33 勇者と聖女
神殿の神官たちに囲まれたときは、正直驚いた。
アリアはただの吟遊詩人である。神殿で演奏や詩を披露することがあっても、まさか「聖女」だと言われて連れて行かれるなんて、思ってもいなかった。
ある日、突然アリアに備わった特殊な能力は、神殿に言わせると奇跡の業らしい。
自分でも驚いたくらいだが、それがきっかけで「聖女」と呼ばれるなんて、思ってもいなかった。
だから、こんな風に女王様に呼び出されるなんて、もっと驚いてしまう。
「楽にしてくれて、良くってよ」
当代のアッカディア女王インテグラは深紅のドレスの下で足を組み、扇子を広げた。
国王と言えば、もっと威厳のある男性という印象だが、この女王は可憐そのもの。まだ二十歳だと言う。
しかし、紫水晶の瞳は美しい反面、抜け目のない鋭さをはらんでいる。「女狐」とも称される女傑を前に、アリアは緊張して声が出せない。
「お、お招き頂き、光栄です」
なんとか言って、アリアは出来るだけ丁寧にお辞儀した。
「いいえ、ご足労をかけました。今日は個人的なお茶の席に呼んだだけです。どうぞ、お掛けになって」
ただお茶会に呼んだわけではあるまい。
そんなことは、庶民であるアリアにもわかっていた。
アリアは促されるまま、静かに席へ着く。
テーブルには女王と、既にもう一人着いていた。銀色の髪に、夕陽色の瞳を持つ端正な顔立ちの男性だ。インテグラより、一つか二つ年上だろうか。
名乗らないので、誰なのかわからない。しかし、ここに呼ばれているということは、重要人物なのだと思う。
「…………」
目があってしまって、アリアは視線を逸らした。なんだか、インテグラ女王とは別の意味で緊張してしまう。
「紅茶は大丈夫かしら?」
「あ、はい……あまり飲みませんけど、好きです」
砂糖をたっぷり入れた紅茶を飲む習慣は一部の上流階級にしかない。流れの吟遊詩人であるアリアには縁の薄い飲み物だ。だが、数度、詩を聞かせる貴族の屋敷で御馳走になった経験はある。
インテグラは自分のカップに砂糖を三つ入れる。アリアは控えめに、一粒だけ入れた。もう一人の青年は砂糖を入れずに飲んでいる。
「転移門を閉じたそうですね」
紅茶の話をしていると思ったら、突然切り込まれた。
やっぱり、ただのお茶会ではなかった。アリアは掌に汗をかきながら、紅茶のカップを置く。
「はい。たぶん、全部閉じたと思います」
先日、神殿領の転移門から大量のアンデッドが溢れてきた。アリアはとっさに、その場の判断で転移門の閉鎖を祈った。
「今は解放されていないのかしら?」
「そうですね。各神殿がアンデッドの駆逐を終えて、落ち着くまでの間は開けないので……」
「ということは、あなたはその奇跡の力で再び門を開けることも出来るの?」
「出来ると思います」
最初、アリアの祈りは弱いものであった。けれども、日に日に祈りの種類や回数に幅が広がり、たいていの祈りが成就するようになったのだ。
「そうなのですか。素晴らしいのね。あたくしも、その力を見てみたいわ」
女王は笑う。
したたかで計算高い笑みを隠すように、扇子で煽ぐ。
「なにをして見せましょうか」
「そうね。あなたに是非、死を祈ってほしい人物がいます」
「え……」
アリアは動揺して、目を逸らしてしまう。けれども、インテグラはそんなアリアを逃がさないと言いたげに、じっと見つめ続けた。
「出来ないかしら?」
「……祈りを成就させるには、条件があります。わたしの視界に入っていないものに対しては、祈りを成就させることは出来ませんでした。あと、生や死そのものを祈っても成就しないようです。死者を生き返らせることは出来ませんでした。逆に死を祈っても成就はしませんでした」
「そうなの……でも、人を死に追いやる原因を作ることなら可能よね?」
インテグラは呟くと、アリアに優しげな表情を向けた。だが、言っていることと表情が乖離している。アリアは恐ろしくなって息を呑む。
「道中、ゴブリンの群れが現れたことがあります……そのとき、わたしは彼らの死を祈りましたが、成就しませんでした。たぶん、人間も同じだと思います……でも、崖を崩してゴブリンたちを生き埋めにすることは出来ました」
つまり、相手の死因を作ることは出来てしまう。
「あなた、何故、転移門からアンデッドが溢れたか理由を知っていらして?」
「……神官様のお話では、まだ調査中ということでした」
「そう。じゃあ、神殿はあなたに隠している。もしくは、知らないということね」
なにか不都合な情報を与えてしまった気がして、アリアは嫌な汗をかいた。
「魔王が倒されて百年。世界は平和でした……しかし、今再び新しい魔王が生まれようとしています」
「魔王……?」
魔王は倒された。伝説の勇者クロス・カイトによって打ち砕かれ、世界は平和を取り戻している。それは、この世界の人間なら誰でも聞いたことのあるお伽噺であり、歴史。アリア自身も吟遊詩人として語り継いでいる物語だ。
「魔王が再び現れるんですか?」
「そうです。残念なことに、新しい魔王はカルディナの都市を二つも落としたそうよ。転移門から溢れたアンデッドは、新魔王の仕業と言ったところかしら」
「そんな……」
神殿で、ユキカリアが落とされたことは聞いた。最近訪れた街が消えてなくなったと聞いて、アリアも未だに立ち直っていない状態だ。
「今こそ、勇者が必要です」
インテグラはそう言い切って立ち上がる。彼女は戸惑うアリアの横に立つと、緊張で硬直した方に手を置いた。
「きっと、あなたの祝福は神が与えたもの。この世界に再臨した魔王を倒すための力でしてよ。それを活かす機会を、あたくしは与えたいの」
魔王や勇者は昔物語に語られる存在で、自分とは縁のないもの。聖女として讃えられる現状も受け入れられていないのに、更に魔王を倒すなど……。
「大丈夫、そこにいる男も、あなたと同じように神に選ばれた存在よ。不服ですけど」
「え……?」
アリアは瑠璃色の目を瞬きさせた。目の前に座る青年を見据える。
この人も、アリアと同じように特殊な力を持っている?
そう思うと、一気に親近感のようなものがわいた。
「オルフェウス・アズル・カルディナ。カルディナ王国の王子だ」
青年――オルフェウスはスラスラと自分の名前と身分を明かした。夕陽色の瞳がアリアをまっすぐに見据える。その視線に捕えられて、アリアは身体を動かすことが出来なくなっていた。
「アッカディア女王の元に……カルディナの王子?」
二国は戦争状態のはずだ。
有り得ない組み合わせの二人に、アリアは耳を疑った。
「新しい魔王の力は強大よ。今はいがみあっている場合ではないの。あなたの力が必要です」
インテグラが耳元で囁いた。妖艶な響きである。蜜のように甘くとろけそうで、それでいて、蜘蛛の巣のように心を絡め取る。
「今はまだ表向きには戦争中です。でも、あなたがいてくれたら、きっと上手くいくわ。こんな戦争なんて、そろそろ辞めるべきなのです。そのきっかけを作って頂けるかしら?」
インテグラが笑うと、オルフェウスが懐から小瓶を一つ取り出した。
緑色のビンは、一般的に毒薬を保存するときに使う。なにが起こるのかわからず、アリアは首を傾げていた。
しかし、瓶の中身をオルフェウスが一気に飲み干したことで、身を前に乗り出した。
「え!?」
オルフェウスは表情を苦悶に歪め、テーブルに片手をつく。ガチャンッとティーセットが音を立てた。落ちたカップが割れ、中の紅茶が床に広がる。
「ちょ、ちょっと、なんで……!」
アリアはすぐに祈ろうとした。
けれども、インテグラが彼女の視界を覆ってしまう。
祈りの対象が視界に入っていないと、【祈りの奇跡】は効力を発揮しない。
苦しみながら床に崩れていく音がする。アリアは信じられずに、両手で顔を覆った。肩の震えが止まらない。
「よく見なさいな」
インテグラがアリアの手を掴んで、降ろさせる。
視界を抉じ開けられて、アリアは唇を震わせた。
床に横たわるオルフェウス。顔が蒼白で血の気がない。吐き出された血が少量、床に付着していた。
「そんな……」
信じられずに、アリアは立ち上がる。駆け寄るが、もう脈がなかった。
本当に死んでしまった。
「案じなくても、よろしくてよ」
インテグラが笑っていた。どうして、こんな状況で笑っていられるのだろう。先ほどの話はどうなったのだ。魔王を倒すのではなかったのか。
「これが、このオルフェウスが受けた祝福だ」
声がした。アリアは驚いて、足元に転がった青年を見た。
何事もなかったかのように、オルフェウスが起き上がる。
アリアは今日、何度目か分からない驚愕に言葉を失った。
† † † † † † †
聖女が帰ったあとの部屋には、女王と隣国の王子。
「きっと、あの聖女様は協力してくださるわよ」
扇子を閉じてインテグラは笑った。
「インテグラ女王は、随分と悪い人だ」
腕を組んだまま、オルフェウスが息をつく。一度死んだ後とは思えない落ち着きだ。
「あら、嘘は言っていなくてよ。ただ、言い忘れたことはあるかもしれませんけれど……細かいことは、どうだっていいのです」
再臨した魔王が元勇者であったことなど、知らなくても良い。
平然とそう言って、インテグラは計算高く笑う。
「利用しやすそうな小娘で、本当によかったわ」
オルフェウス、なんですぐ死んでしまうん?




