55 勇者の代償
「流石はぁ、ご主人様ですぅ!」
イスファナが指で輪っかを作り、両目に当てて笑っている。双眼鏡のつもりなのだろう。そんなことをしなくとも、彼女には遠くを見通せる能力があるはずだが。
敵軍の大半は濁流に呑まれて壊滅している。
アスワドとデュラハンに命じた工作が功を奏したのだ。川の上流を堰き止めさせて、一気に解放した。水流を調節する程度であれば、アスワドの力で充分だ。
「尻尾切りされたみたいだけどな」
偵察に飛ばしていた風の精霊から報せを聞いて、クロスは息をついた。
どうやら、前衛の部隊が後衛を見捨てたようだ。
相手の軍は全滅したわけではない。クロスに魔力を消費させるための最低限の戦力を残しながら進んでいる。
「ほんと、面倒臭いなぁ」
魔法を極力使わずに戦力を消耗させたかったが、ここからはクロスが動くしかないだろう。
それでも、第七階級の大魔法を何度も撃ち込まなければならないほど数でもないので、充分な成果かもしれない。
丘陵の向こう側に見えてくる軍勢。
数にして、三千前後か。これだけの数の兵を素早く動かすには、かなりの統率力が必要になる。
「【魔道具召喚 地神ガイア】」
空間魔法から剣を一振り取り出した。
「ご主人様ぁ、早速使うのですねぇ? 使ってしまわれるのですねぇ? イスファナちゃん命名の『キラキラ恋のおっぱい体操』を! 是非とも、是非とも! イスファナが殺す分も残しておいてくださいね?」
「その名前は却下しただろ」
大きい胸を擦りつけてくるイスファナを煩わしく思いながら、クロスは両手持ちの剣を握る。最初は気に入っていた気もするが、人格のないルルやララの方が五月蠅くなくていい。
少しずつ、自分が消えている。
そんな実感がありながら、それも悪くないと思っている。
少なくとも、今は然程怖くない。
「ご主人様ぁ。いーっぱい、見えましたよ~? はぁん。興奮してきちゃいますぅ。想像しただけで……もうっ! ……早速、殺しちゃいますぅ?」
「言われなくても、わかってるよ」
軍勢の中で一ヶ所に視線が固定される。
大勢の人間の中から、瞬時に獲物の姿を捉えることが出来た。
はためく群青の軍旗の下で煌めく甲冑。
顔はまだよく見えない。だが、わかる。
月のような銀色の髪の下から、こちらを射抜く視線を感じて、クロスは唇に笑みを描いた。挑むように。
「【葦の大地】」
即座に短い呪文を詠唱して、ガイアの刃を地面に突き立てる。
ガイアは、いつも通り、クロスの魔力を効率よく引き出して魔法に変える魔道具だ。大軍を処理するために大掛かりな魔法を無闇に使えば、消耗することは目に見えている。
ある程度の力は出さなければならないが、最低限の魔力で済むに越したことはない。
刃を突き立てた地面がミシリと音を立てる。
次いで激しい地鳴りと共にクロスの足元の地面が盛り上がった。刃を境に地面が割れ、大きな裂け目を作っていく。
大地が裂け、深い谷が現れる。
こちらに進んでいた軍勢が巻き込まれ、馬と共に落下していった。三千程度の軍を突き落とすには、ちょうどいい裂け目である。
軍勢を直接吹き飛ばすよりも、遥かに魔力の消費を抑えることが出来た。
「ずるいですぅ! イスファナも! イスファナも!」
クロスが軍勢を全滅させてしまうと、自分が殺す人間がいなくなってしまうと思ったのだろう。
イスファナは胸を揺らしながら、裂け目に向かって魔法を放った。第五階級の炎魔法だ。
もっとも、クロスが今使った魔法をイスファナが使用すると、十中八九魔力が枯渇してしまう。その程度の魔力しか与えていないが、谷に落ちた人間を始末する魔法を放つには充分な能力を有している。
「キュピーン! 新曲のインスピレーション♪ ねえ、ご主人様ぁ? 『ドキドキ☆丸焼けバーベキュー大会♪』とか、どうですぅ? 歌ってみても、いいですかぁ?」
「うん、ちょっと黙ろうな」
「うぅ。ご主人様がイスファナに冷たいです……傷ついちゃうぞぉ、キャピッ☆」
イスファナが胸を揺らしながら擦り寄ってくる。
大きく裂けた大地に、裂け目を焼く劫火。この場面において、なんとも不適切な存在だろう。リリィシアならば、「趣味が悪い」と言い捨てているかもしれない。
「おっと」
クロスは逸れていた注意を戻す。
兵士たちの断末魔が止んだ頃合い。燃え盛る炎の音だけが支配する平原に違和感を覚えた。
「【女神の加護】」
刹那、身を翻して光の壁を形成する。
渦となって天に舞いあがる炎。その中から、魔力を持った火炎弾がクロスに向けて飛び出した。
火炎弾は光魔法の壁によって阻まれて消滅。壁も衝撃で相殺されるように掻き消えた。
「来たか」
炎の中から、再び火炎弾が放たれる。二度、三度と、第五階級の上位魔法が即撃ちされる。通常、このレベルの魔法は放つのに時間がかかるが、明らかに速い間隔で連続して放たれているとわかった。
「んもうっ! むっきゃー! 鬱陶しいですぅ!」
イスファナが煩わしそうに、火炎弾を大鎌で両断してクロスを守る。連射されているが、魔法自体の威力は高くない。
最初に対戦したときは驚いたものだが、慣れてしまえば対処も出来る。
「【竜巻旋風】」
呪文で一言、精霊を隷属させる。激しい風が舞い、竜巻となって壁のように立ちはだかった炎を襲う。
黒煙と火の粉が旋風によって食い破られた。
「【魔道具召喚 雷槍ゲイボルグ】」
クロスは間髪をいれずに、空間魔法で長槍を取り出す。
「ご主人様ぁ!」
「邪魔だ、来るぞ」
ここからは近接戦だ。一番得意とする雷魔法を使役する方が都合いい。
「【電磁石】」
クロスを中心とした地面に魔法陣が展開される。磁石の原理を応用した魔法だ。人間の身体に流れる電気信号に反応して、相手を捕捉する。
最初にオルフェウスを殺してやったときと、同じ方法だ。
「ぐっ……!」
目に見えぬほどの速度で地を蹴っていた者の動きが停止する。
「ここまでよくやったな」
地面に膝をつき、顔を伏せた男――オルフェウスを見て、クロスは少しだけ笑ってみせた。別段、楽しいというわけではない。
「でも、ただ目障りなだけだよ」
特別強いわけではない。ただ蠅のようにしぶとく纏わりつく煩わしい存在。
妹のリリィシアと同じ銀髪を蹴りつけたい衝動に駆られて、クロスは片足を上げる。
頭を守っていた銀色の甲冑が跳ね飛ばされる。
だが、
「……くそっ」
太陽の下に晒された青白い髪を見て、クロスは悪態をついた。
「ただ目障りなだけかどうか、その身で味わえ」
背後からの声と同時に、クロスは横に飛びすさる。
地面に伏していた男――オルフェウスの影武者共々、地面が吹き飛んだ。火炎弾の連射による攻撃で、身をかわしたクロスを追って、二発三発と次々撃ち込まれていく。
磁石の魔法陣の外で、銀髪の男が笑っていた。
マフラーのように巻かれたマントによって、口元はよく見えない。だが、確かに笑っていると感じた。
好戦的に。獲物を狙う猛獣のように。
「その首、貰い受けるぞ。堕ちたる勇者!」
「本当、目障りだな! 面倒臭い!」
クロスは撃ち込まれる火炎弾を防いで、光の壁を作る。
オルフェウスが得意とするのは近接戦闘だ。対して、クロスは中距離や遠距離への上級魔法に長けている。
間合いを保てば、有利なのはクロスだ。距離を詰められてはいけない。
クロスも魔法を撃ち返して応戦するが、魔法陣の外にいられてはこちらの攻撃も当たらなかった。
無意味に上級魔法を放つと時間と魔力を消費する。その隙を与えるのは愚策であることは、クロスにもわかっていた。
「役目を終えた勇者が魔王なぞ気取って……貴様の行為が無意味なことくらい、考えてわからないか!」
低く吐き捨てるように問われるが、クロスは一蹴する。
「俺が魔王気取りなら、お前は勇者でも気取っているつもりか?」
「貴様が魔王を名乗るなら、倒す者が必要だ」
「……お前なんて、勇者じゃないよ」
淀みなく言い切ったオルフェウスを睨んで、クロスは表情を歪めた。
吐き気がする。
「お前みたいなのが勇者だって言うなら」
――俺、全ての人を救いたい……この世界、全部!
――そのためなら、俺はなんだってするよ。
「俺は魔王になんて、ならなかった!」
オルフェウスは水攻めの罠を知りながらも、自軍を保つために後衛の陣を斬り捨てた。クロスに上級魔法を使わせて魔力を消耗させるために。そうして進めた軍も犠牲にした上で、こうしてクロスと対峙している。
それは犠牲を払って目的を果たすための布石。
根本的な考え方は妹のリリィシアと同じだ。目的が違うだけで、こいつらはなにも違わない。なにも変わらない。
勇者であった頃のクロスとは違う。
なにもかもを守るために自分を犠牲にして、――なにもかも失った。
自分の存在を全否定されているのではないか。そんな気分に陥る。
――クロスがこんなに頑張ってくれるから、あたしはクロスのために生きてもいいかなって……思うんだよ。
「対価を得るには、相応の代償が必要だ。この身に宿った祝福と同じように」
オルフェウスの言葉が貫くように鼓膜を揺らした。
ああ、だったら。
「だったら、俺が払った対価の代償は、なんだったんだよ!」
長槍で地面を軽く叩く。
刹那、一定の大きさを保っていた魔法陣が一気に範囲を広げた。ギリギリまで見せなかった手の内だ。わざと狭い範囲で魔法陣を展開し、本来の射程距離までオルフェウスを惹きつけたのだ。
「支払った対価の分だけ、償ってもらっても構わないよな」
魔法陣の磁石に絡め取られ、身動きの出来ないオルフェウスに向けてクロスは一歩ずつ踏み出した。
遅くなりました。
おっぱいの大きな女騎士の「くっ……殺せ!」を書きたいという欲求に耐えながら、なんで男の喧嘩書かにゃいかんのや。理不尽です。今からオルフェウスをTSさせたい。あ、駄目ですか。はい。




