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どうぞよろしくお願いします。
神殿の中に足を一歩踏み入れると、周りの空気が一変するのを感じた。
自分の周りの空気を構成するものが無機質で情報のないものに変わったような感覚だった。
そして、神殿に入る前に聴こえていた虫の鳴き声なども聴こえてこないことに気づく。
(何かしら…。とても不思議。初めてのような、どこか懐かしいような…。それに、音や空気も外とは違うのね。きっとここは隔離された空間なんだわ。)
神殿は八角形で、白を基調としたシンプルな建物だが、外から見たよりも広く感じた。
最低限の装飾品は建国当時から使われている物のはずなのに手入れがされているのか、傷んだ様子はない。
窓は正面の女神像の後ろの一つしかないが、丁度満月の月明かりが差し込んでくるので、少し明るい。
神聖な空気と月明かりが相まって、無駄の少ない寂しげに見えかねない神殿内を、薄暗いながらも幻想的に見せている。
靴は神殿に入る前に脱いでしまっていて裸足で、足の下から少しひんやりとした床の感触を感じるが、不思議と冷たさは感じない。かえって足から感じる心地よい冷気が、心を落ち着かせてくれているようだった。
半歩ほど前にいるユリウスも、レティシアと同じようにどこかぼんやりとしたような、けれど感覚が研ぎ澄まされているようだった。
レティシアは手の繋がりから、ユリウスが自分と似た感覚を得ているのだと感じ取ることができた。
意識が自分に向けられていることに気が付いたのか、ユリウスは視線をレティシアに向けた。
「そろそろ始めなければね。レティ、大丈夫?」
「えぇ、大丈夫よ。なんだか全然緊張していないの。今なら長〜いお祈りの言葉も間違えずに言えそうだわ。」
言葉通り、緊張をしていない様子のレティシアが年相応な柔らかい表情で小さく笑っているのを見て、ユリウスもそっくりな笑みを浮かべ、足を正面の女神像の前に向けた。
ユリウスに手を引かれて女神像の前まで来たレティシアは隣に並んだ。そしてどちらからともなく手を離し、両膝をついて跪き、女神像に向かって手を胸の前で組んだ。
王族が両膝をついて跪くことなどそう多くはない。
王族の節目の儀式の際には、最大限の敬意を表すためにか、このように祈るのだ。
実際のところそのように決まっているのでそうしている というだけでそこに対して疑問を持ったことなどない。
儚げで淡い色彩を持ち、幼さいながらも洗練された空気を持つ2人が女神像に祈る様子は、まるで女神に仕える妖精のようだった。
目を閉じてゆっくりふた呼吸ほど意識を集中し、2人は声を揃えて祈りの言葉を紡ぎ始めた。
祈りの言葉に呼応するように、2人の周りにそれぞれ淡い光を放つ魔法陣が発動し、段々と光が強くなりながら描かれていく。
最初は2人の体の周りくらいから始まった魔法陣が、両手を伸ばしても届かないくらいに大きくなって、さらに形がはっきりとしていった。
半分以上魔法陣が完成したところで、何か空気に違和感を感じ始めた。
(何かしら。揺らぎを感じるわ…。儀式が進んでいるということ…?)
違和感を、魔法陣が完成に近づいているから及び始めている影響だと考え、再度詠唱に熱中する。
最初は白かった光が、薄い黄緑に変わり、新緑のような色まで変化していった。
8割ほど魔法陣が完成したところで、突然耳の奥がピリピリとした感覚を捉えた。
(何かおかしいわ。これは魔法陣ではなく、この神殿の結界に変化が起きている気がするわ。)
詠唱を続けながら、意識を少しだけ思考に割き、少し目を開けてユリウスの様子を伺うと、同じように違和感を覚えてこちらの様子を確認しているようだった。
目があったけれど、ユリウスは目を再度閉じて詠唱を続けた。
(とにかく中断するわけにはいかないもの、このまま完成させなければ。)
結界がピシピシとした嫌な音を立てているのが聞こえてくるが、途中で止めるわけにはいかなかった。
儀式を中断した例など聞いたことがないし、どうなるかなどわかるはずもない。
どうなるか分からないというリスクを背負うよりもほとんど完成している魔法陣を作り終える方を選んだ。
もう一度目を瞑り、急ぎながらもしっかりと祈りの言葉を紡ぎ、レティシアは魔法陣を完成させた。
「女神ルシアよ我が祈りを聞き届け賜え。我が名はレティシア・ルーリス・ガラナテス」
レティシアの言葉に応えるように、レティシアの魔法陣はキラキラとした強い光を放ち、天井に伸びて行く。
「女神ルシアよ我が祈りを聞き届き賜え。我が名はユリウス・ルシリス・ガラナテス」
少し遅れて完成させたユリウスの魔法陣も、同じように強い光を放ち天井までゆっくりと伸び始めた。
その瞬間、ユリウス達は、もう耐えきれないというように神殿内の空気がまるで音を立てているようにひび割れて壊されて行くのを感じた。
入った時には研ぎ澄まされたいた空気が段々と揺らいでいる。
「ユリウス!」
明らかな異常事態に目を開けて、隣にいるユリウスに声をかけたレティシアにユリウスは冷静に返した。
「まだ動いてはだめだ。魔法陣はまだ消えていない。儀式がきちんと終えるまで見届けないと。」
ユリウスの声は冷静に聞こえるが、表情や声色から、彼も焦りを感じているのだとレティシアにはわかった。
それ以上は声をかけず、黙って魔法陣の中に留まり、ゆっくりと魔法陣が床から消え、光が天井、延いてはその上に伸びて行くのを見つめた。
(そうね。終えるまでは何もできないのだから、最後まで意識を集中させて心から祈りを捧げましょう。)
その間にも、神殿は空気だけでなく建物自体が軋んでいるのが見て取れるようになった。
白い壁には亀裂が入り始め、女神像の後ろの窓は強風でも受けているかのように、カタカタと音を立てている。
レティシアの魔法陣から伸びた光がほとんど消えたその時、ついに神殿内が崩壊を始めた。
燭台は倒れ、壁にかかっていた装飾品は床に音を立てて落ち、縦に亀裂が入った大きな柱はぎりぎりのところを保っているが、大きな揺れが来たら耐えられそうにない。
レティシアの魔法陣が完全に天へと昇って消え、レティシアの体は淡い光の粒が纏い始めた。
ずっと両膝をついて祈りの姿勢をとっていただけでも疲れるのに、長い祈りの言葉に、長時間の魔力の放出、体は思ったより疲労を感じているのか、いつもと同じようには力が入らなかった。
読んでいただけて嬉しいです。
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