19章 先生からの呼び出し
「どうしてレオ様って、キルス様には怒らないんでしょうね」
授業が終わり寮へ帰る道すがら、ソリア様が唐突に言った。
昼食の時間ですっかり打ち解けた私たち四人は、当然のように揃って歩いている。
(お嬢様以外は元々交流がありましたが、
こんなに早くお嬢様がお二人と打ち解けるとは思いませんでした。流石です、お嬢様)
「評価書を気にしているみたいだっだし、キルス様からご両親に何か言われたら困るからじゃない?」
先にお嬢様、次にナーニャ様が考えを述べる。
「つかれたら痛いところを、的確におっしゃっているように見えました」
二人の意見を聞いて、ソニア様は頷いた。
「なるほどねぇ。私もご両親に告げ口できる立場になれば、普通に会話が出来るようになのかもね。
今じゃ無視されるか言い合いになるかで、会話なんて出来た試しがないし」
「ソリア様はレオ様とご婚約なさっていますからね」
お嬢様がその情報を把握していない可能性を踏まえて言っておく。
それを踏まえて、ソニア様が口を開いた。
「婚約しているようになんて全然見えないわよね。
どうせなら、キルス様と婚約したかったわぁ。お父様はいろいろ言っていたけど、
要はウチの領地がメハウェスに面しているから、
繋がりを強く持っておきたいっていう完全な政略結婚だもの」
(ソリア様はキルス様の本心をご存じないのでしょうか。
でも、彼は乙女ゲームの攻略対象という立場を嫌がっているようでしたし、
主人公以外でしたら、問題無いでしょうか?)
「政略結婚かぁ、ナーニャは誰かの婚約してるの?」
と、尋ねるお嬢様。
「私はクリフト様と……」
(う……、これを聞いたらお嬢様は遠慮されるでしょうか。
なかなか良い感じに見えますのに)
「へぇ、そうなのね! いいじゃない、クリフトはいいヤツそうだし」
(反応を見る限り、今のところは全然恋愛対象として見ていないようです。
まだ会って数日なので、これからどうなるかは分かりませんけど)
ナーニャ様が指先をもてあそびながら、俯きがちに言う。
「良い方だとは思うのですけれど……、まだお話しする機会がほとんどなくて」
「あら、それなら休みの日に一緒にサッカーをすることになっているんだけど、
ナーニャも一緒にどう?」
(お嬢様ー、それはちょっと。せっかく親密度が上がりそうなご予定なのに)
私の思いを知ってか知らぬか、ナーニャ様は浮かない顔をする。
「スポーツはあまり……、すみません。せっかくお誘いいただいたのに。
休みの日はお兄様が心配なので、一度家に戻ろうかと思っておりまして」
「それなら仕方ないわね。ウィルム様、突然具合が悪くなられたなんて、心配ね」
そんな話をしながら寮へ帰り、夕食の時間にまたあつまり一緒に食事を済ませた私たちだったのだが、なぜか寮母さんが私を呼び止めた。
「ルメリアさん、ちょっといい?」
「はい、なんでしょう?」
「先生があなたのこと呼んでるのよ。教室まで来て欲しいって」
「こんな時間に、ですか?」
通常であれば疑問に思うが、思い当たる節はあった。
同じ考えに至った、お嬢様が口を開く。
「もしかして、お昼の件かしら……」
「ああ、結構派手に水浸しにしていたからね」
ソリア様が頷くと、お嬢様は申し訳なさそうな顔をして私の手を掴んだ。
「ごめんなさい、私を助けようとしてくれたのに。
怒られたりするのかしら……。私も一緒に行くわ」
「大丈夫ですよ。皆さんのおかげですぐに片付きましたし、少し注意される程度でしょう。
気になさらないでください」
「でも……」
お嬢様は私の手を掴んだまま呟くので、どうお断りしようかと困っていると、ソリア様が私にウインクで合図してきた。
「先生に呼ばれていない私たちが行って、変に機嫌を損ねるよりは、
マリィ一人で行った方がいいんじゃない?」
「そうかしら?」
「絶対そうだって!」
強く念を押され、お嬢様の手が私から離れる。
(助かりました、ソリア様)
こっそり小さくお辞儀して感謝の意を伝える。
そうして私は一人夜の教室へと向かった。
「あなたたちは授業態度は真面目だし……、いや、レオ君はかなり微妙だけど、
まぁ、とりあえずは次から気をつけてくれればいいんだけど。
あんまりもめ事起こさないでよね。ここ残業代出ないんだから」
教室で教壇の前にレオ様と並んで立ち、ジョリア先生に注意を受けた。
想定通り強く叱られるというよりは、今後は気をつけるようにという念押しのようなもの。
本当は夜に呼び出す内容でもないと先生は思ったらしいが、明日から二日間の休日なので休日前に伝えるようにと学年主任の先生から言われてしまったのだと、うんざりした口調で言っていた。
(とはいえ、旦那様に私の学費も出していただいているのですから、
今後は気をつけなくてはなりませんね)
「申し訳ありませんでした」
「申し訳、ありませんでした……」
頭を下げて言った私の後に続いて、レオ様もぎこちなく謝罪を述べる。
(流石にこの場で先生に対して文句を言ったりはしないんですね)
「はい、これでお説教は終わり。
レオ君、原因は主にアンタなんだから、マリィさんを寮まで送ってあげなさいよ」
人差し指を突きつけながら言うので、いつレオ様が怒り出すかと内心ヒヤヒヤしながらその場を見守ったが、彼は特に苛立ちを見せることもなく頷いた。
「……分かりました」
(教室を出た途端、八つ当たりをされないか心配です。
他の先生はバルティケル様呼びなのに、ジョリア先生だけレオ君だからそこも気にしそうですし
担任の先生といっても王子様を相手に、そういった態度でいいのでしょうか)
失礼しました、と言って教室を出た私たち。
何かを言われる前に立ち去ろうと足早に歩き出したが、すぐに背後から肩を掴まれ凄みのある声音で言われる。
「おい、勝手に行くな」
(レオ様はどうしていつも不機嫌そうにしているのでしょう。
夜道よりも、レオ様の方が怖いです)
「ジョリア先生は送るようにおっしゃっていましたけど、一人で帰りますので、大丈夫です。
聞かれたら、送っていただいたと答えますので」
気に障らないよう、丁寧に言うように心がけた。
「なんでお前が勝手に決めてんだ」
(う……、結局、怒らせてしまいました)
「ちょっと来い」
肩から手が離れたと思ったら今度は腕を掴んで歩き出し窓を開けた。
そうして窓の縁に片足を乗せる。
(ちょっと待って下さい。ここ三階なんですが)
心の声が届くはずもなく……、声に出しても止まらなかったと思うが、レオ様は私の腕を掴んだまま窓から飛び降りた。
「ちょ……っ」
一瞬感じた浮遊感に恐怖し、叫び声を上げようとしたところで身体が宙に浮いた。
足を小さな台風のような風が包んでいる。レオ様の風魔法だろう。
(浮いてる……)
馬車では何度も飛んだことがあるが、何の支えもない風だけの状態は始めてで身が竦んだ。
「なんで飛んでるんですか!?」
「こっちの方が早いだろ」
彼はあっけらかんとして答える。
「確かに早いとは思いますけど、というか、あの、こっち女子寮の方向ではないですけど」
「分かってる」
ではどこに、と尋ねようとしたときに、自身の制服のスカートが風を受けて捲れ上がっていることに気づいた。
腕を掴まれたままなので、片腕では押さえきれない。
「お、降りて下さい!」
「うるせぇな、ちょっと黙って……」
振り返った彼も私のスカートが捲れていることに気づいたようで絶句する。
そういう文化はないので、スカートの中にスパッツなどは履いていない。
突如、足にあった風が消え私の身体はそのまま地面に落下する。
「……っ!」
声にならない悲鳴を上げ思い切り目を瞑ったが、いつまでも衝撃が来ないので恐る恐る目を開けた。
(空……)
そっと背中と両膝裏が何かに触れ、レオ様が私の顔を覗き込むのでそれが彼の腕の中なのだと知る。
彼は何も言わずに私の足を地面に下ろして立たせると、そっぽを向いて黙り込んだ。
月明かりしかなくても分かる、顔は見えなくともレオ様の耳は真っ赤だった。
(そんな反応をされると、こちらも恥ずかしいのですが)
こちらを向くことはないまま、声だけが聞こえてくる。
「そういうつもりじゃ……。悪かった」
「いえ、風で捲れることは、たまにあることですし、事故といいますか」
再び訪れる沈黙、レオ様は一向にこちらを向く気配がない。
(気まずい……。ですけど、こんな反応もされる方なんですね。
少し親近感がわいてしまいます)
「レオ様、どこへ向かうおつもりだったんですか?」
尋ねると彼は無言で指さす。先にあるのは学内にいくつかある内の一つのカフェだった。
「えっと……、今は開いていませんよね?」
「ついてこい」
小さく呟いて歩き出したので、私も後に続く。
真っ直ぐカフェまで歩いて、裏口へ。
そこにあった古めかしい扉を四度ノックして指で何かを描くと、カチャと内側から鍵を開けるような音がした。