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センス・オブ・スカーレット  作者: 一夢 翔
第二章 バレス島
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第二十五話 謀略

 シエル率いる四十人のB班精鋭部隊は順調に街路を進んでいき、幸い一度も敵兵に遭遇することはなかった。現在、彼らは中央広場近くにある住宅街の路地裏の奥でひっそりと身を潜めていた。時間が経つに連れ、夕陽がさえぎられた空間は次第に陰を濃くしつつあり、集団で隠れるには持ってこいの場所になっていた。



「やけに静かだな………」



 身をかがめたフィールカが街路のほうに警戒の視線を向けながら、ぽつりと呟く。自分たちがここに辿り着くまでの間、不自然なほどに住民はおろか敵兵と遭遇することすらなかったのだ。


 傍らのシエルも同感だと言うように小さく頷いた。



「ホントね………。いつの間にか銃撃や爆発音もなくなってるし………」



 二人の後ろで話を聞いていたレオンも不安げな口調で呟く。



「まさか、皆もうやられちまったのか………?」



 残念ながら、その可能性が全くないというわけではなかった。


 シエルが先ほどグラウスに想像接続術式イマジン・コネクトで連絡を取ったのだが、向こう側で何かあったらしく回線が全く繋がらないのだ。余計な混乱や士気の低下を招かないためにも他の兵士たちにはこのことは伏せているが、感づかれるのはもはや時間の問題だろう。


 シエルは周囲に聞こえぬよう、声を潜めて言った。



「今は無事を信じて、上官からの連絡を待ちましょ………。場合によっては最悪、撤退もやむを得ない状況だわ………」



 何も言葉を返せないまま、フィールカとレオンは顔をくらうつむける。


 もし他の部隊が全滅していた場合、いくらここにいる反乱軍精鋭の四十人でも皇国軍の部隊二千人を相手では兵力で到底及ばないだろう。他の兵士たちの安全を第一に考えれば、一度退くことも考慮に入れなければならない。



 ―――私に、何か出来ることは………。



 後ろに待機している兵士たちを見つめながら、シエルは胸中で自問する。


 こんなとき、自分には一体何ができるのだろうか。このまま連絡が来るのをただ待つことしかできないのだろうか。もしかしたら、向こうの部隊はすでに全滅してしまった可能性も充分ある。不安が増すに連れ、動悸どうきもどんどん激しくなっていく。少女があれこれと悩みながら思考を巡らせていると―――。




「………シエル? 大丈夫か?」




 どうやら不安が表情に表れていたらしく、いつの間にかフィールカが心配そうな顔をしていた。


 シエルは慌てて笑顔を取りつくろい、何事もないように平然と頷いた。



「う、うん、平気。―――ほら、あんたも人の心配ばっかしてないで、自分の心配をしたらどうなのよ? これから戦う可能性だって無くなったってわけじゃないんだから」


「ならいいんだけどさ………」



 子どもをさとすような口調で言われ、フィールカは拗ねたようにプイっと唇を尖らせる。すぐに表情を真剣なものにし、そっと呟く。



「………あんまり何でも一人で抱え込むなよ。俺たちだって一緒についてるわけだしさ。そりゃあ、シエルの力になれるかどうかは判らないけど、俺たちに出来ることがあればいつでも相談してくれよな」


「うん………ありがと。あんたには頼りにしてるわ」



 少女の信頼の言葉に、フィールカは暗闇で思わず照れたように頬を赤くする。


 そのとき、シエルの脳内に想像接続術式の通信が再び入り込んでくる。




『―――こちらグラウスだ。応答せよ』




 その声に、すぐに少女は頭を澄まして丁寧に応じる。



「こちらスカーレット、しっかり聞こえてます。無事だったんですね」


『うむ、少々連絡が遅れてしまって済まない。思っていたよりもずいぶんと戦闘が長引いてしまってね。だが、諸君には朗報がある。たったいま交戦していた敵軍本隊が瓦解がかいし、潰走かいそうしたところだ。諸君の活躍の機会を奪ってしまったのは申し訳ないが、代わりにこれから島にいる残党を掃討そうとうしてもらうつもりだ。そこで一度、全員広場に集まってもらいたいのだが………』



 その報告を聞いたシエルはとりあえずホッと胸を撫で下ろすと、明瞭な声で応える。



「わかりました。すぐそちらに向かいます」



 淡々と言い終えてから、最後に通信を切る。


 シエルは兵士たちを振り返り、現在の状況を簡単に説明した。敵軍本隊の壊滅に安堵の表情を浮かべる者がほとんどだったが、中にはあからさまに残念がる者もいた。



「それじゃ、みんな私についてきて。まだ近くに敵の残党が潜んでる可能性もあるから、充分注意するように」



 すっかり指揮官の口調で言いながら、兵士たちを先導していく。


 路地から出ると、黄昏たそがれ色に染まった空が目に入ってくる。シエルたちは周囲に警戒しながら慎重に街路を突き進み、ようやく広場前の曲がり角に差しかかったときだった。




「だ、誰か助けてくれえええぇぇぇぇ」




 不意にどこからともなく悲鳴のような叫び声が耳に届いてくる。シエルは反射的に右手に握っていた地図を見る。すると、声が聞こえてきた方角は―――




「広場の方からだわ!!」




 シエルたちは急いで角を曲がり、広場まで舗装された石畳を全速力で駆け抜けていく。我先にと入り組んだ街路を突破し、広場へとなだれ込んだ兵士たちだったが、そこにはとても信じがたい光景が広がっていた。



「な、なんなんだよ………これ………!」



 最初に広場に飛び込んだフィールカが思わずわめく。


 広場に敷かれた石畳はどこも血と肉塊にくかいによって覆われており、剣や銃などの武器があちらこちらに散乱していた。だが、青年が驚愕したのはそれだけではない。


 

 広場の中央で屹立きつりつする化け物―――黒々とした蠕虫ぜんちゅうのような、巨大な魔物(、、)の姿にだ。



 あまりの凄惨な状況に、傍らのシエルも驚きを隠せない。



「一体、何がどうなってるの………? どうしてこんなところに魔物が………!」


「お、おい、あれ………! やばいぞ、誰か一人取り残されてるッ!!」



 レオンが動揺したように声を上げ、魔物の足元を鋭く指差す。そこには、恐らく先ほど大声で助けを呼んだであろう青年が、絶望の表情で腰を抜かしていた。


 その姿を見て、シエルは思い出したように叫んだ。



「あれは………上官の部隊にいた兵士だわ!!」


「なっ………なんで急いで早く―――」



 逃げないんだ、そう言おうとしたところでフィールカの言葉が途切れる。


 逃げないのではない、逃げられないのだ。よく見ると、青年の腕や足には縄のようなものが縛られており、到底自力で動ける状態ではないのは明らかだった。


 そして最悪なことに、真黒まくろの蠕虫は、今にも青年を喰わんとばかりに巨大な口を大きく開き始める。



「レオン!!」


「わかってる!!」



 フィールカに切羽詰まった声で言われ、金髪の青年は咄嗟とっさにアサルトライフルを構える。


 が、その行動はあまりにも遅かった。青年の絶叫とともに、彼の上半身が、蠕虫の口からえた無数の鋭い歯によって一瞬で喰いちぎられる。辺り一面、真っ赤な鮮血が無慈悲に溢れ出す。もはや無惨な姿に成り果てた青年は、その場にゴミのように晒された。


 その光景を終始見ていた兵士たちの中から、誰かの悲鳴が上がる。誰もがみな、目の前で起きた恐怖に戦慄し、茫然ぼうぜんと立ち尽していた。



「そんな………どうして………。一体誰がこんなことを………」



 シエルが信じられないようにかすれた声で呟いたときだった。




「―――何度見ても素晴らしいものだな、人が恐怖で引きった表情というのは」




 不意に背後から抑揚よくようの薄い声が聞こえてくる。


 その声にシエルたちは振り返ると、どこからともなくグラウスと彼に率いられた大量の兵士たちが姿を現す。



 しかしどういうことか、彼が率いていたのは正義のために戦う反乱兵などではなく―――この世界では悪でしかない皇国軍(、、、)の部隊だった。



 広場にどっと押し寄せてきた皇国兵たちは退路を塞ぐようにシエルたちを包囲すると、一斉に銃を構える。


 次から次へと目まぐるしく変化する状況に、シエルは混乱した様子で言った。



「上官、これは一体どういうことですか………?」



 すると、グラウスは不気味な表情を浮かべ、クックック………と口許を歪めてわらいを洩らした。



「君のような優秀すぎる人間にはすぐに察しがつくと思ったのだが………あまりの状況に全く思考が働いていないのかね?」



 嘲笑あざわらうように言うと、それにえ兼ねたレオンが怒りをあらわにする。



「ふざけんじゃねぇ!! なんでお前が皇国軍の味方をしてやがんだ!」


「上官に向かって、その口の利き方は失礼だということを学校で教わらなかったのかね、レオン=シークガル? それとも君は、そんな単純なことすら理解できないただの阿呆者だったか」


「なん……だと………!」



 今にも殴りかからんばかりの青年を、しかしフィールカが彼の前に歩み出て左手で制した。



「なんで俺たちを裏切ったんだ」


「クックック………裏切っただと? それは違うな、フィールカ=ラグナリア。私ははなっから、諸君の仲間になど入っていないのだよ」


「………どういう意味だ?」



 その問いかけに、グラウスは再び小馬鹿にするような態度で言う。



「では、少々知性が足りない諸君にわかりやすく簡単に説明してやろう―――私は、皇国から秘密裏ひみつりに派遣された、言わば俗にいう間諜スパイというやつだ」


「なっ………」



 彼の口から出た衝撃的な返答に、フィールカたちは皆動揺を隠せない。


 グラウスは彼らを見下すようにあごを突き出し両手を広げると、傲然ごうぜんたる態度で言った。



「諸君は、私の用意したこのバレス島という逃げ場のない舞台にまんまとおびき出されたわけだ。実に素晴らしい演技だっただろう?」



 まるで獲物を捕まえた猛獣のような目つきで、反乱兵たちを蔑視べっしする。


 つまり自分たちは、最初から皇国軍の虚偽の情報によってグラウスに踊らされていたのだ。


 フィールカは偽りの紺軍服を着た敵軍の指揮官を睨みつけながら、おもむろに口を開いた。



「………俺たちをこれからどうするつもりだ」


「おっと、そう恐い顔をしないでくれたまえ。諸君にはただ、我々の傘下に加わってもらいたいだけなのだよ。我々とて、諸君のような優秀な人間を簡単には殺したくないのでね。だが、我々は世界最強の軍隊である皇国軍《ヴァルキュリア》だ。使えない弱者は必要ない。欲しいのは、ただ絶対的な強者のみだ。そこで―――」



 続いた言葉は、フィールカが胸中に抱いていたかすかな不安を明白にするものだった。



「今から君たち三十九人の反乱兵には、我々があそこに用意した魔物―――上位魔級《邪悪なる魔虫(イービルワーム)》をたおしてもらいたい」



 他人事ひとごとのように言いながら、グラウスは広場の中央にたたずむ巨大な黒い塊に視線を向ける。


 あまりにも理不尽な宣告に、反乱兵たちが一斉にざわつき始める。


 あの化け物を自分たちで斃せだと………? 一体何を言っているんだ、そうフィールカが理解に苦しんでいる間にも、シエルの怒声が隣からほとばしっていた。



「ふ、ふざけないでよ!! あんなでかい化け物を、私たちの人数だけで斃せるわけがないじゃない! しかもあの魔物、授業でも聞いたことがないし、図鑑でも見たことがない種類だわ! そんなのを一体どうやって斃せって………」


「―――では、今すぐこの場で全員死ぬかね?」



 グラウスから放たれた威圧的な雰囲気に、シエルたちは気圧けおされたようにたじろぐ。仲間の皇国兵たちでさえも、これには緊張で顔を強張らせている。


 少女は思い出した。あれは、純粋に殺し合いを楽しんでいる殺戮者の眼だ。七年前、自分の生まれ育った村を焼き払った奴らも全員同じ眼をしていた。こいつもきっと、これまで何人もの人間を殺してきたに違いない。


 するとその時、反乱兵の中から一人の青年がグラウスの前に歩み出ると、両膝をついて必死に頼み込むように言った。



「お、お願いだっ! 命だけは助けてくれっ! とてもじゃねぇが、あんな化け物とは怖くて戦えねぇよっ!」


「………貴様、本気で言っているのか?」



 露骨に不機嫌な表情で問いかける。すると、彼の口からとんでもない言葉が飛び出した。



「私は、貴様のような戦う前から戦意喪失している臆病者が大嫌いなのだが………戦えないと言うのなら仕方ない―――おい、そいつを殺せ」



 ひぃいいっ! と悲痛な声を上げ、青年の表情がさっと恐怖の色に染められていく。皇国兵の一人が、散弾銃の銃口を彼に向ける。


 目の前で行われている蛮行ばんこうに、さすがのシエルも全身の血が沸騰するようないきどおりを覚えて鋭く反駁はんばくする。



「ちょっと待ちなさいよ!! いくら何でもそこまでする必要はないじゃない! 私たちが代わりに戦う、それで文句ないでしょ! だからその人を離して!!」



 そうだ、離せー!! とフィールカやレオンたちも後ろから激しく怒号を飛ばす。

 

 しかし、グラウスはそれに全く耳を貸さない様子で苦笑する。



「クックック………どうやら諸君は、自分たちの立場というものが全然わかっていないらしいな。我々に包囲された時点で、諸君に逆らう権利など一切ないのだよ。これは見せしめだ。今後、このような愚か者が現れることのないようにな。―――さあ、やれ」



 彼の無慈悲な宣告とともに、皇国兵が再び銃を構える。青年は身体をわななかせながら、どうにか助かりたい一心で懇願を続ける。



「い、いやだあああっ!! お願いだ、助けてくれっ! まだ死にたくないっ! まだ―――」



 しかし、その言葉が最後まで続くことはなく、無情な銃声が広場全体に響き渡った。側頭部を銃で撃ち抜かれた青年は、その場で血塗ちまみれのしかばねと化して虚しく倒れた。石畳が一瞬で血の海に変わる。

 



「戦場で命乞いをするような弱者に、我々は用はない」




 グラウスは吐き捨てるように言うと、冷酷な双眸そうぼうで再び反乱兵たちを見据えた。



「おわかりいただけたかな? 諸君も彼のような姿になりたくなければ、今後我々の前で無様な格好を晒さないことだ」


「そんな………」



 度重たびかさなる凄惨な光景に、シエルはただ茫然と呟く。誰かの悲鳴が聞こえたような気がしたが、もはやそれすら今は意識することができなかった。



「クソ野郎が………!」



 傍らのレオンも、えがたいように怒りに身を震わせている。出来ることなら、彼を救いたかった。


 だが、それはどうしてもできなかった。下手に奴らを刺激すれば自分たちだけでなく、他の兵士たちもきっと皆殺しにされるだろう。一人の兵士の命を救って確実に誰か殺される道を選ぶか、一人の兵士の命を犠牲にして全員がまだ助かる可能性のある道を選ぶか、自分たちは最後まで決断することができなかった。あたかも傍観者のように。




「………どうしてこんなことをする」




 フィールカは顔を俯けたまま、独り言のように呟いた。


 するとグラウスは、その質問に呆れ果てた様子で肩をすくめる。



「どうして、だと? クックック………愚問だな。我々はただ厳正に諸君の品定めをしている、それだけのことなのだよ」


「品定めだと……?」



 怒りのにじんだ口調で言う。それに対し、グラウスは大仰おおぎょうな身振りで両手を広げて言い放った。



「そうだとも! 我々は、使える者は生かし、使えない者は殺すという、ただ取捨選択をしているだけなのだよ!」



 罪悪感の欠片もない台詞セリフだった。



 ―――そんな、そんな勝手な理由で………。



 フィールカは、喉から込み上げてくる憤怒ふんぬの激情を吐き出した。



「ふざけるな………!」



 これまでの怒りをぶつけるかのように、目の前に佇む皇国軍の指揮官に言い放つ。



「こんな………こんな苦しい世界でも、必死に生きたいと願って生きられなかった人たちがいる………。ずっとお前たちがしてきたことのせいで、一体どれだけの人たちが今でも苦しんだり悲しんだりしてると思ってる………? お前たちさえいなければ、俺たちがここに来ることも、そこにいる彼も死ぬことはなかった!! そんな弱い人たちの気持ちが、お前たちにはわかるか!?」



 しかしグラウスは、まるで感情のない機械ように無機質な声で即座に否定した。



「ふっ、わからんな、弱者共の気持ちなんぞ。弱肉強食という階級付けされたこの世界で、ただ強い者が弱い者を殺す。それの何がいけないのだろうか? 我々皇国軍こそが、この世界にいて唯一無二の絶対的な存在なのだよ。諸君のような素晴らしい力を持った人間ならば、我々の気持ちも少しは理解してくれると思ったのだが………実に残念だ」



 全く改心するつもりがない態度に、フィールカはぎりぎりと奥歯をきしませる。もはやこいつには何を言っても無駄だと悟った青年は、顔を俯けて低く呟いた。



「………グラウス、お前のしたことだけは絶対に許さない」


「クックック………許さないからなんだ? 私を殺す、とでも言いたいのかね? 威勢が良いのは実に結構だが、諸君の相手は私ではなくあの怪物だ。諸君が生き残るために残された選択肢はただ一つ、イービルワームを斃すこと以外にないのだよ。さあ、やるのか、やらないのか!?」



 あくまでも挑発するような口調で問いかけてくる。


 フィールカの傍らでずっとうつろな眼をしていたシエルだったが、その台詞についに火が付いたように声を張り上げた。



「………そこまで言うなら、嫌でもやってやるわよ! その代わり、もう他の兵士たちには手を出さないと必ず約束して!」



 すると、グラウスはその条件にニヤリと唇の端を歪める。



「ああ、もちろんだとも。諸君に戦意さえあれば、我々は何もしないつもりだ。名誉ある皇国軍は、力ある者だけを歓迎する。もっとも、あの怪物と戦う覚悟があればの話だが………」



 そう言って、広場の中央で静かに屹立している魔物に眼を向ける。


 シエルは改めて兵士たちに向き直り、全員に問いかける。



「………皆もそれで異存はないわね?」



 無論選択の余地などないが、念のため訊いておく。



「ああ、そうだな………」


「俺たちはそれでいいぜ……」



 沈鬱な表情で気を落としているが、フィールカやレオンもそれに同意する。


 無論、他の兵士たちも異存はない。このまま何もしなければ自分たちはただただ皇国軍の奴らにしいたげられた挙げ句、無惨に殺されてしまうのがオチだろう。今はどうにかこの状況を打開するためにも、戦いに挑まなければならない時だった。


 さすがに皆表情から不安と緊張の色を隠せないが、シエルはそんな彼らに激励げきれいの言葉をかける。



「まさか、こんな最悪な事態に巻き込まれるなんて夢にも思わなかったわ。奴らの作戦を見抜けなかった私の落ち度ね………。けど、だからと言っていつまでもくよくよしてられないわ。私たちが生き残るためには、どうやってでもあの化け物を斃すしかないの。皆不安や恐怖もあると思うわ、それは私も同じ。だから皆、私のことを支えてほしい。私も皆のことを支える。こんな頼りない私だけど、それでも一緒についてきてくれるかしら?」



 少女の凛々(りり)しい姿を眼に焼きつけた兵士たちは、それに励まされたように一斉にときの声を上げる。


 その光景を退屈そうに見ていたグラウスが、待ちくたびれた様子で訊いてくる。



「そろそろ準備はできたかね? 念のため言っておくが、下手な考えだけは起こさないでほしい。仮に敵前逃亡、などという愚かな試みでもした場合―――諸君を即座に撃ち殺すということだけは念頭に置いておいてくれたまえ」



 嗜虐しぎゃく的な笑みを浮かべ、反乱軍の兵士たちを睥睨へいげいする。


 シエルはふんっと鼻を鳴らし、「言われなくてもわかってるわよ」と忌々(いまいま)しげに言い返す。


 他の兵士たちが広場の中央へ続々と移動し始める中、その場で一人ぽつりと佇んでいたフィールカは、黒い瞳を目の前に立つ皇国軍の指揮官に向けた。




「………最後に一つだけ訊きたいことがある」


「何かね? 無意味な糾弾きゅうだんならお断りなのだが」




 グラウスは嫌々ながらそれに応じると、黒髪の青年は、ずっと心の隅に抱いていたある疑問を口にした。




「………お前が引き連れていた《A班の新兵たち》は、一体どこへ消えた?」




 するとグラウスは、「ああ、彼らか」とようやく理解したように口を開いた。




「あの兵士たちなら先ほどおこなった、そこにいるイービルワームとの戦闘の末―――全員死亡、という、今年も大変残念な結果に終わってしまったよ」




 皇国の指揮官から平然と告げられたその言葉に、ずっと後ろで見守りながら聞いていたシエルの身体がびくっと震えた。他の兵士たちの表情からもすーっと血の気が引いていく。



「そんな………じゃあミィナはもう………」



 先ほど別れた自分の親友の名前を掠れた声で呟き、シエルはその場に膝をついて崩れ落ちる。


 つまり彼女は、もうこの世にはいないのだ。あの魔物の周囲に無惨に散乱した、原形をとどめていない残骸の中にきっと………。


 少女はうなだれたまま立ち上がることができず、フィールカも動揺を禁じ得ない。


 その答えは、自分の中でもある程度察していたことだった。だが、こうもはっきり現実を突きつけられると、とても信じることができない。いくらA班の下位四十人でも実力に関して言えば、一人でおよそ一般人百人分には相当する力量なのだ。そんな彼らが全滅したということは、あのイービルワームという魔物の実力が生半可な強さではないことが容易に想像できる。


 そして、それ以上に驚きを隠せないことがあった。グラウスがいま言った後半の言葉に―――《今年も》という重大な情報が含まれていたからだ。そう、これではまるで―――




毎年(、、)、ずっとこんなことを繰り返してきたのか………?」




 青年の鋭い問いかけに、グラウスはようやく自分の失言に気づいたように眼を見開く。



「おっと私としたことが、これはうっかり口が滑ってしまったね。まあ良い、諸君には特別に教えてあげよう。そうだとも―――我々は、三年前からこの儀式を毎年ここバレス島にて執り行ってきた」



 衝撃的な告白に、フィールカは茫然と言葉を呟く。



「三年前だと………? じゃあ俺たちを支えてくれた、去年卒業していった先輩たちは………?」


「残念ながらその先輩たちはおろか、この儀式が始まった当初から生存者など一人もいないのだよ」



 悪びれた様子もなく、グラウスは大変残念そうに肩をすくめる。



「………そうか」



 フィールカは手から出血しそうになるほど爪を食い込ませ、こぶしを固く握り締める。


 自分たちに色々なことを教えてくれた先輩たちは、すでに一年前にこの世から去っていたのだ。そしていま、今年の儀式のにえに自分たちがなろうとしている。


 グラウスは恐怖に強張る彼らの表情を、愉快そうに眺めながら訊いた。



「どうしたのかね? まさか今の話を聞いて怖気づいたわけではあるまい。これでもまだ少しは諸君に期待しているのだよ。私をがっかりさせないでくれ」


「―――それなら心配する必要はねぇよ」



 不意にレオンがフィールカの傍らに並んでくる。



「俺たちはもう、あの化け物をブッ斃すって腹の底から誓ったんだ。お前らがどんなに汚い手を使おうが俺たちは絶対負けねぇ、負けられねぇんだよ!!」



 青年の激情の言葉が胸に刺さったように、ずっと顔を俯けていたシエルがゆっくり顔を上げる。


 それにフィールカも元気づけられ、両の瞳に再び生気せいきが戻ってくると、皇国軍の指揮官に向き直り力強く言った。



「………そういうことだ、グラウス。俺たちは、お前が考えてるような結果になるつもりはないぞ………!」



 目の前に佇む二人の青年の勇ましい背中を見たシエルは、思わず自分に問いかけていた。


 二人が心を折らず必死に頑張っているのに、反乱軍の指揮官である自分はいつまで地面にへたり込んでいるのか。A班の皆は全員死んでしまった、だが、ここにいるB班の兵士たちはまだ生きている。こんな自分にも、彼らのために為すべきことがあるではないか。


 自身に言い聞かせるように脱力感の残った両足を動かし、おもむろに立ち上がる。二人を見ているだけで、なぜか不思議と力がみなぎってくるようだった。


 フィールカの言葉を継ぐように、シエルも青年の隣に並び堂々と叫んだ。



「………二人の言う通りよ。私たちは、逃げも隠れもしない。死んだ皆のためにも、必ず全員で勝って、生きてかえってみせるわ!!」


 

 だが、三人の気迫に臆する様子もなく、グラウスはようやく本性を現したように嗤いを発した。



「ハッハッハ!! どうやら貴様らは、威勢だけは立派なようだな! そこまで豪語するなら、早速見せてもらうか! ―――貴様ら反乱軍の命をけた戦いをな!!」



 グラウスは自分の部下たちに、広場から東西南北に延びる四つの街路を全て封鎖するよう命じる。またたく間に数百の皇国兵たちが各街路に分けられ、ねずみ一匹逃げる隙間もなく整然と配置されていく。これで完全に退路が断たれたというわけだ。


 反乱軍の兵士たちは広場の中央に存在する真黒の蠕虫に改めて向き直り、その威容な姿に息を呑む。



 ―――どうする………。



 シエルは脳裏で思考を巡らせながら、じっくり眼を凝らして魔物を観察する。


 改めて思うが、やはりでかい。山のように屹立する体躯たいくは、前回戦った炎竜と同等かそれ以上の大きさがあるのではないだろうか。いまは体を丸めて休んでおり、こちらに襲ってくる気配はないがいつ目覚めてもおかしくない状況だ。


 となれば、今のうちに最初の攻撃で一気に勝負を決めるのが最善の一手だろう。だが、前衛を務める兵士たちには出来れば魔物に近づけたくない。



 ―――だったら、出来る限り危険性が少ない戦法で行く!



「全員魔物を包囲しつつ、敵に魔法が届く範囲で距離を取って! 後衛部隊はこれから私の合図で一斉に遠距離攻撃を行い、前衛部隊はそれぞれ彼らをいつでも守れるよう反撃態勢を維持! フィールカは私の前衛をお願い!!」


「ああ、わかった!!」



 シエルの指示に従い、三十七人の反乱兵たちは一斉に左右に展開する。


 作戦は円滑に進み、幸いイービルワームを目覚めさせることなく、反乱兵たちはおよそ三十ルメール(メートル)ほど離れた位置で円形を作るように魔物を四方八方から取り囲むことに成功する。


 次にシエルは、魔物の弱点である属性を推測する。蠕虫のような見た目から判断して、おそらくイービルワームの属性は《地属性》だろう。七属性セブンス・センスの法則に基づき、地属性の弱点は風属性となり、耐性は火属性となる。風属性の下位魔法ならば、ここに居るたいていの者が使用できるはずなので戦力に大いに期待できる。


 シエルは声を張り上げ、全員に伝わるように指示を飛ばす。



「今から十秒後、後衛部隊は風属性魔法で一斉に攻撃を行う! 使用できない人は火属性魔法以外の攻撃をお願い! 前衛部隊は、くれぐれも魔物の反撃には警戒をおこたらないように!」



 勇敢な少女の指揮官に、兵士たちは喊声かんせいで力強く応える。


 シエルは天高くロッドを掲げると、それに合わせて他の兵士たちも自分たちの武器に魔力センスを溜め始める。




 攻撃まで残り五秒―――三………二………一………




「―――後衛部隊、一斉攻撃開始!!」




 少女が右手のロッドを前方に向けるのと同時に、反乱兵たちの激しい魔法と銃弾の嵐が一斉にイービルワームに放たれる―――!




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