12章 一つの空席
(あれ、一つ空席がありますね)
今まで前の席の二人にばかり注目していたため気づかなかったが、レオ様の通路を挟んで左隣の席には誰も座っていない。
(あの席は確か……、ウィルム様の席)
(どうして、いらっしゃらないんでしょう?)
ネックレスとしている鍵を制服の上から握り絞めるが、不安の渦は一向に納まる気配がない。
「ウィルム君だけはぁ、体調不良で来週からになるけど。他のクラスメートことはさっさと覚えるのよ。
クラス対抗の行事もあるんだから」
(体調不良、それも来週からって。一昨日お会いしたときは、どこも悪そうではなかったのに)
胸がざわついてどうにも押さえきれず、授業終了の鐘が鳴り先生が廊下へ出たときに後を追った。
「ジョリア先生、あの、質問してもよろしいでしょうか」
「んー?」
首を傾げながら振り返った先生が、私の顔を目にした途端にんまりと笑う。
「ウィルム君のことかしら?」
当然のように言い当てられ、はっと息を呑んだ。
頭が真っ白になり、何も言葉を発せなくなる。
数秒後、友人でもない私が彼のことを尋ねるべきではないと気づいたが、すでに肯定に取れる反応をしてしまっていたので素直に頷いた。
「……はい」
「ふふっ、やっぱりねぇ。あなたウィルム君のお休みの話をした途端、真っ青になってたもの。
だから、私も何か知っていたら話したかったんだけどぉ……。
ごめんなさいね、体調不良としか学園には連絡が来ていないのよ」
「そうですか」
「でも、来週から行けるとは言っていたからそんなに心配しなくても大丈夫よ。
そうだ、お休み中のノート、ウィルム君の分もお願い出来ない?
必要なプリントは私が彼の分もまとめておくから、学園に来たら一緒に渡してあげて」
「いえ、でも私は……」
「よろしくねぇ」
私の言葉を遮りそう言って、先生はひらひら手を振りながら歩いて行ってしまった。
(ここで強くお断りするのも、不審に思われるでしょうね)
「マリィ、先生に用があったの?」
背後からお嬢様に声をかけられる。
「はい、少し授業のことでお尋ねしたいことがありまして」
「まだ授業は始まってないのに? 本当にあなたって真面目ねぇ」
「いいえ、そんなことは……」
(だって、今も嘘をついていますし、少なくとも誠実さは欠片もありませんね。
……せっかくですから先ほどのノートの件、利用させていただきましょう)
「質問をしたときに、先生に一つ頼まれ事をされまして。
私一人では大変なので、出来ればお嬢様にもお手伝いをしていただきたいのですが」
「構わないわよ。頼まれ事って?」
「お休みされているウィルム様の分の授業ノートを取ってほしいとのことでした」
「へぇ、そうなの。でもたしかご兄妹のナーニャ様は来ていたし、彼女に頼んだ方が良い気がするけど」
(それもそうですね。というより、始めから先生ではなくナーニャ様に確認すれば良かったです。
私がウィルム様を気にしていると、先生に印象づけることになってしまいました)
(まぁ、今さら後悔しても遅いですし、
ナーニャ様にはお嬢様とウィルム様のご交流のためだと説明しても問題ないですから、
ノートの件は、やはりお嬢様と一緒に進めることとしましょう)
(シナリオ外でも、交流は多い方が良いでしょうし)
「私もそう思うのですが、一度引き受けてしまった手前他の方に全てお任せしてしまうのは気が引けて」
「あなたの性格ならそうよね。
分かったわ、あなたの方がノートを取るのが上手そうだけど、私も出来るだけ協力するわね」
「ありがとございます!」
(後でナーニャ様にもお伝えしておきましょう。ウィルム様のご容体もお聞きしたいですし。
あくまでついで、攻略対象の方だから確認するだけですが)
この日は三限予定されており、一限目が入学式で今は二限目の学園の説明が終わったところだ。
「ちょっと、お手洗いに行ってくるわね」
「では、私も……」
反射的に言葉が出たが、途中で気づいて口を噤む。
「私は、教室でお待ちしていますね」
「ええ、分かったわ」
お嬢様を見送り一人教室に戻った私は、ナーニャ様の席に視線を向ける。
ちょうどこちらを見ていた彼女と目が合い、彼女の方から私に近づいてきた。
「こんにちは、確か以前の舞踏会でお会いしたことがありましたね。
改めまして、私はナーニャ=アヴェリテリスと言います」
(ナーニャ様はふわふわしていらっしゃるので少し心配していましたが、無用なことでしたね。
親しくない体で、演技をして下さるようです)
「王女様からご挨拶していただき、申し訳ありません。
私はマリィ=ルメリア。ミレア=マレディス様の従者として入学しました」
「そうなんですね。改めまして、よろしくお願いいたします。
王女といっても学園内では王族ではなく、ただの生徒ですので。お気になさらないでください。
私の席に来て少しお話しませんか?」
「はい、是非」
ナーニャ様の席まで歩き、彼女に促されるまま隣のウィルム様の席に腰掛けた。
「今日はお兄様と一緒に学園に来る予定だったですけれど、お兄様が今朝急に具合が悪くなられて、
一人になってしまって凄く心細かったんです」
そう言いながら、一枚の紙を差し出す。
『お兄様は本当はお元気です。ただ、今朝突然入学は来週からにしてほしいとおしゃって。
昨日猫ダルマさんを見かけたので、何か連絡を受け取ったのかもしれません。』
私が小さく頷くと、ナーニャ様はさりげなく紙をノートの間に挟んだ。
「そうなんですか、私で良ければ仲良くして下さると嬉しいです」
「はい、是非仲良くして下さいませ」
(猫ダルマ……、私の元へは来ていません。
なぜウィルム様の元に現れたのでしょう)
「あら、マリィ。ナーニャ様とお話していたのね」
振り向くと、そこにはお嬢様が立っていた。
「はい、先ほどのノートの件でナーニャ様がご用意されるおつもりなら不要かと思いまして。
今、確認をしようとしていたところです」
「ノート、ですか?」
ナーニャ様が首を傾げる。
「はい、私が廊下で先生とお話したときに、ウィルム様用のノートを取って欲しいと頼まれまして、
それをお嬢様にもお手伝いいただこうとしていたのですが……」
音を立てて手を合わせ、ナーニャ様が瞳を輝かせた。
「まぁ、それは大変ありがたいお話ですわ。私はノートを取るのが遅くて、
自分のもので手一杯になってしまいそうでしたので。よろしければ私も一緒に、
三人で用意しませんか?」
「よろしいんですか?」
と、尋ねるお嬢様。
「ええ、それと、私はこの話し方が癖になってしまっているのですけど、敬語は不要です。
どうぞ、ナーニャとお呼び下さいミレア様。
私は男兄弟の仲で育ちまして女の子の友人も少ないので、是非仲良くして下さい」
「でも、さすがに王女様相手に呼び捨てはちょっと……」
「いえいえ、是非」
「そう言っていただけるのは、有り難いんですけど」
「是非、あと敬語もお止めくださいね?」
繰り返される是非に、何か圧を感じたお嬢様が頷いた。
「え……、ええ。それじゃあそうさせたもらうわね、ナーニャ」
「はい、ミレア様」
少し顔を引きつらせて言うお嬢様に対して、ナーニャ様は満面に笑みで答える。
(意外と押しが強いんですね、ナーニャ様。
お嬢様と一緒に、と提案してきたということは、ナーニャ様はライバルポジションであっても
対立するような、台本ではないということなのでしょう)
(となると……)
席順のプリントに記載されていた、ソリア様の席を見やる。
彼女の席は廊下側から三列目、一番後ろの席の左側。
隣の席の女子生徒と楽しそうに会話をしていた。
(ソリア様は対立することになるのでしょうか。
余計なことはしてはいけませんし、そういった情報は確認したいところですが
台本に他言無用と記載されていましたから、こちらからは聞きにくいですね)