第2話 話し合いと訪問と。
「なるほど、鏡の中の世界、ですか」
──明くる早朝、居間にて。
俺は、鏡から飛び出してきた少女──滝宮鼎さんに色々と訊いていた。
気になることが多すぎたのだ。既に許容範囲からは遠く離れた話題だが、気にしたら負けだ、と強く思ってスルーする。
「はい。信じてもらえますか……?」
「っ……! そ、そりゃあもちろん。俺の目の前で、あんなことがあったんですから」
……動揺するな、俺らしくもない。
いや、でもだよ。上目遣いは、反則ではないだろうか?
「よかった、信じてもらえて……」
「……そういえば、鏡の中の世界に帰ることはできないんですか?」
「それが、できないんです……」
──できそうなものだけど。
「一度鏡の中の世界から出てしまうと、しばらくは帰れないんです。今朝起きた時にも試したんですけど、帰れませんでした」
「しばらく……ってどのくらいなんですか?」
「人によるらしいです」
酷くざっくりとした範囲だこと。
あまり気にしても仕方がないか。
「よっ、と」
座っていた座布団から立ち上がり、滝宮さんに訊く。
「朝食、食べられます?」
「あ、はい! ……でも、いいんでしょうか、頂いても……」
「構いませんよ。昨日は結局、何も食べていないでしょう?」
昨日、鏡から出てきた滝宮さんは、脱衣所で倒れるように眠ってしまった。
同年代の女子の身体に触れるのはかなり抵抗があったが、そのまま脱衣所で寝かせるわけにもいかないので、押し入れから引っ張り出してきた布団を居間に敷いて、寝かせておいた。
俺は、もちろん自室で就寝。久しぶりに自分の部屋で寝たので、違和感が半端じゃなかった。
「すみません、昨日のことといい、ご迷惑ですよね……」
「気にしないでください。小さめとはいえ、一人暮らしには十分すぎる家なんです。鏡の中の世界に帰れるまで、好きに使ってもらっていいですよ」
「ありがとうございます……!」
目をキラッキラさせてお礼を言う滝宮さん。──本当に純粋な娘だ。
「とは言ったものの、食材がないので、買い物に行ってきますね」
「買い物、ですか?」
「はい、近所のスーパーに」
24時間やっているスーパーが近所にあるので、そこに行くことにする。
スーパーに行くのは久しぶりでもなんでもないが、食材を買うとなると話は別。数か月──いや、何年かぶりだ。
しばらく弁当と飲み物くらいしか買っていなかったのだ。一人暮らしなら、そんなものだろうと思う。
「あの」
「ん?」
何か気になる様子の滝宮さんが、俺に訊いてくる。
「学校の時間は大丈夫なんですか?」
「ああ、それなら心配いりませんよ。今日は休むことにしたので」
この環境に戸惑っている滝宮さんを一人残して、学校に行けるほど強靭な心は持っていない。
──要するに、滝宮さんが心配なのだ。
「え、休む……って、休んで大丈夫なんですか?」
「ええ。プリントは友達に持ってきてもらうことにしたんで。幸い、教科書とか、宿題とかはもう持ってきてありますし」
既に新庄には『調子が悪いから休む』ってメールしてあるし、もう少ししたら学校にも連絡する予定だ。
今日は全校集会とホームルームくらいしかないし、単位にはまったく問題ない。
「明日から夏休みなんで、今日の授業は出なくても大丈夫な範囲のものなんですよ。気にしなくて平気ですよ」
「そうですか……あの、無理はしないでくださいね?」
「わかってます。それじゃ、買い物行ってきますね。……一緒に行きます?」
付いてきたそうにしていたので、そう提案すると、すごく嬉しそうな顔をした。
「はい!」
「じゃ、行きましょう。靴は──母さんのがあったはずなんで、それを使ってください」
滝宮さんの服は、白のブラウスに紺のロングスカート(正確な名称は分からない)。外出には問題ないだろう。
しかし、去年の大掃除の時に偶然見つけた、母さんの靴が役に立つとは。何が起こるか分からないものだ。
「あの、訊いてもいいですか?」
「……? いいですけど」
何か、気になることでもあったのだろうか。
「橋月君のご両親って……」
「ああ」
そういえば、話してはいなかったっけ。
それじゃあ、と酷くあっさりと。
「もう亡くなってますよ」
それだけ伝えれば、十分だろう。
◆◆◆
スーパーで野菜と肉、朝食用の弁当を買い、帰宅。
今から朝食を作ると時間がかかり過ぎてしまう、ということで弁当にしたのだ。
買ってきた食材を冷蔵庫に入れ、台所のテーブルに二人分の弁当を並べる。
俺はハンバーグ弁当、滝宮さんは野菜炒め弁当。
「いただきます」
「い、いただきますっ」
……滝宮さん、買い物を終えたあたりから、ずっと変だ。
変、と言うのは失礼か。──不自然、と言うべきか。
「あの、滝宮さん」
「は、はい!」
「……どうかしたんですか?」
うん、明らかに不自然である。
「──その、こんなによくしてもらって、なんか、申し訳なくて……私なんかに」
「気にしないでください。困っている人は放っておけない性格なんですよ」
「でも、私なんかに……」
滝宮さん、どんどん涙目になっていく。
さっきから『私なんかに』と言っているのが、すごく気になってしまった。
気になったことは、訊くに限る。
「滝宮さん、何か特殊な事情があるんですか?」
「えっと、その、実は……私、ここまで優しくしてもらったことがなくて」
「……訊いていいのか分かりませんけど、その、ご両親は」
「いないんです」
──訊かなければよかった。
そう思いかけたが、必死でその言葉を心から消す。
他人の事情を、勝手に『不幸だ』と決めつけてはいけない。
常日頃から、俺が心がけていることだ。
──しかし、滝宮さんの態度から察するに、今回は例外かもしれない。
「事情が事情でしょうけど、それは鏡の中の世界の話でしょう?」
「そうですよね……すみません、ご迷惑でしたよね、こんな話をしてしまって」
「そ、そういうことではなくてですね!」
「……?」
詳しく話さないと、滝宮さん、泣き出してしまいそうだ。
「俺が言いたいのは、『ここは別の世界なんだから、そういうことは気にせず、明るく行こう!』……ということですよ」
「あ、……は、はい!」
うん、なんとか誤解は解けたようだ。
「さて、早く食べちゃって、これからの予定でも立てましょうか」
「はい!」
冷め始めた弁当に手を付ける。
◆◆◆
遅めの朝食を終え、何を買いに行くかの相談をして、時刻は午前11時。
滝宮さんの服や生活用品を買いに行くための準備をしていると、玄関のチャイムが家に響いた。
「誰だろう……ちょっと出てきますね」
「はいっ」
居間から廊下に出て、玄関へ。
◆
「はーい、どちら様で……」
玄関の引き戸を開け、視線を外へ移すと。
「よっ、元気そうだな」
「……なんで来た、新庄」
新庄がキラッキラの笑顔で立っていた。
「一言目からキツイ言葉ですねぇ! ……プリントを届けに来たんだよ。夏休み明けのテスト範囲の紙とか」
「さすが新庄、頼りになるぅ」
「棒読みで言われてもちっとも嬉しくないぞ……。まあ、いいや。元気そうならそれで。ちなみに、来たのは俺だけじゃないぞ」
「は?」
そう言って、新庄は俺から見て右側に移動する。
そこにいたのは──。
「裃さん?」
「こ、こんにちは……」
クラスメートの、裃水留さん。
あまり関わりはないんだけど、なんで?
「その、家が近かったから、新庄君に誘われたのもあって……」
「は、はあ」
よく分からないけど、お見舞いに来てくれた、ってことだよな。
「ありがとうございます、来てくれて」
調子悪くなんてないけど、一応お礼はしておく。
「あ、うん……」
「……え、まさか橋月、気付いてないのか?」
「気付くって、何に?」
新庄、変なことを訊くなぁ。
「い、いや、そうだよな、お前は昔からそうだもんな、ああ、仕方ないか」
「なんか、すごく失礼なことを考えてないか?」
「気にするな、こっちの話だ。さてと、それじゃあ上がらせてもらうぜ」
「……は?」
え、上がっていくの?
「病人なんだから、色々と世話してやろうってことで来たんだけど」
「あ、ああ……それなんだけど、実はもう元気で」
「無理すんな、病人は寝てろ寝てろ。さてと、お邪魔しまーす」
「ちょ、新庄!?」
まずい、滝宮さんのことがばれたら、新庄に何を言われるか分かったもんじゃない。
今更『実は調子よかったんです!』なんて言うのも嫌だし、ここは──!
「ちょ、ちょっと人には見せられないくらい散らかってるから、少し片付けさせてくれないか?」
「別に気にしないけど……あ、そうか、裃さんに見せたくないんだな?」
新庄が小声でそう言ってくる。──にやけながら。
「そういうことだ! だから、ちょっと外にいてくれ、5分くらいしたら呼ぶから」
「へいへい、了解ーっと」
新庄と裃さんが外に行ったのを確認して、俺は玄関を閉める。
鍵も掛けようかと思ったが、不自然すぎて怪しまれると思ったので、しないことに。
──さて。
「まずは、滝宮さんを2階に行かせるか」
そう決めて、居間へと向かう。
◆◆◆
『映し鏡と現世の!』
第2話 『話し合いと訪問と。』
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