第10話 新庄と、橋月の。
俺が(なぜか)橋月の家で留守番をした翌日、8月の第一木曜日。
昨日のお礼をしたいと滝宮ちゃんが言ってくれたらしく、俺は昼食に呼ばれ、橋月宅に来ていた。
時刻は正午過ぎ。クーラーの効いている居間で、俺はのんびりと休んでいた。
扉を挟んだ台所では、橋月と滝宮ちゃんが昼食を作ってくれている。
「私まで呼んでもらって、なんか申し訳ないような……」
居間のテーブルの一角には、裃さんが座っていた。
青色の生地に灰色で模様が入っているTシャツと、下はジーンズ、という服装。
裃さん、普段はズボン──女子はパンツというんだっけ──を穿くのが多いらしい。
「滝宮ちゃんも会いたがってたんだし、気にしなくていいと思うぜ」
「それは分かってるんだけどね……なんかさ、気にしちゃうのよ」
「橋月と滝宮ちゃんのこと、でしょ?」
「……まぁ」
目を逸らしながらも、肯定する裃さん。
最初から分かっていたこととはいえ、少しばかり悲しく──っと、なんでもない。
「橋月、気付いてる様子無いもんねぇ」
夏休み一日前から──期間にすると十数日間。
ほとんどアプローチしていなかった裃さんにも原因があるとはいえ、最初の段階で気づかない橋月にもそれ相応の原因はあると思う。思いたい。
「ねえ、新庄君」
「なに?」
「前から気になってたけど、橋月君と仲良いよね、新庄君って」
「ま、かなり仲良い方だとは思うよ」
経緯が経緯なだけはある、というか。
「経緯? そう言えば、新庄君と橋月君ってどうやって知り合ったの?」
「うーん……聞いて面白いことではないからなぁ」
「教えてもらえない……?」
ナチュラルな上目遣い、卑怯だと思います。はい。
「誰かに話すようなことじゃないんだけどな……」
「そこをなんとか! お願い!」
「……約束してくれ」
「へ?」
裃さん、何のことか分からないといったご様子。
「これから話す内容は、絶対に橋月には言わないでくれ。あいつが忘れたことも、話すことになるからな」
「う、うん!」
力強くうなずく裃さん。
隠すようなことでもないし、話してみますか。
◆◆◆
あいつを見るたびに、不思議だな、と思ったことを憶えている。
一人きりだったのに、俺とは違い、生き方を模索していた。
まるで、物語の主人公のような行動力で。
まるで、『日陰も楽しいものだ』と言わんばかりの心持で。
◆◆◆
『今日の算数、難しかったー』
『明日休みだし、どっか行かない?』
『行く行くー! どこにしよっかー?』
近くの席の女子二人が、そんな話をしていた。
おれは、女子の会話を聞くのが苦手だ。
そいつらのことがきらいだから、なんて理由じゃないけど。
『ねぇ、男子誘う?』
『誘っちゃう? 誘っちゃう!?』
『誘っちゃおー! ねーねー、明日空いてる?』
そう言って、女子が誘ったのは近くのおれじゃなく、おれから2つはなれた席に座っている、女子の間で人気の男子とその友達。
分かってはいた。だけど、やっぱり少し悲しい──っと、なんでもない。
『やった、空いてるって!』
『決まりだね! ボウリングでも行く?』
『行こう行こう!』
そう言って、女子2人、男子2人のグループは、ランドセルを背負って教室を出ていった。
教室に残っているのは、おれだけ。
「外、暗いなぁ」
時刻は午後5時。金曜日だからいつもより遅いけど、授業はとっくに終わっている。
それでも、今の今まで帰らなかったのは、ちょっとした理由があって。
「じゃまは、できないもんなぁ」
今日は、お父さんとお母さんの結婚記念日なのだ。
お昼にデートする予定だと聞いていたから、前もって『友達と遊んでくるから、お父さんとお母さんもゆっくり遊んできてよ』と言っておいた。
もちろん、真っ赤なうそだけど。
「……」
もしかしたら、今日突然友達ができて、遊びに誘われるかもしれない、そう思ったけど、そんなことはなかった。
当たり前だ。小学2年の時にできた友達は全員ちがうクラスになっちゃったし、おれは自分から話しかけられるタイプじゃないから、友達はほとんど──ううん、ゼロだ。
嫌われているわけじゃない、おれが誰かの『1番』になれなかった。それだけのことだ。
「……帰ろう」
ランドセルを背負って、おれも教室を後にする。
◆◆◆
春だけど、この時間になるとさすがに暗い。
ちょっとこわいから、いつも通る道じゃなくて、街灯がちゃんとついている道で帰ることにした。
少しだけ遠回りだけど、安全第一だ。
「……あれ?」
街灯の下に、うずくまっている人がいる!
黒いランドセルを背負っているから、たぶんおれが通っている小学校の男子児童だ。
駆けだして、数メートル先のその児童の元へ行く。
「ねえ、どうかしたの?」
「──っ!?」
声にならない悲鳴を上げて、児童は俺から数歩遠ざかった。
やばい、かなりおどろかせちゃったかな。
「ごめん、おどろかせるつもりはなかったんだ。……って、あれ?」
「……」
なんか、どこかで見たことあるような──って、あ!
目の前の男子、おれと一緒のクラスの──えっと、なんていったっけ。
「新庄くん、だよね」
「あ、うん。……あ、その声、たしか……橋月、だっけ?」
「──あ、そ、そうだよ」
「……?」
なんか、名前を呼ばれただけでまたおどろいている。
どうかしたのかな……って、当たり前じゃん!
「ご、ごめん、呼び捨てで呼んじゃって」
「……へ?」
同じクラスの人とはいえ、まったく話したことのない人なんだから、呼び捨てじゃ失礼だよな。
おれなんかに名前を呼ばれるのも、いやだろうし。
「えっと、さっきおどろいたのは、呼び捨てで呼ばれたから、じゃないよ」
「え……そうなのか?」
「うん。──僕の名前を憶えている人がいるなんて、思わなかったから」
「……?」
同じクラスの児童なんだし、憶えていても不思議じゃないと思うんだけど。
「って、あれ、その子猫は──」
「ここに捨てられてたんだ」
街灯の下で、段ボールに入って、悲しげな声で鳴く子猫。
確かに、捨てられたみたいだ。
「飼ってあげたいけど、僕の家は厳しいから……」
「それで悩んでたのか。うーん、おれの家も、たぶん飼えないだろうし……」
「たぶん?」
「うん」
拾って帰りたいけど、結構大きな問題がある。
「ついこの間、飼ってた犬が死んじゃったんだ。だから、すぐには飼えないと思って」
「……そういうことなら、仕方ないかなぁ」
そう言うと、児童──橋月は立ち上がって、子猫に声をかけた。
「ごめんね、飼えなくて。きっといい飼い主が見つけてくれるから、心配しないでね」
──不思議なやつだ。
さげすむ意味じゃなくて、尊敬の意味で、そう思った。
「じゃ、帰ろっか、新庄君」
「──え、あ、ああ、うん」
「……? どうかしたの?」
「い、いや、なんでもないよ」
クラスで孤立気味だったおれなんかに『帰ろう』と言ってくれた橋月が、まぶしかった。
それと同時に。
──どこかうつろな目をした橋月が、気になった。
◆◆◆
翌日。
橋月──クラスメートと話せた昨日のことで、おれは少し浮かれていた。
『孤立した存在じゃない』──そう思うだけで、ここまで楽しいとは思わなかった。
「あ、橋月!」
登校中の橋月を偶然見つけ、声をかける。
「ああ、新庄。おはよう」
「──え、ああ、おはよう橋月」
呼び捨てで呼ばれたから少し戸惑ったけど、きっと橋月なりに近づこうとしてくれてるってことだろう。
おれも呼び捨てだし、構わない。
「あ、そうだ! 昨日の子猫、今朝見たらいなくなってたよ。誰かが拾ってくれたのかな」
「……子猫?」
──まるで、昨日の子猫のことを憶えていないような態度と返事。
「ほら、昨日捨てられてた子猫だよ。……憶えてないのか?」
「……ごめん、忘れちゃった」
「そ……っか。それなら仕方ないな」
本気で忘れているみたい。
とぼけているわけじゃないみたいだし……でも、昨日のことをもう忘れているなんて、おかしい。
『おれのことは憶えているのに』。
──何か、特別な事情があるのかな。
「あれ、なんで新庄のこと、知ってるんだっけ……」
「く、クラスメートだからだろ! そんなことより、早くいかないと遅刻しちゃうぜ?」
「そう……だね、うん、行こっか」
なんとなくごまかしながら、おれと橋月は学校へと向かった。
◆◆◆
「……はぁ」
やっと学校が終わった。
結局、いつも通りの学校生活だった。
誰にも声をかけられないまま、授業を受けて、休み時間を過ごして、放課後。
「橋月、どうしたんだろ……」
登校中にはちゃんと話せていたのに、学校ではまったく話せなかった。
話しかけなかったおれが悪いのかな、やっぱり。
「新庄君、どうかしたの?」
「うわっ!? ……って、橋月か」
急に声をかけられたから、少し驚いた。
──新庄『君』?
「本当にどうかしたの、新庄君?」
「い、いや、なんでも……ない」
やっぱり、君付け。
今朝は呼び捨てだったのに……少し悔しい。
「ほら、暗くならないうちに帰ろうよ」
「あ、ああ。……なあ、橋月」
「なに?」
真っ直ぐに俺の目を見る橋月。
うーん、口調も少し違う気がするんだけど……やっぱり気のせいなのかな。
「……いや、なんでもない。さて、帰るか」
「うん!」
橋月と二人で、帰り道を行く。
◆◆◆
橋月とちゃんと話した日から、数日が経過した。
その数日で、おかしな点を二つ見つけてしまった。
一つは、『朝の橋月は、おれのことを必ず呼び捨てにする』ということ。
昼間と放課後──夕方は、『君付け』なのに、だ。
もう一つは、『朝以外の時間帯は、捨てられていた子猫のことを憶えている』ということ。
朝は間違いなく忘れているのに、夕方にそのことを話すと『いい飼い主に拾われたのかな』なんて言うのだ。
橋月はやっぱり何か複雑な事情を抱えている、そう確信したおれは、橋月が朝出てきた家──橋月の家へ来た。
今は、橋月の家のチャイムを鳴らして、誰か出てくるのを待っている最中。──なのだけど。
「だれも出てこないな……」
辺りは暗いから、家の明かりは確認できる。
なのに、誰も出てこない──ん?
「なんだこれ……?」
玄関の床に、何か液体のようなものがこぼれていた。
暗いからよくわからないけど、赤みがかった色の液体。
玄関前のライトが当たる位置にも、赤い液体が落ちている。
「──って、これ……!?」
血、だよな、明らかに。
ほんの少しだけど、鉄の匂いがする。
「ま、まずいんじゃ……橋月は!」
あいつは、無事なのか!?
で、でも、おれ一人がどうにかできることじゃないだろうし……。
「……そうだ!」
帰って、電話で担任の先生に連絡しよう。
先生なら、どうにかできるかも。
そうと決まれば、急いで帰らなくちゃ。
◆◆◆
『なんだと!? ……本当なのかい?』
「はい、間違いなく血でした」
家に帰り、橋月の家の玄関に血が落ちていたことを、電話で担任の先生に伝える。
『分かった、すぐに警察に連絡しよう』
「け、警察──ですか?」
そこまで大ごとにしなくても、と思う気持ちもあるのだけど。
『橋月君の身体に、いくつかあざがあるのを学校側で確認しているから、虐待の可能性もある。念には念を入れて、ってことだよ』
「わ、分かりました。お願いします」
虐待──いや、まさかそんな。
でもあいつ、自分の家に帰るのをすごく嫌そうにしていた。
──おれも向かおう。
◆◆◆
「もう少しで、橋月の家に──っ!?」
自転車で橋月の家へ向かっている最中、というか着く直前。
──銃声が、一発。
「ま、まずい──!」
橋月の身に何か起きたんじゃないか──頭によぎったその考えを必死にかき消して、ペダルをこぐ。
待ってろ、橋月。
◆
「大丈夫かい、宴君、宴君!」
大人の、橋月に呼びかける声が聞こえる。
自転車を橋月の家の庭に放り出して、玄関へ──って、人が倒れてる!
──そんなことより、橋月だ。
「おい、橋月!」
「──! き、君は?」
橋月に呼びかけていたのは、警察官だった。
「先生に連絡した児童です。……橋月は、どうしたんですか」
◆
警察官からの話だと、父親が自殺する瞬間を直視してしまって、魂が抜けてしまったかのようにずっと呆然としているらしい。
「大丈夫か、おい、おい!」
警察官は、救急車と他の警察官を呼びに行った。
「おい、橋月、橋月!!」
必死に呼びかけても、返事はない。
でも、息はしてる。生きてはいる。
だから、おれは呼びかける。
「橋月、頼む、返事をしてくれ……」
どんな言葉をかけても、橋月の目はうつろなまま。
「……橋、月」
結局。
橋月は、救急車に乗せられて病院へと行ってしまった。
◆◆◆
退院した橋月は、おれが呼びかけていたことを憶えてはいなかった。
父親が自殺する瞬間を見て、気絶してしまった、という風な記憶を持ったらしい。
俺は、それに対して、特に何も言わなかった。
言ってしまったら、橋月が混乱してしまうかもしれない。
そう思ったからだ。
余談になるが、現在、つまり高校2年になった橋月は、すっかり子猫のことを忘れていた。
というか、あの直後にはもう、忘れていたようだ。
あの一件以来、俺のことは呼び捨てで呼ぶようになったし、『朝の橋月』が前面に出ている感じだ。
どんな事情があったのか、俺にはもう分からない。
結局のところ、あいつは『抜け出せた』のだろうか。
あの日から、ずっとそのことばかりを考えている。
抜け出せたはずなのだ。──しかし、あいつはあの一件をはっきりと憶えてはいない。
そんな思考のループを抱えていた俺は、鏡の中の俺によって、その答えを知ることとなる。
答えは──『否』。
尤も、『救われたか』と問われれば、答えは違うのだろうけど。
──救われていたなら、嬉しいなぁ。
◆◆◆
「ほら、聞いて面白い話じゃないだろ?」
15分間ほどだけど、ずっと話していたから口が疲れた。
さて、こんな話を聞いて、裃さんはどんな反応を──。
「……ひぐっ、ひっ、ひぐっ」
「──へ?」
な、泣いてるんですけどぉ!?
どどど、どうしたらいいんだこれ。
「ご、ごめん、こんな話を聞かせちゃって……」
「違う、違うの……」
自信を落ち着かせ、ゆっくりと話し始める裃さん。
「そんな過去があったなんて、全く考えずに訊いちゃったから、申し訳ないな、って気持ちと、重い過去を背負ってるのに、そのことを全然外に出さないで過ごしてる橋月君と新庄君が、すごいな、って……」
「重い過去を持ってるのは、橋月だけだと思うけど……」
俺は結局、『救おうとした』だけだ。
救えたか救えなかったかは分からないけど、それだけは確かだ。
「……すごいね、新庄君も」
「すごい……って、どこが?」
何もできなかった俺の、どこがすごいと言うのだ。
「他人を救おうと一生懸命になれるところ。……本当に、すごいよ」
「そ、そう……かい」
ま、褒められるのも悪くないし、素直に褒められときますか。
そんなことを話していると、居間の扉が開いて、美味しそうな匂いが漂ってきた。
「おまたせしました、オムライスと唐揚げです!」
「うおっ!? 想像していたのよりももっと豪華だった!」
「えへへ……新庄君と裃さんには色々とお世話になっているので、少しでもお返しができれば、と思いまして」
冷凍ではなく、油で揚げた唐揚げのようだ。
「二人で作ったのか?」
「ああ、そうだぜ。俺も少しは料理できるからな」
「これで少し──? まあいいや。早く食べようぜ!」
「ああ、そうだな。それじゃあ……」
全員で手を合わせて、せーので一斉に。
『いただきまーす!』
◆◆◆
こんなに楽しいんだ。
こんな笑顔で、過ごしているんだ。
──きっと、救われているはずだ。
◆◆◆
『映し鏡と現世の!』
第10話 『新庄と、橋月の。』
◆◆◆




