06章 攻略対象二人目
「恋色の魔法の書」の攻略対象は五人。
四人は入学後に始めて主人公と出会う予定だが、一人、入学前に知り合っている人物がいる。
私がお嬢様にお供して談話室のドアを開けると、その人物はソファーに腰掛け退屈そうに壁に掛けてある絵画を眺めていた。
「久しぶりね、ラント」
お嬢様が片手を上げながら声をかけると、始め彼は視線だけをこちらに向けていたが、私たちの後ろに旦那様がいることに気づき、立ち上がって頭を下げた。
「お久しぶりです。マレディス公爵、ミレア様」
『ラント=マレディス。魔法適正は治癒。
主人公のいとこ。不治の病であった名草病を治す魔法薬を完成させた天才。
その功績のため14歳であるが主人公と同じタイミングで入学する。
常に冷めた目をしていて、多くの人を見下している。』
天才であること以外良いことが書いていない説明文だが、演技か元々か実際の彼の性格も文章の通りだ。
同じ姓ではあるが、彼は分家でお嬢様は本家。
地位で言えば本家の令嬢であるお嬢様の方が上だが、旦那様がいなければ返事をすることもなかっただろう。
性格は良いとは言えないが、攻略対象なだけあって、ブロンドの髪はサラサラとして綺麗で、澄んだ碧い瞳も見入ってしまうほど。
親族設定だからか、髪と瞳の色はお嬢様と同じだ。
14歳という年齢を踏まえても私よりも小さく童顔。ショタ枠だ。
しかし、いつも仏頂面でいるため可愛い路線ではない。
(天才故の孤独などの理由があって今の性格で、シナリオ中にお嬢様の優しさに触れて周囲に溶け込めるようになり、きっかけとなってくれたお嬢様を好きになる、というような筋書きがあり得そうですね)
お嬢様も旦那様がいたから返事したと気づいたようで、苦笑しながらソファーに腰掛ける。
後から入った旦那様がソファーに座ってから口を開いた。
「二人とも、いよいよ明日が入学式だな。屋敷を離れ、全寮制の学校に行くことに不安もあるだろう。
準備は滞りなく済んでいるか?」
「はい、お父様。問題ありません」
話を聞く限り、従者の同行を断ったラント様を心配した彼のご両親が、旦那様にお嬢様と一緒に行かせて欲しいと頼んだそうだ。
学園は王族も入学させるくらいなので、警備は厳重で家の馬車で行くため危険ということはないだろうが、それでも親としては心配だったのだろう。
(お嬢様と一緒に行くことも、普段のラント様なら断るでしょうし、
もしかしたら台本に記載されている内容なのかもしれませんね)
彼も私と同じ役持ちだ。
彼の両親はオリジナルだろうが、台本通りに進むように何らかの力が働いているのかもしれない。
(そんなことが出来るなら、全てオリジナルにしてしまった方が楽だったでしょうに。
ただの温情で生かしてくださるなら、シナリオと関係のないキャラクターとして
誕生させてくれた方が、私たちも神様も苦労がなかったように思います)
旦那様が部屋から出て行くと、ラント様はまるで部屋に誰もいないかのように読書を始めた。
「ラントは周りが年上ばかりになるし、大変そうね」
「…………」
「あなたのことだから、年齢のことなんか気にしないのかしら」
「…………」
何を言っても無反応のラント様に、お嬢様は何度も話し続けていた。
彼女を不憫に思ったがここは出しゃばるべきではないと、黙ってその場を見守る。
(身内を攻略対象とするのであれば、相手の方がすでに好意を抱いているか、
お嬢様が好意を抱いているか、幼い頃は仲が良かったが成長するにつれて距離が出来たか、
とても仲が悪いか、など特筆するような関係性で始まることが多いように思いますが、
どれも当てはまらないような気がします。
出会いと今の時点での距離感が同じというか……)
(可能性があるとすれば、ラント様が好意を抱いている場合でしょうか?
シナリオ開始後に少しずつ嫉妬する様子を見せていく、とか。
それとも、私が知らない間に何か二人の記憶に残る出来事があったのでしょうか)
「俺は本が読みたいんだ。静かにしてくれないか?」
ようやく顔を上げたラント様から発せられた言葉はそれだった。
お嬢様が呆れ顔でため息を吐く。
「あなたねぇ……。私相手だから良いけど、学園では気をつけなさいよ?
階級でクラス分けされているといっても、学内にはいろんな人がいるんだから。
公爵家の身内だからって手を出さない人ばかりじゃないのよ?」
「…………」
こちらを見もしないラント様に、お嬢様はさらに深いため息を吐いて、立ち上がりドアへ向かった。
私も後ろをついて行こうとしたのだが。
「そこのメイド、お茶を運んでくれ」
ラント様に声をかけられたので、一礼して応じる。
「かしこまりました」
「お召し上がりください」
ティーセットを乗せたワゴンを部屋に運んできて、カップをソーサーの上に置くと、彼は顔をあげて一言。
「ありがとう」
先ほどは言わなかった礼を述べた。
「差し出がましいとは思いますが、そちらの性格の方がよろしいのでは?
先ほどのような態度では、誰かに好意をいただいていただくのは難しいかと思います」
「本当に差し出がましいな」
本のページをめくりながら言う彼の言葉に、内心苛立ったがそれを表には出さないように努める。
「俺は設定通りに演じているだけだ。
退場になるつもりも、誰かに迷惑をかけるつもりもない」
「そうですか。私としてもどなたかが退場してしまうのは寂しいですから、
台本とノルマは不足なく、こなしていただければと思います」
私の言葉を聞いて、なぜか彼は鼻で笑う。
「……ノルマか。
人に言うくらいだから、お前は問題ないんだろうな?」
「ええ、私はお嬢様以外を桃のハートにする必要がありませんので」
「どこかの女たらし王子が、設定を無視してお前に会いに来ていると聞いたが?」
「王子は私に会いに来ているわけではありません。屋敷のメイドに手当たり次第、
声をかけに来ているだけです」
「へぇ、ちゃんと分かっているんだな。王子相手なら女は簡単に騙されるのかと思った」
「その言葉、女性に対する侮辱と受け取られますよ?」
「別に……、他の女にはどう思われても良い」
(他? 私が侮辱と受けとったからこそ申し上げているのですから、お嬢様のことでしょうか)
結局、ラント様はお茶を運んだ時以外、一度も顔を上げなかった。
もう話は終わったとばかりに黙り込んだので、私は一礼して部屋を後にする。