第1話 出会いは衝撃的に。
凄惨。
今から思い返してみれば、ただの一言で片付いてしまうくらいの、ちっぽけな出来事だったのだ。
『────』
自宅の外がほんの少し騒がしくなり、それに釣られたかのように、『あの人』は俺の左頬を殴りつけた。
憎しみで溢れ返ったその表情から、俺は自分が何をしたのか、読み取ろうとしなかった。
面倒だったのだ。
『──っ!』
そんな俺の態度があの人の逆鱗に触れ、今度は腹部を蹴られた。
痛みは感じなかった。
それでも、悲鳴は出していたようで。
『────』
外がさらに、騒がしくなる。
言わずもがな、警察官である。
通っていた小学校からの連絡で、異変を感じ取ったのだろう。
『ちっ……』
汚らしい舌打ちを一つして、あの人はドアの傍まで近寄った。
直後、突入してくる警察官。
『────』
『──っ』
油断していた警察官の懐から拳銃を奪い取り、あの人は──自分の頭を撃ち抜いた。
『────』
呆然としている俺に呼びかける、警察官。
そして、
『大丈夫か、おい、おい!』
──頼りにしていた、誰かの声。
今はもう、思い出せないけど。
酷く、安心したのを憶えている。
◆◆◆
「そのあとに、その鏡を覗き込んでみると……なんと、そこには俺じゃない、誰かの姿が!」
「もう少しリアリティのある話をしてくれるか」
4時限目の後のホームルームが終わり、放課後。
昼食がまだなので、どこかに寄って帰ろうかと悩んでいると、万年ハイテンション(俺命名)のあだ名にふさわしい、黒髪短髪の新庄に話しかけられた。
今日の会話のテーマは、『鏡の都市伝説』らしい。
「おいおい、ここは盛り上がるところだぜ? そして、鏡の中の『誰か』は言いました。──お前を食べてやるぅ! ……という感じなんだが、どうだろう」
「どうだろう、じゃねぇよ! やっぱり今回もお前が作った話じゃねぇか!」
「ふっふっふ、我ながら力作だと思っている」
満面のドヤ顔の新庄。なぜそこまで自信を持てるのか、そこそこ長い付き合いだけど未だにわからない。
というかいい加減、自作の都市伝説を聞かされる俺の身にもなってくれ、と心の中で呟く。口にするとまた長くなるだろうから言わないけれど。
「さっきも言ったけどな、もっとリアリティを持たせて、ホラーな感じに仕上げればそれっぽくはなると思うんだ」
現実で起こりそうなことが含まれていると、嘘も途端に真実味を帯びてくる。
リアリティこそがホラーの真髄ではないだろうか。
「俺がホラー嫌いだって、知ってるよな」
「ホラーが嫌いなら都市伝説なんて作れないと思うんだけど……」
アホさ加減に頭痛がしてきた。
「それじゃあさ、夏休みに肝試しに行かないか? 俺のホラー嫌いを克服するためにだな」
「修学旅行で行った遊園地のお化け屋敷で半泣きだったお前が、肝試しだと?」
「小学校の時の話を引き合いに出すのはやめてくださいぃ!」
む、そんなに前だったか。その時の光景が面白すぎて鮮明に覚えているから、中学校くらいでの出来事かと思っていた。
小学校高学年のことだったっけ。
「今はもう大丈夫なのか?」
「まだダメだぜ!」
「だろうな!」
(なぜか)自信満々に返す新庄に、俺も元気に返す。
息が合ったような、全く噛み合っていないような。
「それにな、俺だってホラーが得意って訳じゃないんだぞ? 連れて行くなら他の人にしておけ」
「橋月ぃ! 付き合い悪いぞー、ぶーぶー!」
まさかのブーイング。子供か。
「ブーイングしても無駄だ! 俺は帰るぞ!」
「あ、ちょっと待って! 俺も帰る!」
……騒がしいやつだ。さっさと帰ってしまおう。
◆◆◆
高校から10分ほど自転車を走らせ、数年前に改装した大きめの駅の前で、新庄と解散。
そこから20分ほど東に向かって自転車を走らせ、ようやく自宅に到着。
築20年の、少し小さいけどまだまだ綺麗な一戸建てだ。
車2台が停められる駐車場を抜け、玄関横の物置に自転車を入れる。
白色の塗装の中にポツンと佇んでいる、薄茶色の引き戸の右側の扉をスライドさせ、家に入る。
「ただいま」
意味はないけど、挨拶は欠かさない。
◆
靴を脱ぎ、居間の座布団にカバンを放り投げ、台所へ。
──疲れた。
高校2年目の夏休み前なので、宿題がたんまり出ているのだけど、それをするには教科書やノートが必要なわけで。
ロッカーの中から必要な教科書を取り出し、カバンに詰め込んで、持って帰ってきたのだ。
自転車のカゴに入れたので、背負わない分まだマシだったのかもしれないけど、それでも疲れるものは疲れる。
カゴに入れた荷物が重すぎると、前に重心が行くから、下り坂が怖いのなんの。
「……あれ、牛乳終わったのか」
開けた冷蔵庫の中には、紙パックの牛乳の姿がなかった。
思い当たって、冷蔵庫の右にある流しを見てみると、きちんと開いて綺麗にしてある、紙パックが一つ。
「……今朝、飲んだっけ?」
紙パックは少し濡れていた。
まあ、いいか。
牛乳は明日の帰りにでも買うことにして、今日は麦茶だけで乗り越えよう。
◆
乾いたのどに麦茶で潤いを与え、居間へ移動。
5、6年前に買った小さめの薄型テレビを点け、放り投げたっきりのカバンを開き、教科書やノートを取り出す。
わざわざ2階の自室まで持っていくのが面倒なので、それらを居間のテーブルに置き、テレビへと目を移す。
時刻は午後2時半。ニュース番組か海外の映画くらいしかやっていないようなので、ニュース番組を点けておくことに。
ニュース自体に興味はない。時々やっている『下町のグルメ事情』『大人気観光スポット』……みたいな特集を見るためだけに点けておくのだ。
『──そうですね、両親は常日頃から虐待を繰り返していたと思われます。──ええ、はい、そうです』
画面の向こうでは、現場のアナウンサーがスタジオの司会者の問いに、数秒遅れて答えていた。
隣県で起きた、児童の虐待死について、だったか。
そういえば、今朝のニュースでもそんなことを言っていたような。朝は忙しく、まともに見ていないから、詳しい内容を知ったのは今が初めてだ。
「……アホらし」
子供が言うことを聞かなかったくらいで、虐待か。亡くなった子供の両親とやらは、どれほど非常識な存在だったのだろう。
子供が言うことを聞かないのなんて、当たり前じゃないか。
──こっちは、言うこと全部聞いて、その上で、なんだぜ?
「──っ、と」
いかんいかん、そんな自慢げに言うことじゃない。
悪い癖だ。辛い体験を、あたかも武勇伝のように語りたがる。
──あれは、忘れるべき事柄だ。
心の中を整理して、既に居間のテーブルに置いてあった、昨日配られた宿題の山に目を移す。
スタートダッシュが肝心だ。夏休み前半で、宿題は終わらせよう。
◆◆◆
2時間ほど宿題をやった後、息抜きにテレビゲームを1時間。──していたはずなのだけど。
よほど疲れていたのか、猛烈な眠気に襲われて、俺は寝入ってしまったようだ。
「……ふわぅ」
寝る時に敷いたらしい長座布団の上で胡坐をかき、大きめのあくびと伸びをして、立ち上がる。
今は何時なのか気になり、テレビの左側の本棚に置いてある時計を見ようとして、一つの疑問が浮かぶ。
「ゲーム機、片付けたんだっけ?」
ゲーム機とコントローラーは、きちんとテレビの下の収納スペースにしまわれていた。
寝ぼけていたから、片付けたのも忘れてしまったのだろうか。
「……まあ、いいか」
別に、重要なことじゃないし。
肝心の時刻は──午後7時15分。
1時間半くらい寝てしまったようだ。
「……冷凍の唐揚げでいっか」
今晩の食事を(毎度のことながら)テキトーに決め、台所へと向かう。
◆◆◆
「ご馳走様でした」
両手を合わせ、若干頭を下げながら。
久しぶりに唐揚げを食べた。冷凍だから大丈夫だろうけど、あの唐揚げいつ買ったやつだっけ、と少しばかり不安になったりもした。おいしかったから大丈夫だと考えることにする。深く考えすぎないことが大事。
「ご飯は……まだ残ってるな、明日の朝もこのご飯でいっか」
炊飯器の中には、お茶碗2杯分くらいのご飯が残っていた。
今朝、大目に炊いてしまったのだ。炊く手間が省けるから、いいことにしよう。
「……風呂入るか」
食器は風呂から出た後に洗おう。
そう決めて、居間に着替えを取りに行く。
◆◆◆
脱衣所。
洗濯機のふたを閉め、その上に着替えとバスタオルを置く。
「……髪、伸びたなぁ」
前に切ったのは、確か5月。2か月経つし、そろそろ床屋に行こう。
──でも、その前に。
「~♪」
洗面台の両開きの鏡3つ、その真ん中の大きめの鏡に向かって、少し邪魔に思えてきた前髪をいじって、モデルっぽくしてみた。
──してみた、のだけど。
「モデルの髪型って、どんな感じなんだ……?」
よく分からないので七三分けにしてみた結果、制服の白いポロシャツの堅い雰囲気と見事にマッチしてしまい、よくいるサラリーマンみたいになった。モデルって難しい。なる気は更々ないけど。
「……あっ」
色々な角度から見てみようと思い、両側の鏡を動かしていると、偶然、2枚の鏡の位置関係が水平に近くなった。
──映し鏡、だ。
「……いや、まあ」
昼間の新庄作の都市伝説を思い出し、何も考えずに、俺は──左側の鏡を、覗き込んだ。
映っていたのは、右側、つまり俺の後ろの鏡に映る、もう一人の、俺。
──の、はずだった。
「──っ!」
血の気が引き、背筋が凍った。
手前から数えて、2番目の鏡。
そこに映っていたのは──。
「誰だよ、これ……!」
一見しただけで分かる、さらさらとした長い黒髪を背中側にたらし、少し藍色の混じった黒色の瞳で、じっと俺を見つめる少女が一人。
少女、というほど小さくはないが、無垢な雰囲気がその言葉を勧めてくる。
冷静なのではない。目が離せないのだ。
「────」
はっきり言おう。──見惚れていた。
絶世の美女、なんて言葉があるが、まさにそれである。
真っ白のブラウスを着た上半身しか見えないが、容姿端麗、という言葉が一つの間違いなく当てはまる。
どことなく誰かに似ているのだけど、その誰かが思い出せない。──まあ、そんなことはどうでもいい。
とにかく、見惚れてしまっていた。
「……っ!」
何秒、或いは何分経っただろうか。
ようやく俺は、事態の異常性に気が付いた。
「と、とにかく離れないと……」
混乱する脳内で、生存できる可能性のある行動を考え、最も真実に近い答えを導き出し、俺は──鏡から離れることにした。
そうすれば、2番目の鏡に映るあの少女も、遠ざかってくれるだろう、と予測したからである。
──結果として、その目論見は失敗に終わったのだけど。
『あ、待って……うわっ!』
「……は?」
俺が喋っていないのに、勝手に喋りだした少女。──そこはもういい。
問題は、その後。
『ガラスがあると思って寄り掛かったら、実は何もなかった』と言えばいいのだろうか。
俺が覗き込んでいた左側の鏡から、少女が──文字通り、『飛び出して』きたのだ。
「いてて……って、あれ?」
「……え、っと」
脱衣所の床には、座り込む少女。
混乱に混乱を重ね、考えるのが面倒になった俺は、気の向くままに少女に話しかけることにした。
「大丈夫ですか?」
「……し、」
「し?」
覚悟を決めたかのように、脱衣所の床から立ち上がり、少女はどこか必死な目で俺を見据えて。
「しばらく厄介になりますっ!」
──嗚呼、新庄君。
お前の話も、案外馬鹿にできないな、なんて。
「よ、よろしく……」
戸惑いつつ答えながら、そんなことを考えていた。
◆◆◆
『映し鏡と現世の!』
第1話 『出会いは衝撃的に。』
◆◆◆




