57 死の代償
「お兄様は、悲しくならないのですか?」
そのようなことを言いはじめるリリィシアの横顔を、オルフェウスは不思議に思いながら見つめた。
「わたくしは悲しいです。このような争いなど」
長きに渡る戦を嘆いているように思えた。
傷つく民の姿に胸を痛める心優しい王女。周囲の評価はそんなところである。
オルフェウスの目にも、そのように映っていた。
「お兄様、どうして人は争うのでしょう?」
そう問われて、オルフェウスは閉口した。
どうして争うのか。
いかにも哲学的な、いや、文学的な命題か。ともかく、リリィシアの投げかけた問いは難しいものであった。
そこに利害が絡む限り、争いはなくならない。それがきっと人の本質である。争いは手段であって目的ではないのだ。逆になっている特殊な人間もいるだろうが、それは個人の問題。
互いの利益を守りながら平和的に解決する術を、人は知らないだけなのではないか。
「ああ、やはり……お兄様は素晴らしいです」
特別、変わったことを言った覚えはない。
しかし、リリィシアは春が咲き誇ったかのような笑みで、オルフェウスを見上げた。昔から何ひとつ変わらない純真無垢な――人々から愛されて然るべき可憐なカルディナの姫そのものであった。
だが、オルフェウスは気づくべきだった。
彼女もまた、優秀な魔法使いであり、戦場に出れば剣を振るう聖騎士。
その顔に纏った笑みに似つかわしい純真無垢な姫君などではないのだ。
「争わなくても良い手段を授けることが出来れば、きっと人と人との争いはなくなりますね」
仮面のような笑みに気づいた者はいなかった。
オルフェウスもまた気がつかないまま、軽く笑う。
「そのようなことが出来るなど、創世の主くらいなものだろう」
「本当ですか?」
「それほど、難しいことだと私は思っているが」
「いえ、そうではなく」
リリィシアは清廉な笑みのまま、心底不思議そうに首を傾げる。
「そのようなことが出来るのであれば、最初から、そうなさるはずです。であるならば、創世主様にも成すことが出来ないのではないでしょうか?」
「神殿の教えでは、我らに苦難を与えて試すこともあると言っていたぞ?」
あんなものを真に受けているわけではないが、妹の言葉遊びに付き合ってやることにした。リリィシアは時々理屈っぽくあるが、代わりに見合うだけの優秀さがある。
魔法の才に自惚れている節があるナターシアと違って、リリィシアは勤勉であった。探究することは悪くない。
「こうは考えられませんか? そもそも、創世の主などいないのです」
「ほう。その話を神官にしてみせると、半日は説法を聞かされるだろうさ」
今は魔物狩りを生業とする傭兵集団のようなものだが、一応は神殿に仕える聖職者である。王族からこのような発言を聞けば、血眼になって聖典を読み上げはじめるだろう。
「あら、お兄様。わたくしは真面目でしてよ?」
菫色の瞳が細くなる。
「神はいない、あるいは、いたけれども既に滅びてしまわれたのです。そうでないのならば、敢えて放任しているのかもしれませんわね」
なんのために? そう問う前に、リリィシアは踵を返した。
「まあ、直接聞いてみなくては、わかりませんけれど」
今にして思うと、オルフェウスはリリィシアの本質を理解してなどいなかった。
表面的に取り繕われた笑みで周囲を騙していたのだ。
彼女の狂気がいつ育まれたのか、何故のことなのか、オルフェウスにはわからない。
ただ、あのときには既に、魔王を作り出すという計画を考えていたのかもしれない。
「そっか。そりゃそうだな……理解したよ、お前の代償」
心底愉快。
そのような表情を浮かべた魔王の顔が目の前に迫った。
隠していた顔を見られ、オルフェウスは奥歯を噛んだ。
「あと何回くらい殺してやればいい?」
目の前の魔王――クロス・カイトはオルフェウスに課せられた代償を理解している。
とっさに逃れようと身体に力を入れるが、拘束が強すぎた。
間髪をいれずに、視界が閃光で埋まる。
痛みを感じる暇もなく、自分が死んだのだと悟った。
いや、悟ったときには、生き返ったあとだった。
オルフェウスに与えられた祝福は【不死鳥】。死しても蘇る。確実に死ぬが、必ず生き返る。
しかし、祝福には代償が存在するのだ。
「ぐ、っ……あッ!」
殴られるような衝撃と共に熱さが貫き、後に激痛へと変わる。
雷の槍で心臓を一突きにされ、オルフェウスの口から鮮血がこぼれた。泡のような血を吐きながら、衝撃で仰け反る。
仰いだ天は高く、遠くで鳥が弧を描いて飛んでいるのが見えた。
「いくら殺しても生き返るなんて面倒だと思ってたけど、案外、対処は楽そうだな」
クロスが笑いながら、長槍の柄をゆっくりと回しながら押し込んでくる。同時に微量の電流が流され、肉が焼ける匂いが漂った。
「この……!」
動きを封じられ、一方的に嬲り殺される。今負っている傷も致命傷となるはずだ。
内側から血液が沸き、耐え難い痛みが駆け巡る。雷魔法に当てられて、内臓が焼けていく。肺を潰され息も出来ず、声さえ出ない。
意識を手放し、取り戻したときは再び振り出し。
三度オルフェウスを殺そうと、クロスが槍を大きく振り被っていた。今度は脳天から二つに割るつもりか。
「このオルフェウス……ただでは死なぬと、言ったはずだ」
この瞬間を待っていた。
オルフェウスは正面からクロスを睨みあげる。
「ふぅん?」
クロスは挑発的に笑ったまま、殺すために振りあげられた刃を落とす。勢いよく矛が風を斬り、オルフェウスの頭を狙った。
クロスが近づいた瞬間を狙って、オルフェウスは呪文の詠唱を行う。
「うわ、まじか」
オルフェウスを中心に炎の渦が舞い起こる。
クロスの魔法によって動きを封じられたが、魔力は残っていた。そして、詠唱するための言葉もある。
炎渦によって拘束していた植物が焼き払われた。
加えて、強くはないが雷魔法を乗せてやる。クロスは雷魔法の力加減によって、人間を捕捉しているようだ。
それならば、その魔法を乱してしまえばいい。
「ほぼ自殺行為だろ、それ」
炎を避けるために、クロスが距離をとっていく。
「ただでは死なぬと言っただろう」
自殺行為と称したクロスの言う通りだ。
動きを封じられている状態で、暴発させるように炎魔法を駆使したのだ。オルフェウス自身の身体が発火し、火傷が広がっていく。戦う上では致命的な負傷だ。
「貴様はこの世界には必要ない! 魔王などいたところで……なにが変わると言う!」
オルフェウスは自由になった手で、腰に帯びていた短剣を抜く。
そして、躊躇いなく自分の喉頚を切り裂いた。
炎の紅に鮮血の朱が上塗りされる。
何度体験しても、死の痛みには慣れない。一瞬で死ぬときなどはマシな方で、このように喉を裂くと死に至るまでに時間がかかる。痛みと熱さが押し寄せ、やがて、震える寒さが襲ってくるのだ。
慣れるものではない。死そのものへの恐怖も薄れない。
だが、
「貴様を倒すための代償だ」
手放した意識が繋がり、蘇る。
オルフェウスの祝福は、死亡しても蘇るだけのもの。能力に変化はなく、圧倒的な力差は埋められない。
けれども、死ぬ前に負った傷は全快する。魔力量も消費前まで回復する。つまり、死ぬことで持久戦を考えず、常に全力で挑むことが出来るのだ。
祝福の利点を利用して、込められるだけの魔力を炎弾に纏わせる。
「本当、面倒臭い奴」
クロスが悪態をつきながら光の壁で炎弾を防いだ。
けれども、クロスが攻撃の魔法に転じる頃には、
「遅い」
神速と呼ばれる身体能力で、オルフェウスは一気にクロスとの距離を詰める。扱い難い長槍の矛を宙に向けたときには、もう的であるはずのオルフェウスはクロスの後ろを取っていた。
「死ね!」
炎を纏った拳がクロスの側頭部を打つ。
「なッ……!」
とっさに受け身を取って転がるクロスを追撃しようと地面を蹴った。クロスが起き上がる前に、オルフェウスは二撃目を叩き込む。
「はぁ……はッ!」
乱れる息を無理に繕って、オルフェウスはもう一度、拳に魔法を纏わせた。
この神速について来られる者はいない。
微弱な雷魔法を利用した身体能力の向上など、誰も試みたことがないのだから。習得するために膨大な時間と失敗を重ねてきた。
この魔法で終わらせる。馬鹿げた復讐劇など閉幕だ。
「こういう電気の肉体強化系ってさ」
最後の一撃のつもりで、地面に仰向けになったクロスの胸部へ。
肋骨を砕き、心臓を潰し、肉を焼く。
「SF漫画なんかで御用達能力って感じだから、まさか剣と魔法の異世界人がマスターしてると思わなかったんだよなぁ。やってみると、結構楽しいね。便利だ」
しかし、穿たれたのは地面。
舞い上がる土埃の向こうで笑う影に、オルフェウスは寒気を覚えた。
「無駄に死んでくれて感謝するよ」
次に声がしたときには、敵は背後にいた。
視認すら出来ない速度で移動する様は、オルフェウスの魔法と酷似している。
この短期間で技術を習得したということか。
「……化け物が」
どんなに才ある魔法使いでも不可能だ。
けれども、クロス・カイトは容易に成し遂げた。
だからこそ、彼は勇者であったのだろう。魔王を倒し、世界から恐れられた――。
「化け物ねぇ……それはお前だって一緒だろう? 自覚があるから、ご丁寧に顔を隠していたんじゃないのか?」
クックッと口の中で笑う声がする。
オルフェウスは無意識のうちに、自分の顔に振れていることに気づいた。だが、その手を払って拳を握る。
「……黙れ……」
今の間に三度死んだ。
自らの手に刻まれた皺が、少しばかり濃くなっているように見える。魔力量は蘇るたびに回復するが、身体を動かすと息が切れるまでの時間も短くなっていた。
「まだオッサンってトコだけど……ヨボヨボになって動けなくなるのは、何回死んだ頃かな?」
祝福には代償がある。
死ぬたびに歳をとること。
それがオルフェウスに課せられた代償だった。




