第16話 橋月と、『橋月』と。
「何年ぶりだろうね、鏡の世界の俺」
しばらく黙っていたが、そんなことを続けていても仕方がないので、俺から語りかけた。
それが筋ってものだろうし。
『……8年間、待ってた』
「そうだよな、小3のあの事件から、そんなに経つんだよな。……ああ、本当に久しぶりだ。まさか、また君と話すことができるなんて、ね」
小さいころ、まだ俺が『一人』だったころに、鏡に映る自分に向けて問いかけたことがある。
『ぼくは、しあわせになれるのかな』なんて具合に。
当然、返事なんて期待していなかった。でも──彼は返してくれた。
──『きみならきっと、大丈夫』と、それはそれは優しい声で。
「ごめんね、遅くなっちゃって。……今の今まで、君がいてくれたこと、なんで忘れていたんだろう」
『……仕方ないこと。僕が過去を封印していれば、君は苦しまずに済んだんだから』
「君にばかり、つらい思いをさせちゃったね。ごめんね、そして──ありがとう」
心の底からの、謝罪とお礼。
ずっと苦しんでくれていたのだから、これくらいじゃ恩返しにはならないけど。
鏡の世界の俺──俺の記憶をずっと持っていてくれた、俺の恩人。
彼のおかげで、俺は崩壊せずに済んだ。
「いろんなことを思い出したよ。君のことや、あの事件の時、俺に一生懸命語りかけてくれていた俺の親友のこと。それと──滝宮さんの正体も」
『……もう、知っているんだね』
「ああ。滝宮さんは、俺の──別人格だ」
◆
別人格。──何も、不思議なことじゃない。
小さいころの俺は、父さんから虐待を受けていた。
そんな俺が正気を保つ方法。いくつかあるが、俺はそのうちの一つ──『人格を作り出す』という方法を選んだ。
よくあること。何も不思議なことじゃないのだ。──ただ一つ、例外となる要素があったが。
「鏡の世界と現世の人物は同じ存在。そうすると、君が俺のつらい記憶を封印して眠っていた間、本来ならば俺も消えるはずだった。だけど消えなかった。滝宮鼎という別人格、つまり──『俺と同じ存在』がいたからだ」
『……彼女にも、色々と苦労させちゃったようだね。僕が眠っていた間、彼女が僕の代わりを務めていてくれたんだから』
要するに。
鏡の世界の俺と現世の──つまり俺は、同一人物。
俺が作り出した別人格──滝宮鼎と俺は、同じ存在。
イコールでつなげていけば分かること。
鏡の世界の俺は、滝宮さんと同じ存在。
鏡の世界の俺が消えた瞬間、滝宮さんは鏡の中の世界に実体を持って生まれたのだろう。
『……なんだ、全部分かっているんだね』
鏡の世界の俺から、怯えの感情は消えていた。
これから俺が言うことを、もう分かっているのだろうか。
「全部の記憶を取り戻したからな。──で、さ」
全部の記憶を取り戻した。
それはつまり──鏡の世界の俺が封印していた記憶も、取り戻した、ということ。
そして──鏡の世界の俺は、滝宮さんと同じ存在。
何が言いたいかというと、だ。
俺は、鏡の世界の俺か滝宮さんを、俺の体に戻さなければならないのだ。
『選べるの?』
「もう答えは決まってる」
『──うん、幸せそうな顔をするようになったね』
「本当に、ごめんな。恩を仇で返すようなことになって」
俺は──滝宮さんを選んだ。
『気にしすぎだよ。自信を持って、現世の僕。──君が幸せになれば、僕も幸せになれるのだから』
「──ああ、そうだな。本当に今まで、ありがとうな。絶対、幸せになってみせるからさ!」
『その意気だよ! ──それじゃ、『ただいま』』
瞳の端に溜まった涙を押し流すように、目を瞑り、彼は──『帰ってきた』。
ひどく久しぶりの、充足感。
「ああ……『おかえり』」
俺も少しだけ、泣いていた。
◆
「──よし!」
目を瞑ったまま、数秒間。
心の整理はできた。──そっと、目を開ける。
鏡の世界の俺がいなくなったあとの、映し鏡には。
「随分久しぶりな気がするね、滝宮さん」
『──え?』
事態を呑み込めていないらしく、戸惑いを隠せていない滝宮さんの姿。
◆
『私、体が消えていって、それで……』
「また、現れてくれた。体調はどう? 気持ち悪かったりはしない?」
『はい、大丈夫ですけど……あっ』
「ん? ……ああ」
滝宮さんの顔、どんどん紅潮していく。
俺に告白したことを思い出したのだろう。
『すすす、すみませんっ! 橋月君を困らせるようなことを言っちゃって──』
「大丈夫ですよ、滝宮さん。──ね、滝宮さん」
『ひゃ、ひゃいぃ?』
本当に可愛いな、俺の別人格。
っと、そんなことを考えている場合じゃなくて。
「心は整理し終えたから。ごめんね、待たせちゃった」
『──?』
深呼吸を1回。
心は落ち着いている。
──俺も。
「俺も、滝宮さんが好きです。俺と一生付き合ってください」
◆
『俺と一生付き合って』──同じ存在だから、これ以上ない告白の仕方だと思ったのだが、さてどうだろう。
『──あ、あの』
「はい」
『私も好きです!』
「……──ふはっ」
つい、吹き出してしまった。
『な、なんで笑うんですかぁ~!?』
「滝宮さん、テンパりすぎですって。滝宮さんが先に告白してくれたんでしょう?」
『あ……あはは、そうでしたね。えへへ……』
二人して、笑いあう。
「うん、やっぱり俺は、あなたが好きです」
『……同じ存在なのに、いいのかな』
「ダメな理由なんてないですよ。少しの間だけですけど、滝宮さんと俺は、一緒に『同じ世界で』暮らしていたんです。それが許されて、付き合うのが許されないなんて、俺は認めませんよ?」
めちゃくちゃな自論。だけど、これ以上ないくらいに、俺の中では正しい理由。
『──鏡の中の世界から、出る準備をします。数週間くらい、離れることになると思います。──それまで待っていてくれますか?』
「いつまでも待ちますよ。この家で、滝宮さんの帰りを待ってます。だから──」
『──はい。しばらくお別れですね、それでは──また、会いましょうね』
「はい。戻ってくるのを、楽しみに待ってますよ!」
会話が終わると、滝宮さんは映し鏡の奥へと走っていった。
滝宮さんが消えた後には、相変わらず、誰も映っていなかった。
「この現象にも慣れないとな……」
一言呟き、苦笑いしつつ、俺は脱衣所を後にした。
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一人の苦しみに比べれば、待つことなんて苦ではない。
いつ会えるのかなんて分からないけど。
俺は、待ち続けよう。
◆◆◆
『映し鏡と現世の!』
第16話 『橋月と、『橋月』と。』
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