第7話 新庄と、『新庄』と。
市民プールへ行った土曜日から、2日後。つまり月曜日。
俺、新庄幸太郎は午後の卓球部の活動を終え、午後6時に帰宅したところで、あることに気付いた。
「ありゃ、電話が来てたのか」
携帯電話の画面には、1件だけ着信履歴が表示されていた。
部活中は携帯を一切触らないから、そこそこな頻度でこういったことがあるのだが。
「……橋月から?」
珍しいこともあるものだ、と。
あいつからいきなり電話が来るのなんて、随分久しぶりだ。
あいつの場合、大抵最初はメールで『今電話しても大丈夫か?』みたいなのを送ってくるから、今回は急ぎの用事だったのだろう。
「そういうことなら、電話しないとな」
通話ボタンを押し、橋月に電話をかける。
『あ、新庄か!?』
「そうですよー。悪いね、今日は午後に部活があってな。……どうかしたのか?」
橋月、なんか焦ってるな。マジで急ぎの用事だったみたいだ。
『突然で悪いんだが、薬局で風邪薬を買ってきてくれないか?』
「ホントに突然だな。あれ、薬局で、ってことは……」
橋月は以前、『医者で処方してもらったもの以外の風邪薬は、飲まないことにしてる』ということを言っていた。
──ということは、だ。
「滝宮ちゃんが風邪を引いた、ってことか」
『ああ、そういうことだ。頼む、俺は滝宮さんの看病で離れられなくて』
「了解、すぐに買って届けるよ。お前は滝宮ちゃんの傍を離れるんじゃねぇぞ」
『悪い、助かるよ』
携帯の画面の切断ボタンを押し、電話を切る。
着替えは既に済ませてあるので、すぐに出発できる。
上はTシャツ、下はジャージの短パン、あと靴下……という服装。特に問題はないだろう。
──そう、問題はそこではない。
「なんで、滝宮ちゃんを医者に連れて行かないんだ?」
あいつの家から歩いて10分ほどのところには、小さめだが病院がある。
耳鼻科だったから、風邪なら診てもらえるはずだ。
なのに、なぜ。
「……考えても仕方ないか」
財布をエナメルバッグから小さめのカバンに入れ替えて、自室を出る。
◆◆◆
薬局で風邪薬を買い、橋月の家まで自転車を走らせ、かかった時間は15分。
橋月の家のチャイムを鳴らし、数秒待つと、引き戸が開いた。
「新庄! 悪かったな、急にこんなこと頼んじゃって」
「気にすんなよ。それよりほら、風邪薬。他に必要なものはあれば買ってきてやるが、どうする? スーパーなら近くにあるんだし、さ」
「いや、買い溜めしてある分で足りるから、もう大丈夫だ」
そういうことなら、今日はもう、お役御免だろう。
「じゃ、俺は帰るわ。また連絡するよー」
邪魔しちゃ悪いし、と思っての行動だったのだが。
「……うん、新庄ならいいか」
「ん?」
少しだけ俯いて、何かを決めたように顔を上げ、俺の目を見て。
「上がっていってくれないか? ちょっと相談したいことがあってさ」
「相談?」
「相談というか、話しておきたいこと、というか」
橋月が、俺に相談、ねぇ。
本当に、珍しいことがあったものだ。
◆
橋月宅、居間にて。
「で、話しておきたいことって一体?」
「その、さ。……滝宮さんのことなんだけど」
滝宮ちゃんのこと──なるほど、恋絡みか。
「親戚同士の恋愛か、中々難しいことだが、俺に任せて──」
「お前に相談した俺が馬鹿だった」
「……あれ?」
どうやら、思いっきり外してしまった様子。
結構本気でそう考えたのだけど。
「恋愛じゃないとしたら、一体何なんだ」
「──他言無用で、頼む」
「分かってるよ」
他人の秘密を勝手にばらすようなこと、俺は絶対にしない。
俺の性格を知ったうえでここまで念を押すということは、それほど重要なことなのだろう。
「実は、滝宮さんは──」
◆◆◆
「鏡の中の世界、ねぇ」
午後8時15分。
橋月の家で夕飯をご馳走になった俺は、脱衣所の洗面台の前に立っていた。
橋月は、2階の寝室で寝ているらしい滝宮ちゃんの看病に行った。
「疑っているわけじゃねぇけどな……」
当たり前だが、風呂に入るから、とか顔を洗いたいから、みたいな理由で立っているわけではない。
2階へ行った橋月の目を盗み、こうして確かめに来たのだ。
「橋月が俺を悪意あって騙したことなんて、ないからなぁ。……いやしかし、うーむ」
本当に、疑っているわけではないのだ。
橋月がこんな嘘を言うような奴ではないことくらい、俺は十分に把握している。
ただ、戸惑っている、というか。
「納得できる部分もあるし、本当なんだろうけど……」
滝宮ちゃんを病院へ連れて行かなかったのは、鏡の中の世界の住人だから保険証がなかった、ということなんだろうし。
──兎にも角にも。
「橋月がしたように、俺もやってみますかね」
滝宮ちゃんが飛び出してきた(?)時のままになっているらしく、洗面台の鏡は映し鏡になっていた。
その左側を、覚悟を決めて覗き込んでみた。
──しかし。
「……どう見ても俺、だよな」
映し鏡の2番目の鏡に映っていたのは、別人なんかじゃなく、『俺』だった。
服装も同じだし、目や髪の色、表情も同じ。
「うーん……?」
十秒ほど見つめてみたが、そこに映るのはやはり『俺』。
「やっぱ、騙されたのかな……」
『……ほう、こちらの世界を知っているのか』
──へ?
な、なんか俺の声が聞こえた気がしたのですが。
「き、気のせいだ、うん」
『現実逃避はやめるんだな、これが現実だ』
「……うわぉ」
気のせいでもなんでもなく、鏡の中の俺が『喋っていた』。
信じきれないが、俺が話していないタイミングで。
『初めまして、だな。現世の俺』
「うつしよ……ってことは、やっぱそっちが」
『ああ、そちらは現世、こちらは鏡。つまり、俺は鏡の中のお前自身だ』
うん、まあ、余計信じられないというか。
鏡の中の俺って、こんなに冷静なやつなんだな。
『……っと、呑気に会話している場合ではないのだった』
「うおっ!?」
鏡の中の俺は、ぴょん、とジャンプしたかと思うと、次の瞬間には──鏡から飛び出していた。
もう、何が何やら!
「ふむ、無事にこちらに来れたな」
「……ホント、何が起こるか分からないもんだな」
人生って、不思議。
「さて、今更かもしれないが、少し急がなくては」
「は? 一体何を──」
脱衣所から廊下へ小走りで出た鏡の中の俺は、俺の言葉に振り向き、ああ、と思い出したかのように告げた。
「滝宮鼎を連れ戻すのだよ、鏡の中の世界にな」
「──は?」
◆
数瞬、戸惑ってしまったのが、一番の失敗だったというか。
鏡の中の俺は、足音から察するに既に、2階へ到着したようだった。
一方の俺は、まだ3分の1しか階段を上がれていない。
階段を上がってすぐのところが、寝室だったはずだ。真面目にマズイことになってきた。
『滝宮鼎を連れ戻すのだよ』
そう言い放った鏡の中の俺は、冷静──否、冷酷な表情をしていた。
事情を知っているわけじゃねぇけど、嫌な予感しかしない。
「あれ、新庄? どうしたんだ?」
──橋月の声!
事情を説明しようと思い、顔を上げたが──俺の視界には、橋月の姿はなかった。
つまり今のは、鏡の中の俺に対しての言葉。
「どけ、お前に用はない」
「へ? ……って、新庄?」
──ドアが開く音。
あいつ、寝室に入りやがったのか!
階段を駆け上がり、2階へ急ぐ。
「橋月ぃ!」
「し、新庄が二人!?」
「そっちは鏡の中の俺だ! そいつを止めてくれ!」
「え、あ、え……?」
橋月、相当戸惑っている。
──そのおかげで、あいつの姿は既に、2階の廊下にはなかった。
◆
「おい!」
寝室へ入った俺が見たのは──怯えて壁際で座り込んでいる、パジャマ姿の滝宮ちゃんの姿。
そして──そんな滝宮ちゃんを見下ろす、鏡の中の俺。
人と思っていないかのような目で、見ている。
「何をやってんだ!」
「なぜ、怒っている?」
滝宮ちゃんを見ている時よりは幾分かマシな目で、俺を睨んできた。
「はぁ? 何寝ぼけたことを言ってんだ、お前」
怯えている人を、あんな目で見下ろすなんて行為に、怒る以外の行動をする奴なんているのだろうか。
「こいつは、どの世界にも居てはいけない存在なのだ。それを受け入れてやると言っているのに」
──滝宮ちゃんは、怯えたまま。
そろそろ、こいつにはっきりと言ってやらなければならないようだ。
「マジで何を言ってんのかさっぱりだけどな、いいか? 滝宮ちゃんは俺らの大事な友達だ。その友達の意見を聞かずに、無理やり元の世界に連れ戻すってんなら……いくら自分とはいえ、容赦はしないぜ」
「……友達、だと?」
何を言っているのか理解できていないような態度の、鏡の中の俺。
「そう、友達だ。俺や廊下にいる橋月の、大切な友達。その友達が今、怯えてんだ。怯えさせている奴から守ろうって気になることくらい、お前でも分かるだろう?」
「──滝宮に、お前らの友になる資格など」
「ごちゃごちゃうるせぇな。そこはほら、ふ、ふぃーら、えーっと……」
ああ、こんな時に横文字が出てこない。
「フィーリング、か?」
「そう、それだよ橋月!」
いつの間にか俺の横に立っていた橋月が、アシストしてくれた。
「というわけだ、分かったか!」
我ながら、支離滅裂すぎて何を言ったのか理解できていないが、勢いで突き通そう。
「分からないな」
「テメェ……本当に俺なのかよ……」
どこまで頑固なんだ、鏡の中の俺は。
俺と同じ姿でこの言動をされると、心に来るものが、多少はあってですね?
「……だが、今日は諦めるとしよう」
そう言って、俺らの横を通って、寝室を出て行こうとする。
「おい、一体どこに──」
「鏡の中の世界に戻るんだよ。『俺は』あちらの世界の住人だからな」
「そ、そうか」
なんでこいつ、『俺は』を強調して言ったんだ?
それに、なんでこいつは──『鏡の中の世界に、すぐに戻れるんだ?』
滝宮ちゃんは、すぐには戻れないと言っていたらしいし。
「またな、現世の俺よ」
「はいはい、二度と出てくんじゃねぇぞ、鏡の中の俺」
鏡の中の俺とはいえ、自分自身と話すのは違和感だらけで少し気分が悪い。
慣れなんだろうけど、廊下に出て行った鏡の中の俺とは気が合わなそうだ。
ああいう冷静すぎるタイプ、苦手なんだよな。
◆
「迷惑かけて悪かったな」
「いや、お前は別に……」
「止められなかったのは俺の責任だ。だから……悪かった」
「……ホント、律儀だよな、お前」
少しだけ、頭を下げる。
実際、俺の判断ミス──というか行動ミスで、滝宮ちゃんを怯えさせてしまった。
そこはやはり、俺の責任だ。
「……顔を上げてください、新庄君」
「た、滝宮ちゃん!? 寝てなくていいの……?」
パジャマ姿の滝宮ちゃんが、階段を下りて来た。
一瞬気のせいかと思ったが、間違いなくさっきより、顔が赤くなっている。
「無理しない方が……」
「いいんですよ、新庄君。……今日は、ありがとうございました」
「そんな、感謝されるようなことは何も……」
感謝されるようなことを、俺は何一つとしてやっていない。
「……やっぱり、優しいんですね、新庄君は」
「そんな、俺は……」
滝宮ちゃんの体調を、もっと悪くさせてしまった。
本当に、どう謝ったら──。
「考え過ぎるなよ、新庄」
「橋月……?」
静かに話を聞いていた橋月が、口を開く。
「お前の気持ちが聞けて、俺は嬉しく思ってるんだ。滝宮さんも、そうですよね?」
「はい! 友達だと言ってくれた時、本当に嬉しかったんです。だから、ありがとうございました!」
「滝宮ちゃん……ありがとう」
どんな事情があるのかは、俺には分からない。
──でも。
「じ、じゃあ、また今度、遊ぼうね! またね!」
「はい!」
「またな、新庄!」
こんなに優しい子なんだ。
滝宮ちゃんが納得するまで、連れ戻させるわけにはいかない。
精一杯、手助けしなければ。
◆◆◆
『映し鏡と現世の!』
第7話 『新庄と、『新庄』と。』
◆◆◆




