【三題噺】迷子の達人 〜誰にも言えない内緒のあの子〜
三題噺
お題は「達人」「雲」「帰り道」3000文字以内
あたしは迷子の達人だ。
ここは本当にいったいどこなんだろう?
いつも通りの学校からの帰り道。
みっちゃんと話が弾んで少しだけついて歩いただけなのに、気がつくと見ず知らずの場所にいた。
迷子に気づいたのは、手を振って別れてすぐ。
なのにぐるり見回してもみっちゃんはもういない。
ついさっきまでまで一緒だったのに。
塀に登って、畦道を辿って、ノラネコみたいにして歩いてきたせい。
わかってるのに、いつもこうなってしまう。
迷子に気づくときはひやっとする。
本当に空気が湿気てて、冷たいの。
冷たい雲の中にいるみたいに、周囲に靄がかかって見える。
実際足元のカタバミの葉は、霧吹きしたように丸い粒をいくつもつけて重たげだ。
オナモミにアメリカセンダングサ。
今日理科で聞いたくっつき虫の名前。
そいつが私の服のそこかしこにくっついて、まるでハリネズミになったみたい。
こんなになってどうしよう。
一人ぼっちでどうしよう。
どんどん霧が深くなる。
空も赤く暗く濁っていく。
「秋本。なんでお前こんなとこにいんだよ。 家こっちじゃないだろ?」
見知った声がしてさあぁっと霧が晴れる。
見上げれば同級生の圭人の、日に焼けた真っ黒な顔。
「ランドセルなんか背負って、どこまで寄り道してんだ。もう5時だぜ?」
「だってみっちゃんが」
「みっちゃん?」
黄昏に埋まってしまいそうなほど真っ黒な圭人の顔に、ポッカリと白い歯が浮かんで見える。
みっちゃんが、みっちゃんと、みっちゃんって??
さっきまで一緒だったはずのみっちゃんが
塀に登るとき手を引いてくれたみっちゃんが
私の前で、手を体の左右に伸ばして畔を歩いていたみっちゃんが
バイバイと手を振って別れたみっちゃんの顔が、真っ黒に塗りつぶされたように思い出せない。
ここは見知った道。
圭人の団地のすぐ近く。
よく遊びに行く絢香の家が同じ団地にあって、私はこの道をとてもよく知っていた。
「暗いし危ないから、送ってやるよ」
圭人の提案に大きく首を振って、逃げるように駆け出した。
暗い路地。
でも私はこの道を知っているから。
脇目も振らず駆けているうち、気づくと誰かに手を引かれていた。
「一緒に帰ろうね」
軽やかな笑い声。
振り返った顔の白い歯が闇に光る。
「みっちゃ……」
そう。
みっちゃんじゃないか。
どうして思い出せなかったんだろう。
いつも一緒だというのに。
駅で迷子になった時も
ショッピングモールで一人になった時も
裏山に登って夜中まで降りられなくなった時も、みっちゃんと一緒だった。
今日も。
「もう迷子にならないでね。ずっと一緒だよ」
固く手首を掴まれて、私の胸は安心に包まれる。
みっちゃんのことは誰にも内緒だ。
話すと、お父さんやおばあちゃんがオロオロしてしまうから。
お母さんが泣いてしまうから。
みっちゃんは私が喋り始める少し前に死んだ、小さなお姉さんだ。
死んだのは散歩中に起きた事故のせいだった。
背丈ほどあるタイヤに潰されて、見るまでもなく手遅れだったんだ。
お通夜の席で私は「みっちゃん」と言ったそうだ。
まだ歩けもしないのに、写真を見てはっきりそう言ったんだそうだ。
私の、はじめての言葉。
みっちゃんが聞いたら、きっと得意げに笑ったはず。
この子が誰より好きなのはあたしなのよって、胸を張って。
お母さんが何度もこの時の話をしたせいか、私は得意げなみっちゃんの姿をちゃんと知っているような気がした。
物心ついたときにはいなくなっていた、お姉さんのことを。
雲の中を歩くように濃い霧が立ち込める。
心なしか足元がふわふわしてきた。
ーーランドセル、ピンク。
いいね。
お母さんはオレンジが似合うよって言ったけど、あたしピンクが欲しいと思ってた。
おんなじ。
あんたは、大きくなった。
あんたが大きくなったらあたし、毎日髪を結ってあげようって、楽しみにしてたのに。
あたしよりずっと大きくなって、器用になって、たくさんの友達にかこまれて。
危ないから送ってやるなんて言ってくれる、男の子なんかもいて。
それでも、あたしのこと、わすれないでいてくれる?ーー
「うん、忘れないよ、みっちゃん。忘れないから」
気がついたら玄関の前にしゃがみこんでうたた寝していた。