第14話 異変と、忘れていた日々と。
気まずい空気のまま数時間が経過し、午後8時。
仏間で母さんの遺品を整理していたので、少し遅くなってしまったが、なんとか夕飯を作ることはできた。
で、階段を上がってすぐの部屋、寝室で寝ているであろう滝宮さんを起こしに来たのだけど。
ノックをしても、返事がないのだ。
「寝てるのかな……?」
返事がないってことは、着替え中ではないだろうし、入ってもいいだろう。
ドアノブを回し、ドアを奥に押し込み、寝室に入る。
「滝宮さーん……?」
電気は消えているが、羽毛の掛布団が盛り上がっているのが確認できた。
その布団のそばまで行き、掛布団を優しく叩く。
掛布団は、空気の抜けた風船のように、敷布団めがけて凹んでいった。
「──え?」
掛布団をめくってみると、そこには──羽毛布団に守られたぬくもりだけが、存在していた。
「滝宮、さん?」
ぬくもり以外は、いなかった。
◆◆◆
『すまない、確認させてくれ。──滝宮がいなくなった、と言ったのか?』
「ああ。家中探したんだが、どこにもいないんだ。そっちの世界に戻ってたりしないか?」
脱衣所。
10分ほど家の中を探し回ったがどこにもおらず、それなら鏡の中の世界に帰ったのではないかと思い、鏡の世界の新庄に聞きに来た。
こっちの世界の新庄も呼んだのだが、まだ来ていない。あいつに負担をかけすぎてる気がするし、鏡の世界の新庄と話すことで滝宮さんの居場所が分かればいいのだが。
『いや、こっちの世界に戻ってきてはいない。──というか、戻るなら世話になったお前に一言くらい言ってからだろう。何か聞いていないのか?』
「何も聞いていない……昼食の後から会ってないんだ」
『詳しい状況を教えてもらえるか?』
「ああ。実は──」
◆
『なるほど、『まるで誰かが眠っていたように、布団が盛り上がっていた』か。──なるほど、そういうことか』
「何か分かったのか!?」
『そう急くな。結論から言えば、滝宮は『両方の世界から消えた』ってことになる』
「──は!?」
現世と、鏡の中の世界、その両方から消えたって言ったのか──?
『珍しいことだが、前例がないわけじゃない。絶望する必要はないぜ』
「前例──ってことは、解決策が」
『ないと言えば噓になるが、あるかと言われると──答えづらい。何らかの行動をした結果助かった、なんてこと、そもそも聞いたことがないのさ。俺の知ってる奴だと、現世の自分が全身麻酔を用いた手術をしたときに、一時的に消えた……ってことがあったんだが、そいつの場合は、現世の自分が目を覚ました段階でまた現れることができたんだ。だから今回の場合、現段階では『方法がない』と言っていいだろう』
──方法が、ない?
そんなはずはない。そもそも、本当に消えたのかどうかだって怪しいのに。
現世の自分に異常がなければ、消えることはないんだろう?
だったら──って、ちょっと待て。
──滝宮さんと俺って、同一人物なのか?
「なんで俺の時だけ、俺の姿じゃなく、滝宮さんが出てきたんだ──?」
『やっとその疑問に到達したか。俺はその答えを知っているが、俺が教えたのでは、最悪の場合、もう二度と滝宮とは会えないだろう。だから──あとは分かるな?』
「──俺自身が、答えを見つける」
消えた原因と、もう一度滝宮さんと会うための方法を、見つける。
『ああ、その通りだ。──いい顔をするようになったじゃないか、橋月宴』
「もう、過去から逃げるのはやめたからな」
『過去から──ああ、やはりそういうことか。……頑張れよ、橋月』
励ましの言葉を残し、鏡の世界の新庄は映し鏡から消えた。
そのあとに残ったのは──。
「映し鏡に、誰も映っていない……?」
俺の後ろの、脱衣所と廊下を仕切るドアだけが映っていた。
◆◆◆
午後8時半。
「……ん?」
脱衣所から、物音と話し声。
気になるから、行ってみる。
◆
『──現世の俺、来ていたのか?』
『あ、新庄君!』
「ああ、橋月に呼ばれてたんでな。──お前ら、面識あったんだな」
『一応、この家に出てこれるようになってからは、な。──お前、焦りはないのか?』
一応、橋月から大体の事情は聴いている。
滝宮ちゃんが突然、現世と鏡の中の世界、その両方から姿を消した、ってことらしい。
前情報一切なしなら、焦りまくっていたのだろうけど。
「焦りなんてねぇよ。お前が教えてくれたんだろ、滝宮ちゃんの正体。そのことを考えれば『なんとかなる』で済ませられる案件だと思うぜ。心配なのは変わりないけどな」
『ふぅん、やっぱりしっかり者なんだね、新庄君』
「もっと褒めてくれてもいいんだぜ?」
『その役目は現世の私に任せるよ♪』
……やっぱ子供っぽくないよね、この子。
『──おい、現世の俺』
「なんだ?」
『また、お前が動くつもりか?』
──結構痛いところを突いてきた。
◆
今まで俺は、橋月が苦しんでいるとき、悲しんでいるときに手助けをしてきた。
橋月の友達だから、という理由のほかに大きな理由として『あいつのおかげで孤立から救われた』という、恩返しの意味も込めた行動だったのだ。
だから『当たり前だろ』と返したいのだけど、今回ばかりは俺一人にどうにかできる問題ではない。
『現世の俺、よく聞け。──橋月と滝宮なら、心配いらない』
「は?」
うだうだ悩んでいるところに、すがりたくなるような、鏡の世界の俺の言葉。
いやいや、心配いらないって、そんなわけないだろ、と返そうと思った。思ったのだけど。
『この言葉の真意が分からないお前じゃない。そうだろう? 『現世の俺』』
「……ああ、分かったよ。──任せたぜ、『鏡の世界の俺』!」
今回ばかりは、手助けはいらなさそうだ。
何をするつもりかは知らないけど、きっと大丈夫だろう。
なんてったって、鏡の世界の『俺』なのだから。
◆◆◆
「じゃ、見つけたら連絡するよ」
「ああ、悪いな」
新庄は、この家の周辺を探す、と言ってまた出かける準備をしていた。
ここまでしてくれるとは。本当に、滝宮さんのことを心配してくれているのだな。少し──いや、結構嬉しい。
「気にすんなよ。友達だろ?」
「……ああ、そうだな。ありがとな、新庄」
「おう!」
持ってきたカバンを再び持ち、靴を履いて、外へと飛び出していった。
──よし、俺もできることをしなければ。
◆
新庄が来るのでつけたクーラーを切り、生ぬるくなりつつある居間で、考え始める。
「まずは──滝宮さんが消えた原因、か」
これが分かれば、少しは解決への糸口が見えてくると思う。
◆
滝宮さんはおそらく、消える瞬間まで寝ていたのだろう。
ぬくもりだけが残っていた布団が、それを証明していた。
それならば、俺の行動が原因、と考えるのが妥当か。
──俺は、何をした?
昼食後から、滝宮さんにふさわしい人間になるために、仏間へ行って──過去を見つめようとしただけ。
胸を張って滝宮さんと話せるように、俺自身を正そうとしただけ。
「──だけ、なのか……?」
もし、それが原因なら……いや、後悔している場合ではない。
過去の行動は取り消せない。それなら──見つめられるところまで、見つめてみようじゃないか。
「やってみる価値は、ある!」
滝宮さんと、会うために。
俺は、2階にある父親の部屋へと向かった。
◆
閑散。
そんな一言で片付くほど、そこにはほとんど、物がなかった。
電気を点けて、部屋を見渡す。
空っぽの本棚、動かない置時計、何も置かれていない机。
それらすべてが、埃をかぶり、役目を終えて眠っているようだった。
「まずは、掃除から……」
カーテンと窓を開け、夏の涼しい夜風を部屋へと充満させる。
北東にある部屋だから、月明かりはほとんど入ってこなかった。
濡れ雑巾で、棚の上、本棚の中、棚に置かれた時計、机──という風に高い順に埃を取っていく。
途中、一匹くらい虫が出るかと思ったが、まったく出てこなかった。
この部屋は、封印してあったから。
何も入れてこなかったから。
「あれ、これって」
壁の色とまったく同じ白色だったから見逃していたが、部屋の中の西の壁、ちょうど階段と背中合わせの場所に、小さな取っ手を見つけた。
棚の下、不自然に四角く盛り上がっていた場所だ。
この中も掃除しなくては、なんて軽い気持ちで開けると、そこには。
「なんだ、これ?」
四角いスペースに、影になっていてよく見えないが──分厚い本のようなものが1つと、一昔前のビデオカメラ、それで撮ったであろうビデオテープ1本、そして──木でできた、長方形の箱が出てきた。
木箱には、何も書かれていない。
得体の知れないものってのは、開けたくなる。それが人間ってものだろう。
「──え?」
何かの死骸かと思ったが、そんなものじゃない。
そんなものより、もっと素敵なもの。
あると思っていなかったもの。
「これ多分、へその緒、だよな……」
木の箱の中で、少し硬めの綿に包まれて、安らかに眠っていた。
「──まさか」
分厚い本のようなものを取り出して、確認する。
──アルバムだった。
「──見よう」
ビデオテープなども取り出して、ビデオカメラにセットして、再生しつつアルバムを見る。
◆
「あはは、すごい泣いてる。……これが俺かぁ」
アルバムやビデオなんて一切見てこなかったから、結構面白い。
この家で撮られたビデオ。聞き慣れない女性の顔や声が入っているが、おそらくそれが、俺の母さんのものなのだろう。
ビデオの場面とアルバムを見比べてしばらくすると、不思議な感覚が体の中を駆け回ってきた。
これが『懐かしい』という感情なのだろうか。
『うたげちゃん、パパがおもちゃを買ってきてくれたわよー♪』
「──え?」
今、俺の母さん、『パパ』と言ったのか?
パパって、それはつまり──。
『ほら宴、振ると音が鳴るおもちゃだぞ。こんな風に振るんだぞ? ……あはは、まだ難しいかな』
まだ小さかった俺に優しく語りかける、父さんの姿が、そこにあった。
◆
アルバムもビデオも、途中までしか記録されていなかった。
おそらく、そのタイミングで──俺の母親が、亡くなったのだろう。
ビデオの中では終始、俺の母さんは顔色を悪くしていた。
父さんから聞かされていた、『お前を生んだ時に具合を悪くして亡くなった』ってのは、本当らしい。
だが、俺が考えていたよりも少し長く、母さんは生きていたようだ。
「……なんというか」
色々ありすぎて、驚く暇もなかったというか。
──この家には、あんな時間もあったんだな、と。
そして──いろいろなことを思い出した。
今までの、忘れていたことを。
牛乳パックを開いて洗ったのは、俺だ。
ゲーム機を片付けていたのも、俺だ。
まったく、そんなことも忘れていたなんて、な。
「……さて、と」
この部屋ですることは、終わったかな。
窓とカーテンを閉め、濡れ雑巾を持ってドアを開け、廊下に出る。
◆
「終わったか?」
「ん? ……ああ」
廊下に出ると、そこには鏡の世界の方の新庄が。
ちょっと見まわしたが、こっちの世界の新庄はまだ来ていないらしい。
「あいつは色々と背負いすぎていたからな、嘘言って出かけてもらったぜ」
ああ、そういうことだったのか。
じゃあ今頃、あいつは滝宮さんのことは探さずに、どこかに行ったのか、もしくは帰ったのか。
──よかった。これ以上あいつに負担をかけずに済んだ。
「思い出しただろう? 現世の俺は一人で頑張りすぎる癖がある。例えば──」
「俺の父さんが自殺したとき、とか?」
「分かっているようだな。なら、もう大丈夫だろう」
……大丈夫って、何がだ?
「ついてこい、見た方が説明するよりも何倍も早い」
「は、はぁ」
理解できていないまま、鏡の世界の新庄の後ろをついていく。
◆
鏡の世界の新庄に続き、入った場所は。
「脱衣所? ──って、マジかい」
「ああ、マジだぜ。ってことで、あとはお前ら『二人』に任せるぜ。──話したいことが、あるだろう?」
そう言って、鏡の世界の新庄は廊下へ出た。
「ああ。ありがとな、色々と」
「礼を言う相手が違うんじゃないのか?」
「ん、そうだな」
廊下に立つ鏡の世界の新庄から、脱衣所に置かれた洗面台、そこに取り付けられた両開きの鏡に視線を移す。
そこから更に、視線を、左の鏡の中に映る右の鏡──映し鏡へ。
後ろでは、ガラガラッ、と扉を閉める音。
これで、この空間には『二人っきり』になった。
さあ、会話を始めよう。
「久しぶり──『俺』」
映し鏡に映る、俺に怯える、俺自身と。
◆◆◆
『映し鏡と現世の!』
第14話 『異変と、忘れていた日々と。』
◆◆◆




