38 虚像崇拝
なんだよ、これ。
「わたしはアリアと申します。あなたが、魔王ですか?」
アリアと名乗った少女は声を張り上げて問う。
「……お前が、聖女なのか」
「そ、そうです……そう呼ばれてます!」
どう見ても強がっている。
震えそうになる身体を必死で立たせているように見えて、クロスは眉を寄せた。
ごく普通の女の子。どこにでもいそうな、ただの人間。魔力の片鱗すら感じられない。
そんな娘に軍旗を持たせ、聖女と名乗らせる。
正気ではない。
だが、この世界の人間のやり方であると、クロスは知っている。
十五歳だったクロスを召喚して、勇者として戦わせたときと、なに一つ変わっていない。百年経った今でも、この世界の人間はなにも変わっていないではないか。
クロスが槍を持ち替えると、アリアが身構える。
殺気を発した覚えはないが、それすら感じ取れないのだろう。戦いとは無縁の存在であったことがうかがえる。
「すぐに殺せそうだな」
挑発するつもりで笑ってやると、アリアが身じろぎした。
クロスは構えた長槍ゲイボルグの矛先をアリアに向ける。
「【我が命に応え 彼の者を貫き穿て 雷神の鉄槌】」
じっくりと呪文を唱えて、第六階級の魔法を放ってやる。眩い光を発しながら雷が矛先に集まり、光線となって発射された。
魔力のないただの娘に防ぐ術などないだろう。
「祈ります。跳ね返して!」
アリアが胸の前で両手を組んで目を閉じた。その瞬間、彼女の目の前に光の壁のようなものが発生する。
クロスは胸騒ぎがして、とっさに馬から飛び降りた。
「まじか」
壁にぶつかったクロスの魔法が、見事に反射されていた。
クロスが放ったのと同じ強さを保ったまま、光線が跳ね返っているのだ。乗っていた馬は消し炭になり、後方では城壁の壁に穴が空いている。
もしかすると、力のない娘を表に立たせているだけで、魔法使いが後ろに控えているのだと思ったが……アリアは正真正銘、聖女らしい。
魔力もないのに、どうして、このような力を持っているのだろう。
魔力と関係しない強力な能力――?
「まさか、異世界から召喚されたとか、言わないよな?」
クロスはこの世界に召喚されたとき、祝福を受けた。召喚者から宝石のような結晶を譲渡され、それが身体の中に入り込んだことで、【精霊隷属】を手に入れたのだ。
魔法とは関係しない、この世界でのチート。
魔力を持たないアリアの能力は、召喚者から勇者に贈られる祝福なのではないか。
「異界の勇者クロス・カイトは邪悪なる巨人と対峙したときに言いました。力を手に入れた者は、持たぬ者を守る義務がある。奇跡を起こし、人々を導くのが我が使命、と。その勇気ある姿に仲間は彼に従い、近隣の村の人々は英雄の登場と讃えたと言われています。だから……わたしも、自分の役割を果たさないといけません!」
アリアはこの世界で語られるお伽噺の一節を読み上げながら、両手を前に出した。
因みに、クロス自身はそんなことを言った覚えはない。ヤケクソになって「勇者の俺がやんなきゃ、誰もやらないんだろ!? ついて来いよ!」とかなんとか叫びながら巨人に向かっていった記憶はある。
ついでに言うと、そのときは冒険初期だったのでボコボコにされて、結局、ストリェラが大岩を投げつけて勝った気がする。初期のクロスは本当に雑魚だった。忘れてしまいたいほどに。
「おい、それ黒歴史だからな!?」
地味に恥ずかしい記憶を美化された形で抉られて、クロスはうろたえた。
相手は妙なチートを持っているかもしれないが、戦闘慣れしていない。ただの小娘である。そのまま倒してしまおうと、クロスは槍を構えて地を蹴った。
「!?」
その一瞬、妙な予感がした。
クロスは走り出した勢いを殺すように足を止める。
「なッ!?」
あと二歩進んでいたら、直撃だっただろう。クロスの進路に、強力な炎弾が撃ち込まれていた。地面を穿つ爆風に、クロスの身体が浮いた。
体勢を整えて、周囲を見渡す。
アリアの仕業ではないらしい。
「不意打ちかよ」
炎弾が飛んできた方向を見る暇もなく、今度はクロスの胴体に強烈な蹴りが入る。視認したときには遅く、蹴りの勢いで後方に飛んでしまう。
「こいつは……!」
この動きには、覚えがある。
目視すら出来ない神速を止めようと、クロスは自分の周りに魔法陣を展開した。攻撃者は魔法陣に入らまいと、クロスと距離を置く。
「二度も同じ手は食わんよ」
残像が実像となり、攻撃者の姿が現れる。
リリィシアと同じ色の銀髪が揺れた。夕陽色の瞳が射るようにクロスを睨みつける。
「殺したはずだと思うんだけど……双子か?」
笑って問うが、違うとわかっている。
「このオルフェウス、貴様を倒すために地獄より舞い戻った」
オルフェウスは言うが早く、クロスに向けて炎弾を放つ。第五階級の魔法にしては短い発生時間で数発撃ち込まれ、クロスは止むを得ず光魔法の壁で阻んだ。
確かに殺したはずの男だ。生きていたとしても、五体満足でいるとは思えない状態だったはず。しかし、今目の前にいるオルフェウスは幽霊やアンデッドの類にも見えない。
「これも聖女の力か? なんでもありだな」
なにがどうなっているのか、把握出来ない。
だが、目の前に立ち塞がる者を倒すだけだ。邪魔者は全て排除すればいい話。
「放て!」
オルフェウスが声をあげると、周囲に控えていた騎士たちが一斉に自分の剣や短刀を取り出した。
そして、それをクロスに向けて投げる。
「は?」
意味がわからない。そんなことをしても、当たるはずがない。
けれども、各々に投げられた刃の軌道が一瞬で変わる。
弧を描いて地面に落ちようとしていた刃が一斉に、引き寄せられるようにクロスの方へと飛んできた。クロスはとっさにその場を離れて刃の集中砲火を逃れる。
刃はクロスがいた足元の地面に重なるように突き刺さった。
「おいおい、まじか」
どういうカラクリだ。いくらなんでも、聖女の力とやらでは説明がつかない。
ふと、クロスは足元に魔力を感じて視線を落とす。
「なるほど、磁石か」
足元に撒かれた無数の石。
その一つひとつに魔法陣が浮かび上がっていた。
恐らく、先ほど炎弾を撃ち込んだときに一緒に撒かれたのだろう。雷魔法を帯びており、任意のタイミングで磁石のように刃を引きつけるのだ。
まったく、厄介な小細工ばかりする王子である。
「カラクリさえわかれば、どうにでもなる」
正面から、オルフェウスを睨みつけてやる。
オルフェウスも、応えるようにクロスを視線で射抜いた。




