プロローグ2
丘を下り村の近くの林の中、だんだん事態が呑み込めてきたリズは母に尋ねた。
「アルマ……アルマはどうなったの?」
「……いいから急ぎなさい!」
母は質問には答えない。
ああ、やっぱりそうなのか――
本当は尋ねる前からわかっていたんだ。
でも、それでも、『違う、アルマは大丈夫なのだ』と答えてもらいたかったんだ――
リズの目から涙が零れる。泣きながら、手を引かれながら、それでも今は走るしかなかった。
母に抱かれた三歳の弟も普段はよく愚図る方なのだが、普段とは違う空気を感じ取っているのか大人しいものだ。
それからどれだけ走ったのだろうか? 一時間にも一分感じられる中、焦げた匂いが漂い、異変に気付く。
目を凝らしよく見ると、林の切れ目にある村の方角が赤く染まっていた。日が落ち辺りが赤く染まるまでまだ時間はあるはず。
「何……が起きてるの?」
母はゼイゼイと息を切らしながら立ち止まり、何があったのかと思考をめぐらすが答えは出ない。どのみち村に戻る以外の選択肢は無いのだ。
それでも、様子のおかしい村に子供を連れていくにも、残していくにも不安が残る。それならば――
「リズ、リックをお願い。もしお母さんに何かあったらあなたがリックを連れて逃げて。弟を守るのよ、約束ね」
弟のリックをリズに預けると、母は小指を差し出した。母が子供たちと約束をするときにいつもするポーズだ。
少女はその指に自身の指を絡め約束を結んだ。
村のはずれの林の木陰から様子を伺い、親子は地獄のような光景を目にしてしまう。
「なんてこと……村が……」
親子の暮らすオホノシ村はあちこちで火の手が上がり、辺り一面が紅に染まっていた。
骨で出来たムカデのような怪物が鎌のような腕で人を襲い、芋虫のような異形が火を噴き家々を燃やしていたりと、まるで地獄のような光景が拡がっていた。
隣の家に住むおじいさん、いつもお菓子をくれる衛兵のおじさん、よく一緒に遊んだ少し年上のお姉さんとその妹でアルマと同い年の子。
小さな村なので、大半の人とは顔見知りで家族ぐるみでの交流も深い、その人たちが変わり果てた姿で倒れ、血を流していたていた。
その惨状を目にし、母が膝をつき頭を抱えた。
「ああ……そんな……わたし、どうすれば……」
そんな普段見せることのない母親の姿に不安を抱いたのか、突如リックは泣き叫び始める。
「リック! 静かにして!」
母は慌てて弟の口を塞ぎ、その場を離れようとするが遅かった。緑色の小さな魔物たちが行く手を阻む。
ゴブリンと呼ばれる子供くらいの背丈の最もメジャーな魔物だ。
「こんなとこにも隠れてやがったぜ」
下卑た笑いを浮かべ親子の方へと走り寄ってくると、母へ飛びつき押し倒すと衣服を引きちぎり始める。声にならない悲鳴を上げ、抵抗も空しく小鬼たちにされるがままだ。
「げひゃひゃ、人間の女。人間の女ぁぁ」
母が辱めを受けている間も 子供たちは恐怖で何もできないまま立ちすくみ、ただ見ていることしかできなかった。
母の上に馬乗りになっている小鬼の頭に歪な形の剣が振り下ろされ、真っ二つに割れる。
それを行ったのは全身が短い金色の毛並みで覆われた、二本足で立つ獅子の顔を持つ魔物だった。その胸には『331』と数字が刻まれている。
「お前たち何をしている? 我々には『血』が必要なのだ、遊んでる暇などない、散れ! ゴミども!!」
緑色の小鬼たちは蜘蛛の子を散らすように散っていった。
小鬼の血で汚れた母は、その様子にわけもわからないまま茫然としていたが、獅子の魔物はその姿を一瞥すると口を開いた。
「すまなかったな、お前たちの尊厳を奪うつもりはないのだ……少なくとも我はな、あんな下劣な奴らは好まぬ。だが助かったと思うなよ、お前たちに死んでもらうことには変わりはないのだ」
それは自信にあふれた言葉だった。
生殺与奪の権利は魔物側にあり、絶対に逃れられない死を突き付ける。
「わたしたちが何をしたと……? どうか子供たちだけでも見逃してもらえませんか?」
獅子の魔物に懇願するその言葉は対照的に震えていた。
「……すまないな、せめて楽に逝かせてやろう」
無慈悲に、無残に、歪な剣が薙ぎ払われ、母の首が地面に落ちる。
「やぁぁぁぁー!!! お母さんー!!」
母の死に、無力な少女は泣き叫ぶことしかできない。
「お前たちは良い親をもったな。多くの人間を見てきたが、我が子を差し出しても自分が助かろうとする輩は少なくなかった……」
獅子の足が姉弟へと近づくと、リズは咄嗟に弟の手を取り自分の後ろへと隠す。
「短い命になるが、せめて良き親を持ったことを誇りに逝ってくれ」
獅子の魔物は剣を振り上げると、背後からリックが飛び出し蹴りつける。
「お母さんを返せ!」
「リック、ダメ!!」
リズは声を上げリックを引き留めようとするが、足が前に進まない。
獅子は自分の足を何度も蹴りつける幼子を、邪魔なゴミでも払うかのように問答無用で一閃した。
「いやぁ……リック……」
少女は泣き崩れ、へたり込んでしまった。
「本当は先にお前に死んでもらうつもりだったのだがな。肉親を殺され最後に残される気分はどうだ?」
リズは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を上げ獅子を見つめ、何を言っているのかと困惑した。
「親しいものを見送るのは気分の良いものではないな? そうさせたのはお前がこの幼子を守らなかったからだ。お前が勇敢にも守っていたのなら、今死んでいたのはお前で、幼子はわずかな間でも生きれていたのだ。一秒でも一分でも生きることができた。この幼子を先に殺したのはお前だ」
理不尽な話だと思った。どちらにせよ、わたしもすぐに殺されるのだ。どちらが先かなんて関係ない――
「弱さは罪と知れ!」
獅子は大きな剣を振りかぶる。
わたしも殺されてしまうの? 今日は家族で楽しいピクニックになるはずだったのに、どうしてこうなったの?
母や弟のように剣一振りで呆気なくこれまで生きた八年が理不尽にも奪われる……
嬉しかったことも、悲しかったことも、全部、全部なくなっちゃう!!
そんなの嫌だ! 怖い! 死にたくない! やりたいこともたくさんある。
村を出ていろんな街を見てみたい。お母さんと一緒にやっている趣味の押し花アート、もっといろんな作品を作りたい。
大人になって、恋愛も結婚もして、子供を産んで、最後は家族に囲まれて死んでいくのが普通だと思っていた。
今までやってきたことも、これからの未来も奪われ、意味もなくあっさりと殺されてしまうなんて絶対に嫌だ!
時間の流れがやたら遅く、剣を振り下ろす獅子の動作がスローモーションのように映る。だが自分の身体は動かない。剣が徐々に近づいてくる。
もう駄目だ――
そう思った瞬間、大きなものに包まれる。気が付くと女の人の顔が近くあった。
「大丈夫?」
桃色の艶やかな長い髪、鼻をくすぐるほのかな香り、すんなりと耳に入ってくる声、整った顔は凛々しく、どこか男性のようでもあり、美しくも中性的な魅力のある女性だった。
間一髪のところを助けられたのだろう、抱き抱えられ、さっきいた地面には大きな剣がめり込んでいた。リズは女性の問いに言葉なく頷く。
「お前、ただものじゃないな? 動きが見えなかったぞ」
地面にめり込んだ剣を引き抜きながら獅子が睨みを効かせ、殺気を放つ。
「少し待っててね」とリズを降ろすと桃色の髪の女性も鋭い眼光を飛ばす。
「そっちこそナンバーズか? 名前は?」
「我が名はリオルグ! お察しの通り『331』の数字を与えられているナンバーズである! そちらも名乗られよ!」
「わたしの名前はユリ・アルカディア。 少しはそっちにも知れた名だと思うが?」
女性の名を聞くなりリオルグの目の色が変わる。
「お前があのアルカディアか!? こんなところで会えるとは……ああ、今日は良き日だ!」
「こっちは全然嬉しくないけどね。これだけ多くの人々が殺されはらわたが煮えくり返る想いだよ!」
ユリと名乗った女性は剣を抜き素早く斬りつけてゆくが、リオルグも大きな体躯の割には動きが素早く、斬撃を防ぐ。
「さすがナンバーズといったところか、光の環」
ユリが魔法を使い、光の環が放たれるとリオルグの身体を切り裂き傷をつける。
獅子は足れた血を舌で舐め拭った。
「人が単体でナンバーズと渡り合うとは、『さすが』とはこちらの台詞よ!」
舐めた傷が治癒してゆく様がユリの目に留まる。
「傷が!? それがお前の能力か?」
「いかにも。我が唾液は傷を癒す効果がある」
「全く、お前らはどいつもこいつも便利な能力持っていて羨ましい限りだよ」
今までも同じような敵と渡り合ってきたのだろう、ユリは呆れ顔で毒づく。
「じゃあチマチマと小技を出しても意味がないということだな? 次の一撃で決める!」
「その切り替え、潔し!! 我も応えよう、猛火の終焉」
ユリの剣に光が集まり、リオルグの身体と剣が炎に包まれる。それは陽が傾き紅く染まり始めた周囲を眩く照らし出していた。
リズはあまりにも非日常な光景にただ茫然と息をのむことしかできなかった。
そして美女と野獣ともいえる双方が動き出す。
「断罪の光剣!!」
「猛火の滅剣!!」
リオルグが身にまとっている炎の熱がユリの身を焦がす。それでたじろぐ様なら勝敗は獣の方に上がっていただろう。
しかし小柄な女性は身が焼かれることにも、体の大きさが倍以上もある相手にも臆することなく立ち向かい、リオルグの剣よりも先に光の剣を振るう。
燃え盛る獣は額から一刀両断、真っ二つにされ不思議な光に包まれていた。
崩れ落ちる肉塊の傍らには真っ赤な夕焼けに照らされ、紅く輝くユリの姿あった。
その光景はリズの心にも深く刻まれることとなる。
「ねぇ、君大丈夫だった?」
ユリに話しかけられ、見惚れ、呆けていたリズは我に返る。
「……うん、で、でもお母さんとリックが……」
辺りを見回し、無残な姿の遺体を一瞥したユリは事情を察す。
「ごめんね、わたしがもう少し早く駆け付けていれば、あなたの家族も守れたのに……」
リズからは見えない方向へ顔を向けていたのでどんな表情でその言葉を発したのかはわからない。
『家族』という言葉でまだ丘の上にいるだろう、父親のことを思い出し小さな指で丘の山頂をさす。
「お父さん……お父さんがいるの。丘の上に……」
「そう、すぐに仲間を向かわせる」
そう言うとユリは手を差し伸べる。意図が読み取れずまごまごとしているとやさしい声が響く。
「ほら、いくよ。早く」
まるで母のようだった。
そのどこか安心できる言葉でユリの手を取ると、桃色の髪の女性は微笑み、歩を村へと進めた。
そっちにはまだ魔物たちがいる。
そう言おうと思った瞬間、多くの人々の姿が目に付いた。
それぞれが剣や槍、斧などの武器を持ち、武装し、魔物たちを殲滅していたのだ。その中の一人の男に声をかける。
「生存者はいたか?」
「ユリさん、どこいたんですか? また一人で突っ走って……あれ、その子は生存者ですか?」
リズの存在に気が付いたその男はバツの悪そうな顔をして続ける。
「残念ですが、生存者はいません……」
「そう……この子の父親が丘の上にいるみたいなの、まだ魔物たちがいるかもしれないから何人か連れて捜索に向かって!」
「はい! 直ちに!」
そのやり取りからもユリがそれなりの立場にある人物だということがわかる。このような女性は小さな村にはいないだろう。
田舎の少女はこの恩人に強い憧れを抱かずにはいられなかった。