12話
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天照が神道を開く話を持ち出し、集中している素振りを見せた。
予想以上に円滑に話が進行している。九重と御堂の理解力が高く、またこちらに気を遣ってくれているのもその助けとなったか。
天外より、私は天照と人類のファーストコンタクトを見守っていた。
単なる初遭遇という意味でなら九重こそその例に当て嵌るが、アプローチの有無──人類側と政治的に交渉事を行うという点を考慮すれば、これこそファーストコンタクトと呼ぶに相応しいだろう。
そして天照がここまで話を進めてくれた事により、私も自分の役割を果たす時が来た。
役割といっても、今回私は力の供給源としての役割がメインになるのだが。
──さて。
話は政治的に強い発言力を持つ人間、この場合は九重と御堂を高天原へ招き会談を行う場面まで発展している。
ここで問題となるのが高天原の存在だ。そのような場所が実在しているのか、と。
勿論、無い。全く無い。或いは本物の高天原が何処かに存在しているのかもしれないが、少なくとも私の知覚内でそんな場所は見た事も感じた事も無かった。
つまり今、私と天照は存在しない場所を会談の場として提供しようとしている事になる。
普通に考えれば破綻しているとしか思えない案件だが、その問題はすぐに解決できる。
至って単純な解決策。そう、無いものは創れば良い。私と天照が揃えばそれが可能だ。
私には高天原など創れない。私が出来るのは自分の眷属である創造体を創造する事であり、その能力には創造可能な範囲が何故か限られている。
万物の創造を可能とする力ではないのだ。当然、一つの空間──存在領域を創造する事など不可能。
であれば高天原など創れない、矛盾した話になってしまうがそれは私単体であったらの話だ。
今の私には天照が居る。力の及ぶ限りの万物の創造──生命や物質、存在領域を力を消費して創造する、私には無い権能が天照にはあるのだ。
高天原という新たな存在領域の創造は生半可な事ではない。如何に強大な力を持つ天照といえど、単体で成し得る事ではない。
故に私がエネルギー源の役割を果たすのだ。力の由縁は未だ何一つとして知れていないが、私と天照が合力すれば一つの存在領域を創造する事が可能だという確信が私の中に何故かある。
どういった根拠の元に生じたのか分からない謎の確信だ。標準的な状態の健康体の人間に「呼吸が出来るか?」と訊いて「呼吸が出来る」と返ってくるような、当然の事を当然のように可能と述べているようなもの。
思う事が無いわけでもないが……今は目前の事に集中すべきか。
天照の体内で力が高まっていくのが分かる。そのエネルギーは私が持つエネルギーと同じ、スキルによって生じる魔力とも気とも念力とも似て非なるもの。
何に由来する力か判明していないためにただ単に「力」と呼ぶしかないそれを、私も体内で高めて放出していく。
色や形などは無い。無色無形の力は私の体から放出されると、私以外何も無いこの空間の虚空へと溶けて消え──天照へと注がれていく。
視界の先、天照が赤き黄金の燐光を纏い始める。
天照の体内で高められた力は標準的な生命が息づく通常の次元ではなく、別の次元……超次元とでも呼ぶべき遥か高次元へと指向性を定められ徐々に放出され始める。
次元とは複雑な構造でありながら得られる物は限られている。別次元、というと別世界をイメージする者も居るかもしれないが実のところそれは違う。
例えば物体Aを不動のままに現在滞在している次元から別の次元へと移しただけでは、存在している世界そのものが変わるわけではない。
三次元的に見える絵と実際に三次元に在る物との差のような感じだろうか。三次元的に見えているだけの絵は構造物に触れる事は出来ず、三次元に実在している物体は構造物に触れる事が出来る……といったものだ。
そういった領域に天照は今干渉している。
一般的に人類が生存している世界と存在している世界が違うわけではない。
同じ世界に在りながら同じように捉えられぬもの。只人には到達出来ず、あらゆる知覚の外に在る領域──すなわち超次元。
そこを「在る」と仮定した上でその仮定領域に一つの時空を創り出し、時空の中心点を定めた上でその時空の内包物を創造する。
時空とは時空体。中心点とは意識の集中地点たる惑星。内包物とは中心点に集中した意識を元に定義された星々。
時空体、中心点たる惑星、装飾たる星々。此れを以て超次元に小宇宙を創造、現在滞在している次元に接続する。
これが在りもしない高天原の正体となる。
無論、容易い事とは言い難い。
こうしている今も天照はその内在エネルギーを爆発的に消費し消耗しており、私も天照にエネルギーを注ぎ続け徐々に力の減少を自覚出来る領域になりつつある……おそらく、残り六割ほどだろうか?
だが問題は無い。既に天照が仮定した超次元には小宇宙の形が創造されている。最も巨大なエネルギーを要求される時空体の確立と、それに次ぐエネルギー消費量の中心点たる惑星の創造の行程まで進んでいれば後は間に合う。
星々の存在と位置関係、法則はある程度地球の基準に合わせていく。それ以外の基準を知らぬ故、下手に弄ればボロが出ると考えたからだ。
地球の基準から外れているのは主に法則の部分で、「生命体がこの時空体に存在するにはその生命体が私に由来するエネルギーを持っている必要がある」という法則を定めている。
これは「高天原が神域である」事を強調するため。その場所に存在しているだけでも特別な条件付けを行う事で、高天原という存在領域をより特別視させたいのだ。
この場合、「私に由来するエネルギー」という点が条件を付けるにあたって分かり易く単純かつ楽だった。私が持つエネルギーは魔力とも気とも念力とも違う何かだからだ。
少なくとも地球上に……それどころか私の視覚の及ぶ限りのこの宇宙に於いて、同種のエネルギーを持つ存在は居ない。
唯一の例外はそもそも私の手により創造され誕生した天照のみ。現時点で高天原に存在出来る生命体は天照しか存在しない。
──そろそろ終わりそうか。
思考を巡らせていた私の力の残量が三割ほどになった頃、高天原の創造は完了した。
無論、高天原に住まう神々──という設定の眷属も創造済みだ。とはいえ、新たに創造した眷属については流石に一度に創造するには今の私と天照の力量では厳しかったので、天照ほど強大な力は持っておらず存在の格としては正直かなり低い。
流石に顔を出す予定の主だった面子にはある程度の力を持たせているが……全体の総数も少なく、力と数については今後の課題となるだろう。
『高天原の創造、完了致しました。接続可能です』
虚空に天照の声が響き渡る。
実の声でありながらこれは肉声では無い。思念による言葉──念話、とでも呼ぶべきだろうか。それにより私のもとへ届けられたものだ。
「よし。では繋げてくれ」
『了解。計画を進行します』
私の言葉に応じた天照が超次元への途を創り出す。
視覚の次元を切り替えれば、夕陽を思わせる赤き黄金の粒子が穏やかな風となり直線状に吹き、その内部に何人かの人間が並んで通れる程の空洞が形成されていた。
この空洞こそが高天原への途となる。足場には暗く透き通った水面が見て取れた。赤き黄金の光が反射する水面はまるで夜明けの、或いは黄昏の海原のようだった。
古来より水は境界を隔てるものだと聞く。日本神話に於いてもそれは変わらない。薄闇の中で見る海原のような暗く見える水面に夕陽色の光が反射する様は正に神秘。
それを意識した天照の粋な演出だ。
これは──良い。
その出来映えの良さに私は魅入る。
時折思っていたのだが、天照は私の記憶と知識を保有して誕生した存在故に感覚的な面も私と同じような感じになりそうなものだが、こういったセンスなどの面については明らかに私よりも優れていると思う。
神道の演出として水の要素を入れる、というのは私では即興で考え着けなかった。
……ちなみに私が神道をデザインしていたとしたら足場はそれっぽい石畳になっていただろう。安っぽいことこの上無い。
こうして高天原への神道は完成した。
低次元に神道が接続されると、天照が翳している手の先の空間が揺らぎ、そこから赤き黄金の光が溢れ出す。
溢れ出した夕陽色の光は空へと上っていき、小規模な光の柱を形成。無論これも天照の演出であり、天照が誕生した時に顕現した光──千年紀の夜明けを飾った巨大な光の柱は神道を開いたことによるものだと見せ掛けているのだ。
当時と今とで光の柱の規模に違いがあるのも良い。どうでもよく見えるこれも神秘に繋がる重要なファクターとなる。
天照は神道を通って現世に降臨した──という設定的に一度は神道を開いている事になり、その時と今とで神道を開く際に起きる現象に差があれば、新たな神道か古い神道かを開くのは直近で開かれた神道に比べて開くのが容易ではないと人類側に考察させる事が出来るからだ。
事前に天照が「高位の神であれば」と語ったのも利いて来る。何故主神である天照が直々に降臨しているのか、何故複数の神が降臨しないのか。
そういった疑問点への解答になると同時に、神が雑多に現世に降臨するような事がないように立ち回るための言い分にもなる。
私の眷属は私の都合で神を名乗ってもらっているだけのもっと別の生命体だ。下手に多くの眷属を動かせば何処かでボロが出る可能性がある。
表立って動く眷属の数が絞れるのは利点だった。
顕現した神道はもう只人にも見える状態だ。
開かれた神道を息を呑んで見ている九重と御堂を一瞥すると、天照は先に神道の中へと姿を消した。
「ついてこい」、と伝えているのはこの状況下であれば誰でも察せるだろう。
九重と御堂は異常を察知して本殿を覆う塀の辺りまで来ていた部下を呼び寄せると、手短に現状を説明し現世での指揮を副官に委ね、神道に向き直った。
訓練された軍人である九重と御堂でもやはり未知の領域に踏み込むのは怖気づくのか、深呼吸して覚悟を決めた様子で神道へと身を進めていく。
斯くして、それぞれの部下達の見守る中、二人は現世から姿を消した。
勿論私にはその後の光景も見えている。
光の洞穴、とでも表現すべきなのだろうか。
九重と御堂が神道に入ってきたのを確認した天照が先を行く中、天照の背を追う二人は少し歩いた辺りで空気の変化に気が付いたようだった。
夜明け、或いは黄昏の海原が如き神道の神秘的な景色に見入っていた部分もあった二人だが、それを早い段階で敏感に感じ取れる辺りは流石というべきか。
空気の変化……と私は表現したが、その実態は次元の変化だ。
神道に明確な距離はない。神道を進めば進むほど高次元へと推移していき、天照が定めた次元に到達した時に自然と高天原に到着する。
元より人ならざる知覚能力を有する天照はいいとして、九重と御堂には通常次元の変化そのものを知覚する能力があるわけではないはずだ。
それでも次元の変化を感じ取れている様子が見受けられるのは、前述した通り空気の変化……本当に極僅かなそれに二人の肉体が反応出来ている証左となる。
神道を進むとは単なる次元移動だけではなく、移動先の次元に体を慣らすというのも兼ねている。
今回の場合は二人の肉体を天照が神道を通して一時的に強化し、高次元滞在に耐えうるものに変えている点がそうだ。
これは身体強化とはまた異なる強化であり、実際に身体能力が向上したりは一切していないのでそうと気付くのは難しい。
二人も自分が今一時的な強化を施されている最中だとは気付いていない。つまり多少の次元移動をしたところで肉体的な感覚は依然変わっておらず、二人とも現世に居た時と同じ感覚しか感じていないはずだ。
状況的には……そうだな。長い年月を掛けて平均気温が上昇していたとしても、その当時に明確に平均気温が上昇しているとは感じ取れないのと同じようなものだ。
多くの生命体には環境の変化がある程度の範疇に収まっている間は、それに適応可能な能力が存在する。適応力、というものだな。
それにより環境の変化と共に慣らされていった肉体は移り変わっていっている最中には何も気付けず、変化を自覚するのは大抵後になってから。
それと同様、二人が次元移動の推移の可能性に気付くのも後になりそうなものだが……これが優れた戦士の勘というものか。
おそらくこれが次元移動だと確信は抱けていないだろうが、可能性の一つとして行き着いてはいそうだ。
私には戦士の勘という感覚は分からないが、時としてそれは本来辿り着けぬ境地に人を到らせると聞く。
私と天照の計画に気付かれないよう、注意せねばならない。
私がそう考えている間にも時間は進んでいく。
九重と御堂が神道に進入してから十数分ほど経過した頃、不意に神道に霧が立ち込めた。
数メートル先の視界がまともに確保出来ないほどに濃い霧だ。まるで雲の中に突入したかのように突然現れた濃霧に驚いた二人は反射的に足を止めて警戒態勢をとる。
これも天照の仕掛けた演出。濃霧が現れても天照が気にせず歩を進めていたのは視界が塞がれる前に二人にも見えていたはずだ。
実際に害が無いのを確認した二人も警戒を解かぬまま進行を再開し、それから数分もしない内に神道にまた変化が訪れる。
ふわりと風が吹いたかと思うと、辺りを覆っていた濃霧が風音と共に一気に晴れ渡り──一面の大海原が現れたのだ。
おぉっ、と九重と御堂が堪らず声を漏らしている。
私もまた天照が象った神道の演出、そのクライマックスに魅了された。
そう、この領域こそ神道の終点なのだ。現世から途を開いた時に神道に繋がったように、この領域から指向性を持たせて途を開けば高天原に繋がる。
神道の終点は赤き黄金の陽の光が反射する大海原だった。
これまで通ってきた神道は規模が限られており、天照の力による光の風壁に囲まれ道幅も一車線程度しかなかったが今は違う。
文字通りの大海原だ。遥か遠くまで見渡しても海以外に何も無い、一面の大海原。
在るとすれば先頭を切っていた天照と後続の九重と御堂、そして海面を照らす太陽くらいのものだ。
俯瞰的な視点から見ていても迫力を感じられる景色。現場で只人の視点で見ていれば感じる壮大さはより増していることだろう。
明確に景色が変わったことで感覚的なもののみならず視覚的にも次元の違いを感じられるようになった。
事の子細を知る私ですらそう思うのだ、現場に居る人間二人もひしひしとそれを感じていることだろう。
視覚的なスケールが変わったためだろうか。夜明けの大海原が如き景色を背景に、海面を確かな足場として佇む天照はより一層超常的な存在に見えた。
あたかも、本来在るべき次元に近づいたことで超越的な存在の力が段階的に解放されていっているかのように。
見事。見事としか言い様のない場の見せ方だ。
計算された、しかし自然な流れでの演出は私では到底──と考えていた私はそこである事に気付く。
「……ん?」
気付いたそれに疑問の声が漏れた。
これも演出なのだろうか? ──何か、天照の力が本当に増大している気がする。
自分の眷属だから、だろうか。
私には天照の持つエネルギー総量が感覚的にある程度把握出来ている。
それ故に、天照の力に何らかの振れ幅が生じれば鋭敏にそれを感じ取る事が可能だ。
そして今のこれは……たぶんだが、保有する力の上限が跳ね上がっている。
見れば、天照は瞑目して集中している様子だった。
その体が燐光を放っているのは演出ではない。天照は今、増大したエネルギー総量を把握し制御しようとしている。
ぽつりと、念話が届く。
『これは……法則性は解りませんが、力が高まっているようです』
やはり。
私は腕を組み考える。
何故天照の力が増した? 私が一度に膨大な量の力を天照に注ぎ込んだからか?
ありふれた理論を挙げればその辺りが原因になる。その旨を語ってみたが、天照はそれには懐疑的なようだ。
『どうでしょうか……ない、とは言い切れませんが。何かもっと別の──……』
天照からしてみても感覚的なものなのだろう。
言い淀み、眉をひそめている。
考えてみても私にはいまいちそれらしい解答が出てこない。力が増した当事者である天照にしか分からない何かがありそうだ。
「体に異常は無いか?」
『はい。……増大した力の制御も今完了致しました』
言葉通り、その総身を覆っていた燐光は収まり天照は平静を取り戻している。
考えねばならない事は多いが、今は仕方ない。
天照の体調に問題がなければ今は放置するしかない、か。
小さく息を吐くと、私は静観の構えに戻った。
天照が増大した力の掌握に掛けた時間は短く、およそ二、三分ほどのことだった。
しかしこの場には今部外者が存在し、数分もの間黙して佇んでいるだけの時間は部外者からしてみれば不自然な空白と感じられるのは避けられない。
実際、この領域に到達した当初は周囲の景色に気を取られていた九重と御堂が訝しげに天照の背を見ていた。
声を掛けるか否か迷っている風も見られる。天照が仕掛けた演出もあり今はまだ妙な勘繰りはされていないようだが、あまりこの状態を長引かせているわけにもいかない。
天照も同じ結論に達したようで、すぐに次の行動を見せた。
神道を開いた時と同様、片手を前方に突き出して力を集中。
夕陽色の光の粒子を顕現・収束させ光の洞穴を形成する。
神道と同じ外観ではあるが、この洞穴の内部にこれまで通ってきたような途は存在しない。
神道の終点であるこの領域から開かれたこれは正真正銘高天原への直通路だ。
天照が二人を振り返る。
『これを潜れば高天原だ。心構えは出来ておるな?』
沈黙の間から一転、問いを投げ掛けられた二人が弾かれたように肯定の意を返すと、天照は『ならば良し』と残して一足先に光の洞穴を潜っていく。
二人もまた、天照と話すにはやや距離が離れていた位置関係であったため、万が一高天原への入口が消えては敵わぬと駆け足気味にその後を追い光の洞穴の中に消えていく。
こうして、人類との接触の舞台は高天原へと移り変わっていった。