25 絶対の正義
バルトロメオに無理やり連れて歩かれる。
アスワドは困惑しているのか、呆れているのか、自分でもよくわからなかった。ただ、すっかりと人間への激しい殺意がおさまっていることを不思議に思う。
あんなに憎悪で燃え上がって、餓えた獣のように衝動が抑えられなくなっていたというのに、不思議なものだ。
きっと、バルトロメオが間抜けすぎるからだ。
「おい、へっぽこ」
「だから、へっぽこではありません。僕はバルトロメオです」
アスワドの呼びかけに、バルトロメオは馬鹿丁寧に訂正を入れる。律儀で細かい性格のようだ。
しかし、抜けている。
「何度、馬の糞を踏めば気が済むのだ? へっぽこ?」
「へあ!?」
指摘すると、バルトロメオは間の抜けた声で靴底を確認した。そして、あらぬ状態になった靴底に嘆きの表情を見せる。
「阿呆が」
アスワドは息をついて、フードを深く被り直した。
バルトロメオと歩くうちに、人通りが出てきてしまった。こんなところで、ダークエルフであると正体を見破られるわけにはいかない。
「人を探しておるのだったな?」
「ああ、そうですよ。ある方の案内人を任されているのですが……どこかへ行ってしまったみたいで……」
「つまり、貴様がノロマだから置いて行かれたというわけだな」
「な……そ、そのようなことはっ。ちょっとご老人とあいさつをしている間に見失ってしまい……」
「完全に置いて行かれたな」
もう一度、同じことを言ってやる。
アスワドの辛辣な物言いに、バルトロメオは肩をガクリと落とす。わかりやすい間抜けっぷりだ。これでも神官が務まると言うのだから、やはり人間は下等種族だ。
「仕方がない。儂が探してやる」
気がつけば、そんなことを言ってしまっていた。自分でも驚いたが、あまり悪い気はしていない。
スィヤフと同じ顔をしているから?
いや、違う。彼は人間である。
スィヤフとは全く違う。
「探すって、君だって迷子でしょう」
「貴様と一緒にするな、へっぽこ。儂が迷子になるはずがなかろう」
アスワドはムッと口を曲げて腕を組む。
「こう見えて、儂は貴様より上級の魔法使いだぞ」
人間の職業に自分を当てはめて主張してやる。
アスワドは掌の上に眷属たる闇の精霊を集めた。精霊は魔力を餌に集まり、使い手の命に従うもの。ダークエルフであるアスワドにとって、それは同胞と会話するのと同じくらい自然な行為であった。
「探し人の特徴を言うが良い。精霊に探させる」
問うと、バルトロメオは「うーん」と唸ってから、指を折って特徴を一つずつあげはじめた。
「青い髪の女性ですね。歳は十七で、弦楽器を持ち歩く吟遊詩人です」
「だいぶ特徴的な奴なのに、何故見失ってしまったのか甚だ疑問なんだが」
「う、うるさいですねっ!」
「気にするな。へっぽこなのだから、仕方あるまいよ」
「気にしますけど!?」
バルトロメオが必死で「ち、違いますッ!」と訴えているが、耳に入れない。
集まった精霊たちから情報を得ると、アスワドはバルトロメオを見上げる。
「あっちのようだ」
アスワドはツンとした態度で道の先を指差した。
大きな広場に通じる目抜き通りだ。流石に、そこまでついては行けないので、バルトロメオに行くように促す。
「そうなのですね。では、行きましょう」
「おい、儂は行かぬぞ……こら、引っ張るな」
フードが取れそうになって、アスワドは慌ててバルトロメオについて歩いてしまう。
「だって、君の保護者も探さなければ」
「自分で探すから良いのだ。放っておけ」
保護者と言われても、そんなものはいない。アスワドは口を曲げたが、バルトロメオは断固として譲らなかった。
「神官など……信者から金を巻き上げて、魔族の討伐をする下賤な者の手など借りぬ」
アスワドはつい思っていたことを口にした。
バルトロメオは一瞬、閉口する。だが、すぐに笑顔を作った。
「本当ですね。そう言われる方も、たくさんいらっしゃいます」
正面から愚弄されたというのに、バルトロメオはアスワドの言葉を軽く受け流してしまった。
アスワドのことを子供だと思っているからだろうか。アスワドには、何故だか納得出来なかった。自分がこんな物言いをされたら、相手の喉を裂いてやる。
「今の神殿は昔の冒険者ギルドに近い役割も担っています。あまり素行の良くない者も雇い入れているのは事実ですから。それでも、神殿が機能しなければ人々は安心して暮らせません。もう魔物の脅威を繰り返さないために、神殿が弱きを守るのです」
「……一方的な考え方だ。反吐が出る。その安心とやらのために、なにもしておらぬ魔族を狩るのだろう? 魔王軍となにも変わらぬではないか」
吐き捨ててやると、バルトロメオが少し不思議そうな表情をした。
だが、彼は立ち止まると、アスワドの視線に合わせて膝を折る。
「このようなことを神官が言うべきではないと思いますが……絶対の正義など、僕はないと思いますよ……そのとき、その人が一番正しいと思った方法を誰もが選んでいるに過ぎません。それが、他者にとって不利益になる可能性は充分にあり得ます」
フードの上から、バルトロメオがアスワドの頭を撫でる。
「僕は正しいと思うことをしたいと思っています。それが、僕に出来る精一杯ですから」
人の良い笑顔でバルトロメオは言葉を紡ぐ。
「理解されないのは悲しいことです。でも、他者に強要することは出来ません。たぶん、個人の心の持ちようでしょう。どんなに愚かしいことでも、誰かにとっては正義なのかもしれません」
バルトロメオがスッと立ち上がると、広場の方から弦楽器の音が聞こえてきた。なにやら人が集まり、歩みを止めている。
探し人は弦楽器を持った吟遊詩人だと言っていた。きっと、あそこだろう。
「正しいと思うことを貫いてください。僕はこんな人間ですが、誰かの役に立ちたい。誰かを救いたいと思ったから、神官を志しました。その選択が間違いだとは思っていません。きっと、君の言うことは正しいのでしょう。それを貫けば、君の正義になりますよ」
アスワドはなにも言い返さず、バルトロメオの言葉を聞いた。
いや、言い返すことが出来なかった。
「スィヤフも……己の正義を貫いて死んだ……でも、儂は――」
言葉が溢れそうになって口を閉ざす。バルトロメオにはよく聞こえていなかったようで、首を傾げていた。
「ああ、やっと演奏が終わったみたいですね。ちょっと声をかけてきますので、ここにいてください」
広場での演奏が途切れたのを聞いて、バルトロメオが駆けていく。
アスワドは呆然と立ち尽くしたまま、その背を見送った。
「アスワド」
背後から声が聞こえた。アスワドは弾かれるように、後ろを振り返る。
クロスとリリィシアが立っていた。
アスワドが元居た場所からいなくなったせいか、リリィシアは気持ち悪いくらい満面の笑みを浮かべている。機嫌が悪い証拠だ。クロスの方は大して気にしない様子で、陰鬱そうな顔をしている。
二人の元へ歩き、アスワドは振り返った。
もうバルトロメオの姿は人波に消えていた。
† † † † † † †
「あれ? おかしいな……ここで待っていてくれていると思うのですが」
辺りをキョロキョロと見回して、バルトロメオは苦笑いする。
「保護者を見つけたのかもしないですよ」
「そうだと良いのですが……」
伴っていた女性が呆れて肩を竦めた。先ほど、ようやく見つけることが出来た探し人である。
「バルトロメオさんはすぐ迷子になってしまうから。探すのが面倒だったので、歌って待ってたんですよ」
「迷子って……アリア様が迷子になったのでしょう? 僕は生まれも育ちもユキカリアですから」
「わたし、ユキカリアには何度か訪れていますから。迷子にはなりませんってば」
アリアは青い髪の下で心外そうに息をついた。
彼女は神殿が保護した吟遊詩人であり、聖女と呼ばれる人だ。
祈りの力でなんでも具現化する聖人。
魔法ではない。彼女には魔力がなく、いったい、どうやって能力を使っているのか、誰にもわからないのだ。
アッカディア領の神殿で保護された貴重な聖女である。
だが、アリアは吟遊詩人であり、旅の人だ。一つの土地に縛られるのを嫌う性質であった。
そのため、神殿が特別に転移門のある街だけは渡り歩いて構わないと許可を出したのだ。
自由すぎる聖女様のお目付け役としてユキカリアにいる間の世話役を任されているのが、バルトロメオである。
今はユキカリアの神殿から南方へ向かう討伐隊が出発したばかりだ。人手不足なので、普段雑用をしているバルトロメオに、聖女の世話役という大役が回ってきた。
一日だけだが、しっかり務めなければ。
「ここは伝説の勇者と共に戦った聖女ユッカを祀る聖地です。やっぱり、わたしには聖女なんて荷が重いので、加護を頂いておかないと」
そう言って、アリアは青い髪を揺らして歩く。【祈りの奇跡】を使ったのか、また髪が伸びているようだった。
「また切ってもらわないとね。面倒臭い代償よ」
「良かったら、僕が切りましょうか? あ、いや、女性の髪に触れたいわけではなく。よく妹の髪を切っていたものですから」
「んー、たぶん、無理だと思いますよ」
アリアはバルトロメオの申し出を断って、青い髪を一房手に取った。
「最近、なんだか普通に切れなくて……魔剣士さんの剣で切って貰ってるんですよね。ちょっと面倒臭いの」
とてもサラサラとして柔らかそうな髪なのに。バルトロメオは不思議に思った。
けれども、彼女は聖女だ。神に愛された不思議な娘。
きっと、その存在は特別なのだろうと、一人で納得した。