10 死都
この有り様は、なんだ。
王都に広がる光景を見て、オルフェウスは目を疑った。夕陽色の瞳をしきりに瞬きさせて、銀の髪をぐしゃりと掴む。
「くそッ……やってくれたな、リリィシア……!」
思わず妹の名を呟き、そこに悪態を加える。
王族らしいとは思えない言葉になってしまったが、構わない。元々軍属が長い彼にとっては、城の暮らしよりも兵士の暮らしの方が普段に近い。
「オルフェウス様……これは……」
「街は捨て置け。城へ向かう」
部下に促されて、オルフェウスはようやく指示を出した。
彼らの目の前に広がるのは、いつもの王都ではない。
ここは死の都。
どこからか湧いたアンデッドどもが徘徊し、支配されている街。
いや、どこから湧いたか……この数を見れば明白だ。
「市民をアンデッドに変えたというのか」
「そんなことが……いったい、どうやって! 三十万の大都市ですよ!」
「喰種がいる……そこから繁殖して下級アンデッドが広がったのだろう」
「それでも、一気に数百、いや、千人はアンデッドに変えてしまわなければなりますまい。そんな方法があると言うのですか!?」
そんなことをやってのける人物も、方法も心当たりがない。
リリィシアはオルフェウスと同じく第五階級の魔法の使い手だが、彼女が使用するのは光魔法と風魔法。闇魔法であるアンデッドの量産など易々と出来るはずがない。
それに、高くそびえた城壁の門は魔法によって固く閉ざされている。アンデッドたちも安易に壁を乗り越えようとはしていないようだ。王都の中に自ら閉じ籠っているようにも見える。
術者の命令に従っているということだろうか。
「これだけのアンデッドを従える使い手など、この国には存在しない」
オルフェウスは戦慄した。
報告では、ナターシアによって召喚された漆黒の髪と瞳を持つ勇者がリリィシアを洗脳したとあったが……これが勇者の力なのか。
だが、ナターシアは国に従順な勇者を召喚しようとしていたはず。何故、こんなことに。
「待て」
オルフェウスは、あることに気づいて部下を振り返った。
「風魔法で王都についての報せを運んだのは誰だ? あのあと、連絡は取れていたのか?」
すると、部下たちは互いに顔を見合わせてしまう。
「その後の報告は届いておりませんでした。こちらの呼びかけにも応じず、既に敵の手に落ちたものと――」
『それは、僕さ』
言葉を遮って、どこからか声が聞こえる。
闇の底から響くように低く、歪んだ声。男か女かもわからない。辛うじて、口調で男ではないかと思われた。
オルフェウスの程近くに黒く濃い霧が集まりはじめる。オルフェウスは素早く剣に手をかけ、距離を取った。
『そんなに焦りなさんな。僕は君たちに良いものを持ってきてやったんだ』
霧は笑っているようだった。
恐らく、この霧は魔法で遠隔的に操られたもの。術者本人は別のところにいるだろう。
「用件はなんだ。私がオルフェウス・アズル・カルディナと知ってのことか」
『勿論さ。この国で最強と名高い王子様だろう?』
霧は遊んでいる子供のような口調で笑っている。
「ならば、去れ。私はお前のような者の話は聞かん」
『まあ、まあ。きっと、君は僕の話を気に入るよ』
黒霧は軽薄にも思える口ぶりで揺れる。オルフェウスは構わず剣を抜き放ち、刀身に炎魔法を纏わせた。
『いい情報をやろう。君の思っている通り、リリィシア姫は国を裏切った。アレは呼び出された勇者を魔王に仕立てるつもりだぞ?』
「魔王、だと?」
霧を断とうとしたオルフェウスの動きが止まる。
『奴らはナターシアと国王を殺めて城を掌握した。巧妙な手を使って、王都の住人もアンデッド化されたよ』
「…………」
起こり得る中で最悪の事態であった。オルフェウスはギリと奥歯を噛んで、剣を握る手に力を込める。
『召喚された勇者は、君たちでは倒せない。殺されて終わりだ』
「貴様、なにを! オルフェウス様に敵う者など、この国には――!」
オルフェウスより先に、後ろで控えていた兵士が声をあげる。兵士は黒い霧に斬りかかるが、空気に溶けるように霧散してかわされてしまう。
『召喚された勇者はクロス・カイト。百年前に魔王を倒した伝説の勇者。そして、世界が歴史の中に屠った者だよ。第七階級までの全属性魔法を操り、尋常ではない魔力を保有している』
オルフェウスは耳を疑った。
その勇者の名はお伽噺として語られている。だが、「歴史に屠った」事実は王家が秘蔵する書物の中でしか見ることの出来ない。
『君ではクロス・カイトに殺されるだけさ』
「……私におめおめと逃げ帰れと言うのか?」
『そうする方が賢明だと思うけど、君はそうしないんだよね?』
無論である。自分の国の首都をこのようにされて、黙っていられるはずがない。
退く気はなかった。
「相手が本当にお前の言う通りだとしたら……ここで逃げ、後に軍を引き連れてきても結果は同じということだな」
『そうなるね。だから、僕は君に良いものを持ってきた』
黒い霧が揺らめく。
すると、その中心から宝石のような煌めきが見えた。紅く燃える結晶のようだ。
結晶は一瞬で光の閃きに変じる。そして、矢のようにオルフェウスの胸に向かい、貫いた。
「なに、を……?」
痛みはなかった。自分の胸部を見下ろしても、白銀の甲冑には傷一つついていない。だが、確かにオルフェウスは光に貫かれた感覚があった。
思わず、その場に蹲る。
『僕からの祝福さ。頑張りたまえよ』
不可思議な事態に思考が追いつかない。
そうしているうちに、黒い霧は空気中に溶けるように消えていってしまった。
「オルフェウス様!」
オルフェウスと同じように事態を呑み込めない部下が駆け寄る。
「支えは要らん」
差し出された手を払って、オルフェウスはよろめきながら立ち上がった。
気がつけば、驚くほど汗をかいている。だが、妙に身体が軽くて頭も冴えているように感じた。わずらわしく思う甲冑の重みさえ、気にならない。
「抜け道を使って城へ向かうぞ」
言うが早く、オルフェウスは踵を返した。しかし、街の有り様と不可思議な現象によって、誰も動こうとしない。
「怖いか? では、お前たちは城壁の外へ出ていろ。私一人で行く」
そう言い捨てると、ようやく重い足取りで何人か前に出た。だが、元来た抜け道を帰ろうとする者もいる。
オルフェウスは構わず先へと進む。
「……ぁッ……ぎ、あ……」
路地裏からか細い声が聞こえた。
アンデッドかと思い、目を凝らすと小さな少女が這うように出てくる。
五つにも満たない幼子だ。苦しそうな表情を浮かべて、こちらを見ている。
アンデッド化はしていないようだ。喰種どもに噛みつかれてはいないようだ。
「オルフェウス様、如何しますか?」
足元に転がった少女を見下ろして、オルフェウスは足を止める。少女はすがるような目でオルフェウスを見上げて、右手を伸ばした。
「い、い、たい……よ……た、す……」
「…………」
少女の手がオルフェウスのブーツに触れた。
だが、オルフェウスは手を差し伸べることはしない。
「許せ」
少女の胸に向けて、白銀の剣先を落とした。
ズブリという音と共に、少女が地に伏せ、動きを止める。
彼女はアンデッドに襲われたのではない。崩れた壁の下敷きになったようだ。
壁の下に少女の下半身が見える。
上半身だけとなって這う少女を救う術はない。身体の損傷が激しすぎて、ここにいる者の回復魔法では処置出来ない状態であった。
このまま生きている間にアンデッドに食われれば、敵を増やすことになる。治癒出来たとしても、同行させることで足手まといが増えるだろう。保護のために人員を割くわけにもいかない。
「リリィシア」
天を仰ぐと、空は皮肉なくらい蒼い。雲一つなく澄み渡った蒼穹が、むしろ残酷さを際立たせる。
「これが、お前の望んだことか?」
女神のように優しく、無慈悲な笑みが脳裏に浮かんだ。
生きたまま喰われるとアンデッド化。死んだあとは術者が施術しないとアンデッド化しない的な設定です。たぶん。




