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59 三番目の結晶

 

 

 

 森の奥にはエルフが住み、山にはドワーフが隠れている。

 魔物や魔族はひっそりと息を潜めて、人里へ出てくることは滅多にない。

 魔王のいない世界に蔓延るのは、無数に増えた人間であった。


 これが現在の均衡であり、秩序。

 衰退する種族があれば、隆盛する種族があり。


 そして、それは、本来のこの世界の在り方ではなかった。


 故に、調整(・・)が必要である。


「ああ、なんて嘆かわしいのでしょう」


 至極、穏やかに。

 至極、優美に。

 至極、上品に。

 至極、優しく笑う声がした。


 リリィシアは剣を一振り握ったまま、森の中を歩く。

 壊滅したアッカディア軍の女王が所持していた聖剣だ。元を辿れば、世界を救った勇者が制作してアッカディア王家に献上した品だと言う。

 確かに、これを扱うには尋常ではない魔力量が必要だろう。リリィシアでは、一度撃てば数日動けまい。

 あの化け物が造りそうなものだ。本来であれば実用性など皆無。

 しかし、彼はこんな代物では平気な顔で振るってしまうのだろう。


 そんなことを考えている間も、リリィシアは笑みを絶やさなかった。

 いつもと同じく涼やかに笑う。

 思うに、物心ついた頃から、自分はいつも同じ顔をしている気がする。どうしてだったか、よくわからないほど自然に、リリィシアはいつも笑っていた。

 そこに感情がなくとも。


「こんなにも……こんなにも、愚かしいなど。本当に、嘆かわしいですわ」


 なんとなく取り上げた聖剣を弄びながら、リリィシアは笑う。

 歌うように軽やかな声で、水のように清らかな声で。


『――だから、減らす必要があるんだよ』


 当然のように口から滑り出た言葉。


「あら?」


 だが、その言葉に、リリィシアは自分で疑問符をつけた。


 今、わたくしは、なんと言ったかしら?


 唇を指で押さえるが、リリィシアは自分でもなにを言ったのか思い出せなかった。昔から、このようなことが時折あったと思う。

 特に困るようなことはないので気にしていないが。


「そう。そうですね……人間同士が争うなど、不健全です。この世界の在り方ではない。だから、魔王が必要なのですわ。多少の人間は減ってしまうけれど、些細なことですから」


 リリィシアは構わずに自分の思想を口にする。

 誰も聞いてはいない。鳥のさえずりと、風に揺れる木々の葉音だけだ。


「わたくしは、この世界の在り方を正すだけですから」


 だって、それが役目だから。

 それは幼いころから無意識に自覚していた自分の使命だ。

 息を吸うようにリリィシアは、そう考えるようになっていた。実際、人間同士で争うのは嘆かわしいことだ。生存競争が絡まない場面で、同胞殺しを犯す種族など他にはいない。


「わたくし、共感してくださる方がいなくて残念でした」


 リリィシアは目を伏せ、歩みを止めた。

 右手を上げて風の精霊に呼び掛けると、周囲に旋風が渦巻く。


「そして、やっぱり……残念ですわ」


 風が巻き上がり、見えない刃となる。

 刃は矢のように、まっすぐ、リリィシアから少し離れた大木を切り裂いた。見事な大樹が一瞬にして、切り株に変わってしまう。

 そこに隠れていた影を見て、リリィシアは変わらぬ笑みのまま口を開いた。


「お兄様は、どんな役目を与えても凡庸で無能。結局は生まれながらの素質は変えようがなかったのですわ。こんなに手を尽くしたと言うのに、情けない」


 焦りの浮かぶ顔を眺めて、リリィシアは平坦に言った。

 皺だらけでひび割れた肌に疑問のような表情が浮かんでいた。肉が落ちてしまったせいで眼球が突出しているように見える。銀の髪には艶がなく、陽の下でありながら輝きが失われていた。

 夕陽色の瞳を持ったみすぼらしい老人――オルフェウスは、リリィシアに向けて炎弾を放つ。


「そのような……ほとんど魔力など残っていないではありませんか」


 放たれた炎弾を容易く蹴散らし、リリィシアはオルフェウスとの距離を詰めた。


「リリィシア!」


 潰れた声で名を呼ばれ、リリィシアは応えるように微笑んだ。


「ああ、本当に残念ですわ」


 神速と呼ばれているはずの男の首を簡単に掴んで、リリィシアは嘆きの表情を浮かべてみせた。


「わたくし、お兄様のことは気に入っていましたの。だから、きっと役割を果たしてくれると信じていましたのよ?」

「役、割……?」


 地面に組み伏せながら、リリィシアはオルフェウスの首を絞める手に力を込めた。抵抗する力からは、老いを強く感じざるを得ない。この程度であれば、カルディナ屈指の聖騎士(クルセイダー)であるリリィシアの敵ではなかった。


「力を持ったところで、凡人では勇者になれませんでしたか」


 リリィシアが言葉を重ねると、オルフェウスはようやく理解したのか、顔色を変えた。


「何故、私に……ッ! お前が!」


 その声は純粋な疑問。

 否。

 怒りを含んでいることを感じ取って、リリィシアは首を傾げた。


「おかしなお兄様……きちんと勇者の役割を演じてくださったのに、今更、祝福への文句ですか? 強大な力に代償は付き物でございましょう?」


 だが、とても人間らしい感情だ。

 それだけに残念だった。


「だって、お兄様は昔から、こういうのお好きでしょう? 凡人は凡人らしく、大人しく自分の器に収まっていればいいのです。それが楽な道ですもの。それなのに、飽きもせず人並み以上に努力してきたではありませんか。器以上のものを得ようとしてきたではありませんか。わたくし、そういうお兄様大好きですよ。お兄様も、ご自分のことがお好きなのでしょう? そういう、逆境にある自分自身が。だから、それなりの代償があっても、相手が強大な魔王であっても、構わず立ち向かえると、わたくしは信じていましたよ。実際、そうしてくださったではありませんか。楽しかったのでしょう? 勇者ごっこが。それなら、満足の結果ではありませんか。どうして、そのような顔をするのですか?」


 リリィシアはオルフェウスが「望むもの」を与えてやったはずだ。

 凡人が持ち得ない力を。彼が好むような逆境を。それを乗り越えた先に約束されるはずの栄光の夢を。


「結局、力があったところで、どうしようもない凡人だったことは残念ですし、わたくしの期待外れではありました。文句の一つも言って当然でしょう? でも、お兄様から恨まれる筋合いはなくてよ?」


 ゴキリと、不吉な音がした。


「あら、つい熱が入ってしまいましたね。ごめんなさい」


 誤ってオルフェウスの首を折ってしまったようだ。しかし、彼はどう足掻いても死なないのだ、少しくらい構わないだろう。どうせ、もうこれでは魔王となるクロスと戦うのは不可能だ。


「でも、わたくしはお兄様のことが特別好きですので」


 息を吹き返したオルフェウスに向けて、リリィシアは満面の笑みを作った。


「な、なにを……!?」


 実妹の顔など見慣れているはずだ。それなのに、リリィシアを見るオルフェウスの眼には恐怖が浮かんでいた。

 どうしてだろう。

 リリィシアは、これからとても素晴らしい提案をするつもりなのに。


「ここに、もう一つ祝福の結晶があるのです。こういうこともあるだろうと思って、お兄様のために大切にしておいたのですよ」


 深紅の結晶を取り出す。

 祝福の力は勇者の召喚と同時に結晶となる。そして、その力を譲渡することで初めて効力を発揮するのだ。


 最後の結晶は他でもない。

 三人目の勇者クロス・カイトを召喚した際に発生した結晶である。


「たぶん、また代償が増えると思いますけれど、お兄様なら大丈夫ですわよね? だって、お兄様は苦難がお好きだから。なによりも、もっと大きな力が手に入るのですからね」


 祝福の結晶は被召喚者の素質に由来して造られる。


「もっと喜んでくださいませ。クロス・カイトと同じ【精霊隷属アブソリュート・オビーディエンス】です。全属性の精霊の隷属と、無尽蔵の魔力。いいえ、それ以上の力でしょう」


 クロス・カイトが当初与えられた力とは比較にならない。種火のような力をコツコツ育てる必要もない。

 これは召喚された時点でのクロス・カイトの能力値に依存するのだから。


 その分、代償も重いものになるが、些細な問題だ。


「や、め……」


 オルフェウスが乾いた唇でなにかを訴えている。

 どうやら、歳をとりすぎて上手く声が発せないようだ。あらゆる筋肉が短時間で衰えてしまったせいであると理解出来た。


「安心してくださいませ。そんな醜いお姿のままでは戦えませんよね? ユキカリアで大変興味深い聖獣を見ましたので、壊れた神殿から資料を拾っておいたのです。少々苦痛かもしれませんが、お兄様は死なないし大丈夫でしょう。お喜びください、また勇者が出来ますよ?」


 リリィシアは笑った。

 いつものように。


 そして、思い浮かべる。

 リリィシアが救った後の世界を。


 それはきっと、この世界本来の姿だ。

 在るべき世界であり、とても健全な光景なのだろう。


 そして、その世界はきっと美しい。


 美しいはずだ。


 でも、――不思議なことに、どう美しいのかは、わからないままであった。

 わからないが、それは些細な問題である。

 

 

 

 4章はここで終了となります。

 5章が最終章となる予定ですので、残りもどうぞよろしくお願いします。

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