表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/63

41 奇跡の代償

 

 

 

 その力は奇跡。

 神の所業と謳われ、持て囃され、崇められた。

 祈るだけで全ての法則を捻じ曲げる万能の能力。

 故に、アリアは聖女と呼ばれた。神の力を宿した娘として神殿に保護され、そして、魔王を倒すためにカルディナとアッカディアの架け橋となった。


 ――おい、聖女さん。お前、見捨てられてるぞ?


 そんなはずない。

 そんなはず、ない!


「そんなはずないッッ!」


 目覚めたアリアが最初に感じたのは、手足を繋ぐ冷たさだった。

 動くとシャラリと金属の音が鳴る。どこかの地下室のようだ。石壁と石の天井に囲まれた部屋は冷たい空気で満たされており、わずかな物音を幾重にも反響させる。


「ここは……」


 どこだろう。

 寝台のようなものに寝かされている。手足を鎖で繋がれており、容易に動くことが出来ない。それでも、アリアは出来る限り現状を把握しようと首を起こす。

 自分の身体には傷はついていないが、衣服が切り裂かれてあられもない裸体が晒されている。石で出来た寝台は緑色の液体で濡れており、ヌメリとした感触が気持ち悪かった。

 伸びていたはずの青い髪も短く切られている。


「お目覚めですか、聖女様?」

「ひっ」


 ぬっと現れた人の姿に、アリアは肩を震わせた。

 清らかで慈悲深い笑みが、上からアリアの顔を覗きこんでいる。月光の宝冠のような美しい銀髪が一房落ち、アリアの頬に垂れた。

 優しそうな人。

 それなのに、底なしの恐ろしさのようなものを感じて、悪寒が止まらなかった。


「はじめまして、聖女様」

「あ、あなたは……」


 菫色の瞳に魅入られれば、後戻り出来なくなる。そんな錯覚に陥った。


「あら。自己紹介が遅れましたわ。わたくし、リリィシア・アルデ・カルディナと申します。お兄様がお世話になっておりますわ」

「カルディナ……? お兄、様……?」


 単語を拾って、意味を繋げていく。

 リリィシアと名乗った女の髪色には見覚えがある――オルフェウスの妹?

 思い至った瞬間に、ゾクリと背筋が凍った。


 新しい記憶の中に焼きつく夕陽色の瞳。アリアをまっすぐに捉えていた。


 ――おい、聖女さん。お前、見捨てられてるぞ?


 違う。違う……そんなはずない。

 アリアは首を横に振った。


「お可哀想に」


 憐憫の眼で見つめられ、アリアは唇を噛む。


「そんなはず、ありませんっ!」

「あら、そうなのですか? わたくしの知るお兄様は、そういう方ですよ? 最近、性格が変わったのでしょうか?」


 否定するアリアの唇にリリィシアが触れた。


「最小の犠牲を払うことで、多くの利益を生むことを理解している方です。あなたを失う代わりに、魔王を倒す機会を得る。実にわかりやすいではありませんか。わたくしでも、そうしますわ。そう思わなくて?」


 まるで、雑談をしているかのような軽くて自然な口ぶりだ。

 アリアは信じられずに、身体を震わせる。


「あなた、ご自分がどうなっているのか、自覚はお有りですか?」


 頭の上から覗きこみながら、リリィシアはアリアの身体を指先でなぞった。指は首筋を這い、鎖骨へ、控えめな丘陵を描く胸へ。

 ぞっとするほど甘美で優しい指の軌道が気色悪くて、身体を捩る。


「放してくださいっ!」


 アリアは思わず叫ぶ。

 祈った瞬間に自分を拘束していた鎖が砕け散った。アリアは石の寝台から立ち上がり、リリィシアから離れる。

 身体についていた緑色の液体が床にこぼれ、濡れた音を立てた。


「最初から、そうすればよかったのに」


 リリィシアがクスリと笑う。

 アリアは無我夢中で傍らにあったものを手に取る。それがなにかを確認する暇などない。

 とにかく、今は話を聞きたくない。ここから逃げ出してしまいたい。

 掴んだものを投げる。


「え?」


 そんなに大きなものだったのか。夢中だったとはいえ、アリアは大きなテーブルを軽々とリリィシアにぶつけていた。控えめに言って、物凄い速度と勢いだったと思う。

 無意識のうちに、祈っていたのだろうか?


「流石に……痛いですわね」


 テーブルと一緒に後ろの壁に叩きつけられても、リリィシアは笑っていた。その笑みが不気味で、アリアは戦慄する。


「そのご様子だと、気づいていないのですわね? それとも、気づかない振りをしているのかしら?」

「なんのこと……です」


 もう聞きたくない。

 アリアは自分がなにも着ていないことに気づき、すぐに祈った。祈った瞬間に光のベールがアリアを包み、衣服が現れる。外に出たいと祈ると、石壁に囲まれた部屋の扉が開いた。


「そんな無駄遣いをして……ご自分の姿を、しっかり見たらどうですか? 目を逸らさずに」


 駆け出すアリアの背に、リリィシアの笑い声が響いた。

 だが、アリアは無視をした。無視をして、無心のまま逃げ出す。


 早く外へ。

 外へ出たら、きっと、助けが来る。

 アリアは聖女だ。失っては魔王との戦いには勝てない。絶対に誰かが助けに来てくれる。

 まだ戦闘だって終わっていなかったのだ。魔王軍など破って、既に連合軍が包囲しているはずである。


「やあ、バケモノに磨きがかかったな?」


 地下室を抜けて階段を駆け上がると、声が投げられた。

 振り返ると、そこには黒髪黒瞳の男――魔王が立っていた。


「バケ、モノ……?」


 アリアは思わず立ち止まり、息を呑む。

 眉を寄せた。


「わたしは……人間です」


 同じ人間のくせに、魔王になどなろうとしている男に言われたくない。


 出来るだけ寛容に。清く、正しく。そう行動しようと心がけているアリアですら嫌悪してしまった。

 そっちの方が、何倍もバケモノではないか。平気で人を殺して、平気で踏み躙って。


「気づいていないわけ、ないよな?」


 アリアはキッと魔王を睨みつけた。そんなアリアを嘲笑うように、魔王の青年は魔法陣を展開した。


「な、なんですかっ!」


 アリアの目の前に大量の水が現れる。

 鏡のように反射して、アリアの姿が映し出された。

 青い髪は肩で雑に切り揃えられている。祈りで作った服に包まれた素肌は白く滑らかで、傷一つなかった。

 アリアの姿。

 けれども、これがどうしても自分だとは思えなかった。


「幻を見せたって、無駄ですよ」


 祈りの力で水の魔法を消し去った。足元に水たまりが出来る。


「幻、ねぇ……身に覚えはないのか? 無償で破格の奇跡を起こせる祝福(チート)が存在するとでも、本気で思っているのか? 祝福には必ず代償がある。お前の場合は能力が強すぎて、俺より随分とキツイ代償を背負っているみたいだな」


 薄っすらと笑う表情が憎らしかった。

 身に覚えなど、ない。


 ――気味が悪い。

 ――あまり関わるなよ。

 ――あの聖女は祈りのたびに……。


 身に覚えなんて、ない。


「わたしは……特別な力を授かったんです。あなたのように、身勝手に使ったりしません。きっと、人々のために使うのが使命だから!」

「そうやって、神殿にでも教えられたか? それとも、お前が信じてる王子様にでも言われたか?」


 問われて、アリアは目を見開く。


 ――その力は神の御力に違いない。アリア、いいや、アリア様。あなたは聖女だ。民草を導くべき崇高なる存在だ。この世界を正してください。


 ――きっと、あなたの祝福は神が与えたもの。この世界に再臨した魔王を倒すための力でしてよ。


 ――では、君が失くせ。きっと、そのために力があるのだろうから。


 身に覚えなんて、ない。

 アリアは首を横に振った。


「わたしは、聖女だから……わたしが、みんなを……!」


 足元に視線を落とすと、水たまり。

 そこに映った自分の姿を否定して、拳を握り締めた。


 水たまりに映ったアリアの瞳が紅く光っている。血のように禍々しい。

 背中で、なにかが広がる。大きな漆黒の翼が六対羽ばたき、風を起こした。


「祈ります。わたし、戦いたい。そう、戦うんです。この魔王を倒して……世界を変えてみせる。そのための力を、祈ります!」


 戦わなきゃ。

 結局、不意をついてもオルフェウスでは魔王に勝てなかった。ならば、アリアが戦うしかない。


 今よりも、もっと強く。

 ただの小娘ではない。歴戦の勇士よりも強く。そして、誰よりも強力な魔法使いに。

 最強の戦士になる。


「そうよ、魔王を倒せばいいんだわ……倒せば、きっと……!」


 自分の身体に力がみなぎるのがわかる。祈りが成就し、アリアが望んだ通り、最強の戦士になったのだと自覚した。

 その瞬間、自分の身体に新たな変化が起こったことも。


「俺を倒せば、お前は用済みだよ。連合軍だって撤退した。それなりの損害を被ったからな。助けは来ない」

「うるさい! うるさい! うるさい! 黙りなさい!」


 言葉を振り払って叫ぶ。

 その声が自分のものとは思えないほど大きく、歪んでいることに気づく。先ほどまではなかった変化(・・)だ。だが、そんなことは些細なことだ。


 だって、魔王を倒すのは聖女であるアリアの役目だから。

 この代償だって、仕方のないものなのだ。魔王と戦うために、仕方のない変化である。受け入れられないはずがない。


「俺の代償は内面の喪失。お前の代償は身体の変化……つくづく、この世界の神様はバケモノを産みたがるらしい」


 代償に全く気づかないわけではなかった。


 最初は髪が伸び、髪質が変わり、次第に傷が自然治癒するようになり、血の色が変わった。先ほどは信じられないくらいの怪力になっていた。祈りを重ねたことで眼の色が変わり、翼が生えた。

 石の寝台に撒かれていた緑色の液体はアリアの血だ。服が切り刻まれていたのは腹でも裂かれたからかもしれない。


 わかっていた。

 自分の身体の変化には、薄々気づいていた。これが黒い霧の言っていた代償なのだと、最近になって理解した。


「それでも、辞められるはずがないじゃない……」


 どんどん人間から離れていく自分自身。祈りのせいだと理解している。

 それでも、祈りの能力を使わずにはいられない。それがアリアの役目であり、存在意義。

 人々に求められる自分こそが、人間であると証明する手段。

 求められなくなったとき、それはアリアが本当のバケモノになる瞬間だから。


「魔王を倒せば、きっと大丈夫……だって、みんなわたしの力を求めてくれるんだもん。わたしは必要な人間だから。聖女だから!」


 足に力を入れて踏み込むと、それだけで石造りの床に亀裂が入った。人間では考えられない速さと勢いで魔王との距離を詰める。


「いいや、お前はバケモノだよ。俺と同じ」


 笑われた……。

 笑われた……!

 嘲笑う表情が憎くて、アリアは唇を噛む。


 初めて、人に殺意を抱いた。

 この男に、アリアのなにがわかると言うのだ。なにもわからないくせに!


 殺してやる。殺してやる! 顔も身体も微塵も残さず砕いて殺してやる!


「わたしは人間だ!」


 まっすぐ突き出した拳が魔王の身体に当たる。有り得ない力が加わり、魔王の身体が歪に軋んだ。

 そのまま後方へ吹き飛ばされる魔王を追って、更に地を蹴った。

 

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


◆―――――◇――――◇―――――◆

◆◇◆頂き物イラスト集は、こちらへ♪◆◇◆

◆―――――◇――――◇―――――◆
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ