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ずっと好きだった幼馴染の恋を応援できるなら、それは次の恋に進む準備が出来た事だと思い込んでもいいのだろうか

作者: タラレバ

 俺は幼馴染が好きだ。

 

 彼女は昔から人当たりが良く、皆からの人気も人望もあった。

 それでいて決して驕る事は無く、昔からの付き合いである俺とも未だに交流を続けてくれている。

 彼女は誰よりも優しく、誰よりも尊い。

 故に、俺は幼馴染が好きだ。


 そんな幼馴染が、俺に言った。


「――私ね、好きな人が出来たの」


 *


 俺の名前は『篠田 玲一(しのだ れいいち)』。

 高校一年生の十六歳、勉強は中途半端だがスポーツは程々に出来る。そんな男だ。

 そんな平凡な男である俺の唯一平凡でない所が、彼女の存在。


「おはよ、玲一! まーた寝坊したの?」


「いつも寝坊してるみたいに言うな、今週に入ってからまだ二日しかしてない」


「今日火曜日だよ?」


 だから何だ、まだ今週に入ってから二日しか経ってないとでも言いたいのか、ええおい。

 呆れたようにため息を吐く彼女の名前は『香山 詩乃』。

 長い付き合いである俺から見ても、詩乃は美少女だ。それこそ、二次元の美少女とタメを張るぐらい。

 けれど、そんな詩乃に浮いた話は無い。それは、彼女の口からも聞いていた事だ。


――昨日までは。


“私ね、好きな人が出来たの”


 頭の中で流れるのは、昨日の詩乃の言った言葉。

 放課後に話があると言われ、指定された公園に向かった後で俺が聞いた言葉。

 聞いた直後は唖然として、ショックを受けて――それをどうにか覆い隠して、俺は平然を装って詩乃の相談に乗った。


“それでね? 玲一にも手伝ってほしいの。私と私の好きな人が、付き合えるように”


 嫌だ。そう言いたかった。

 詩乃は好きな人が出来たらすぐに告白しようとして、それでも勇気の一歩が踏み出せずに俺に相談してきたのだと思った。

 けれど、彼女は俺に好きな人と付き合えるように(・・・・・・・・)手伝ってくれと、そう言った。

 つまり彼女は、確実に告白が成功するようにしたいのだと、そう言ったのだ。

 

 何故俺に言う? お前にはもっと頼りになる友達が大勢いた筈だ、なのに何で俺に相談してきた。

 初恋の女の子がずっと近くに居たのに、告白の一つも出来ていない俺なんかを頼ってもどうしようもない。

 なのに、何故お前は俺を頼ってきた。


――だが、お前がもし好きな人と付き合えたとして、それでお前が笑ってくれるなら、


「そ、それでね玲一! 今日の事なんだけど……!」


「ああ、分かってる。上手く黄山を誘導してやるさ」


 俺は、今日を笑って生きていられる。


 *


 学校での午前授業はすぐに終わった。思考を停止させ、虚空をずっと見つめていれば時間なんて簡単に過ぎていく。

 ただ、俺がこうして体感時間を短くしている間は目が死んでしまうからそこが難点ではあるが、それも大した事ではない。

 クラスメイトに少し引かれるだけだ、大した事じゃあない。


 俺は黙って席を立ち、詩乃が好意を抱いている男である『黄山』に声をかけた。


「黄山、今暇か?」


「暇な訳ねえだろ、今から昼飯食うんだよ」


「なら、食堂に行かないか? 久々に行きたくなってな、一人じゃ行きにくいから一緒に来てくれると助かるんだが」


 黄山はあからさまに面倒そうな顔をして、俺を遠ざけるように手を振った。

 まぁ、別に親しくも無い相手から急に誘われたらそりゃこういう反応にもなるんだろうが、もう少し友好的な反応をしてくれても良いんじゃないだろうか。

 それにお前は詩乃の“好きな人”なのだから、余り嫌いになりたくない。

 

「……お前、いつも弁当だよな。購買とか行かないのか?」


「金がねえんだよ。つか、もう帰れ」


 いい加減イライラしてきたのか、黄山は俺に対し怒気を含んだ視線を向けてきた。

 正直怖いし、もう帰りたい。

 黄山はこのクラスで孤立している。金髪で耳にピアスをしている、見るからに不良の外見をしたコイツは、個人的に絶対に関わりたくない人間だ。

 だが、それでも逃げるわけにはいかない。詩乃を好きな者として、俺はお前を詩乃の下へ連れていく。


「俺が奢ってやるよ、食堂」


「あ? 要らねえよ。テメエに貸しなんざ作りたくねえ」


「俺はこれを貸しとは思わないし、お前も借りだなんて思わなくていい。単なる俺の気紛れだからな」


 気紛れって何? 急に人に奢りたくなるとかねえよ、三億あってもねえよ。

 我ながら苦しい言い訳に、ため息を吐きたくなる。

 だが、ため息を吐いたのは俺ではなく黄山の方だった。

 黄山は重い腰を浮かせ、俺の前に立つ。


「……事情があんだろ、行ってやるからちゃんと奢れよ」


「お、おう」


 俺の肩を叩いてから、黄山は俺の横を通り過ぎて教室から出て行った。

 良かった、案外好きになれそうで安心した。

 男の癖にツンデレなのは減点対象だが。


 俺も黄山に続いて階段を降り、食堂へと足を向けた。

 食堂は人が多く、尚且つ喧しい奴等が多くて普段は決して行かないが、仕方がない。詩乃の為だ、一肌脱げなきゃ幼馴染じゃないからな。


「あ! 玲一!」


 声のした方を見ると、俺の顔を見て花咲くように笑う詩乃の顔が目に入り、思わず頬が綻んだ。

 もしかすると俺の顔じゃなく、俺の横に居る黄山の顔を見て笑ったのかもしれないが、それでもいい。

 詩乃の笑顔で俺の心は癒された!


「おう、奇遇だな」


 因みに全く以て奇遇じゃない、計画の内である。

 黄山と詩乃が一緒に飯を食えば、多少は仲良くなるはずだ。

 同じ釜の飯を食った仲、ということわざもある事だし、作戦としては悪くない筈。


「せっかくだし、一緒に――痛えっ!」


「おい、さっさと飯食うぞ」


「は? いや、ちょ、待っ!」


 俺の襟を掴み、俺を引きずるようにして黄山は俺を詩乃から離れた席まで連れて行った。

 ていうか、首! 首締まってる! しかも周りから見られてるし恥ずい!

 

「席確保したら、さっさと食券買いに行くぞ」


「分かった分かったよ! つっても今回は俺の奢りだし、お前が付いてくる必要ないぞ」


 引きずられた事で埃塗れになったブレザーを脱いで椅子にかける。

 これ、叩けば簡単に取れるのだが、簡単に取れるが故に全部落とさないと気持ち悪くなって一時的に潔癖症になってしまうのだ。

 今から数十分後のブレザー洗浄が面倒で仕方がない。


「あ? テメエだけに行かせたらパシリにしてるみたいになんだろが。んな小物だと思われたらめんどくせえんだよ……さっさと行くぞ」


「ツンデレかよ……」


「文句あんのかコラ?」


 ねえよ。そして怖い。

 けれど、これで分かった。黄山という男は、良い奴だ。

 周りから誤解されているが、黄山は捨て猫を拾う不良のような男であり、多分詩乃はそれをどこかで知ったのだろう。

――そして多分、そんな黄山は俺なんかよりもずっと頼もしくて、漢らしい奴だ。詩乃に相応しいぐらい。


「はぁ……女々しいな、俺」


 これでようやく、諦めがついた。

 俺じゃ詩乃には釣り合わなくて、黄山は俺より優れていて、俺は詩乃と黄山より劣っている。

 なら、俺にはあの二人を応援しなければならない義務がある筈だ。

 ……果たして、本当に義務があるのだろうか。あってくれたなら嬉しいものだ。


「早く来いや!」


「一々騒ぐなよ、騒がしいぞ」


 不良らしく、辺りに威圧感を撒き散らしている黄山の下に俺は重い足を運んだ。

 

「ところで、お前の名前って何だっけ?」


「『黄山 剛(きやま ごう)』だ! 覚えとけやゴラ!」


 そんなやり取りがあった事は内緒である。


 *


 一年の教室があるのは校舎の三階。階段を上がるのが面倒くさくて、偶に階を間違えて四階まで行ってしまい朝から鬱になる事もある厄介な高さに位置する。

 入学当初は学校側が新入生に意地悪をしているのだと思っていた。

 正直、今も思っている。

 そんな三階の渡り廊下で、俺は詩乃と向かい合っていた。


「もう! もうもうもう! 玲一が黄山君と仲良くなってどうすんの!」


「不良の仲間入りを果たすんじゃないか?」


「黄山君は不良じゃないの! 黄山君は優しいの!」


 知ってるよ。知ったのはさっきだけども。

 けど、黄山と付き合えるようになるのは大変だろうな。

 見たところ、黄山が色恋に興味があるようには見えなかったし。

 黄山が詩乃から離れた所からも、詩乃――というより女子全員に苦手意識を持っているような気さえする。

 いや、もしかすると女子だけじゃなく、人が嫌いなのかもしれない。


「……だとしたら、面倒臭いな」


「何が面倒なの!? 私はこんなに真剣なのにぃー!」


「だって他人の恋愛だし。俺に関係ないし」


 そう、香山 詩乃は俺の中で幼馴染というカテゴリに分けられているだけの、ただの友達で他人だ。

 だから、俺がやるのはあくまで手伝いだけ。助ける事はしない。

 それが詩乃の為にもなる筈だから。

 障害を乗り越えて結ばれた二人はきっと、いつまでも結ばれていてくれるだろうから。


「ま、程々にやるから任せろって」


 だから俺は本気で、彼等を手伝うのだ。


 * 


 その日から、俺の黄山と詩乃仲立ち大作戦が始まった。

 だが、作戦はどれも失敗に終わった。結論早すぎとか言うな。

 黄山を食事に誘えば乗ってはくれるものの、詩乃と一緒にさせようとすると途端に離れていく。

 校舎の廊下の曲がり角で、黄山と詩乃をぶつけさせてフラグを立たせようとも試みたが、今度は逆に詩乃が作戦本番前に照れ始めて失敗。

 

 このままじゃ、一生成功する気がしない。


「もう告白しちまえばいいんじゃねえの? 確率が低いとはいえ、可能性が無いわけじゃない。でも、やんなきゃ可能性は0%未満のままだ」


「うぅ~……でも、せめて黄山君ともう少し話せるようになってからの方がいい! 多分黄山君、私の名前も覚えてないし……」


 そんな悲しげに言うなよ、可愛く見えるぞ。

 というか、流石に名前を覚えてないという事は、ない筈だ。

 今の所クラスどころか学年で一番の有名人である詩乃の事を知らないのは二、三年の一部の人達だけの筈だ。

 同じ一年の黄山が知らない筈がない。知らなかったらおかしい。もし本当に知らなかったら、多分どこかでラグが発生している筈だ。

 この校舎電波悪いし。


「黄山君はスマホじゃないよぉ……もぉ」


 あらやだ可愛い、何この子。拾って帰っちゃおうかしら。


「取りあえず、せめて挨拶ぐらいは交わせるようになって貰わないとな。黄山から積極的になってくれる事が無い以上、こっちから行くしかないんだからよ」


 切り替えるように俺が言うと、詩乃も小さく何事かを呟いて気合を入れ直すように声を上げる。


「うん、そう、そうだよね……よし! 頑張るぞー!」


 ポジティブで楽観的で明るい、詩乃の長所トップ3である。詩乃の良いところが発揮されていないと、黄山が詩乃に振り向く訳が無いしな。

 これからは黄山と詩乃の仲を縮めるのではなく、黄山が詩乃に興味を持つよう行動していく方向にシフトすべきだろう。

 おそらく、そちらの方が黄山の性格にも合っている。


「じゃあまたねー! 玲一!」


「おう」


 へっ! いい笑顔しやがって。やる気出ちまうじゃねえか。

 

 *


 唐突だが質問だ。

 はたして、不良少年が本当に子猫を拾おうとしている場面を見た人物がこの世に何人いるでしょうか。

 正解は0人。

 何故なら優しい不良少年以前に、今時子猫をダンボールに入れて捨てていく飼い主など居ないからだ。

 だが、俺のこの考え方は少々極端すぎたようだ。

 俺の周りにそういう人が居ないというだけであって、もしかしたら世の中には未だ律儀にもダンボールに子猫を入れて捨て去る人が居るのかもしれない。


 因みに、それを拾うであろう不良少年は今、俺の目の前に居る。


「よう、篠田」


「おう。で? その猫は何だよ、拾ったのか?」


「捨てられてたからな。俺一人暮らしだし丁度良かったぜ。部屋に一人だと暇だったからな」


 嘘つけ。本当は子猫が捨てられてんのを見てお人好しの部分が出ちまっただけの癖に。

 猫を抱き上げて頬をスリスリと擦らせている黄山は見ていて気持ち悪い。

 おっと間違えた、微笑ましい。


「ペット、大丈夫なのか? お前の住んでるとこ」


「たりめーだろ。じゃなきゃ飼おうとしないっての」


「お前は益々不良失格だな」


「るせーよ」


 嗚呼、何で俺が黄山と仲睦まじげに話しているんだ。

 本来なら俺の位置には詩乃が居た筈だったというのに。

 俺がどこかで間違えた道のりを振り返っていると、黄山は子猫を頭に乗せて帰宅しようとしていた。

 黄山の両手にはキャットフードの入ったレジ袋と、『猫の飼い方』というタイトルの表紙が付けられた本が三冊入っている袋。

 両手が塞がっているなら、そういえばいいのに。


「はいはい、猫ちゃんはこっちに来ましょうねー」


「あ! おい!」


「両手に荷物持ってるお前はその荷物を家に運ぶ事だけ考えてろよ」


「ならテメエが荷物持てや!」


 自分の荷物を他人に押し付けるのはやめろ、嫌いになっちゃうぞ。

 ぶつくさ文句を言う黄山と共に黄山の家へと足を動かす。

 片や猫を抱きながら歩く俺。片や両手に袋を持って歩く主婦のような黄山。

 この構図だと、何だか俺が黄山をパシらせているようで罪悪感があるな。

 

「おい、やっぱ荷物軽い方持ってやろうか?」


「軽い方持つのが前提なのかよ……必要ねえ、どっちも大して重くはねえからな」


「はいはい、分かってますよ。早く一個貸してみなさいって」


「なっ!? おい!」


 怖くなーい怖くなーい。いや怖いけども怖くない。

 不良が怖いが黄山はもう慣れたし然程怖くない。でも多分ゴキブリの次ぐらいには怖いから相当怖い方には入っている。

 だが、怯えるほどじゃあない。ゴキジェットがあれば退治できる。


「はっ! 今はゴキジェットの持ち合わせが無いんだった!」


「るせえぞカス。つうか、もう俺の家に着いちまうんだが」


「え? そうなの? お前の家高校からめっちゃ近いじゃん。徒歩二十分じゃん」 


 はたして徒歩二十分で移動できる距離は近いと言えるのか言えないのか、定かではない。

 だが、毎日高校への片道に自転車で四十分かけている俺に比べれば、確実に近いと言えるだろう。


「まぁでも、通り道にコンビニとか本屋とか寄るとこないし、そういう意味だと面白味がない通学路だな」


「そうだな。……まぁ、多分あっても行かねえけど」


 どうやら、真面目でお人好しの黄山君は寄り道なんて不良らしい事はしないようである。

 いや、本当にコイツは何で不良やってんだ。そういう所をもっと人に見えるよう見せていけば、友達も出来るだろうに。

 俺と居る時、少し面倒そうにしながらも黄山は俺を遠ざけはしない。

 だから、人間嫌いだという事じゃないのも分かった。

 なのに、何で黄山は人から嫌われようとしているのだろうか。

 

「お前、もう少し格好変えてみたらどうだ?」


「あ? どういう意味だよ」


「お前に不良は似合わねえって意味だよ。もっとこう……好青年っていうか、優等生っつうか。お前だったら、そっちの方が向いてそうな気がするんだけどな」


「んなの柄じゃねえよ。俺勉強嫌いだし、身体動かす事の方が向いてんだよ。それに、俺は誰かに舐められたくねえからこの格好してんだ。テメエに文句言われる筋合いはねえよ」


 いや文句言ってる訳じゃないんですが。ただの提案何ですが。

 不快にさせたなら謝るが、お前も俺を不快にさせたんだから謝れよ? じゃないと不公平だ。


「着いたぞ」


 黄山の声に俺は足を止め、黄山が入っていたアパートを見る。

 そのアパートは古臭かった。現代には似合わない程古くてボロボロで、貧乏臭い。

 未だに改修工事が為されていないのが不思議なくらいだ。

 けれど、俺は驚きはしない。

 黄山に金が無いというのは知っていたし、黄山がそれを欠点だと思っていないのも知っているから。

 だから、俺はそれを驚かないし、憐れむ事はしない。

 おそらくそれは、黄山が最もされたくない事だから。


「お邪魔しまーす」


 狭い部屋の中には必要最低限の家具しかなくて、畳が敷き詰められた床は汚れている。

 少しは掃除しろよと思いつつ、もしかすると掃除用具を用意する余裕も無いのだろうかと、口に出すのは自重した。

 黄山は持っていた荷物を置き、俺の荷物も半ばぶんどるように取っていって同じ場所に置いた。

 俺に猫を下ろすよう促す黄山に、俺は言う。 


「猫、洗った方が良いんじゃないか。風呂ぐらいはあるだろ?」


「風呂ぐらい、てのは失礼すぎだなおい。殴んぞ? ――大丈夫だろ。洗ってもこんな部屋じゃすぐ汚れちまう」


「いいから。飼い主になったんだから、少しは飼い猫と絆を深めて来いよ」


 俺は抱いていた猫を黄山に手渡し、黄山が渋々と風呂に向かったのを見届けて、俺は外に出た。


 *


「で、何だよこれは」


「見て分からないのか? 結構綺麗にしたつもりなんだけどな……」


 見ても違いが変わらない程度にしか出来なかったとは、残念だ。

 日々学校での掃除で鍛えてきたと思っていた俺の腕前も、所詮は居の中の蛙だったという訳か。


「そうじゃなくて、何でテメエ俺の部屋掃除してんだよ!」


「いやぁ~、黄山って貧乏過ぎて掃除用具無いのかなぁって」


「憐れんでんじゃねえよテメエ!」


「憐れんでねえよ、馬鹿にしてるだけだ」


「尚更質わりい!」


 俺が質悪い? 失敬な。俺はただ単に気を利かせて掃除をしてやったというのに。

 わざわざ掃除用具を外に買いに行ったんだぞ。この俺の優しさに震えて礼を言うのが筋だろう。


「で? 猫ちゃん綺麗になったか?」


「ああ。つか、猫ちゃんじゃねえ。コイツの名前は『太刀丸』だ」


 渋い。名前が非常に渋い。別に俺の猫じゃないからいいけど。

 俺が誠意を込めて綺麗にした畳に太刀丸を置き、水で滴っている太刀丸の毛を黄山はドライヤーで乾かしていく。

 それにしても黄山君、少し顔がニヤケ過ぎじゃないかね。そういう顔は詩乃の前でも見せてやってくれたまえよ。


「篠田」


「あん?」


「……ありがとよ」


「え、気持ち悪っ。急に何?」


「テメエ、ぶっ殺す!!」


 声を荒げて、黄山は怒鳴る。

 そんなに声を荒げて喉枯れないもんかね。俺なら枯れる自信ある。

 いや、飲み水がコップ一杯分あれば枯れはしないかもしれん。

 枯れる前に多分潰れる。


「でも、俺に礼言うくらいだったら実家に帰ればいいんじゃないの? 確かに両親と気まずいのは分かるけど、こんな暮らしして苦しんでんなら和解して実家で暮らした方が――」


「帰れねえんだよ」


 俺の言葉を遮って、淡泊な声音で黄山は言った。


「俺、下に兄弟が四人いてよ。ただでさえ貧乏なのに、人数が多いから余計金がかかるんだよ。だから、俺ぁ帰らねえ。帰って親父にこれ以上迷惑かけんのもアレだしな。これまで通り、バイトで何とか凌ぐわ」


 何でも無いように、黄山は語る。

 青春真っ盛りの高校生が、日々を生きる為にバイトで青春を潰す。

 そりゃまた糞な話だ。俺の境遇が違い過ぎて下手に同情できないのも腹が立つ。

 そして何より腹立たしいのは、黄山がそれを当たり前の事のように話している事だ。


「テメエも、俺と一緒に居たくなかったらサッサと離れろよ。貧乏で不良の奴なんかと一緒に居たら、陰で何言われるか分かんねえぞ」


 乱暴な口調で、黄山は俺を気遣うような言葉をかける。

 黄山は、今までずっとこうしてきたのだろうか。

 自身に近づいてくる人々が容赦のない陰口を言われ、疎まれているのを見て、黄山は心を痛めてきたのだろうか。

 痛めてきたからこそ、黄山は誰かが自分に近づいてこないように不良の格好をしているのだろうか。

 だと言うのなら、せめてそれに気づけた俺ぐらいは傍に居てやりたい。


「陰口なんか今更気にしない。実は、俺の幼馴染がちょっとした有名人でな。そんな有名人と幼馴染で仲の良い俺は、しょっちゅう陰で何か言われてるからな」


 いやマジでアイツ等許せん。俺への悪口はまぁ良いとして、偶に詩乃の悪口まで行ったりするからな。ぶりっ子だの何だのと。

 他人にぶりっ子とか言う前にお前はもっと愛想よくしてみろよって話だ。

 自分が愛想良くなくて人気無いからって詩乃を妬むのは自己肯定が過ぎる。

 ま、そういう奴等は大体詩乃と近しい女子達の手によって地獄の底に落ちているから良いけど。


「そうかよ……お前も大変なんだな」


 詩乃と幼馴染なのが大変ですと? それは客観的に物事を見すぎですよ黄山君。

 当事者になれば分かると思うが、詩乃と毎日一緒に登校できるというのは中々役得だからな。日々を楽しめている実感がある。

 それにしても、俺が陰口を言われている事に対して黄山は本気で同情してきている感じがする。


「ま、誰かに喧嘩売られたら俺に言えよ。二度と口が利けないようにしてやる」


「はいはい、おっかないおっかない」


「舐めてんのかテメエ!」


 やれやれ、黄山がカッコ良すぎて嫌になりそうだ。

 しかも、そう言ってる間に黄山は太刀丸の乾燥を終えて、猫にはミルクあげて自分は水道水飲んでるし。

 これはアレだな。正しくアレだな。

――つまり、


「お前、良い奴過ぎだな」


「るせえよ。……俺最近、お前に『るせえよ』しか言ってねえ気がする」


 そんな事ないぞ? 黄山はよく俺にカスだの阿呆だの言ってきている。

 それを無かった事にしようとしても無駄だぜ。俺が一生忘れない。

 しつこいとか粘着質とか言ったら許さん。


「となるとアレだな。お前彼女とか作るの大変そうだな」


「か、かか彼女!? ななな何言ってんだテメエ! お、俺は色恋にゃ興味ねえぞ!」


 あらら? 何このべたな狼狽え具合。滅茶苦茶分かりやすいんですけど。

 詩乃君朗報よ。どうやら黄山君は思春期真っ只中の男子高校生だったみたいだわ。


 *


「俺、年上が好きなんだよ」


 あ、違った朗報じゃなかった。悲報だった。

 

「結構前から、俺の事助けてくれてるお姉さんが居てさ。俺の部屋の横に住んでんだけど、すれ違ったら挨拶する程度には仲良くて、俺が腹減ってたら夕飯分けてくれるぐらい良い人でさ。こんな人になりたいって、そう思ってたらいつの間にか惚れてたんだよ」


 しかもガチだ。かなりガチだ。

 これは確実にやばい、黄山が惚れてるそのお姉さんに対して詩乃の勝ち目が多分無い。というか無い。

 

 いや、まだ決めつけんのは早い。

 俺の方から黄山にさり気なくお姉さんに対しての恋心を諦めるよう仕向ければ―― 


「本当……好きなんだけど、多分あの人は俺に興味なんか無いからな。ま、届く筈のない恋ってやつだな」


 そう言って、黄山は儚げに笑ったのだった。

 

「――告白すべきだ」


 気づけば、俺の口は開かれていた。

 詩乃に向ける顔が無くなってしまうが、それも仕方がない。

 この場合、俺がすべきなのは黄山の恋を諦めさせるよう促す事ではなく、黄山の恋が実るよう応援する事だ。

 それが、黄山の友達として俺のすべき事で、詩乃の幼馴染としてもするべき事では無いだろうか。

 詩乃だって俺と同じように、例え黄山の恋人が自分でなくとも、黄山が笑っていてさえ居てくれればそれでいいと思うに決まっているのだ。

 何故ならそれが、片思いしている奴に唯一与えられた権利なのだから。


「……いや、絶対アイツへこむな。このままじゃ俺が愚痴に三時間ぐらい付き合う事になる、絶対」


「ブツブツうるせえ……つか、何が告白すべき、だよ。したら相手にも迷惑かかるし、俺なんかが告白したところで成功する訳がねえ」


「何そのネガティブシンキング。キモイ」


 さっきまでしょぼくれてた黄山は殺気に満ちた目を俺に向けている。

 ま、気分落ちてる黄山よりはこっちの方がらしくてマシだな。

 それにしても、詩乃に好かれている癖に自分の事を蔑むのは許さんぞ。

 俺なんてこれまで一度も女子から好かれた事なんか無いというのに。


「告白が成功するとか、失敗するとかはともかくとして、だ。相手の迷惑を考えて告白しないなんてのは単なる馬鹿のする事だぜ?」


 人生において一度も告白した事のない俺は、分かったような事を言ってニヒルに笑う。


「確かに、自信のない告白をするぐらいなら黙ってた方がマシとか。相手に自分の事を振らせて罪悪感を与えるぐらいなら最初から告白しない方が良いだとか。そういうのは相手の事が好きな程思う事だ。けどな、黄山」


 ここ、テストに出るぞ? と言ってもいいぐらいの名言を吐くぐらいの心持で、俺は言った。


「告白されて嬉しくない奴なんて、居るわけないだろ?」


 その時の黄山の顔が、ハトが豆鉄砲を喰らったような顔、という言葉がピッタリなぐらいに唖然としていたのを見て、俺は不敵に笑った。


 *


 結局、黄山は後日惚れていたお姉さんに告白したようだ。

 結果としてはめでたく成功。どうやらお姉さんの方も黄山に惹かれていたようで。でも自分は大学生、黄山が高校生という身分の区分があったからこそ何も言えずにいた。

 しかし、黄山の方から告白してきた事で両片思いだった事が分かり、ドラマチックに二人は結ばれた、と。

 どこのラブコメだよとツッコミを入れたくなりつつも、その気持ちをどうにか抑えて俺は黄山を祝福した。

 彼のたった一人の友人として。


「おめでとさん。見事にリア充の仲間入りだな。お祝いにこの豚の貯金箱をやろう、精々太らせてあげたまえ」


「嫌味かテメエこの野郎! 俺には貯金できる金なんざねえっての!」


 嫌味でしか無いが? 俺がお前の恋を素直に応援すると思ったら大間違いだ。

 十年ぐらい好きだった幼馴染の恋すら応援する決意すんのに一日費やしたんだぜ? お前の恋なんか応援してやるもんかよ。


「ほれほれ。付き合い始めの彼氏が彼女の事放って何してんだよ、はよ帰れ」


「ちっ! 急かすなっての。あの人からもメール来てんのに、お前からまで急かされたかねえよ!」


 黄山は憧れの人と付き合い始めても学校での振る舞いは変わらず、友達が増えたりはしていない。

 けれど、彼女が出来ても俺を蔑ろにする事は無く、偶に飯を食いに行く事もある。

 いやお前に構ってもらっても嬉しかねえよ。構われるんなら女子に構われたい。カモン・ザ・ガールズ!


「じゃ、俺帰るわ。またな、玲一!」


 あの日から俺の事を下の名前で呼ぶようになった黄山。日常が充実しているようで何よりだ。

 リア充化したのは気に入らないが。

――いや、やっぱ言っておかなきゃ気が済まん!


「リア充爆発しろぉおおおおおおおおおお!!!」


 俺の声は天にも届いた、ような気がした。


 *


 黄山が健全なお付き合いをし始めたのは良いのだが、問題は詩乃の方だ。

 あれだけゾッコンだった黄山が彼女持ちになったというのは詩乃にとってはショッキングな事実だろうが、そこは何とか受け止めてもらうしかないだろう。

 詩乃の笑顔が見たいが為に俺が始めた事を、俺の手で終わらせる。

 何ともまぁ皮肉的で無意味だ。


 そして、俺は『黄山、彼女持ち発覚!?』という見出しの事件を詩乃に伝える事となるのだが。


「り、り、り――」


 り? 


「リア充爆発しろぉおおおおおおおおおおお!!」


 はい、うるさい。鼓膜が破けそうで破けない声量なのは逆に腹立たしいのだと、俺は今知った。

 ところで詩乃ちゃん、その単語は一体誰から聞いたんだい? お兄ちゃん君をそんな風に育てた覚えは無いぞ。


「もうもうもう! 何で私が告白する前に彼女が出来ちゃうの!? 私だって黄山君の事好きだったのにー!」


「あーはいはい、それもう何度も聞いたから。ほれ、オレンジジュース飲め」


「オレンジジュースで機嫌治る程安価な女の子じゃないからね私!? 貰うけど!」


 貰うんかい。なら安価じゃねえか。

 自販機で買った缶ジュースを詩乃へと投げ渡し、詩乃はそれをジャンピングキャッチして受け取った。

 一々動きが派手なのは愛嬌である。


「はぁ……失恋て辛いね、玲一」


「あぁ、そうだな。相手の事が好きであれば好きなだけ未練も残るし、後悔も残る。こうやって口に出してみると、やっぱり辛いな」


「いや、そこまでは言ってないけど……もしかして、玲一って失恋の経験あるの!? 嘘!? 私知らない!」


「言ってないからな。知らなくて当たり前だ」


 というか知られたくなかった。だってお前に失恋したんだから。

 勝手に恋して勝手に失恋した俺に、詩乃に同情する権利は無い。

 だがせめて、詩乃に罪悪感を与えまいとする俺の意思ぐらいは尊重してくれよ、神様。


「ふーん……まぁいいや。あーあ! 遂に私も失恋かー! 私も大人になっちゃったなー!」


 今までの暗い気持ちを吹っ切るように、詩乃は大声で言う。

 だが詩乃よ。失恋を経験して大人になったというが、案外そうでもないもんだぜ? 何故なら俺は未だにお前に未練を残しているからな。

 別に今更告白しようだなんて思わないし、傷心中の詩乃なら俺の告白も成功するんじゃないかとか、そんな事は思っちゃあいない。

 いや、ほんの少しは考えているのかもしれないが、それでもしない。

 だって、一度諦めた恋を成就しそうだからと言って巻き返すのは、ダサいにも程があるだろ?


「全くもぉー! 今日はやけ食いだー!」


 それでも、


「……なぁ、詩乃」


 それでもせめて、


「んー? なぁに?」


 この子を慰める事ぐらいは、許してほしい。


「やけ食いすんなら、この後ワック行くか?」


「……うん! 行く!」


 よし、良い返事だ。


 *


 安いファストフードの代表格、ワック。

 放課後は学生で席が埋まりがちだが、今日は運よく空いていた。

 俺はハンバーガーを一つだけ頼み、詩乃はポテトを山盛り頼んでどんどん食べていた。

 いや、そんな量絶対食えないでしょ。


「はむ、はむ、はむ! ……うぷっ」


「はいストーップ! これ以上詩乃から女子らしさを失わせてたまるかぁああああああああああああ!」


「あ、それってもしかしなくても結構失礼?」


 もしかしても失礼な発言でござんした。

 でもしょうがなくない? 目の前でポテト吐きそうになってる女子が居たら普通止めるって。


「私が気になってるのは玲一の発言なんだけど」


「そうですよねごめんなさい!」


 普段あんだけ明るい詩乃が目のハイライトを消して、抑揚のない声色で話しているのはただのホラーだ。怖い、黄山より怖い。

 だが、それでもゴキブリ程じゃあない。故にゴキジェットで退治できる。

 持ち合わせは無いけど。


「別に慣れてるから良いんだけどさー! 私だって傷つく時はあるんだからね!?」


「だろうな。だからこうしてワックに誘った訳だし」


 そう言う俺に、詩乃は目を丸くした。

 え、何に驚いたの? つーか可愛い。


「え? ど、どういう意味?」


「だから、お前が傷ついてたから慰める為にワックに誘ったんじゃねえか。いつでも明るいお前だって、偶には傷つく時もあるだろうよ」


 香山 詩乃が笑顔を絶やす事なんてない。

 詩乃はどんな時でも笑顔で、そして誰かを笑顔にする。

 そんないつでも明るい彼女が傷ついた時は、一体誰が彼女を笑顔にすると言うのだろう。

 詩乃の両親か? それとも友達? しかし、彼等に詩乃を笑顔にするなんて事はできないだろう。

 確かに、彼等に励まされれば詩乃は笑顔を浮かべるのかもしれない。

 けれど、それは多分取り繕った仮面のようなモノで、彼女はその仮面を被って時間が己の感情を癒すのを待ち続けるのだろう。

――でも、俺は幼馴染だ。

 友達というカテゴリだけれど、幼馴染だ。詩乃にとってはどうでもいい称号でも、俺にとっては誇るべき称号だ。

 幼馴染なんてただ昔から一緒にいる友達に過ぎない。けれど、俺にとってはそれが特別だったから。

 この称号の効果を存分に発揮して、俺は今まで詩乃の傍に居続けていたから。

 だから俺は今も幼馴染という言い訳を使って、傷ついている詩乃の傍に居続ける。詩乃を慰めたいとかいう殊勝な心掛けなんかじゃない、自己満足に過ぎないけれど、せめて詩乃が次の恋に進めるように、俺は詩乃を癒してやりたい。


「いいか、詩乃。初恋が成就しないってのは当然の事で、気にする必要も無い。世の人々は初恋よりも後の二度目の恋を成就させて、結婚して、人生を謳歌してるもんだ。多分、俺もそうなる」


 詩乃の表情は釈然としていない。優しく純粋な詩乃からすれば、俺の話している常識なんてのは聞きたくもないものだろう。

 

「でも、失恋するのは何時だって辛い。それは一度目も二度目も同じ事だ。好きで好きで、毎日夜寝る前には必ず顔を思い浮かべていたあの人が誰かと付き合っていて、けれど自分はそれを見ているしかなくて……。そんなのは、辛いに決まってる。辛くて残酷で、世の中が嫌になる」


 俺は今、詩乃に感情移入しているのだろうか。

 いや、違う。多分俺は今、自分の感情を詩乃を気遣っているように見せかけて吐露しているだけだ。

 ああ、気持ち悪い。惚れた女の子に自分の醜い感情を押し付けて、吐いて、何やってんだ。

 早く、詩乃が笑顔を浮かべられるように、お前がすべき事をしろ。

 

「だから、俺は……そんな失恋から目を逸らして、次の恋に進むって、そう決めて……そう決めた気になって、結局ウジウジと昔の恋に気を惹かれて。そんで、どんどん自分が嫌いになっていった」


 女々しい自分が嫌いだ。

 未だに未練を残している自分が嫌いだ。

 辛い事を忘れられないで、与えられてきた幸福を思い出さないで、勝手に悲壮ぶってる自分が気持ち悪くて仕方がない。

 

「だからな、詩乃。その失恋から、目を逸らすな」


 だからせめて、目の前の少女には俺のようになって欲しくないから。

 俺という失恋男が唯一与えられるのは失敗した後、この先は失敗しないように出来る選択肢をどうにか知らせてやる事だから。

 だから俺は、出来うる限り俺の後悔が詩乃に伝わるように詩乃の目を真っ直ぐ見た。


「目を逸らさないで、受け入れて。そんでその恋を一生忘れずに、思い出しながら。いつかその恋が懐かしく、そして楽しかったと思えるようになるまで生きるんだ。じゃないと多分、自分が嫌いになっちまうからな」


 言い終わってから、はたと気づく。

 何言ってんの俺!? いや二次元ならともかく現実でこんな事言う奴居ねえって!

 いや臭い臭い言葉が臭い! そして何とも痛々しい。

 

「わ、悪い! ちょっと変な事言った。俺、もう帰るわ」


 こういう時は逃げあるのみだ。さっさと家に帰って寝ればこの羞恥心も少しは収まる。

 ていうか自分の惚れた女の子に失恋話するとかキモイよな。流石の詩乃さんでもお黙り案件ですよ本当に。


「じゃあな、また明――」


「待って」


 またもや抑揚のない声で、詩乃は俺を呼び止めた。

 カチッと動きが止まり、ロボットのようなぎこちない動きで首を回して後ろを振り返った俺は、俺を止めた詩乃の姿に目を見開いた。


「詩乃、お前泣いて……」


「泣いてないし、泣いてないし! 別に、玲一が可哀想だとか、そんなの、思う訳ないし……!」


 香山 詩乃という女の子は泣かない。

 いつも笑顔で明るいというキャラクターが、彼女の根幹にあったから。

 おそらく詩乃も、皆が求めている『香山 詩乃』を演じていたのだろう。

 そして、そんな『香山 詩乃』は皆の人気者になって、その結果詩乃は誰かを笑顔に出来る強い女の子に育った。

 だけど、そんなのはただ理想を押し付けているだけだ。

 俺は一人の少女に惚れて、その少女が笑ってくれるようにとか身勝手な願いをして行動して。

 その結果俺は悲壮ぶって、皆の期待に応え続けてくれる優しい彼女を泣かせてしまった。


――ハハッ、屑だな。


「……お前も黄山も、ちょっと優しすぎだ。もっと我儘になったって、誰も文句なんか言わねえよ」


「自分の事を優しいだなんて思ってないし、これ以上自分勝手になろうだなんて思ってないよ! 大体、誰かに優しい優しいって言って、玲一の方がよっぽどお人好しで優しいじゃん……! もっと、我儘に、自分勝手になってよ! じゃないと、玲一が可哀想だよ……」


 何言ってんだ、俺は十分我儘だ。

 十歳の時には小遣いせがんだ事もあるし、高校生になった今でもお年玉を貰っている。

 しかも、優しい不良友達と美少女幼馴染までいる。

 これだけ恵まれて、さらに上を望むってのは我儘を超えて傲慢だろ。


「ありがとうな、詩乃」


「何で玲一がお礼言うの? 御礼言うのは私の方だよ!」


 詩乃が俺に御礼? 別に俺御礼言われるような事したような覚えないけど。

 疑問符を浮かべる俺に、詩乃は泣き顔を笑顔に変えて、言った。


「私の恋を応援してくれて、ありがとう!」


 俺は結局、詩乃の恋を応援できなかった。

 いつまでも詩乃という少女に惹かれたまま彼女を応援しようとして、結局詩乃の想い人である黄山に新たな彼女を作らせた。

 これじゃ、俺が詩乃と結ばれる為に詩乃の恋路を邪魔したようなものだ。

 けど、それでも。最後に詩乃が次の恋に進む手助けができたのだと、そう思った。

 最後だけ、自分が好きになれそうだった。


 だって、詩乃が笑ってくれたから。


「おう!」


 こうして俺は、またもやいつものように『香山 詩乃』の笑顔に救われる。


 *


 あの日から、数週間が過ぎた。

 変わった事と言えば、黄山とよく一緒に過ごすのが多くなった事と、詩乃との距離が少し縮まった事ぐらいだ。

 最近になって、俺は詩乃に対しての恋愛感情をどうにか抑えられるようになってきている。

 今は隣の席の女の子がほんの少し気になっていて、クラスの男子の中でも俺に話しかけてくれる回数が多いので彼女も俺に少し気があるのではないかと思っている。

 この事を詩乃に言ったら、


「いや、隣の席だから良く話すだけでしょ? 私も隣の席になった男子には話しかけるもーん!」


 ですよね、別に期待なんかしてませんでしたよ。

 俺に対し、詩乃には浮いた話がやってきているようだった。

 何でも、遂に詩乃に彼氏が出来たとかいう話だ。あくまで噂ではあるが。

 クラスの男子共はこの噂に撃沈しているようだったが、俺は違う。今では詩乃に対する未練も薄れ、今回の詩乃の恋愛は素直に応援できそうだった。

 どうやら俺も、次の恋に進む準備ができたみたいだな。これも、あの日に詩乃が俺を慰めてくれたお陰だ。本当は俺が詩乃を慰めてやりたかったんだけど、まぁこれが分相応って事か。

 そして、何故か知らんがこの噂が学校に出回ってからよく周りから視線を向けられているような気がする。多分、俺が詩乃の幼馴染だからだろう。

 だが甘いな君達。俺はもう既に詩乃を恋愛対象としては見ていない。一人の友達として、今度こそ彼女の恋を応援すると決めているのだ。


 そして今日、そんな詩乃に俺は屋上に呼び出されていた。

 普段は屋上は閉鎖されているのだが、前に屋上のカギをピッキングで開けられるようになってからはピッキングのコツを俺から詩乃にも教え、俺達は自由に屋上に出入りできるようになっている。

 教師に見つかったら怒られるどころじゃ済まないな。


「玲一、最近噂が出てるの、知ってる?」


「ああ。まぁな」

 

 詩乃からしたら溜まったもんじゃないのかもしれないが、俺は仕方がない事だったと思う。

 ただでさえ人気者である詩乃が男と一緒に出掛けている姿なんて見られたらそりゃ噂が出回るさ。

 というか、今までそういう話が無かった事の方がびっくりだ。びっくりドンキーだ。


「ま、アレだ。隠そうとしたら人はそれを暴け出したいと思うらしいからな、こうなるのも時間の問題だったんじゃないか?」

 

「時間の問題、か……そっか、そうよね! うん! 私もう気にしない!」


 いや気にはしたまえよ詩乃さん。他人事ではなく自分事だし、君の彼氏さんにも何か連絡取った方が良いだろう。

 だが、詩乃にはそれをしようとする様子が無い。彼氏さんが寛容なのか、それとも詩乃が彼氏さんの事を信じているのか。俺にはどうでもいい事だが、しかし幼馴染としては心配ではある。

 付き合い始めは互いに距離を測っているだろうし、そんな不安定な時期にこうして噂が出回るのは厄介なんじゃなかろうか。


「なぁ詩乃。やっぱり連絡しといた方が良いんじゃないか?」


「え? ああ、友達にって事? 大丈夫だよ! 私の友達ってこういう噂話信じないからさ!」


「いや違うけど……まぁ、お前が大丈夫そうならいいか」


 そうだ、見た所詩乃には狼狽えている様子も無さそうだし、俺が勝手に気にして慌ててるのは滑稽だ。

 こういう所は要改善だな。未だに詩乃に対して過保護というか、何でもしてやりたいって気持ちが俺の中にある。

 全く以て女々しいもんだよ。


「そーれーよーり! 私、その噂の事で玲一に話があるの」


「ん? 話?」


 何だ、また恋愛相談か。

 良いだろう。前回とは違い、パワーアップしたこの俺の力を存分に発揮して、今度こそ詩乃の恋を成就させてやるさ。

 いや、もう成就してるんだったか。という事は、彼氏に送るプレゼントを選んでくれとかかな? だとしたら否定するぞ。

 リア充に対して協力的になるなんて御免だね。プレゼントなら俺から手榴弾を送ってやろう。


「私、この噂話を本当にしたいの。だから、玲一。――良いかな?」


 どこか不安気に、詩乃は言った。

 上目遣いで俺の目を覗き込んでくる詩乃さんはとても可愛いですよ、はい。

 噂話を本当にする、と詩乃は言った。つまりそれは、現状ばら撒かれている噂話が嘘だったという事の証明だ。

 てっきりもう付き合ってるのかと思ってた。詩乃が特定の男と出歩いているのを目撃した奴等の証言が多すぎて噂に尾ひれが付いていたという事か。

 ま、それも詩乃が受け入れ、しかも噂を本当にしたいと言っているのだったら寧ろ感謝すべき事だな。詩乃が嫌がってたら意地でも止めたが。


「お前が良いなら、良いんじゃないか。俺はお前を応援するぜ?」


 キメ顔でそう言う俺に、詩乃は嬉しそうに笑う。


「うん! じゃあ、玲一! ――私と、付き合ってね!」


「うんうん……ん?」

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― 新着の感想 ―
[一言] ハッピーエンド(告白失敗するとすぐ主人公に乗り換えるヒロイン)www
[一言] 多分この子は恋に恋してる時期だから少しいいなって思った男なら割と誰でもいいんだと思う
[一言] 男女問わず、異性に恋愛相談するような奴はみんな地雷だと思ってる
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