7 ダークエルフ
湯気が立ちのぼる。
大型の蒸し器を開けると、そこに並ぶはフカフカの白いパン。
期待を込めてアツアツのパンを持ち上げると、市井で出回っているものなどとは比べ物にならないほどの柔らかさであった。
パンの下に木の皮を貼り付けてあるため、蒸してもあまりベタベタとはしていない。
真っ白のパンを半分に割ると溢れ出るのは肉汁。そして、ぎっしりと詰まった挽き肉である。細かく刻んだ食材の食感と重なって、ジューシーで最高のハーモニーを奏でていた。
「見たことがないパンですが、とても美味しいですわ……ちょっと紅茶には合わないけれど」
奴隷たちに売れと命じたパン――肉まんを食べながら、リリィシアがほっこりと笑う。アツアツを口にしているため、時々「はふはふ」という息遣いが聞こえてきた。
クロスは足を組み、自分の皿に乗せられた肉まんを見る。
「実家が中華料理屋だったからな」
「これは、ちゅうかりょうり、というのですか?」
「いや、肉まんだ。別に理解しなくていいよ。説明も面倒くさいから」
小麦粉と肉があれば出来る。百年前の召喚でも、時々、得意な料理を仲間に作って振舞っていた。
大食いのストリェラ専用に巨大肉まんを作ってやったりもしたこともある。
「クロス様は一流のシェフのようですわね」
――魔王を倒したら、クロスは料理屋さんをすべきよ。あたしも手伝う。あ、勿論、あたしは味見係ね! クロスの料理大好きよ。
「今頃は、多くの市民も口にしていることでしょう。流石はクロス様です。奴隷たちを使って、このような策をお考えになるなんて」
「適材適所って言葉があるからな」
「はい。あなたに捧げた国民です。なんなりと、好きなようにお使いください」
リリィシアは笑う。
朗らかに。優しい女神の笑みで。
人体を理解するのに時間がかかったが、リリィシアが手伝ったおかげで概ね、クロスが望む結果が得られたと思う。ついでに、苦手だった回復魔法もなかなか練度をあげることが出来た。
だが、圧倒的に人手不足だった。
効率的に短時間で、たくさんの肉まんを王都に広める役目として、クロスが選んだのが奴隷たちだ。
奴隷の中には元商人だった者も多く、商売のノウハウも基礎から教え込む手間が省ける。
見たこともない食べ物を、安値で売る怪しい露店が王都に複数同時にオープンすることで、不審に思う市民もいるかもしれない。
だが、彼らが頼って届けるべき王都の衛兵団はいない。
それどころか、今王城でなにが起こっているのか、知る者などいないのだ。王城に訪れる者はあれど、そこから外へ出ていく者はいない。
「これも一種の飯テロってやつだ」
「めしてろ?」
「飯テロ。本当は深夜に美味そうな料理の画像をSNSなんかに貼りつける残虐行為のことを言うんだけど」
「よくわかりませんが……わたくしにとったら、充分素晴らしいと思いますわ。とても残虐ですもの」
この王女が言うと、本当に残虐な行為も残虐には聞こえない。それくらい、リリィシアは楽しそうに笑っていた。胸が躍ると言いたげな表情だ。
「あなたも召し上がりますか?」
リリィシアはそのままの笑顔で振り返り、部屋の隅に視線を向ける。
「要らぬ。人間の食い物など、口に出来るものか」
憎々しげにこちらを睨む真紅の双眸。
抑えきれない感情のせいで、周囲の空気がざわめいている。いや、闇の精霊族であるダークエルフの魔力に呼応して、空気中の見えない精霊たちが揺らめいているのだ。
奴隷小屋に売られていたダークエルフの少女。人間で言うと、七、八歳程度にしか見えない。
エルフと同じ精霊族だが、闇の属性を持つ魔族として知られる種族。百年前の世界でも希少な種族だったが、今では更に価値が上がる。
どうして、彼女が奴隷に落ちていたかは、クロスの知ったところではない。だが、思いがけない掘り出し物だったとは思っている。
「貴様ら、人族であろう? 同胞同士で群れる弱い種族じゃ。儂らダークエルフの足元にも及ばぬ下等生物が」
「その下等生物に圧倒され、逃げるように森や山の奥地に隠れ住んでいるダークエルフ様のお言葉は、とても有り難いですわね」
基本的に温厚(そうに見える異常者)なリリィシアが珍しく棘のある言い方をする。自分の姉や国王を踏みつけて笑っていたときくらいか。どことなく、同じような嫌悪を感じた。
「邪悪な魔族と呼ばれるダークエルフも、今では落ちぶれたものですわね」
「魔族などと……儂らは無意味に殺しをせぬ。貴様ら人間と違って同胞同士で殺し合う愚かな種族でもない。勘違いしてくれるなよ、人間。儂らは貴様らが妄想するほど、邪悪ではないわ!」
琴線に触れたのか、ダークエルフの表情が揺れる。
彼女は悔しそうに犬歯の尖った歯を剥き出しにすると、拘束してある鎖を解こうとした。だが、魔封じの鎖が易々と解けるはずがない。精霊族である彼女にとっては、一番厄介な呪縛だろう。
「だが、お前たちダークエルフは魔王の配下であり、魔族どもを束ねていたことには違いない」
黙っていたクロスが口を開く。
リリィシアも同じことを言おうと思っていたのだろう。開きかけていた口を閉ざした。
「魔王? 貴様ら、まさか百年も前の復讐でもするつもりか? 儂一人を嬲り殺したところで、なんになるという。愚かしい人族の考えることだな!」
吐き捨てるように言うと、ダークエルフは近づいてくるクロスを睨みつけた。
幼い少女にしか見えないが、表情は獰猛な肉食獣を思わせる。鎖がなければ、すぐに噛み千切られてしまいそうな気配があった。
「復讐には違いないが」
クロスはダークエルフの前に立つ。そして、彼女を拘束している魔封じの鎖に触れた。
「俺が復讐するのはお前たちじゃない」
外側から魔力の圧力をかけると、鎖は容易に砕けた。ダークエルフは紅い目を見開いて、クロスを見つめる。
クロスの行動に、リリィシアが思わず立ち上がった。
「貴様、どういう――」
「【平伏せ】」
魔法の詠唱と同じく、言葉に魔力を乗せてやる。すると、立ち上がったダークエルフの身体がピタリと止まった。
「くッ……なんだ!?」
ダークエルフは表情を歪めながらも、あっさりとクロスの足元に平伏した。その結果を見て、クロスは満足げに唇の端を吊り上げる。
【精霊隷属】の効果である。
エルフやダークエルフは精霊族だ。元々は空気中に漂う精霊たちと変わらない存在。クロスの祝福によって絶対服従が及ぶ範囲にある。
これが別の魔族だと話は違ってくるが、少なくとも、ダークエルフである以上はクロスの言霊は有効に働く。中途半端な祝福だが、たまには役に立つ。
「俺が復讐するのは魔族じゃない。人間だ」
ダークエルフは言霊の服従から逃れようと表情を歪めていた。されど、クロスの言葉を聞いた瞬間、目の色を変える。
興味を持ったようだ。
クロスは続ける。
「ダークエルフは魔王軍じゃ幹部クラスの魔族だった。希少種だったが、その力に多くの冒険者が手を焼いていた」
「そのような過去の話を」
「俺にとったら、つい最近だよ。長命種のお前らにとっても、そうじゃないのか?」
この世界では百年も昔の話だ。だが、クロスにとっては、つい先日の話である。
「俺は魔王になって、この世界を壊す」
「魔王……人間風情が?」
ダークエルフが鼻で笑った。
「人間が魔王の真似ごとだと?」
余程おかしかったのだろう。ダークエルフは声を潜めて。だが、次第に哄笑した。
「確かにお前の魔力は強力だ。魔王に匹敵する……いや、魔王を凌ぐ。だが、人間よ。貴様になにが出来る? 誰が貴様に従う?」
ダークエルフの声は嘲笑っているかのようだった。言葉の節々に、人間に対する憎悪と嫌悪、そして蔑みの色が含まれている。
「だから、お前を生かしているんじゃないか」
だが、クロスはそのダークエルフを見下すように笑みを作った。
「まあ、見ていろ」