28 生贄
「どういうことだ……! 転移門が!?」
転移門からアンデッドが湧き出てくる。
魔の火山の麓――神殿領を支配する大神殿は混乱に陥っていた。
多くの神官が駆り出され、転移門を通るアンデッドの大群を処理している。
幸い、転移門を一度に潜れる数は決まっていた。道も狭いため、狙い撃ちにすれば押し留めることが出来る。
けれども、数が数だ。いったい、どれほどいるのだろう。アンデッドの群れが勢いを緩めることはなかった。上級魔法を放ったところで、次々出てくれば同じだ。
「どうしましたか」
疲労の見えはじめた神官たちの後ろから声がする。
「アリア様……!」
呼ばれた娘――アリアは瑠璃色の瞳で転移門を見据えた。そして、状況を把握する。
「この門を閉じることは出来ないんですか?」
魔法を知らない素朴な一般人らしい発想だった。近くにいた神官が答える。
「無理です。転移門を開くにも、閉じるにも、数年かけた大掛かりな儀式が必要なのです。今すぐ門を閉じることは出来ませぬ!」
「そうなんですか?」
アリアは素直に驚いて目を見開いた。
彼女には魔力がない。当然の反応であった。
「どうやら、カルディナ王国の神殿から転移しているようです。他の神殿へも同じように転移している可能性があります」
カルディナの王都がアンデッドの手に落ちたという情報は神殿も掴んでいた。討伐隊も何度か編成したが、まるで歯が立たなかったのだ。そのため、近々神官たちを集めて大規模な討伐を計画していたところであった。
恐らく、このアンデッドたちはカルディナ王都を落としたものだろう。
しかし、事態を聞いても聖女は少しも表情を変えなかった。
「じゃあ、とりあえず、閉じてしまいましょう」
「え?」
アッサリと放った言葉。
アリアはその場で指を組み合わせ、眼を閉じた。
「祈ります。全ての転移門の閉鎖を」
風もないのに青い髪が舞う。
アリアの身体が光に包まれた。
「お……おお……!」
転移門を描いた魔法陣が塵のように消えていく。そして、門から出てくるアンデッドの数が減っていった。
閉じるためにも儀式を必要とする転移門が消滅していく。その奇跡の光景に、一同が声をあげる。
アリアの持つ祝福【祈りの奇跡】だ。
アリアには魔法の素養がない。けれども、謎の能力が備わっていた。
故に神秘であり、故に聖女なのだ。
「やったぞ!」
歓声が上がった。
最後に門を通ったアンデッドを倒そうと、皆が一斉に魔法を放つ。
アンデッドもただではやられない。剥き出しになった自分の骨をナイフのようにして、アリアに投擲した。
「聖女様!」
だが、骨はアリアの右頬を掠めただけだ。真っ赤な血でスッと一筋の傷が描かれる。
「これで大丈夫ですね」
これだけのことをやってのけて、アリアは汗一つかいていない。少し髪が伸びたが、これは祝福を使った対価のようなものである。
祈るたびに奇跡を起こす聖女。それがアリアという娘だった。
「あれ?」
アリアは頬から流れる血を拭おうと、袖でこすった。
けれども、袖には紅い血がついていない。指でなぞると、傷自体が消えているようだった。
「どうしましたか、アリア様?」
「怪我したと思ったんですけど」
「奇跡で治癒されたのではないのですか?」
釈然としないアリアに、神官が平然と答えた。
祈った覚えはないが……まあいい。どうせ、あとで治すつもりだったのだ。
「それより、他の街が心配ですね」
アリアは目を伏せた。様々な転移門に向けてアンデッドが放出されたという話だ。
あの程度なら防げるとは思うが……やはり、気になる。転移門がある街には、馴染みの顔もいる。昨日訪れたユキカリアもそうだ。
「バルトロメオさん、大丈夫かしら?」
ユキカリアで案内役を引き受けていたドジで間抜けな神官を何故か思い出して、アリアは天井を見上げる。
伝説の勇者を讃えたフレスコ画が微笑んでいた。
† † † † † † †
神殿の建物内でなにかがあったらしい。
入り口の番を任されていたバルトロメオは、中を覗こうと扉をすかす。そして、その惨状に絶句した。
「なん……ですか……これ……」
やっと声が出たと思ったら、ありきたりな文句だった。
中はまさに地獄である。
どこから湧いたかもわからないアンデッドによって満たされ、信徒や神官の遺体が踏み荒らされていた。喰種に血肉を喰らわれた者はアンデッドになり、虚ろな目で徘徊をはじめる。
ここは、本当に神殿なのか。
魔物の討伐を請け負う組織が、こんなアンデッドたちに蹂躙されている。扉を何人かの神官が死守しているが、時間の問題だ。このままでは突破されて、街に溢れてしまうだろう。
バルトロメオは息を呑んだ。
「僕も、なにか……」
しかし、バルトロメオに使えるのは第一階級の回復魔法のみ。それも不完全で、掠り傷程度しか治癒出来ない。
なにも出来ない。こんなときなのに。
自分の無力さに、バルトロメオは唇を噛んだ。どうしようもない敗北感、無力感、虚無感……どうすればいいのかわからない。
「駄目だ、しっかりしなければ」
逃げ出しそうになる自分を鼓舞して首を振る。
市民に伝えなくては。安全な場所に逃がす必要がある。バルトロメオは即座に動いた。
「おい、アレは持ってきたか!?」
「大丈夫です。ここにあります!」
神殿の中から何人かの神官が出てくる。戦線離脱だろうか。それとも、バルトロメオと同じように、市民の避難を優先させようとしているのか。
「シロス様、スザナ様!」
バルトロメオはなにか役に立とうと、神官たちに近づいた。
「僕にお手伝いできることはありますか? 市民の避難を呼びかけましょう!」
なにかしなければ。その一心で、バルトロメオは叫んだ。
人の役に立ちたい。
自分は魔力がありながら、弱くて有能とは言えない。しかし、想いだけは人一倍強いと思っている。だからこそ、神官になったのだ。
いつも守られてばかりだった。
貧しい家庭でバルトロメオと妹を食べさせるために母が働き、過労死した。弱くて臆病なバルトロメオを虐める近所の子供を妹がいつも追い払っていた。
誰かの役に立ちたくて。なにかの役に立ちたくて。
弱いなりに精いっぱい、誰かのために働いた。守りたくて、自分なりの強さを身につけた。
今だって逃げたい。恐怖に任せて、なにもかも放り捨てたかったが、そうはしない。
バルトロメオには守る正義がある。
「おお、バルトロメオよ。いいところにいた。今、引き受けてもらいたい役目がある」
「役目? はい、僕に出来ることならなんでも致します」
「なんでもすると、言ったな?」
「このような事態です。僕の力は微妙でしょうが……」
「そのようなことはない。私はお前のような人員を探していたよ」
迷いなく答えるバルトロメオに対して、神官が笑みを浮かべた。いつも不出来なバルトロメオのことを罵る神官だが、今は非常事態だ。きっと、人員が足りないのだろう。
こんなときに役立てることがあるなら、なんでもする。
「では……お前たち、押さえろ」
よくわからなかった。
控えていた二人の神官が、バルトロメオを両側から取り押さえる。なにをされているのか、わからない。
市民の避難が優先ではないのか。神殿に結界を張ったり、応援を要請するのではないのか。
「なにをするのですか!? 先に、市民の避難を……」
問いに答えはない。
無言で神官がバルトロメオの服を裂き、胸部を露出させた。
「大丈夫だ。お前は適役だよ、バルトロメオ。わずかだが魔力があり、且つ、失っても痛くない人員だ」
神官がバルトロメオの手首をわずかに傷つけた。痛みと共に血が溢れ出す。
バルトロメオの血を使って、白い胸部に魔法陣のようなものが描かれる。なにが行われているのかわからず、バルトロメオは顔を蒼くしていった。
「我々のために役立って頂こうではないか」
役立つ? なんの?
ニヤリと笑った顔が目に焼きつく。銀のナイフが振りあげられる一挙一動が、ゆっくりと感じられた。
「ああああああああああッ! あ、ああ、あ、あああ、あああああ……!」
痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
熱さが胸に落ち、痛みに変わった。皮膚が切れ、肉が裂かれ、骨が砕かれる。
刃で傷つけた肉の間に指が捻じ込まれた。肋骨を開かれて、脈打つ心臓が露出する。
気絶してしまいそうな痛みのはずなのに、運が悪いことに目も思考も冴えていた。
心臓が掴まれ、抉り出されたのだと知った。
なにが起こっているのか、理解出来ない。意識が急速に、闇の中へと沈んでいく。
「早く聖種を埋め込め」
「はい!」
バルトロメオの胸に空いた穴に、なにかが押し付けられた。
もう確認する気力もない。
「その身を媒体として、我らに尽くせ。それが、お前の望みのはずだ」
誰かの役に立ちたい。
誰かを守りたい。
そう望んだはずだった。




