3 異常者
玉座に腰かけて、クロスは足を組んだ。
ここは玉座の間。本来なら、このカルディナ王国の国王が座す椅子だ。
しかし、ここに王はいない。
あるのは事切れた兵士たちの山だけだった。
「お前……やっぱり、頭おかしいだろ」
浅く息を吐いて、クロスはリリィシアを睨んだ。
「あら、そうなのですか?」
清らかな泉のような笑みで、リリィシアはクロスを振り返る。手には、先ほどまで玉座に居たはずの国王の首が抱えられていた。
この王女、実の姉を踏み殺したどころか、父親まで自分で首を刎ねてしまった。
クロスと二人で玉座の間に入った途端、持っていた杖を剣に変え、問答無用で国王の首を刎ねる姿は本当に一瞬の出来事だった。
「わたくし、こう見えても聖騎士なので。剣には覚えがあります。よく魔法使いと間違えられるのですが」
「別に、お前の殺し方について言及したかったわけじゃないんだけど」
リリィシアが問答無用で国王の首を刎ねたものだから、その後の展開はお約束。控えていた兵士たちが束になって、クロスに襲いかかってきた。
クロスは召喚前の強さを保ったままだ。ゲームで言えば、レベルはカンストした状態。こんな城の兵士など、相手にならなかった。都合よくステータス画面がある世界ではないが、見れば雑魚だとわかる。
「姫様に洗脳魔法をかけた不届き者!」
持て余していると、玉座の間にぞろぞろと兵士たちが雪崩れ込んできた。騒ぎを聞きつけて、残っていた兵士たちが集まってきたようだ。
「濡れ衣だ……お前らの姫が一番頭おかしいぞ」
「まあ、失礼しますわ。わたくしは、この世界を救うために努力していますのに」
「そういうところがおかしいんだよ」
だいたい、本気でそんなことで「世界が救える」と思っているのか、この頭おかしい姫様は。
わざわざ忠告してやる義理もないし、今はまだ利用させてもらうだけだが。
「国王陛下まで……この逆賊がっ!」
「だから、国王を殺ったのは俺じゃない……って言っても無駄か」
説明して理解してもらおうとは思っていないが、軽く訂正くらいはしておきたかった。
クロスは右手をかざす。
「【魔道具召喚 雷槍ゲイボルグ】」
右手に現れたのは、二メートルを越える長槍だった。
一度目の召喚で手に入れた伝説の槍だ。魔道具は全て闇の空間魔法によって、異次元に収納してある。
ゲイボルグは武器としてよりも、魔法を増幅させる補助具の役割が強い。最小限の魔力で雷属性の魔法を放てる利点があった。勿論、一撃の力を強めることも可能だ。
この世界の魔法は七階級に分類される。
百年前の世界で第七階級の魔法が使えたのは、エルフを除けば、クロスと仲間の魔法使い、魔王軍の幹部以上だったと思う。普通の人間なら第六階級程度の魔法が使えれば最強クラスだ。
淡々と呪文の詠唱へと移る。
「【精霊よ 我が声を聞き 我が言葉に応えよ 破滅の雷を以って 天を裂き 風を裂き 我が敵を裂け】」
クロスを中心に金色の魔法陣が展開する。周囲を風が舞い、漆黒の髪が踊った。
ゲイボルグに魔力が集まり、激しい電撃が生まれる。
「【龍の咆哮】」
詠唱を終えると、電撃が龍のように唸りをあげた。命ある者の如くうねった雷龍は、あっという間に謁見の間を駆け巡る。
「あ、あ、ああああああッ!?」
電撃に触れた者たちは尽く炭となって焼け崩れた。
人間の姿のままの炭柱が何本も立っている光景は地獄絵図だろう。生き残った者たちも恐怖に慄き、逃げ出す者までいた。王族を守る戦士のくせに情けない。
「第五階級の上級魔法……貴様、何者だ! さては、アッカディアの手の者か!」
雷龍の攻撃を受けて尚、立っている者がいた。白銀の甲冑に深紅のマントをなびかせている。
どうやら、マントが魔道具のようだ。風貌からすると、騎士団長と言ったところか。
「控えなさい、レイフォード。この方は、ナターシアお姉様が召喚した勇者クロス・カイト様です。先ほど、この国を捧げました。クロス様には魔王になって頂きます」
レイフォードと呼ばれた騎士団長に対して、リリィシアが言い放つ。明朗でゆったりと王族らしく堂々としたものだった。だが、その言葉は王族のものとは程遠い。平たく言えば、頭おかしい。
リリィシアの言葉にレイフォードが目を剥いている。なにを言っているのか、わからないと言いたげだった。
最初はクロスもリリィシアの言葉は理解出来なかったが、だんだん慣れてきた。順応とは恐ろしい。
「勇者が……魔王……? どういうことですか、リリィシア様」
「そのままの意味ですわ」
リリィシアは相変わらずの笑みのままだ。
二人の遣り取りを聞いているのも煩わしくて、クロスは前に歩み出た。右手に召喚していたゲイボルグを空間に収納する。
「【屍者よ 生を羨み 死を与えられし者たちよ 我、命ず その身が朽ちるまで彷徨い 生者の肉を求めよ 死の舞踏】」
両手を広げると、幾つもの小さな魔法陣が展開されていく。
クロスは無表情のまま、小さな魔法陣一つひとつを、積み上げられた兵士の死体に投げつけた。
魔法陣はチャクラムのように回転しながら飛び、死体に吸収されていく。
『あ……あ、あ……まだ……死にたくない』
『助けて……寒い……』
事切れたはずの死者たちが愚鈍な動作で起き上がりはじめる。
アンデッド化させる闇魔法だ。
以前の召喚では、あまり使わなかった類の魔法なので錬度が高くない。
魔王らしい魔法だと思って使ったが、上級アンデッドを作り出すことは出来なかったようだ。雑魚のような第二階級以下のアンデッドが徘徊しはじめる。
少し練習しておかないと。闇魔法は魔道具収納の空間魔法以外は、あまり得意ではない。
無感動にそう思って、クロスはレイフォードに視線を戻した。
「死者への冒涜……貴様の好きにはさせぬぞ!」
レイフォードは果敢に剣を構えて呪文を詠唱する。
どうやら、彼もリリィシアと同じ聖騎士らしい。光魔法の込められた剣で、アンデッド化した兵士を斬り倒していく。
それでも、下っ端の兵士たちには効果はあるらしい。元は仲間だったアンデッドたちに襲われて、そのまま成す術のない者もいた。
ここはクロスが魔王を倒してから百年後の世界。そもそも、魔物や魔族が主に扱う闇魔法に耐性がない者も多いのかもしれない。アンデッドなど見たことがない兵士もいるだろう。
魔物ではなく、人同士が争っているということは、対魔物用に発展した上級魔法の類もなかなか使われないのかもしれない。
実際、この中で第五階級の魔法に対する防御アイテムを持っていたのはレイフォードだけだった。
「姫様。リリィシア様! 早くこちらへ!」
レイフォードがアンデッドたちを斬り倒し、リリィシアに手を伸ばす。
だが、リリィシアは国王の首を抱えたまま、キョトンと首を傾げた。
「あら、レイフォード。どこへ行こうと言うのですか?」
「姫様は騙されているのです。あの者の洗脳に惑わされては、なりませぬ!」
レイフォードは玉座の階段を駆け上がって、リリィシアの前に立った。そして、洗脳魔法解除の呪文を唱えはじめる。
「無駄ですわ、レイフォード」
リリィシアは慈悲深い女神のような笑みでレイフォードを見た。
彼女は手に持った国王の首を足元に落として、血のついた両手でレイフォードの顔に触れる。
「だって、わたくしはお父様に何度も言っておりましたわ。人間同士が争うなど不健全。アッカディアとの戦争は辞めましょう、と」
「それは……先に戦を仕掛けたのはアッカディアです。許してはなりませぬ!」
「和平を結ぶ機会は何度もあったわ。こちらに優位な条件に持ち込むことも出来たはず……それでも、お父様は戦をお辞めにならなかった。深追いしたせいで戦局が一転して、今ではカルディナ側が不利ですから、政治的にも引き際を見誤った愚王ということになりますわね」
リリィシアは足元に転がった国王の首を杖の先で弄ぶ。姉を踏み殺したときと違って、じわじわと甚振っているかのようだ。もう死んでいるとはいえ、その扱いにレイフォードが顔を蒼くしている。
「わたくし、本当に戦が嫌いなのよ。レイフォード」
リリィシアの持っていた杖の先が国王の眼窩にめり込む。ぐちゃりという音と共に、視神経で繋がれた眼球がこぼれ落ちていた。
「人同士が争うなんて大嫌い。そうなるくらいなら、魔物と戦った方がマシですわ」
転がった眼球を、ダンッと踏みつける。靴底で蒼い眼を潰して、リリィシアは笑みを消した。
「魔王は必要なの。それが、世界の本来の姿ですもの。いくら言葉で綺麗な平和を説いたって、無駄なのよ。言ってもわからないなら、わからせるしかないと思うの」
「リリィシア……様……?」
クロスはリリィシアの顔から笑みが消える瞬間を初めて見た。少なくともクロスよりも付き合いが長いはずのレイフォードにとっても同じようだった。
笑みを消したリリィシアはゾッとするほど恐ろしく、そして、息が止まるほど美しかった。
「【死の舞踏】」
リリィシアと向き合ったレイフォードの腹から剣の先が生える。
黒いオーラを纏った剣から幾つもの魔法陣が発生し、レイフォードの身体を拘束していった。
「な……ぐぁッ、は、あッ……なに、を!?」
レイフォードの身体から剣を引き抜きながら、クロスは冷淡に告げた。
「生きたままの人間にアンデッド化の魔法を直接かけてみたら、どうなるのかと思って試した」
闇魔法はあまり使ってこなかったので、イマイチ仕様がわからない。実験していく必要があった。これから魔王として世界を滅ぼすなら、有益な魔法も多いだろう。
例えば、アンデッド化の魔法が自由に使えれば、自分の手駒を単純に増やせて楽になる。こういうものは効率的に行うべきだ。
「あ、が、ぐ……や、やめっ……!」
先ほどまでの勇ましさから一転して情けない悲鳴が漏れる。
黒い魔法陣の上でレイフォードの身体が浮き上がった。関節という関節があらぬ方向に曲がり、木の枝を折るような歪な音が響く。肋骨が外側に折れ曲がり、内側から肉が裂けて内臓が晒された。
紅かった血が漆黒に染まり、人ならざる者へと姿が変質していく。
「やっぱり難しいなぁ」
けれども、クロスが想像していた上級のアンデッドへと姿を変える前に、魔法は終わってしまった。
中途半端な姿に成り果てたレイフォードはそのまま絶命する。失敗だ。
「まあ、これから練習すればいいと思います」
結果に対して、リリィシアが笑顔で評価する。「次のテストはがんばりましょうね」と言うくらい軽い口調だ。
この王女とは、どう接すればいいのかよくわからない。
それでも、割と平気で接している自分も妙なのかもしれなかった。
そう、リリィシアは異常だ。
だが、それと同じくクロスも異常なのだ。
人間らしさを忘れかけている。
「あら、クロス様?」
クロスに起こった異変を感じ取って、リリィシアは菫色の瞳を見開いた。その反応を見て、クロスは腕を組んだ。
「ああ、これか」
ひとまずの戦闘を終えたクロスの身体がぼんやりと光っている。
もう慣れた体質だった。百年後の世界でも、やはり変わっていなかった。
クロスを覆っていた光が胸の辺りに集結しはじめる。クロスが手をかざすと、光は大粒の結晶へと変じていった。
薄紅色の宝石。
クロスの手の中で、光は宝石となっていた。
「これは代償だ」
この世界に召喚された勇者には、祝福が与えられる。
そして、祝福は代償を伴っている。