5 オルフェウス
それは風魔法の報せだった。
信じられない一報を受けて、カルディナ王国第一王子オルフェウスは眉をひそめた。
「なんだと? リリィシアが謀反?」
「はっ。漆黒の髪と瞳を持った禍々しい男が玉座の間を占拠したという報せが入っております。恐らく、リリィシア様は洗脳魔法で操られており……ナターシア様の無事は不明です」
側近が報せの内容について、もう一度述べた。
その意味を理解するまで、オルフェウスはたっぷり時間を費やしてしまう。
つまり、自分が戦地に出ている間に何者かが城を攻撃している。それも、内部から。おまけにリリィシアまで加担しているという。
「リリィシアが何故……洗脳魔法だと? あれは王国屈指の聖騎士。そう易々と洗脳魔法に堕ちるはずがない」
「それはそうなのですが……リリィシア様が加担する意味がわからず……」
「騎士団長のレイフォードは?」
「敵の手に落ちたそうです」
妹たちと同じ銀髪を払って、オルフェウスは踵を返す。
甲冑の背にかかった群青のマントが荒野の風に揺れた。紅い砂を巻き上げて吹き荒ぶ風がわずらわしい。
アッカディアの軍勢はそこまで迫っている。今更、兵を引き返して王都へ帰還するわけにもいかなかった。
「私が帰る。レイフォードたちが倒されたということは、かなりの使い手だ。リリィシアもいるのであれば、他の者では歯が立たん……兵の指揮はしばらく託す」
妹はあのように見えて、オルフェウスと並んで王国最強の一角だ。第五階級の風と光魔法を自在に使う、一流の聖騎士。剣術の腕だけであれば、彼女の方がオルフェウスよりも上手だ。
少数の精鋭を集めて、王都への帰還部隊を編成する。
軍勢を動かすのは得策ではない。軍の動きや王城の情報がアッカディアに知られるのは避けたかった。
それに、城が占拠されているということは、王都の市民たちが人質に取られているも同然。
軍を動かして派手に攻めるのは危険だ。
「何故だ、リリィシア」
オルフェウスは夕陽色の瞳を伏せた。
いつも優しい笑みを浮かべるリリィシアの顔を思い浮かべる。幼いころから優しい妹で、高飛車なナターシアとは対称的な大人しい娘であった。
聖騎士として成長してからも人を傷つけることを厭い、戦場に出ることも嫌っていたくらいだ。
――わたくし、戦などしたくありません。お兄様も行かないでくださいませ。
そう言って、戦へ赴くオルフェウスを引き止めたこともある。
オルフェウスとて、好んで戦地へ出るのではない。
長期の戦は国力の疲弊につながる。早期終結を目指して戦果もあげた。実際、あと一歩のところで和平を結べる状況に持っていくに至っていたのだ。
だが、国王が戦争を続けると決めた以上、覆すことは出来ない。妹のナターシアや一部の過激派も賛同していた。
今回の出陣はオルフェウスを疎んだ国王が命じたものだ。和平を進言したオルフェウスを傍に置いておくことは出来なかったのだろう。
あのとき引いていれば、今頃はカルディナの勝利に終わっていた。深追いし過ぎた結果、巻き返されているのが現状だ。
「引き際を見誤った愚王め」
逆に考えれば、これは好機なのかもしれない。
戦を頑なに強行した国王は何者かによって倒された。
このまま王城を奪還すれば、王位には自然な形でオルフェウスが就くことが出来る。
「謀反の王とならずに済むわけか」
誰にも聞かれていないことを確認して、オルフェウスは独りごちる。
同時に、
――このような世界は、本当に不健全だと思いますの。
「まさかな……」
光の女神のように柔らかな微笑が思い出され、オルフェウスは何故か身震いした。
一瞬だけ、妹の中に見た狂気のようなものを見たことがある。あれは気のせいだと思っていた。だが、そうではないとしたら?
† † † † † † †
「クロス様、いったいなにをしていますの?」
腕を組んで黙り込んだクロスに、リリィシアが問いかけた。彼女は銀の台車を押して、クロスの傍らに並ぶ。
温かい紅茶と焼き菓子が載せられた台車を見るに、「お茶会」の準備をしていたようだ。リリィシアは紅茶が好きで、よくたしなんでいる。
クロスは横目で確認するだけで、視線を元に戻した。女のお茶にいちいち付き合う義理もない。
「いくらアンデッド化の魔法を練習しても、上手くいかないからな」
短剣を片手で弄んで、寝台脇の椅子に座る。
「ひ、ひゃ、ひゃめ……やめて……もう、や、め……」
寝台の上に横たわっているのは、捕まえておいた王妃だった。
使用人たちも全員は殺さずに、ある程度生かしている。勿論、城の外に出した者はいない。
王妃を寝台の上に寝かせたまま、クロスは悩ましげに息をついた。無論、拘束のために手足は縛ってある。
「あら、お母様。ごきげんよう」
「リ、リ、リリィシア……! た、助けてちょうだい!」
寝台に寝かされた王妃を見て、リリィシアはニッコリと笑っていた。朝のあいさつでもするように自然な笑顔だ。
とても拘束された母親に向ける表情とは思えない。
「もしかすると、人体の構造を熟知していないと上級アンデッドを正しく作れないんじゃないかと思ったんだ。俺、回復魔法も苦手だし。こんなことなら、真面目に理科の勉強をしておけばよかった」
レイフォードをアンデッド化して失敗したときのことを思い出す。
骨という骨が有り得ない方向に曲がり、内臓もほとんど融解していた。脳など溶けて目や口から流れ出ていたのだ。
これはクロスが人体の構造をはっきり理解していないため、それらしい形のアンデッドをイメージ出来ていなかったからではないかと考えた。
第二階級以下のアンデッドは作ることが出来たが、それらも人型と言うには歪で、出来の悪い雑魚ゾンビのような動きをしている。
アンデッドの量産はしておきたい。
世界を滅ぼすと言っても、クロスが手動で現地へ赴いて、いちいち街を魔法で破壊して回るのは面倒臭い。たまにはいいと思うが、そのうち飽きる気がする。
百年前の魔王のように強力な軍隊を編成する方が効率的だろう。
それに、一度、魔物たちから救ってやった世界が、魔物たちの手で蹂躙される。その姿を見るのが楽しみでもあった。
人間を魔物たちに殺させて、エルフやドワーフも殺して、そのあとで魔物も殺して――なにからなにまで、破壊し尽くしてやる。
「本当は森や山に潜んでいる魔族や魔物たちに召集でもかけられたらいいんだけどな……それは、先の話だ。やらなきゃいけないこともある。まずは手軽な駒を増やして、自分の勢力を作る必要があると思う」
いくら魔王を自称しても、実績や実力が不明な者についてくるとは思えない。しかも、クロスは元勇者だ。
必要なプロセスを踏む必要があるだろう。
「流石はクロス様です。それで、人体のお勉強をしているのですね。確かに、回復魔法も同じで身体の造りを把握しなければ、上級魔法は扱えません。わたくしも一緒に見てもよろしいでしょうか?」
「好きにすると良いよ……というか、お前の親なんだけど、なにか言うことないのか?」
「役立たずの両親がクロス様のお役に立てるのなら、本望でしょう。お母様はお父様のお言葉に忠実でしたから、きっと、同じような姿になれて喜んでいますわ」
部屋の隅には、既に切り開かれたあとの国王の遺体が転がっている。初めて一人で解剖したので、あまり上手く切れず、いろいろ台無しにしてしまった。若干腐敗していたのもあって、かなりわかり難かったと思う。
それに、リリィシアが頭部を切断して弄り倒したお陰で、頭の構造を見るのに不向きだった。
「ひッ……やめて! やめてちょうだいよ……! おやめなさい、リリィシアッ! 助けて、たすけてくださいッ! 娘でしょう!?」
「ええ、産んでもらえて感謝しておりますよ。お母様……良かったではありませんか。お母様が贅沢しすぎたせいで国庫を使い込んで借金までしていたことを、お父様に知られなくて。お怒りに触れて幽閉されるくらいなら、こうして人の役に立った方が良くなくて?」
「どうして、それを知っているのよ……!」
「みんな知っていましてよ」
親子の会話が区切れるのを待って、クロスは淡々とした表情で短剣を逆手に握った。
「いや……いやッ! ああ、あああああっ! 私を誰だと思っているの!? こんなことをして、ただで済むはずが……!」
「うるさいなぁ……残念だったな。叫んだって、助けに来られる人間がいないぞ」
切り開いた腹の中から内臓が露出する。
胸の辺りも見たいのに、肋骨がすぐに元の位置に戻ろうとするので面倒だった。それを察したのか、リリィシアが笑顔で開いた骨の位置を固定してくれた。
「死なれては困るので、適当に魔法で回復させながら起きていてもらいましょうか」
「頼む」
臓器はそれぞれ触れると、思いのほか柔らかい。焼き肉の肉とそんなに違いはなさそうだ。ほとんど平滑筋の塊であると、確か授業で言っていたか。
高校の教科書が欲しい。なにしろ、召喚されたのは十五歳。それから四年も経っている。どうやっても、高校一年生の授業内容など忘れてしまっているクロスだった。
「カエルの解剖も真面目にすれば良かった」
「あら。クロス様のいた世界では、このようなこともしていたのですか?」
「人間相手じゃないけど。授業でカエルの腹を開く程度はやったよ。俺はサボって班の優等生に押しつけたけど……あ」
クロスは低い声をあげて、開いた腹の中を覗き込んだ。内臓を強く握りすぎた。潰してしまったらしい。
なんだこれ、物凄く出血して止まらない。クロスには潰してしまった三角で大きめの内臓の名前がわからなかった。
「ぎゃぁあ、あああああッ!」
リリィシアの魔法のせいか気絶せず、実験体の王妃はもがき苦しんでいた。王妃としての気品など、なにもない。ただ汚く叫ぶだけだった。
「悪い……リリィシア、治してやってくれ。加減がよくわからなかったから、もう一回潰して確かめてみる」
「承知しました」
この世界に初めて来てから、クロスは自分の筋肉のなさを痛感していた。なにせ、元々普通の高校生だ。鍛えているわけもなかった。
魔法は祝福のお陰で、最初からある程度使うことが出来たが、剣は自分で習得するしかなかった。仲間だった剣士と一緒に毎日鍛錬したお陰で、今では腕っ節にそこそこの自信がある。子供の頭なら握り潰せるくらいの握力があるはずだ。
リリィシアが回復魔法で損傷した臓器を修復しつつ、どの程度の力で潰れてしまうのか、どの程度まで耐えられるのか何度も検証した。
ついでに、あと何人か使って、人間はどのくらいのダメージで死ぬのかも実験する必要があるだろう。
「そろそろ休んで、お茶にしませんか?」
「……うん。勉強は苦手なんだ」
魔法の習得も楽ではない。
もっと便利な祝福が欲しかったと、クロスは無感情に思った。
肝臓は門脈があって、とっても血管が多い内臓です。豚レバーは鉄分豊富なので、思春期の食事にぴったりですよ。