第十九話 魔女
第二学園都市リースベルがある世界最大のリプレニア大陸から遥か東に向かって海を越えたところに、《クロフィア》と呼ばれる赤黒い大陸がある。
約千年前、初代皇帝と言い伝えられているラティシルは、かつて世界を治めていた《七英神》から神託を受け、この地に皇国《エンシェリア》を築き上げたと今でも国内最古の図書館に残された歴史書に記されている。
皇国の近辺には、七英神を祀った霊峰イスカバーンが太陽から降り注ぐ神々しい光を浴び、天を衝くように巍然とそびえ立っている。さらに皇都の周囲を高さ数十ルメール（メートル）にも及ぶ堅牢な魔導防壁が取り巻いており、外部からの敵や魔物の侵入を完全に防いでいた。
そして、その皇都の中央に、一際目立った巨大な城が佇んでいる。
ダージリア城――まるで悪魔でも住んでいるかのような、禍々しい威容を誇る外観から別名《魔女の城》とも呼ばれており、皇国の君主の居城でもあった。
その城内の血のように真っ赤に染まった回廊を、いま一人の女が配下である男を連れて悠然と歩いていた。
「――本気のおつもりなのですか、姫様！？」
男が忙しない口調で隣から語りかけてくる。
「だって今年は滅多にない豊作だそうじゃない、セクリアス」
姫様、とそう呼ばれた女は悠々と言葉を返す。
年齢は二十代半ばあたりだろうか、黒い薔薇を所々にあしらった豪奢な装飾の黒いドレスに身を包んでおり、流れるような艶やかな長い黒髪にこれまた一際大きい漆黒の薔薇の髪飾りを着けていた。
現在世界でも頂点に立つと言われる最強の解放者、皇国第十七代女帝ルティシア＝シスカ＝エステル＝ヴィ＝ベルナーク――通称《魔女》だ。
その魔性な容姿から、どこか深い闇に誘い込むような妖艶な美しさを放っている。
先代女帝だった母エフィリアが死んだ今となっては、このダージリア城の玉座にはルティシアが就いていた。
セクリアスは自分の主に恭しく進言する。
「僭越ながら申し上げますが、今回は姫様の出る幕ではございません。すぐにお引き返しを……」
すると、ルティシアは魅惑的な唇を不気味に歪めながら、愉しそうに話す。
「あの竜をたった一人で斃した子がいるそうじゃない。しかも僅か十七歳で六属性まで解放してるなんて、もはや興味しか湧いてこないわ」
全く聞く耳を持たない彼女に、しかし若年の戦士は尚も必死に説得する。
「で、ですが、わざわざ姫様が現地まで赴く必要はございません。我々だけでも充分――」
「――セクリアス」
不意にルティシアは足を止めると、先ほどのおっとりした雰囲気とは打って変わり、威厳のある口調で自分の配下を咎めた。
「私が実際にこの眼で確かめなければ納得しない性分は、あなたが一番理解していることでしょう？ 私を説得している暇があるなら、すぐに飛竜の手配でもしてきたらどうなのかしら？ ――それに、一つ気になることがあるのよね」
「……気になることですか？」
セクリアスは逞しい顔をしかめて、思わず聞き返す。
そんなどうしようもない彼の反応に、ルティシアは呆れたように肩をすくめて言った。
「《スカーレット》、っていう大して珍しくもない姓だけど、もしかしたら……って思ってね」
なるほど、とセクリアスはようやく内心で納得する。
確かにそれに関しては、自分も多少気になるところがある。彼女がこう言うときに限って、たいてい何かあるのだということは、これまでの経験で充分理解していた。
「……かしこまりました。すぐに準備して参ります」
慇懃にそう言い残して、若年の戦士は疾風の如く先に回廊を駆け抜けていった。
ルティシアは、これから出会うであろう少女の名前を待ちきれない様子で呟いた。
「シエル＝スカーレット、早く会いたいものだわ」
