2 急襲する牙
とんでも発言だ。にわかに信じられないが、しかし現に目の前ではありえない光景が繰り広げられている。
これは悪い夢だろうか。まさかフィクションでよくある、剣と魔法の世界に転生した、なんてファンタジー展開が俺の身に降りかかったというのか。これから俺はとんでもなく強力な能力を与えられて、異世界を救う英雄を目指さないといけないのか。面倒にもほどがある話だ。
馬鹿らしい。そう口を開こうとした刹那、先手を取ったのは七咲だった。
「アンタ何者? 八神くんから離れなさい!」
七咲は威嚇するように言うと、手のひらを白の少女に向けて何やら唱えるように口元を動かす。
「――ラキエル・エル・ボゥル……!」
ぼうっ、と白い光が彼女の手のひらに集まると燃え盛る球状の火が生成された。そのまま火球は勢いよく白の少女に向かって射出される。
「……無駄」
キィン!
ボゴォン!
白の少女が剣と化した腕を振る。容易く剣で火球を切るように弾き、行くあてを失った火球は離れた地面に吹き飛ばされた。火球には相当なエネルギーが篭っていたのか、地面に着弾した瞬間に小爆発した。
「うぉっ……!」
幸い距離があったため熱さ等は感じないが、俺は腕で爆風を防ぐ。
なんだこれは。いわゆる魔法というやつか。あんなものが人間に当たったら一溜まりも無い、死んでしまうじゃないか。
目の前の光景が未だに理解できない。本当に俺は、異世界に来てしまったのか。
「クッソ! 何よあの腕! 何でラキエルの法が物理で弾かれるっての!?」
どうやらあの攻撃が防がれたのは七咲の想定外だったらしく、眉を寄せながら舌打ちすると懐から短剣を取り出し白の少女へ向かって走りだした。白の少女は応戦するように剣を向け真っ赤な瞳で七咲を捉えた。
「八神くん、離れて!」
「え?……あ、ああ!」
ハッとする。白の少女の視線も腕も、七咲に向いている。七咲には悪いが、こんな戦いに参戦する気など更々無いし、怪我もしたくない。逃げるならば今がチャンスだ。俺はもつれそうになる足を気合で動かし、なんとかその場から離れる。しかし。
「なっ……んだこれ!こいつ、本当に俺の影の中にっ……!」
俺が走りだしても、白の少女との距離が離れない。どこへ向かおうが少女は俺の影の中から上半身を出している状態で、そのまま付いてくるのだ。俺が動けば、影も動く。影の中に潜む彼女からは離れられなかった。
「マヒロ。逃げなくていい。アヤカは敵じゃないから」
少女がぽつりと言うのが聞こえた。アヤカ? ああ、七咲のことか。
「んなこた分かってる! 俺はお前から逃げてんだよ!」
当然。何を誤解してるんだこの真っ白少女は。どう考えてもお前が敵だろうが。
「……?」
きょとんと首を傾げる少女。俺の言うことが理解できていないらしい。振り返って影の中から顔を出している少女を見ると、やはり腕が剣に変形したままだ。怖い、怖い。
「どうして私から逃げるの? 私はマヒロを助けにきた」
その言葉を聞き俺は足をはたと止めた。一度頭の中を整理したいからだ。
「……助ける? 俺を?」
「そう。マヒロがこの世界に存在するのは何かの手違い。でも、アヤカが言っていることは本当。マヒロはこの世界に来てしまった」
「それは、さっき聞いた。で、お前はなぜ俺のことを知っている? というか、何で当たり前のように俺の影から語りかけて来ているんだよ」
やはり言っていることが理解できない。こんな特殊な見た目をした少女とは面識が無いはずだ。この世界に来てしまった? なぜ? 手違いって、誰の? 世界を管理する神様がいる、なんて言い出すつもりか?
「それは……」
「キャアアアアアアア!」
「!? 七咲っ!?」
白の少女の言葉をかき消すように響く悲鳴。これは七咲の声だ。
そういえば、結構走ってきてしまった。七咲の姿は見えない。ただ事ではなさそうな悲鳴だ。
「アヤカが危険。マヒロ、アヤカを助けに行く」
「はぁ!? 何で俺が!?」
「…………」
「っ……わかったよ! 行けばいいんだろ、行けば! わかったからその物騒なモンしまえよ!」
少女に、まっすぐな視線で見つめられ思わず溜息をつく。少女がコクッと小さく頷くと腕の変形を解き、ひらひらと手を振って元の人間のフォームに戻ったことを示した。それを確認してから俺は踵を返すと、先程七咲と居た場所の方へと走り出した。
勘弁してくれ。あんなとんでもない魔法を使った七咲を助けるって。俺に何が出来るんだよ。絶対俺の方が弱いぞ。運動だってそんなに得意じゃない。面倒くさい。
……が、内心では分かっている。あまり面識が無いとは言え、クラスメイトの悲鳴を聞いてしまった。何があったのか心配になるのは、人間として当然のことだろう。俺に出来ることなど恐らくひとつも無い。だが、俺はこの状況を放っておけるほど冷酷な人間でもない、らしい。
「七咲!」
「八神くん!? どうして戻ってきたの!?」
先程の場所へと戻ると、七咲の周りを大型の狼が取り囲んでいた。ボサボサで太い毛で覆われ、鋭い眼光で七咲を睨みつけながらグルルルル、と喉を鳴らし威嚇する狼たち。
6、いや7頭か。七咲の逃げ場をなくすように円形に取り囲んでいる。
「アオオォォォォォン!」
狼の一頭が俺に気付くと此方を睨みつけて鳴き声をあげた。こんな凶暴そうな狼は見たことが無い。俺は思わず後退りしてしまいそうになる。
「くっ……! 七咲、何だよこいつら!」
「ラースウルフよ! 何でこの森に中型魔物が……!」
魔物? 本当に実在していたのか? 未だに信じられない。
だが、何となく感じる。何かどす黒く、気持ち悪い気配。俺たちに向けられる明確な殺意。ただの動物ではないことは感覚で伝わってくる。
「ここから離れて街へ逃げて、八神くん! 私がこのまま引き付けるから!」
「何言ってんだ! 七咲が死んじまうだろうがっ!」
「はあ!? アナタ、魔法も道具も、何も使えないでしょ!? 私が気を引いてやるって言ってるんだからとっとと逃げろよ!」
七咲の怒号。あんな乱暴な口調をするなんて初めて知った。
俺もなぜ引かないのか分からない。魔法も使えないし、動物を狩ったこともない。だが、目の前で女の子が危機に晒されているのに大人しく引き下がることができなかった。
「グルルルルルル……!」
「アオォォォン!!」
「……ッ! きゃあ!」
そうこうしている内に3頭が七咲に飛び掛った。「鋭利」などという表現を超えている、極太で鋭い爪。肉を食いちぎる為に進化したのであろう凶悪な牙を向けて七咲に襲い掛かる。
ふと、回避しようとした七咲が足を雑草に引っ掛けてその場に転げ倒れた。横転した七咲の上を飛び越えるラースウルフ達。たまたま姿勢が低くなったことで回避できたらしい。
よく見ると、彼女の足首からは血が流れていた。牙が食い込んだような傷跡がある。ラースウルフに噛まれたのだろう。
その場に倒れこんだ彼女にじりじりとラースウルフ達が近寄るが、七咲は痛みをこらえるように歯を食いしばっていた。
「クソッ……! おい、お前!」
俺は足元の影に潜む白の少女を呼ぶ。このまま見過ごすことが出来るか、こいつならあのクソ狼共も倒せるだろう。
いや、どうもこいつは俺の影から出られない様子だったし、どちらにせよ俺が奴らに近寄らねばならない。こいつの強さがどれ程か分からない以上、それもリスキーか。
……そうだ、俺が本当に異世界に転生したというのならば。何か能力は無いのか。魔法だったり、何かしらの特技。何やら神からとんでもないチート能力を授けられて、無双する展開。そういうものがあるのが異世界転生モノの定石だろう。
「お前、じゃない。私はユア。何、マヒロ」
「ユア! 俺はこの世界に転生したんだろ!? 魔法は使えないのか!? この際何でもいい、あいつらを倒せるようなやつ!」
「そんなモノ無い。前の世界と変わらない。マヒロは何も持たない人間」
……は?
オイオイ、そんな無慈悲なことがあるか?異世界転生したんだぞ?
何も与えられていない? 魔物が普通に存在するような世界で、無能力? 魔法も使えない? 元いた世界の俺と同じ?
絶望に言葉が詰まる。冷や汗が止まらない。そうだ、これはフィクションとは違う。現実なんだ。例え異世界が存在したとしても、特別な能力が授けられるなんてルールは無い。
俺は、俺でしかないのだ。今までの俺と変わらない、何も出来ない、普通の……。
「……あ、でもひとつだけ。マヒロが元々持っている才能があった」
「っ! 本当か!? 何だそれは!?」
眼を見開く。やっぱりあるんじゃないか。一体どんな能力だ。大魔法か? 近接戦闘能力か? もったいぶるな、早く教えろ。
「私と、ひとつになる能力」
「……は?」




