クロエ2
「…………クロエ」
マシウスはしばし呆然としていたが、わが子の所在を確かめるべく再び階段を昇りはじめた。
<妻がいたのだからクロエもいるはずだ、もしクロエがあのような姿になっていたら……>
頭を打ったせいなのか、妻だったものを斬ったせいなのか、夢うつつのようなぼやっとした頭の中ではそのような嫌な考えばかりがぐるぐると回っており胸が押しつぶされそうになる。
階段を昇りきり、クロエの部屋へ向かうと空いた扉の隙間から横たわるクロエの姿が見える。しかも身体には黒い血管のようなものは浮き上がっておらず、健常者のものだった。
マシウスはほっとし扉を開けようとすると、部屋の中にいるもう一人の姿が目に入った。
それは黒いローブの男だった。男はフードをはずし、顔をあらわにしていた。その顔には多数の深いしわが刻まれ頭は禿げ上がり、長い顎鬚を生やしたその姿は高齢の老人のものだった。
老人は両手を掲げ、ぶつぶつと何かを呟いている。
よく見るとクロエが横たわる床には魔法陣が描かれていた。何かの儀式を行っている最中なのだろうか、マシウスは阻止すべく扉を勢いよく開けると老人に斬りかかった。とっさに避けようとするが、刃は老人の左腕を捕らえ、斬り落とす。
「大事なとこで邪魔が入ったのう……」
血をぼたぼたとこぼしながらしわがれた声を発した。
腕を斬られたというのに悲鳴すら上げなかったことに不気味さを覚える。
「お前、一体何者だ? うちの子に何をしようとしていた?」
「ふはは、お前の子だったか? わざわざお前に教える必要もないが……いいだろう、ワシの名はシルートン、お前達がナンバーズと呼ぶ者じゃよ。ワシはなぁ人間の身体を取替えながらもう千年近くは生きながらえているのだ。この身体ももうだいぶ古くなったのでな、若い新しい肉体に乗り換えようとしていたところなのじゃよ」
シルートンと名乗った老人は余裕たっぷりに語った。
「うちの子の身体を乗っ取るだと? そうはさせてたまるか!」
そう言うとマシウスは首にかけてあった笛を吹く。
「その笛はなんだ? 一体何をした?」
「教えてやる義理はない」
「寂しい話しだのう、こちらは教えてやったというのに……礼のない愚か者には死んでもらおうか? いや、動けなくして自分の子供の身体が乗っ取られる様を見せてやろうかのう、ふははは!」
シルートンは長いローブの裾からねずみを大量に発する、その凶悪な小動物たちは一斉にマシウスへと襲い掛かる。
「害す者を追い、焼き尽くせ! 探索する炎」
炎は分離し、すべてのねずみを追い燃やし尽くす。
「剣以外にも魔法も使えるのか、最近の人間は厄介じゃのう」
続いてシルートンにも魔法を発するが、魔力防壁を張っているのか、全くダメージを受けていない様子だった。
「ナンバーズって言うのは本当なようだな……」
「ふははは、そういえば数字を見せてなかったな」
そういうと斬り落とされた左腕を拾い、袖を剥ぎ取る。そこには409の数字が刻まれていた。
「409のナンバーズか……さすがに一人では無理だな」
更に魔法を放つと共にクロエの身体を抱きかかえ、窓から外へと飛び出す。
「おや、逃げてもらっては困るのう」
続いてシルートンも外に飛び出す。するとそこには数人の兵士が控えており、一斉に弓や魔法を浴びせる。
先ほどの笛は仲間を呼ぶためのものだったのだ。
「やったか?」
「影よ、命あるものに取り憑き操れ、影操作」
舞いあがった煙から地面を這って影が伸びる。その影が兵士の影にくっつくとその兵士達は近くの仲間達に攻撃を仕掛け始めた。
「影だ、あの伸びている影に炎か光を当てろ!」
すばやくマシウスの指示が飛ぶ。マシウス本人と光と炎の魔法が使える兵士達が影に明かりを当てる。途端、影が消え去り操られていた兵士達が解放される。
「すみません、みずみず敵に操られてしまいました……」
「謝罪はいい、相手はナンバーズだぞ。気を抜くな!」
「ナ、ナンバーズ!」
敵の正体を伝えられ兵士達に動揺が広がるが、それを見越してなのか、すぐさま団長マシウスの檄が飛び、士気を取り戻す。
「大丈夫だ。いくらナンバーズといっても相手は一人、しかもさっき腕を一本斬りおとしている。倒せない相手ではないぞ!」
「ほおぉ、見くびられたものだ。これしきの人数と実力でワシを倒そうというのか」
シルートンはほとんど無い歯をむき出しニッと不気味な笑みを浮かべる。その言葉通り集まっている兵士を全滅させるだけなら訳無く実行できるだろう、だが思惑は違った。
<とは言ったものの、先ほどの儀式で力の半分はあの子供に移してしまった。それにその子供は向こうの手にある。ワシの得意な広範囲攻撃で殺してしまうわけにもいかんし、こりゃ子供をさらって逃げるのが得策かのう……>
「ワシの力なら一人でこの街の住人すべてをアンデッド化することなど造作もない。お前達も先ほどまでその対応に追われていたのではないか?……だがそうだのう、取引をせんか?」
「取引だと?」
シルートンはわざと余裕があるようにもったいぶったしゃべり方をし、兵士達の動揺を誘う。そこに取引を持ち出してきた。
「そうじゃ、ワシの目当ては若い肉体だけじゃ。それでじゃ、そこにいる子をこちらに渡してくれればこの街は見逃してやろうではないか」
兵士たちの目は眠っているクロエに向けられた。だがその言葉を飲む訳がないマシウスは即座に怒号を飛ばす。
「馬鹿を言うな!わが子を差し出す親がどこにいる!」
「やれやれ、論点はそこじゃないわい。子供一人でこの街一つが助かると言っておるのだ。見たところお主が指揮をとっておるようじゃが、他の者の命や街の安全を考えなくても良いのかのう?」
「……」
マシウスの痛い部分をつき、更に揺さぶりをかける。
しばらく沈黙があったが、一人の若い兵士が声を上げた。
「み、みくびるな!団長の子供を差し出してまで助かろうなんて思ってないぞ」
「そうだ、お前さえ倒せばそれですむ話しだ!」
「住民を助けるのが我等の仕事だ」
次々と兵士達から声が上がる。
「お前達……」
「……愚かしいのう、ではお望みどおり殺してやるわい!」
シルートンの口から緑色のもやがでる。そのもやは死神のような形を成し、兵士達に襲い掛かる。
声を上げた若い兵士がその死神に斬りつけるが、元々実体の無いもの、剣も兵士の身体も素通りして飛び回る。
「ぎゃああああ!痛い……痛いー!」
若い兵士が突如叫び声を上げ始める。皮膚が焼けただれ、兵士は燃えるような痛みを全身に味わっていた。
「爛れた霊魂。それに触れたら溶けるぞい」
「魔法で相殺するんだ!」
兵士の一人が炎魔法を放つが、死神は持っている鎌でそれを切り裂く。
「無駄じゃよ、そいつ自身が意思を持っておる、そうそう相殺なんぞできんぞ」
「くっ、強力な魔力が込められている」
「光よ、その意思を持って闇を打ち払え、光の力」
次々と兵士達を襲い続け、また一人犠牲者が出ようとしたその時光の柱が緑色の死神を包むと、その中で溶けるように崩れ落ちた。
「ふぅむ、厄介な奴がきたのう」
「すいません、遅くなりました」
「ワニス待っていたぞ。よし、これであのナンバーズを倒せるな」
その魔法を放ったのはワニスと呼ばれた一人の神官だった。兵士達が本格的に攻め込まない理由はこの神官の到着を待っていたからだ。
ナンバーズは死ぬ時『呪い』を残す。その呪いを解除できるのが神官だけなのだ。
「シルートンとか言ったな?人間をなめるなよ!」




