21 インテグラ
カルディナ軍と交戦していたアッカディア軍が国境を越えて進軍。
そのままカルディナの王都へ向かったという報告を受けていたが、連絡は唐突に途絶えた。
カルディナ王都がアンデッドの大群に占拠されているらしいという不穏な情報を受けた直後だったため、アッカディアの城内は混乱していた。
「まさか、本当にアンデッドの大群が?」
「いや、それにしては連絡が取れなくなるのが早すぎる。少なくとも、王都へ辿り着くには数日かかるはずでしょう」
「だが、本当に魔物の軍勢がいるのだとしたら……空を飛ぶ魔物だっております」
「神殿の報告では、ドラゴンのような姿は見られていないらしい。魔物と言っても、我が軍を全滅に追いやる程の力があるとは思えないぞ」
魔王が倒されたとき、魔物たちに力を与える魔の火山も封印されている。魔王軍が蔓延っていた時代のように、強力な魔物や魔族など、ほとんどいない現状だ。
それらが易々と人里へ降り、王都や軍を壊滅させるとは考えにくかった。
「カルディナでなにが起こっておるのだ……」
「本当に魔物の仕業なら、我が国に波及せんとも限らんぞ」
臣下たちの不安は募るばかりだ。
混乱する城内の様子に、アッカディア城の最奥――王の居室にて、君主が悩ましげに息をついた。
香を焚いた部屋には、甘い匂いが漂っている。
深紅のドレスの下で足を組む様は男勝りで、とても品があるとは言えない。だが、紫水晶の瞳は妖艶な美と共に、為政者たる威厳が溢れていた。
インテグラ・エルザ・アッカディア。この国の女王であり、「紅い女狐」の異名を持つ女性だ。
齢十七で王位に就いて以来、三年間アッカディアを統治してきた君主である。
当時は傀儡君主かと思われたが、気がつけば、インテグラが王国の全権を掌握していた。今では、アッカディアどころか周辺諸国で彼女に意見出来る者は少ない。
インテグラは燃えるような紅い髪を振り払った。
「それで、あたくしになんの話かしら?」
側仕えさえも締め出して人払いした部屋の中で、頭を垂れる人物。
本来なら、この国に入るだけでも警戒され、場合によっては排除されるべき対象だ。
隣国――アッカディアの敵であり、今現在交戦中であるカルディナ王国の第一王子オルフェウスが静かに顔をあげた。
「アッカディアの女狐殿は、私の話を聞きたくて仕方がないはずです」
銀色の髪は、カルディナ王家の特徴だ。その下で細められた夕陽色の瞳を見ると、いつも腹が立つ。
「足元を見て……あたくしを舐めると痛い目を見ることになってよ?」
「早く聞きたいことを聞き出せばよろしいでしょう?」
「オルフェウス。あなた、あたくしを馬鹿にしているでしょう? その喋り方も辞めなさい、気色悪いわ」
「即位を果たした女王陛下と、まだ果たせぬ王子では、一応身分に差がありますので」
「良くってよ。ここには、あたくしたちしかいないし、外に漏れないように結界も張ってあります。むしろ、あなたの姿を見られると流石のあたくしも不味いのよ」
「では、お言葉に甘えよう」
オルフェウスとはいわゆる学友だった。
インテグラは女ゆえに権力争いから避けるため、一時的にカルディナの学園へ通っていたのだ。その頃に二人は知り合っていた。
先代の国王がはじめた戦争を、インテグラが引き継ぐ形で即位した。
心情的にはあまり乗り気ではない。だが、アッカディア王国は大国だが人口が飽和した状態だ。豊かな穀倉地を有するカルディナの土地を奪うことで発展を遂げたいという事情があった。
そのような事情があり、続けている侵略戦争。
だが、それも限界が来ていた。もう七年に及んで長期化している戦争を続ける余裕などない。
そんな折りを見計らって、昔のよしみを使って接触してきたのがオルフェウスだ。彼はインテグラの心情とアッカディアの事情を見極めた頃合いに現れて、和平の提案をしたのだ。
勿論、両国には言えない密談である。
「言っておくけど、首席はあたくしだったんだから。あたくしの方が優秀なのよ。頭を垂れて讃えなさい」
「普通にしろと言ったり、讃えろと言ったり……インテグラ陛下は学生時代から面倒臭いお方だ」
「あなたは、いつもあたくしの神経を逆撫でするのね。あたくしにそのような態度をとるのは、あなただけですよ。早く、用件を話しなさい。取るに足らないことを言ったら、その首を刎ねてくれるわ」
「おお、それは怖い」
勿体ぶるオルフェウスを急かして、インテグラは扇子を閉じた。薔薇のような深紅のドレスを揺らして、足を組みかえる。
「今、カルディナでなにが起きているのか話そう」
やはり、それか。
「聞きましょう。話しなさい」
インテグラは表情を改めて前に身を乗り出す。
カルディナでなにが起きているのか、アッカディアにはわからない。情報が必要であった。
「カルディナ王国では秘密裏に勇者の召喚を行っていた」
「勇者の召喚ですって? ……あなたたち、魔王もいない世界で、そんなものを召喚しようとしていたの? 思い通りになる人間兵器を欲するなんて、呆れた愚王の考えることですね」
せっかく、オルフェウスが仕立てた和平の機会を棒に振って戦争を続行した愚王が考えそうなことだ。
敗戦するのが嫌で、禁断の魔法に手を出したか。
「それで? 失敗でもして、魔物を呼び出したのかしら?」
「残念ながら召喚は成功したようだ」
「だったら、何故……」
「召喚した勇者はクロス・カイト。百年前に魔王を倒した伝説の勇者本人。そして、彼は魔王となると言っている」
インテグラは眉を寄せた。
その名前はお伽噺で聞いたことがある。まさか、カルディナの王都がアンデッドに支配されたのも、アッカディア軍が壊滅したのも、その勇者の仕業と言う気なのか。
「歴史は歪められるものだ。魔王を倒す程の強大な力を持った者を、当時の権力者たちが放置しておくわけがない。アッカディア王家の書庫に、心当たりのある書はないのか?」
「……復讐ですか。伝説の勇者が、存外安っぽい動機ね。でも、厄介な話ですこと」
ようやく、オルフェウスの言わんとすることを理解した。
「その安っぽい復讐で、我が国は危機に瀕している。遠くない将来、あれはアッカディアにも牙を剥くだろうさ」
オルフェウスが薄く笑った。
だが、インテグラも好きに言わせておくつもりもない。
「オルフェウス。あなた、その狂った元勇者の力を知らしめるために、わざとアッカディアの軍勢を進軍させましたね?」
「口で説明するよりも早い。それに、このままだと遅かれ早かれ、そうなっていた」
「確かに、そうでしょうが」
オルフェウスは基本的に温厚で、素行も悪くない王子だ。王位に就けば良い政治を敷くだろう。
しかし、目的のために手段を選ばない節がある。
最小の犠牲を払って最大の利益を出すことを知っているのだ。
確かに、インテグラもなにもない状態でこの話を聞いても、相手にする気になれなかった。けれども、二万の軍勢をあっという間に消し飛ばす力を持った元勇者の話を、今は真剣に聞き入っている。
「手を組まないか?」
オルフェウスの提案にインテグラは眉を寄せた。
「また和平交渉かしら?」
「いや、共闘だ」
底知れぬしたたかさを持った目でオルフェウスは告げる。
「カルディナの兵は温存されている。アッカディアも、まだまだ最小限の被害に留まっている状態だ。共闘して、クロス・カイトを討つ」
確かに、まだアッカディアは戦うことが出来る。地方を守っている兵は無傷だし、二万を失ったところで総崩れするような国力でもない。
「勝算はあるのかしら?」
「そうだな。私も一度は敗れて殺された」
「生きているじゃないの。あなたの冗談は聞くに堪えないわ。もっと、センスを磨いてきなさいよ。それだから、あたくしに首席を譲ることになるのよ」
オルフェウスの妙な言い回しに、インテグラは不快を顕わにした。
すると、オルフェウスはスッと懐に忍ばせていた短剣を取り出す。
インテグラはすぐに身構える。彼は神速の魔闘士だ。隙を見せれば、すぐに首を持って行かれる。
だが、オルフェウスの刃はインテグラには向けられなかった。
「な……!?」
迷いなく刃はオルフェウス自身の喉を裂く。予想外の行動にインテグラは目を剥いた。
真っ赤な鮮血が面白いくらい噴き出て、壁や床を染める。インテグラのドレスに上塗りする形で、紅が散った。
オルフェウスの身体が仰け反るように倒れ、喉からヒューヒューという音が漏れる。
すぐにオルフェウスの身体は動かなくなった。
「なんですって!? 誰か来て……!」
招かれざる客が居室にいる理由を説明するのが面倒だが、そんなことを言っている暇はない。インテグラは人を呼ぼうと、扉に走る。
だが、そのドレスの裾を掴んで引き留められた。
「ちょっと、オルフェウス。なにを……は?」
今、目の前で起きたことは嘘だったのだろうか。
何事もなかったかのように、オルフェウスがドレスを掴んでいた。首には傷一つない。
インテグラは思わず膝を折って、オルフェウスの首に触れる。しかし、肌は滑らかで呼吸に合わせて咽頭が上下していた。
だが、先ほどの惨事を物語るように、部屋やドレスには彼の流した血が残されている。
「これが、私に与えられた祝福のようだ」
「祝福?」
「【不死鳥】――私はいかなる攻撃を受けても、死なない身になったらしい」
どうして、そのような能力を有しているの。なにがあったのかしら。
聞きたいことはある。
しかしながら、それよりもインテグラは「祝福」という言葉が引っ掛かった。
そして、思い当たっていることを告げる。
「実はアッカディアにも、その祝福とやらを受けた聖女がいます」
祈ったことを具現化する聖女として、先日、神殿に保護された吟遊詩人の女の話を思い出す。
どうすべきかと扱いに困っていたが――。
「もしかすると、これは天啓かもしれなくってよ。魔王として降臨した元勇者を倒せという」
インテグラは自然な形で納得して、オルフェウスに手を伸ばす。
自分の思惑が上手く動いたことで、オルフェウスはしたたかな笑みを浮かべる。彼の手を取りながら、インテグラは不安を覚えた。
けれども、選ぶ余裕はなさそうだ。
オルフェウスの話が本当であれば、アッカディアが単独で立ち向かっても、クロス・カイトを倒すことが出来るかわからない。
それならば、この男も、カルディナ王国も存分に利用しようではないか。彼もそのつもりで、提案したはずだ。
「さて、どちらが勝つか勝負ということかしら」
最後に勝つことが出来ればいい。




