1 仮装と、銀剣。
「ん……うう、ここは……」
目を覚ますと、頭が大分すっきりしていた。余程深く眠っていたのか、それなりの満足感を得たまま睡眠から覚醒した。
瞼を開けると、見覚えのない光景。視界を囲むのは葉を沢山つけた大きな木々、木々。ここは森の中か？
気がつくと俺は冷えた地面の上に仰向けで倒れていた。よく眠れた満足感こそあれど、まだ寝ぼけているのだろうか。確か授業を受けていたはずで、ここは一体どこなんだ。
「いって……」
上半身を起こそうと腕に力を入れると全身に痛みが走った。身体に目をやると、どうも腕や足の所々に切り傷が出来ている。紙か何かで軽く切り付けられたような傷の痛みが、チクチクと全身を覆った。
よぼよぼと何とか身体を起こしつつ、とにかく状況を把握するべく周囲を見渡す。感高い鳥の囀り、見たことの無い丸々と太った赤い実をぶらさげる大木。キーキーとなにやら小動物か何かの鳴き声が聞こえてくる。
……うん、何とも自然豊かで良い場所だが。
いくら寝相が悪い俺でもこんな見たことも無い森の中で彷徨うような夢遊病に苛まれてはいなかったはず。
自分の記憶の曖昧さに若干の恐怖を覚えるが、足を動かし森の中の散策を始めた。
人の手で整地が行われていないのだろうか。背の高い雑草が多く行く先の通せんぼをされる。俺は溜息をつきながら手で雑草を掻き分けて森の中を進んだ。
もっとも、方角がわからないので、進んでいるのか後退しているか判断に困る所だが。
と、そこに。
――ガサガサッ。
前方の草むらから音が聞こえた。俺より高いくらいの背丈の植物たちが邪魔でよく見えないが、生き物の気配がする。これは雑草を踏み歩く音か？人間？熊？
耳を澄ませながら恐る恐る植物に近寄ると、目の前でその植物たちが掻き分けられひょっこりと少女の顔が覗き込む。
「……え？ ちょ、えっ！？ 八神くん！？」
その少女は俺の顔を見るや否や大きな声で叫んだ。突然植物が掻き分けられるもんだから、お互いの顔が至近距離にある。だからこそ彼女の顔をはっきり視認できた。
声の主は何やらとても驚いているようだが、まあそれはそうだろう。というか俺も驚いている。
俺は彼女の顔を数秒見つめた後に指先で頬を掻きながら露骨に溜息をついて見せた。
「八神……真尋くんよね！？ なんで！？ どうして此処に存在しているの！？」
「落ち着け七咲。お前は今とてつもなく失礼な質問をしているが、その疑問はちょうど俺も抱いている所だ」
何とも面倒くさい展開だ。この耳にキンキン響く声の大きさも良く知っている。なぜ彼女がこんなところにいるのか。というか、彼女はとんでもない格好をしていた。頭の処理が追いつかないが、まずは彼女のことを思い出そう。
彼女は紛れも無い、俺のクラスメイトである七咲彩華だ。明るく活発で、いつも笑顔が絶えない太陽のようで……俺の天敵である存在。
誰にでも分け隔てなく接する性格と、初対面の人間にもぐいぐいと迫っていく積極性から交友関係は広いらしくクラスの人気者らしかった。
……らしかった、というのは俺が抱いている印象であり、俺自身はこんな陽キャとつるむことは無い、いやむしろ避けたいくらいの存在だ。拗らせている俺は、とても苦手なタイプなので学校では全く関わりを持つことはしなかった。
で、その美人で人気者のクラスメイトがなぜこんな森の中にいるのか。魔法少女のようなコスプレをしながら。
「嘘でしょぉ！？ こんな偶然ある！？ 何で……しかもよりによって八神くんって……！」
「よりによって、とは随分な言い草だな。俺に何の不満があるんだよ」
彼女の全身を一瞥する俺の視線を見て、七咲は頭を抱えていた。やっぱりコイツ苦手だ。
……そう、それよりも。
「ところで、七咲。なんだその格好」
「いやああぁぁ！ 触れないで！ 分かってる、八神くんが言いたいことは分かっているの！！」
露出の多いピンク色のフリフリをあしらった、さながら深夜アニメの魔法少女のような格好をしている七咲の姿に、普段制服姿しか見たことが無い俺は冷静さを装いつつも結構動揺していた。
ここがどこなのか、なぜここに彼女がいるのかという疑問は残るが、反応を見るにどうやら俺はよろしくない状況で七咲に遭遇してしまったみたいだ。
なんと声を掛ければ良いか迷っているうちに産まれる、両者間の微妙な「間」。沈黙が数秒続いた後、頭を抱えしゃがみこむ彼女は俺の反応を窺うように、上目遣いでちらりと此方を見上げた。
「……ちょっと、なんか言ってよ。逆に恥ずかしいじゃない」
喚き止んだかと思うと間合いを計る猫のような慎重さでぽつりと漏らした。
「あ、うん。なんつーか、その。楽しんでいるところ邪魔したな。それじゃあ」
「だから！ コスプレ趣味な訳じゃないからね！？」
あまり詮索するのも無粋というものだ。俺にだって人には見せられない娯楽の一つや二つある。それに俺たちのような高校生ならばなおさらだろう。触らぬ神に何とやらという言葉もあるし、何より話がこじれるのも面倒くさかった。
なんとなく気まずさを覚え、俺は踵を返すが、肩をがっしりと力強く掴まれた。
「待って！ 弁明させて！ これは違うの！」
「違うって、何がだよ」
「衣装！ これ、違うから！ 私の趣味なんかじゃないんだから！ 勘違いしないでよね！」
なんだそのツンデレみたいな言い回し。とは言え魔法少女の姿で赤面しながらだと中々クるものはあった。いかんいかん新たな扉を開いてしまう。
「そうか、俺は結構好きだけど。それじゃあ」
「だっっっから待てっつの！！」
フォローを入れたつもりが逆効果だったようで、俺の肩を掴み手はより一層力を増した。痛い痛い。
「ていうか八神くん、何だか帰りたそうにしているけれど。こんな所で何をやっていたの？」
お前に聞かれる筋合いはねーよ。と言いたかったが険悪なムードになることはさすがの俺にも予想は出来たので、適当に質問を考えて投げかけておこう。
「わからん。俺が聞きたい位だ。つーか、ここ何処なんだ？ 学校の授業はどうなった」
「ふふ、何それ」
笑われた。頭のおかしいやつだと思われることは承知だったが、お互い様だろう。
「あ」
しかし彼女は俺の身体を見てなにかに気付いたように目を見開く。
「あー、学校の制服、か。そっか、八神くんは転生してきたばかりだったのね」
「は？転生？」
眉を顰める俺を意に介さず彼女は得意そうに言葉を続ける。
「ここはシードラの森よ。災いの森……なんて呼ばれているわね。通称は物騒だけれど、魔物は少ないし薬草集めには便利な場所なのよね。マナが豊富なせいか草木が異様に発育しているのが面倒だけれど」
「なあ、真面目に答えてくれ。結構困ってるんだ。俺をコスプレの趣味に付き合わせるなよ」
七咲は何を言っているんだ。シードラ？ 魔物？ まさかこの明朗快活そうな女からそんなファンタジックな言葉が飛び出すとは。まさか俺と同じ妄想癖があるのか？彼女はムッとして此方に向き直る。
「だから、やめてってば。ていうか私はいつでも大真面目」
びしっ！と指先で対応に困っている俺を指し、七咲は咳払いひとつしてから高らかに言う。
「八神くん。此処は私たちが元いた世界とは違う世界よ。八神くんは異世界に転生したの！」
「異世界……転生！？」
おいおいおいコイツ極まってるよ。まさかここまで痛い女だったとは。なぜか此方が恥ずかしくなり、俺は片手で目を覆う。
「……なんて、驚くかよ。いい加減にしろよ、七咲」
「待ってって。こっちの世界に転生した自覚をしたばかりなんでしょう？ 八神くんからは魔力も感じないし、一人でほっつき歩いてたら魔物に襲われて死んでしまうわ」
「しつこい。もう俺に関わるな。コスプレ趣味のことは誰にも言わないでやるから」
「だから違っ……何で信じてくれないのよ！」
再び涙目になる彼女。指摘するとそんなに恥ずかしがるのになぜ設定を貫こうとするんだ。
イラつきが積み重なり彼女を無視して場を後にしようと背を向けた瞬間。
「無駄。マヒロは言葉だけじゃ信じない。一度死にかけないと耳を貸さない」
七咲の声では無かった。か細い、淡々とした少女の声だ。だが辺りに俺たち以外の人影は無い。
どこから聞こえる？ 距離は近い。上か？ 周り……いや。
「……ッ！ 八神くん！ 下！！」
「なっ……」
下。
ガシッ！と何かに足首を掴まれた。足元に目をやると。
手。地面から手が生えていた。いや、正確には俺の影から細っこい腕が伸びて、小さな手で俺の足首を捕らえていた。どう見ても小さな女の子の手なのに、あまりに強い力に足が動かせない。
そのまま影からゆっくりと上半身を表した。俺の影に潜んでいたかのように。少女が現れたのだ。
腰まである長い白髪に、真っ赤な瞳。やや吊り気味の鋭い瞳は俺を捕らえている。
真っ白で綺麗な肌をした華奢な少女……小学生くらいだろうか。周りにはきらきらと輝く粒子が舞っていた。
とても信じられない光景に俺は開いた口が塞がらず、互いに見詰め合った後先に口を開いたのは真っ白な少女だった。
「……マヒロ」
俺の名だ。何か言葉を発そうと、口を開こうとした刹那、彼女の手が液体金属の如く変形し、思考が追いつかない内に鋭い剣を形取る。その切っ先が俺の首元に伸びた。僅か1秒も無いほどの出来事。
思わず、発しようとしていた言葉ごと固唾を飲む。唐突に眼前に現れた、刃。死の予感に、本能的に冷や汗が垂れる。
「マヒロ。此処はアナタが元いた世界とは違う世界。手違いでアナタは此方の世界で目覚めてしまった」
