35 旗持つ乙女
青く輝く長い髪が風に流れる。
馬なんて乗ったことがない。アリアは視線の高さに怯えつつ、旗を握り締めた。支えとなるわけではないが、しがみつく格好となってしまう。
アッカディア女王インテグラがアリアに要求したのは、聖女として軍を指揮することであった。
ただの軍隊ではない。
アッカディアとカルディナの連合軍である。
両国は交戦中であり、とても共闘など出来ない状態であった。
魔王を倒すという名目で聖女が率いる。アリアが奇跡の力を見せ、つき従うように纏めあげたのだ。
お膳立てをしたのは、ほとんどオルフェウスとインテグラだ。
アリアはただ言われるままに【祈りの奇跡】を、用意された舞台で使っただけである。
カルディナ王国の現状や、転移門からアンデッドが溢れた事件は周知のものであり、兵士たちも魔王の存在を受け入れていた。そして、現れた聖女に歓喜した。
いがみ合う軍は部隊ごとに別の指揮系統にあるが、概ねアリアに従っている。
ただの吟遊詩人が聖女になり、魔王討伐の軍を指揮している。そんな現状が、今でも呑み込めないアリアだ。
「しっかり掴まっていた方が良い」
馬の上でバランスが取れずに傾くアリアの肩をオルフェウスが支える。
相乗りさせてもらって、なんだか気恥ずかしかった。
「す、すみません……」
アリアは視線を逸らして、軍旗をぎゅっと握る。剣など扱えないので、旗を持っていることにしたが、これが思った以上に重い。女の細腕では、すぐに疲れてしまう。
オルフェウスは馬を器用に操って歩を進める。
「緊張しているか」
「え、ええ、まあ……」
戦争なんて、初めてだ。
争いは絶えない。とはいえ、一般人であったアリアはそれらを避けて行動するのが常だ。実際に見たことなどもなかった。
それが、今ではたくさんの騎馬や歩兵を率いた軍隊の真ん中にいる。
相乗りしたオルフェウスだけではない。アリアでも名前を聞くような歴戦の将や、数々の兵士に囲まれている現状を、未だに受け入れられずにいた。
軍の会議で力説したり、兵士の前で祈りを成就させたり、緊張する場面はたくさんあったと思う。けれども所詮は他人が仕込んでくれた舞台だ。これからはじめる戦争では、なにが起こるかわからない。
「出来る限り、君のことは援護しよう」
アリアは戦ったことなどない。オルフェウスはアリアを援護すると言っているが、実際にはアリアが彼を援護するのだと思う。
銀色の髪が太陽の光を吸って美しく揺れている。夕陽色の瞳が神秘的で、アリアを支える腕も逞しい。まだ二十歳だと聞いているが、実際よりも四、五歳ほど落ち着いて見えた。
身体の鍛え方が違う。知識のないアリアでも、彼は「戦う人なのだ」とわかる。
「あの」
なんとなく、聞いてみたいことがあった。
「オルフェウス様は……怖くないのですか?」
アリアは自分でもわからないうちに、強い能力を手に入れてしまった。
魔法と無縁だった自分が、今では別の能力を得て聖女と崇められている。
そのことが怖くなるときがあるのだ。
自分が普通ではいられないことが、恐ろしく思う。
「恐怖はある」
アリアの意図を汲み取ったのか、オルフェウスは短く答えた。アリアは瑠璃色の眼を見開いて、オルフェウスを振り返る。
「オルフェウス様のような強い方でも、ですか?」
「どうだかな。私は生まれてから、強かったことなどありはしない」
「お噂はよく耳にしていました。カルディナ最強の戦士。神速のオルフェウスと言えば、子供でも知っています」
「実際はそうでもないぞ。私は兄妹の中では一番不出来な子であったからな。魔力も大して強くはない」
魔法が使えないアリアには理解出来ない世界だろう。それでも、どこか共感するものがあった。
「こんな呪わしい力だが……それでも、私には授かった力を利用する理由がある。君の言うように恐ろしいと思う。しかし、このオルフェウス、退くわけにはいかんのだ」
カルディナ王国で起こったあらましは聞かされた。
彼は妹であるリリィシア王女に裏切られ、国を追われた。何十万という国民が魔王の犠牲になり、アンデッドとして強制的に戦わされている。
アリアにはない覚悟を持っているのだと思った。アリアはなにも言えず、息を呑む。
「すみませんでした……」
思わず、謝ってしまう。
「わたし、オルフェウス様は自分と同じだと思っていたんです」
オルフェウスが眉を寄せた。おこがましいことを言って気分を害してしまっただろうか。しかし、そうではないらしい。
アリアは続ける。
「わたし、同じように祝福を授かった人がいて嬉しかったんです……こんな力、誰にも理解されませんから。なんとなく、寂しくて」
聖女と崇められて、人々から讃えられて……周囲に人が増えた。だが、アリアは孤独であった。
誰にも理解されない力を得ると言うことが、こんなにも苦痛だとは思わなかった。確かにアリアの周りには人が絶えない。それなのに、誰とも心が通じない痛み。
「同じような人がいて、よかったって思ったんです。でも、全然違う……オルフェウス様は強くて、わたしなんかとは全然違います」
「あまり変わらない。ただ覚悟の差があるに過ぎんよ」
俯くアリアに、オルフェウスは平然と言った。
「なにを守るべきか、なにを犠牲にすべきか、それを理解しているだけだ。君に家族は? 守りたいものはあるか」
「家族は、いません……父は戦争で。母や兄弟は貧しさで飢え死にしました。わたしは運良く旅の吟遊詩人に拾われて、そのまま技能を磨いて育ってきたんです」
アリアには帰る場所がない。アッカディアを中心に旅をしているが、アッカディア人という意識もなかった。
「でも、戦争はあまり好きじゃありません。争いがなければ、わたしの家族は死ななかったかもしれない……どうして、もっと早く祝福を手に入れられなかったのかって思います」
争いは嫌いだ。出来れば、なくなればいい。
「では、君が失くせ。きっと、そのために力があるのだろうから」
アリアを支える手に力が籠った。
息を呑んで、頷く。
魔王を倒すために、戦争中であったアッカディアとカルディナの兵が手を組んだ。それを仕組んだのは、確かにアリアではない。けれども、アリアがいなくては成立しなかった。
このまま魔王を倒せば、きっと争いはなくなる。大丈夫。そのための、奇跡の力なのだ。
「わたしに出来るでしょうか」
「出来るか問うのではなく、まずはやってみるといい」
不安になるばかりでは、駄目だ。
アリアは旗を握り締め、進む道をじっと見据えた。




