15 アリア
第2章に入りました。
この章でも人が死にます。
西のアッカディアと東のカルディナ。
この大陸における人間の二大国家です。他にも、数え切れないほどの小国が散らばっています。
人間以外にも、山にはドワーフの地下帝国が。森にはエルフの国が。
かつて、魔王が存在した時代。人間族も精霊族も手を組み、力を合わせて魔の軍勢に対抗していました。それほど魔王の力は強大であり、仲違いをしている暇などなかったのです。
けれども、団結も虚しく世界は滅亡の危機に瀕しておりました。
魔族たちは勢力を拡大し、弱者は虐げられる時代。男も女も、老人も子供も、分け隔てなく蹂躙され、虐殺が繰り返されていました。
次に消されるのは、どの街か。どの村か。皆、日々怯えながら暮らしておりました。
そこへ現れたのは、異界より舞い降りた勇者です。
勇者は神から祝福され、強大な力を得ていました。そして、勇敢な仲間を集め、ついに魔王を倒すことに成功したのです。
勇者の名前はクロス・カイト。人々は彼のことを漆黒の英雄と崇めました。
けれども、勇者はこの世界に留まることはありませんでした。
されど、嘆くことなかれ。
勇者は仲間たちと共に神の園へと迎えられ、いつでも、わたしたちを見守っております。再び、世界が魔王の脅威に曝されることがあれば、必ず現れて救ってくれるでしょう。
† † † † † † †
お伽噺となった伝説の物語。
子供たちが目をキラキラと輝かせながら聞いている。語り手は、そっと本を閉じて笑いかけた。
「この世界が危機に陥ったら、きっと勇者様が助けに来てくれます」
「はーい!」
大勢の子どもたちが手をあげて笑う。
その風景を眺めて、語り手――アリアはスッと立ち上がる。
アリアも、この物語を聞いて育った。この世界に住む人間なら、みんなそうだろう。
男の子は強大な力を持った勇者クロスに焦がれ、女の子なら一緒に戦ったとされる神官ユッカに憧れを抱く。
「アリア様、もっと聞かせて!」
小さな少女がアリアの足元にすがった。
「よろしくてよ。では、荒野を駆ける英雄たちの旅の物語を」
アッカディア王国の小さな村。
辺境とはいえ、神殿が置かれた村は定期的に魔物の討伐が行われ、治安も良い。
力が弱まっているとはいえ、やはり村人にとって魔物は脅威だ。神殿の加護に日々感謝しながら暮らしている。
アリアの仕事は語り部。
本を携え、物語を人々に読み聞かせる。時には背負った弦楽器を弾いて歌を吟ずることもある。
吟遊詩人と呼ぶ者も多い。
歴史を語り、繋いでいく役目だ。
アリアは村々を渡り歩いて旅をしている。ときには、外国へと赴くこともあった。
次はどの地へ行くは気まぐれ次第。還る場所がない代わりに一つの土地に縛られない自由な身の上であった。
「歴史は語られなければ、死んでしまう。時に歪められ、真実がわからなくなる。だから、わたしたちがいるのです」
清らかな青い髪がサラリと風に舞う。
アリアは背負っていた弦楽器を抱えて爪弾く。瑠璃色の瞳を閉じて、花弁のような唇を開いた。
ポロリ、と指の動きに合わせて美しい弦の音色が舞い上がる。そこに平和を讃えるために作られた英雄の叙事詩を乗せて歌った。
「きれい……」
「アリア様、ありがとう!」
歌い終わると子供たちが喜びの声をあげた。いつの間にか、働いていた大人たちも手を止めて、アリアの周りに集まってくる。
今は魔族ではなく、人と人とが争う時代。とても悲しい出来ごとだ。
アッカディアからはじめた戦争は熾烈を極めている。両国の兵士ばかりではなく、国民の生活にも関わる問題になっていた。
「わたしの力が、なにかの役に立てばいいんですが……」
アリアは吟遊詩人。流れの旅人だ。
国内外の現状は目に焼き付けている。
なにも出来ない。ただ、物語を紡いで歩くだけ。
されど、そんな彼女もささやかな祝福を手に入れた。
「アリア様ぁ」
幼い少年がアリアを見上げている。アリアは小首を傾げて、少年と目線を合わせるように膝を折った。
「飼い犬が……」
「まあ……」
少年が両手で抱えていたのは、犬だった。
力なく四肢を垂らし、ボロ布のようになっている。息はしているが、もう長くはないだろう。
家で飼っているものだろうか。この辺りは酪農が盛んである。家畜の管理に犬を使う家も多いようだ。
大切な家族のぐったりした姿を見て、少年が悲しそうな目をしている。そんな少年の手に自分の手を重ねて、アリアは微笑んだ。
「可哀想に。病気かしら……元気がないですね」
回復魔法では病気は治癒出来ない。
アリアには魔力がないが、昔知り合った魔法使いが言っていた。治癒するには、身体の造りをある程度知らなければならないようだ。
病気の場合は根本的な身体の造りとは関係のない部分を悪くしているため、回復魔法による治癒が出来ない。
アリアは瑠璃色の目を閉じて、自分の両手を祈るように握り合わせた。
「祈りましょう。あなたの家族のために」
死者を弔うのは神殿の役目だ。丁重に魔を払って葬らなければ、魔物どもを呼び寄せてしまうらしい。
しかし、アリアの祈りは弔いの祈りではない。
「え?」
少年が大きな目を見開いた。
信じられないという驚愕の色と、喜びの色が混在している。
「生き返った?」
四肢から力が抜け、ボロ布のようになっていた犬が首を持ち上げていた。犬は一声「わん!」と鳴くと、当り前のように少年の手から地面へと降り立つ。
「すごい……!」
「奇跡だ!」
それを見ていた周囲の人間がアリアに好奇の目を向けた。神に拝むように手を合わせる者までいる。
「わたしに与えられた祝福です。流石に、死んでしまうとダメみたいですが……病を癒すくらいなら」
アリアは優しく笑って両手を広げた。
ほんの数日前に手に入れた祝福。
妙な霧の夢を見て、朝起きたら備わっていた突然変異のような力だ。
夢の中で黒い霧は、この能力を【祈りの奇跡】であると言っていた。
祈ったことが実現する能力だ。
残念ながら、一日に数回しか使えない。けれども、日に日に成就する祈りの大きさも、回数も増えており、成長していることがわかる。
「あれ? アリア様?」
喜んで犬と戯れていた少年がアリアを見上げて、ふと問う。
「髪が伸びましたか?」
問われて、アリアは自らの青い髪に触れた。
「ああ、代償……らしいです。よくわからないんですけど。少しだけ体質が変わるとかなんとか、そんなことを言われた気がします」
祈るたびに、少しずつ髪が伸びるようだ。
以前は短く肩で切り揃えていたのだが、最近は腰の辺りまで伸びてしまっている。
代償と呼ぶには、小さすぎる些細な変化だろう。
アリアは笑って受け流した。
「すごいや、アリア様」
子供たちがすがるようにアリアの傍に駆け寄る。
「まるで、聖女様みたい!」
「うん!」
「聖女様だよ!」
「うんうん、聖女様!」
子供たち囲まれて、アリアは身動きが取れなくなってしまう。だが、悪い気はしない。
聖女様。
なんの変哲もない。物語を語るだけの自分が、そのように呼ばれている。
誰かの役に立っている。
なんだか、むず痒くて少し照れくさかった。




