは単なる異界資源商業統括組織というだけではなく、異界の性質の観測を始め、異界資源の物性を計測し使用に制限を設ける世界的な異界研究機関であり異界安全機構という側面も有するからです。
基本的に探索者ギルドの管轄は異界に由来するものであり、天照様方は異界とはまた異なる由来の存在ではありますが、探索者ギルドの審査を受けるのは必須条件となるでしょう。
そしてこの場合、審査対象となるのは天照様方から下賜される品だけではありません。
畏れ多い話ですが、高天原という神界と天照様方神々そのものが審査対象と見做されましょう」
冷静に述べる御堂。
その胸中はしかし冷静とは言い難かった。
人類に滅亡の時として逼迫した千年紀、それを容易く覆した仮称アンノウンの正体が日本神話に謳われる天照大御神であると明かされた時に、諸々の事柄に対し覚悟はしていたが。
流石に御堂も、異界資源とは全く異なる新たな資源の物流に関する話題がここまで大きな話になる可能性は高く見積もっていなかった。
勿論、ケースバイケースで未知の資源の出現自体は想定していたが、まさか天照大御神の方から積極的に新資源を提供してくるとは思ってもみなかった。
それも、人間的な感性の範疇に含まれるような交渉の材料にしてこようとは。
御堂の想定では神としての超越的な力による戦力こそ交渉の材料であり、引き換えに人類側は神々に便宜を図る──というのが主となる話だと考えていた。
しかし実際はこの通り。加えて、交渉条件には明確とは受け取れない点も含まれている。
ともすれば、現代に再臨した神々の指針に対する疑惑にもなりかねない。
胃にじわりと滲むように重量が生じたかのような気分だった。
そんな形で精神的負荷を感じつつも御堂は続ける。
「次に、探索者ギルドの審査が通った後の話になりますが……この「異界資源と新資源の代替交換」という項目。
小規模かつ品目を限定してこれを行うのなら十分に可能でしょうが、世界的に全品目を対象として普及するのは極めて困難であると判断しています。
重ねて申し上げれば、この項目には天照様方に取って不利となり得る要素が少なくとも二点は予想されるかと」
「交換した異界資源の使用法と、新資源の安定供給の可否。この二点のことであろうが、返答は如何に?」
「その認識で間違いありません」
事前に想定はしていたのであろう。
天照大御神は思考するような間もなく御堂が懸念している問題点を言い当てる。
湯呑に口を付け、血色の良い麗しい唇を茶で湿らせつつ、天照大御神は吐息を吐くように言う。
「有事の備えとして神たる戦力を。新世代の資源としてより高品質の資源を。未だ解明されぬ事象に対する異なる思索として、人には成し得ぬ探究を。
人という種の継続。人が築き連綿と紡いできた社会とそれに伴う経済。今在る人の世の形を可能な限り崩さぬよう、されど知らねばならぬ未知を既知へと変えるべく気を遣っているつもりなのだがな。
人の子らに取っても悪い話ではないはずだが……私達を疑うか」
傲慢よな──と天照大御神は目を細めた。
これは拙いかと焦る御堂。その隣で九重も緊張で無意識に息を潜めている。
確かに天照大御神は寛大だが、何事にも限度はある。
天照大御神が人類に譲歩した交渉を行っているのは識者でなくとも理解できよう。
隔絶した上位存在が、比べるのも烏滸がましい下位存在に気を遣っているのだ。
それを無下にし、あまつさえ疑念を抱かれる可能性すらあるなど言語道断。
如何に寛容な天照大御神とて怒ろうものだ。
額に汗する御堂。
必死に頭を巡らせるが、悪化した場の雰囲気を和らげるような気の利いた台詞は浮かんでこない。
すわ万事休すかと絶望しかかった御堂であったが、天照大御神が不意にくすりと笑う。
「ふっ──少し、意地の悪いことを言ったな。
案ずるな、別に怒ってなどおらぬ。人と神とで世が二分された後も、人の世の儘ならなさは観察してきたからな」
「し、心臓に悪いですな……はは、はははは……」
御堂は乾いた笑い声を漏らした。
九重も浅くなっていた呼吸を深くしている。
そうでもしなければ精神衛生を保つのが難しかったからだ。
そんな二人に、天照大御神はある妥協案を提示してきた。
それはかなり現実的な案であり、結局二人はこれを現世へと持ち帰ることとなる。