31 理解出来ない
「滅んでしまえ……滅べ……」
聖獣の身体が内側から盛り上がり、爆発する。
銀色の血が噴き出し、胸部からは肋骨が外側に向けて折れ曲がった。衝撃で内臓はほとんど融解し、ドロリとした液体となって周囲に流れる。
返り血と呼んでも良いのかもわからない液体を拭って、アスワドは更に肉を裂いて進む。
「おい、へっぽこ!」
銀色の肉の塊から人の形を見つける。
アスワドはその手を引いて叫んだ。
けれども、見つけたバルトロメオの姿に顔を歪める。
ほとんど聖獣の身体と融合していて、とても切り離せる状態ではない。なんとか上半身は形を保っていたが、心臓の位置に真っ黒な根のようなものが植え付けられている。これが核だろう。
辛うじて生きている状態だ。放っておいても、間もなく死ぬ。
「おい、へっぽこ神官。選べ!」
アスワドはバルトロメオの髪を掴んで、無理やり顔をあげさせる。だが、髪すらも脆くなり、触れただけでボロリと泥のように崩れてしまう有様だった。
「…………」
かすかに瞼が動く。
スィヤフとは違う、若葉色の瞳が開く。
「お前には権利がある。お前をこのようにした神殿の連中に復讐し、八つ裂きにする権利だ。選べ、へっぽこ。儂が今から、お前を眷属にしてやる。生きておるうちなら、自我もそれなりに保ったまま――」
「――いします」
銀色の血液が泥のように色を濁らせていく。残っていた聖獣の身体も、バルトロメオも、徐々に砂のように崩れていった。
そんな状態で彼が口にした言葉に、アスワドは耳を疑ってしまう。
「……市民は……みんな、一人でも逃げました、か? お願い、し、ます。一人でも、逃がし、て……」
「なにを言っておる。今はそんな場合では……」
「たすけ……一人でも、助け……」
ただ祈るように懇願して、目尻から銀色の血を流している。
「お願いします。一人でも、たくさん、生き……」
「自分が助かることを考えろ。儂は他の人間に興味などないし、助けてなどやらん」
心臓の代わりに埋め込まれた根っこに手を当てた。魔力を供給してやると、身体が泥のように崩れる速度が緩まっていく。
「お前をこのようにしたのは、神殿の連中であろう? 復讐してやればいい。一人残らず殺し尽くせ」
アスワドには、クロスのように完全に自我から形成するアンデッドを作るほどの魔力はない。バルトロメオの意思がなければならないのだ。
生きた人間とは言い難いが、それなりに彼の意思を引き継いだアンデッドには出来る。
されど、バルトロメオはアスワドの言葉を拒絶した。
「……もう殺したくない。もう、嫌です……意識はあるのに、身体が言うことを、聞かなくて……人を踏み潰した感覚が、まだ、残っていて……壊した家の中にいる人を助けようと手を伸ばすと、また踏みつけて……」
聖獣化している間の記憶は鮮明に残っているようだ。
苦しそうな表情のバルトロメオを見下ろして、アスワドは閉口した。
彼は殺したいわけではない。
アスワドだって、同族殺しなど御免である。同族を憎んで殺戮するクロスや、平然と笑っているリリィシアの方が異常なのだ。
「よく考えるがいい。お前にそうさせたのは神殿の連中で――」
「僕を止めてくれて、ありがとうございます……みんなを、助けてください……」
――アスワド、里を頼む……そして、愚かな我を許せ。
この男はスィヤフではない。
顔は似ているが、違う存在だ。
「何故、お前たちは自分のために生きられんのだ」
重ねてしまう方がおかしい。
だが、重ねずにはいられなかった。
「愚か者どもが」
アスワドは拳を握って、バルトロメオの傍らに膝をつく。
落ちていたフードを深く被り直した。
「へっぽこが。なにを言っておるのか、儂には皆目見当がつかぬ」
声の抑揚が消えてしまう。それでも、アスワドは言葉を重ねた。
「街の皆は無事だ。覚えておらぬか? お前が皆に知らせたお陰だぞ。他の神殿から応援も来た。忘れてわけのわからぬことを言うな」
「そんなはず……」
「儂がそうだと言ったら、そうなのだ。間抜けのへっぽこの記憶など、当てにはならぬ」
光魔法が使えれば、記憶も操作してやれる。だが、アスワドには光魔法を使うことは出来ないし、今は戦ったあとで魔力も残っていない。
「昨日は世話になった。ありがとう」
アスワドは心臓に植え付けられた根への魔力供給を止める。そして、忌々しいそれを握り潰した。
「ああ……昨日の……そうですか。よかった……ありがとうございます」
バルトロメオは弱々しく笑った。その顔が、頬からボロリと崩れていく。
アスワドは笑顔を作ろうと試みる。
しかし、刻まれたのは悲痛の表情だった。
フードを取って、声の限り叫んだ。
「嘘だ……嘘だ、嘘だ嘘だッ! デタラメだ! 街はアンデッドで溢れておるし、市民はほとんど逃げられなかった! 神殿も機能しておらぬ。見ろ、一面廃墟だぞ? 誰がやったと思う? お前がやったのだ。お前が街を壊し、人間を殺した! アンデッドから逃げる者の退路を断った。良い気味だな。実に良い気味だ! 自分たちの作り出したバケモノで街が滅ぶなど、貴様らには、よく似合っておる。下等生物!」
既に砂となり、風で吹き消えていく男には聞こえていない。聞こえていない言葉を、アスワドは喚くように叫び続けた。
どうして、嘘など言ったのかわからない。バルトロメオにだって、あれは嘘だとわかったはずだ。いくら間抜けでも信じさせるには、無理がありすぎる。
絶望しながら死んでいけばいい。相手は人間の神官なのだから。アスワドの敵で、最も憎むべき人種。
どうしてこんなに気分が晴れないのだろう。
愚かな人間など、何人死んでも同じはずなのに。
「滅べ……人間など、滅んでしまえ……」
必死に、無垢に、正しく生きているはずの者が踏み躙られる。同胞から、こんな仕打ちを受けてゴミのように死んでいく。異物を排除することでしか、自分たちを守れない脆弱な種族。
「滅べ……死ね……殺す……」
それなのに、何故、こいつは笑って逝った?
そして、何故、自分はこいつを笑って逝かせようとした?
アスワドには理解出来なかった。
第2章終了です!
引き続き、第3章をお楽しみください。




