50 裏切り
甲冑が擦れ合う音が響いている。
アッカディアの軍勢が準備を終えて城門を潜るところであった。
その様子を、インテグラは自室から眺めていた。
聖剣を使って疲弊した魔力は回復した。第五階級を越える上級魔法でも容易く操れるだろう。部屋に張ってある結界も、平常通りに機能している。
「陛下、ご支度を」
臣下に促されて、インテグラは窓から離れる。
用意されていたのは、深紅の鎧。アッカディア王家の象徴である薔薇の紋章が刻まれている。
勿論、剣による攻撃を防ぐ役割ばかりではない。アッカディア最高の職人に作らせた魔道具でもある。第五階級程度の魔法までなら、無傷で防げるだろう。
普通であれば、第五階級以上の魔法など想定しない装備をつける。
上級魔法が無尽蔵に戦場を飛び交うことなど皆無であるし、そのような使い手と対峙した場合は逃げるか、実力者なら自力で応戦するのが常だ。
だが、それは普通の戦争での話。
インテグラが想定する戦では、必要な代物だった。
「あたくしが勝つのよ」
噛み締めるように呟く。
そう。勝つのはインテグラだ。
「わけのわからない元勇者に感謝しましょう」
この好機を与えてくれたのだから。
真っ赤な髪を一度だけ払う。
「前進する部隊を追います――先に出陣した神速を討つのです」
妖艶に笑みを描き、口元を扇子で隠す。
最初から、同盟など結ぶ気などなかった。自分は、ずっとこの機会を待っていたのだと自覚する。
「凡人に勇者など荷が重くてよ。そうではなくて?」
元々、カルディナとの同盟はクロス・カイトを破るために結んだものだ。
だが、戦果はあがらない。
カルディナは王都のみならず、主要都市も陥落している現状だ。国王は不在のままで統治も出来ない。兵力にも限界が来ている。
恐らく、これが連合軍として最後の戦いになるだろう。
そして、その戦いを制する勝算はない。
あるのは絶対に死なない勇者に対する期待くらいだ。しかし、既にオルフェウスは二度敗れている。既にインテグラは期待などしていない。
こちらには、聖剣もある。いざとなれば、魔の火山ごと魔王を消し飛ばせばいい。
易々と第七階級の大魔法で軍隊を消滅させるような魔王だ。近接戦など仕掛けてやる義理もない。
「最後に勝つのは、あたくしよ。あたくしは、なに一つ劣ってなどいません」
突出している能力など、なにもない。
あるのは並み外れた執念だけ。
そんな男になど、インテグラが負けるはずがない。
それなのに。
甲冑を纏って部屋の外に出ると、インテグラを武将どもが迎える。皆、アッカディアの武勇ある勇士たちだ。
「祝福によって、オルフェウスを殺すことは不可能です。四肢を斬るなり、無効化して捕える必要があります」
頭を垂れる忠臣に向けて、インテグラは端的に告げた。
無益な争いは個人としても、為政者としても好ましいとは思っていない。
だが、しかし。
この手でオルフェウスを討ちとる瞬間を想像すると、無性に笑みがこぼれるのは、何故だ。
魔王など、どうだっていい。
きっと、自分はずっとこうしたかったのだと感じずにはいられなかった。
屈辱と苦痛に歪む顔を眺めたい。その顔を、ずっと独り占めするように、拘束したまま部屋の置物にするのも悪くない。
これは私情。
為政者に好ましくない、ただの私情かもしれない。
そこにカルディナ王国の現状と根拠を重ねて、正当化しているだけに過ぎない。自覚はしている。
自覚しているからこそ、辞めようとは思わない。思えない。
「勝つのは、あたくしよ」
これは恋にも似ているかもしれない。
否、そのような単純な感情であれば、どんなに良かったか。どんなに素晴らしいものだったか。
それが残念だと思いながら、だからこそ、狂おしいほど焦がれるのだと思う。
最後に勝つのは、このあたくし。
勝者はただ一人と決まっているものだ。
† † † † † † †
「我らは新たな魔王を求めている。火山の魔力は封じられ、操る者が必要なのだ。汝が本当に魔王となるつもりであれば、我は再び道を開いてやろう」
デュラハンの言葉に、クロスは眉を寄せた。そして、小さく笑う。
「さっきと言っていることが違うと思うんだけど?」
「……あれは我が本意である。だが、我には魔族としての務めがあるからな」
「なるほどね……つまり、お前よりもっと偉い奴は魔王を迎えたがっている。それが例え魔王殺しの元勇者だろうが構わない。人間に復讐したくて堪らないということか」
「…………」
デュラハンの沈黙で、だいたい察した。
魔王は破壊者ではない。前魔王のように調和を乱すのではなく、魔族を治めるべきであるというのは、デュラハン個人の考え方だろう。
一方、魔族全体ではそうではない。アスワドのように復讐を望む者が多く存在し、魔王の誕生を待っている。
それが元勇者であっても良い程度に、魔族が追い詰められているということなのだろう。
実際、魔族はこの時代の神官たちにも狩られてしまうレベルだ。クロスたちが冒険していた頃と比べると、魔族の力は圧倒的に弱体化していると言える。
アスワドやデュラハンはかなり高位の魔族であるはずだが、それでも弱い。
「汝が再び現れたと聞いて、我は期待したのだがな」
吐き捨てるように言われて、クロスは目を細めた。
「お前の期待なんて知らないよ」
以前のクロスのまま魔王になると宣言していたなら。
昔の自分が今の魔族の現状を見たら、同情していただろうか。
魔王になって、反抗する輩を抑えながらダンジョン経営に勤しみ、人間と和解する道を模索する――どこかのライトノベルでありがちな善玉魔王でも演じていただろうか。
結局、誰かのために働いて……その先に、なにがあるだろう。
「魔族が欲しいのは火山の魔力を扱う、供給源としての魔王だろ」
もう慣れた。疲れた。
「案外、火山の封印を解かせてから、俺の首を狙うつもりかもな」
嘲笑う。
デュラハンが押し黙った。彼女自身はそうではないかもしれないが、クロスの言ったことを実行しようとする魔族も実際にいるのだろう。
結局は利用しようとしているだけ。
この世界の連中は、みんなそうだ。
きっと、それは元居た世界でも同じだった。
それに気づかなかったお人好しの自分が悪かったのだ。
「二回も同じ目になんて、遭わないよ」
魔力を解放し、クロスが魔王となる。魔族を使って人間たちを殺して、森や山に隠れたエルフやドワーフも殺してやる。
「最後には、魔族も滅ぼしてやるよ。この世界全部、灰に変えてやる――って言っても、お前たちは俺を魔王にしてくれるか?」
自然と笑みが漏れる。
愉快でたまらない。
そんな気分だった。
「狂ってる」
そう呟いたのは、アスワドだったのか、デュラハンだったのか。
あるいは両方か。
性癖と性格が歪んでる人しかいませんが、作者はおっぱいが好きです。