44 狂気的快楽
せっかく転移門が再び開いたというのに、大神殿の門は破壊されたらしい。
楽にショートカットはさせてもらえないようで、クロスは少しばかり面白くなかった。
「クロス様」
不貞腐れていると、後ろからリリィシアに声をかけられる。地下室で聖女にやられたのだろうか。肩を庇って歩いている。
「さっさと治せばいいだろうに」
リリィシアは卓越した回復魔法の技術を持っている。この程度の怪我は自分で治せるはずだ。
「なんとなく、ですわ」
なにが、なんとなくだ。
白々しい表情で笑うリリィシアを睨みつけて、クロスは腕を組む。
リリィシアがゆっくりと、クロスの傍に歩み寄る。
「お前さ」
すぐ目の前に立つリリィシア。
クロスをまっすぐ見上げている。いつもと変わらぬ慈悲深い純白の笑みだ。
「なんでしょう、クロス様?」
この奥に蠢く底なしの闇を思うと、無性に腹が立った。同時に、その黒い部分を引き摺り出してやりたいと思う。
「最初から変だと思っていたんだ」
クロスは負傷したリリィシアの肩に手を置いた。
「最初から?」
「そう、最初から……俺がこの時代に呼び出されたときから、だよ」
手に力を込める。
リリィシアの方がミシミシと音を立てて締め付けられた。それなりに痛いはずだろう。だが、リリィシアは眉ひとつ動かさない。まるで人形のようで、心底面白みがなかった。
「お前、俺の前にわざと二人も違う勇者を呼ばせただろ」
リリィシアは姉のナターシアを使って、クロスを召喚した。
そのとき、彼女はクロスの前に失敗して二人も間違った勇者を召喚してしまったと言っていた。
けれども、それが間違いではなかったなら?
「この世界に召喚されたとき、俺は召喚士から祝福を受け取った。異世界から召喚された者に与えられる能力だって説明を受けて」
わざと、殺すための勇者を二人召喚させたのだとしたら、目的は――。
「お前は祝福を得るために、関係のない勇者を召喚したんだろう?」
リリィシアは笑顔をピクリとも崩さない。
そのままの表情でクロスを見上げて、両手をいつものようにパチパチと叩いた。
「流石はクロス様ですわ。気づかれてしまいましたね」
悪びれる様子などない。まるで、テスト問題を解いた生徒を褒めるような自然な口調だった。
「勇者の召喚は破格の力を手にする禁断の魔法です。どうしてか、クロス様ならわかりますわよね? 勇者の召喚と共に発生する力を結晶にしたものこそ、祝福。異界の人間を召喚することに意味があるのではないのです。それによって得られる特別な力こそが、異界転移の魔法最大の利点ですわ。身をもってご存じのはずです」
リリィシアはクロスの胸元に手を触れた。まるで恋人にでも向けるような愛しげで、うっとりとした恍惚の表情を浮かべている。
「異界転移の魔法は元を辿れば儀式だったのです」
「……儀式?」
「この世界の人間が魔法を得たばかりの頃に行われていた儀式です。異界から人間を生贄として召喚して、それによって得られた祝福で神の力を得る……あまりに強大な力を得てしまったので、大昔に禁じられた秘儀です。一部の学者の間に断片的な記録があるだけで、今は完全に儀式の真意は失われました」
異界の人間を生贄に。
クロスはすぐに、召喚されたときに部屋の隅に転がっていた二人の勇者を思い浮かべた。
「ああ、勿論、わたくしがこの話を聞いた学者様には死んで頂きましたわ。念のためです。他の誰かに知られても困りますし、第一、彼らも禁忌を犯してこの研究を行っていたのですから」
「…………」
「当初は力を得るための儀式でした。しかし、魔王の勢力が増して人間の存亡が危ぶまれた百年前……儀式の生贄は、別の形で利用されることになったのです」
「別の、形?」
眩暈がした。
「魔王に挑むことは命懸けの戦いになります。おまけに、魔王を倒したあとに生き残るであろう祝福を受けた者も邪魔になるでしょう。力を得すぎた者を出さないために禁じられた魔法ですからね」
吐き気がする。
わかっていたことだ。リリィシアが今、言おうとしていることを、クロスは身をもって体験しているはずだ。
「それならば、異界から訪れた者に、その役割を全て押し付ければいいのです。邪魔になれば、躊躇なく処分出来る。とても合理的で優れた考え方だとは、思いませんこと?」
聞いた瞬間に、クロスはリリィシアの肩を握る手にありったけの力を込めた。肩と鎖骨が折れる音がして、ようやくリリィシアが呻き声をあげる。
しかし、表情は笑ったままであった。
嘲笑うように。
「わたくしは、当初の儀式を行ったまでですわ」
異世界の人間を生贄として召喚し、強力な祝福のみを得る。用済みとなった人間は処分された。
「魔王の役目は、あなたしかいないと思っていましたわ。勇者クロス・カイト。あなたは最強の勇者であり、最高の生贄。この世界を蹂躙し、いずれ消される役割を担うのは異界人であった方が、都合が良いんですもの」
リリィシアの首を掴んで、壁に叩きつける。
それでも、彼女は表情を変えない。笑ったまま、クロスをまっすぐ見ていた。
「儀式で得た祝福を最適と思われる人間に譲渡しましたわ。一人はなにも知らず、騙されやすい愚かな人物。もう一人は、人間の国を纏め上げる力のある人物」
アリアとオルフェウスのことだ。
実の姉に禁忌の召喚術を行わせ、踏み殺した王女だ。身内を巻き込むことなど、抵抗などないのだろう。両親を殺したのも、彼女だ。
「魔王という脅威が現れ、それを団結して退ける。そうなれば、人間たちは争いを辞めると思いませんか? わたくしは、その布石となる種を撒いただけです」
こうなることを予測して、いや、期待してリリィシアは彼らを選んだ。そして、魔王となるクロスに立ち向かわせようとしたのだ。
「随分と犠牲の多い選択だな。人間同士で戦争している方が、まだ犠牲者は少ないぞ。損失が出ないように最低限考えて殺すからな。お前、算数も出来ないのか?」
「さんすう? ……人間同士が殺し合うこと自体が不健全ですから。魔王に立ち向かって多少死んでも、それは摂理ではありませんか? 魔王という脅威を倒し、最初にその摂理を壊したのはクロス様ではありませんか。わたくしは、あるべき世界に戻したいだけですわ」
どういう理屈だ。元々だが、この王女の言っていることは根本的に理解出来ない。
クロスは腰から剣を抜き、戸惑いなくリリィシアの腹に押し込んだ。
「か、は……あ、ぁっ」
長い刀身がズブリと呆気なく肌を切り裂き、肉を断った。笑顔を描く唇から喘ぐような吐息と、泡となった血液がこぼれる。
やっとリリィシアの表情が苦痛に歪んだ。
だが、クロスが求めるものは、コレではない。
「それで……お前は魔王が現れて、その脅威に立ち向かう力があれば人間が纏まると思ったのか? みんなで仲良く出来るとでも?」
リリィシアは苦しそうに喘ぐだけで、答えない。
だが、懸命に作られた微笑に肯定の意味が取れた。
「お前、お花畑だな。あの聖女と同じくらい。いいや、それ以上だ」
剣の柄を握り、ゆっくりと引き抜いてやる。しかし、刀身が全て抜ける前に、再び勢いよく刺しいれた。今度は傷口を広げるように。
「あ、あ……ふ、ぅ。あああ、はぁッ……!」
リリィシアは抵抗せず、ただ甘んじて刃を受け入れている。苦しそうに顔を歪めながらも、口角は上がって笑っているのだと感じた。
いくらリリィシアの回復魔法が優れていても、このままクロスが心臓を刺せば死ぬ。頭を潰してしまえば死ぬ。治療を施さずに失血死させることも出来る。
そのどれも、リリィシアは甘んじて受け入れるつもりだろう。
自分が死んでしまっても構わない。彼女は目的通りにクロスを魔王に仕立て、戦争状態であったカルディナとアッカディアを連携させることが出来たのだから。
「お前の思う通りになんて、ならない」
クロスはリリィシアの前髪を掴んで、視線を持ち上げさせた。腹から一気に剣を引き抜くと、蛇口から溢れるような量の血が地面に落ちる。
「どうでしょう、か?」
蒼い顔で肩から息をしながら、リリィシアは笑った。弱々しいが、揺るがない。一切の歪みがない優しい笑みだった。
「聖女はいなくなった。お前の企みは潰れたな」
「そう……でしょうか? まだ布石は、生きて……いましてよ」
絶対に折れない笑顔の芯。
初めて会ったときから、折ってみたくて仕方がなかった。
いっそ、このまま犯してやろうか。腹を裂かれながら、無理やり捻じ伏せられたとき、どんな顔をするだろう。やはり、笑っているだろうか。
しかし、そんなことではクロスの欲求は満たされないとわかっている。
彼女の泣き叫ぶ姿が見たい。死を選びたくなるほどの絶望の果てで悶え苦しむ姿を見ていたい。その腹を何度も裂き、回復させては、裂いて裂いて裂いて裂いて……生きたまま地獄を見せ続けてやる。
そんな狂気めいた感情が激しく掻きたてられた。
「まだだ」
まだ、そのときではない。
クロスはちょうどいい瓦礫に腰かけながら、蹲るリリィシアの顎を爪先で持ち上げた。あと数分もすれば、失血死するだろう。でも、ぎりぎりまで回復などさせてやらない。
「舐めろよ」
「……はい」
死にかけの王女は自分の血の中に這いつくばったまま、クロスの靴に触れる。
リリィシアが靴についた血を綺麗に舐め終わるまで、ただ無言で待ち続けた。
外れない鉄壁の仮面。折れない笑顔の芯。
けれども、それらを剥がし取る術を見つけた気がする。それだけに満足して、クロスは唇に笑みを描いた。
いずれ見られるであろう絶望の表情を思い浮かべながら。
第三章終了です。
引き続き、第四章以降もよろしくお願いします!




