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センス・オブ・スカーレット  作者: 一夢 翔
第一章 魔導軍事学校
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第十七話 外の世界

 幼い頃から、少年はいくつも疑問を抱いてきた。

 自由な大人たちとは違い、どうして自分たち子どもだけが住んでいる村から一歩も外に出てはいけないのか。なぜ村の出入り口には、いつも厳めしい顔つきで槍を持った衛兵が立っているのか。たまに怪我を負った大人が村の外から運び込まれてくることがあるが、それすら理由がわからないぐらいフィールカは外の世界をまるで知らなかった。


 その日も、少年はいつものように外で遊ぼうと自宅の庭の物置でがさがさと遊具をあさっていた。遊ぶ、と言っても、やれることは一つしかないのだが。

 物置に仕舞っていた子ども用の竹馬を持ち出して、少年は家の前にある広い敷地に移動する。これで一人で遊ぶことが、もはや日課となっていた。


 竹馬を地面に立てて、片足ずつ軽快に乗せていく。慣れたバランス感覚で見事に立つことに成功すると、最初に右足、次に左足と交互に竹馬を一歩ずつ前に出しながら、ゆっくりと歩き始める。




「――あの……」


「うわっ!?」




 突然、背後から掛けられた声にフィールカは跳び上がるように驚いてしまい、竹馬から派手に転び落ちてしまう。



「だ、大丈夫……?」



 頭をさすりながらその声に振り返ると、自分と同じくらいの年頃の少女が目の前に立っていた。


 村では珍しい黄緑色のショートヘアに、瞳は翡翠ひすいのように透き通った綺麗な色をしている。産まれてずっとこの村に住んでいるが、これまで一度も見たことがなかった可憐かれんな少女だ。最近他の村から引っ越してきたのだろうか、そんなことを考えていると、少女が心配そうにこちらをじっと見つめてくる。


 すぐにフィールカは元気よく立ち上がり、服についた土埃つちぼこりをぱんぱん払って言う。



「うん、平気だよ。それよりどうしたの?」



 不思議そうな顔で少女にたずねる。



「……私も、それで遊んでいい?」



 そう言ってふと少女が指で示したのは、フィールカが遊んでいた竹馬だった。きらきらと大きな眼を光らせて、うらやましそうにこちらを見てくる。


 なるほど、と思いながら、少年は竹馬を少女に差し出す。



「いいけど、結構難しいよ」



 少女は無言でうなずき返すと、竹馬を貸してもらい、地面に立てて片足ずつ慎重に乗せてみる。すると、両足を乗せたところで急にふらふらと揺れてしまい、竹馬とともに盛大に倒れた。



「だ、大丈夫!?」



 フィールカは慌てて少女に近寄り、心配の声をかける。



「……うん、平気。これ、結構難しいね」


「そうだね。最初はバランスを取るのに苦労すると思うけど、慣れたらすぐに歩けるようになるよ。よし、今度は僕が支えてあげる」



 それから二人は夢中で竹馬の練習を続け、気がつけばすでに空は夕焼け色に染まっていた。



「ありがとう、楽しかった」



 少女は感謝の言葉を述べて、少年にぺこりとお辞儀をする。



「うん、僕も楽しかった。そういえば、まだ名前言ってなかったね。僕はフィールカ、君は?」



 そう訊かれて、少女が自分の名前を言おうとした時だった。




「――おーい! いつまで遊んでるんだ!」




 不意に夕陽が沈む方角から誰かの声が聞こえてくると、こちらに向かって手を振っている黒いシルエットがあった。



「お父さん!」



 どうやら少女の父親が心配してここまで迎えに来たらしい。少女は残念そうな顔で言う。



「ごめん、もう行かないと。またよかったら遊んでね」



 そう言って少女は父親のもとに向かう。最後に後ろを振り返り、少年に手を振ってから、二人は仲睦なかむつまじい様子で去っていった。


 そんな親子の楽しそうな光景を見て、フィールカはふと考える。



 ――そういえば、僕のお父さんは一体どうしてるんだろう……。



 自分が産まれたときから、父親は家にいなかった。母親から聞いた話ではどうやら遠方の国でずっと仕事をしているらしいが、一度も会ったことはないし、どんな人物なのか自分の親なのにもかかわらず全く想像がつかなかった。




「そろそろ帰ろう……」




 紺色に暗くなり始める空を眺めながら、フィールカも自分の家へと帰っていった。



                ∞



「――ただいま!!」



 勢いよく玄関の引き戸を開けてフィールカが大きな声で言うと、家の奥から、おかえり、とすぐに母親の返事が来る。父親が居ないので、現在この家はフィールカと母親の二人だけで暮らしている。なので、返ってくる声も当然いつも通りだ。


 少年は玄関で靴を脱ぎ、廊下を抜けて真っ先に居間へと向かう。家の奥から魚の香ばしい匂いが流れてきており、思わずお腹が鳴りそうになる。匂いにつられて居間に入ると、そこには炊事場で夕食の準備をしている母親の姿があった。


 こちらに気づいた母親は後ろを振り返り、優しい口調で言った。



「もうすぐご飯できるから、先に手洗って来なさい」


「うん、わかった」



 素直に頷いて、フィールカは井戸が設置してある庭に足を運ぶ。靴をき直して再び外に出ると、すでに夕陽は西の空へと沈みつつあった。


 庭の隅にある井戸の前に立ち、力強く縄を引いて釣瓶つるべに入った水を底からみ上げる。それをそばに置いてあった木桶きおけに移して、手や足をしっかり洗い、最後にタオルで拭き終えるとフィールカはすたすた家に戻っていった。


 居間に戻ってくると、いつの間にか食卓には湯気を立ち上らせた料理が所狭しと並んでおり、少年の食欲を無性にそそらせる。今夜の夕食はサバの塩焼きと昆布の出汁だしで味付けされた卵焼き、山菜の味噌汁に大根の漬物、芋の入った玄米だ。


 フィールカは母親と食卓を挟んで椅子に座ると、いただきます、と一緒に合掌する。それと同時に、少年は勢いよく夕食を食べ始める。あっという間に茶碗をからっぽにして玄米をおかわりすると、その食べっぷりを眺めていた母親が感心したように言った。



「今日はいつもよりよく食べるわね」


「うん! 今日ね、新しい友だちができたんだ!」



 それを聞いた母親は、嬉しそうに口許くちもとに笑みを浮かべる。



「それはよかったわね。できた友だちはちゃんと大切にするのよ」


「うん……。ねえお母さん、一ついてもいい?」



 いつにもない少年の元気のない表情に、母親は小さく首を傾げる。



「どうしたの?」


「……僕のお父さんはいつ帰ってくるの?」



 顔をうつむけながら、どこか寂しそうな口調で呟く。


 自分の父親がどこか遠方の国で働いていることは知っていたが、母親から仕事の内容までは聞かされていなかった。しかし、フィールカはこれまで父親のことについては一切詮索しなかった。母親がずっとれなかったことだから、きっと何か言いにくい仕事なんだろうということは充分理解していたからだ。


 けれど、今日遊んだ少女と彼女の父親との楽しそうな光景を思い返すと、せめていつ帰ってくるのか、訊かずにはいられなかった。


 母親は一瞬話すことをためらったが、それでも自分の息子にこれ以上隠し事をしたくなかったのか、最終的に重々しく口を開いた。



「フィールカは、どうして自分が村から出たら駄目なのか、考えたことはある?」



 唐突な質問に、少年はこくりと頷いて答えた。



「村のおきてだから」



 村から出てはいけないことは、毎日のように母親から厳しく言い付けられていた。特に理由は考えたことなかったが、それが村の約束事だからしっかり守ろうとは思っていた。


 しかし、その答えに母親は首を横に振った。



「確かにそれは、フィールカに毎日言ってたことね。けれど、本当は違うの」



 言葉に詰まりそうになりながらも、母親はこれまで伝えられなかった真実を少年に打ち明けた。



「……あのね、フィールカ。村から一歩出れば、外の世界には怖い人や恐ろしい魔物たちがたくさんいるの。だから子どもはもちろんのこと、大人でさえも狩猟に行くとき以外は村から出ることを禁止されてるのよ」


「こわいひと……? まもの……?」



 おびえるような口調で言うと、母親は不安をやわらげるように答える。



「そう。フィールカのお父さんの仕事はね、その怖い人や魔物たちから私たちを守ってくれてるのよ。だからいつ帰ってくるのか、私にもわからないの……」



 正直に告げたその言葉に、少年はきっと落ち込むだろう。てっきりそう思っていたが、ここで彼は予想外の反応を示した。



「それじゃ……お父さんは世界の平和を守る、みんなの勇者だね!」



 フィールカの思いも寄らない言葉に母親は心底驚いたが、それに微笑ほほえんで答えた。



「ふふふ、そうね」



 この時までは、二人にとって幸せな時間が続いていたに違いない。




 だが、それから二年後――フィールカのもとに一通の手紙が届いた。


 それは、遠方の土地での皇国軍との戦争によって反乱軍から傭兵仕事を請け負っていた父親が、殉職じゅんしょくしたという知らせだった。


 正直その訃報ふほうを聞いたときは、到底信じることができなかった。と言うより、自分の父親が死んだという実感がそもそも湧かなかった。それは多分、本当はこの世に実在しなかったのではないか、という一度も見たことがなかった父親の存在を認識できなかったからかもしれない。


 その日、母親はずっと泣き止むことはなかったが、自分は泣くことすらできなかった。


 結局フィールカは父親と会うことは叶わなかったが、この瞬間、少年の中である一つの決心が芽生えていた。




 ――自分も、父がしていた仕事を継ごう、と。




 もうこれ以上、誰も悲しませたくない。大切な人を奪われたくない。自分や母親のような不幸な人間を増やしたくなかった。


 その日をさかいにフィールカは、世界の平和を守るために反乱軍の兵士として戦うことを心に固く誓ったのだった。



               ∞



 冬の季節が終わりを告げ、春の芽生えが今年も訪れる。

 地面に積もっていた雪がすっかり溶け、隠れていた緑の大地が姿を現す。まだ寒い時期だが朝から空は蒼く澄み切って晴れ渡り、旅立ちの日には絶好の日和ひよりだ。


 早朝だと言うのに、村の出入り口には青年の門出かどでを見送るためにわざわざ村人たちが集まっていた。


 父が死んでから八年という長い年月が経ち、十五歳になったフィールカにようやく最初の一歩を踏み出すときが来たのだった。



「どうしても行くの……?」



 不安そうに呟く母親の言葉に、フィールカは顔をうつむけて正直に答えた。



「うん……。やっぱり俺、このままじゃ嫌なんだ」


「…………」



 青年はゆっくり顔を上げると、黒い瞳に自由の色をにじませて言う。




「父さんが戦ってたこの世界を、俺はもっと見てみたい」




 偽りのない本心から出た言葉に、母親は小さく首を横に振る。



「でも……外の世界には、危険なことがたくさんあるわ」



 なおも不安げに言うと、青年は呆れたように肩をすくめる。



「母さんや村の皆も、俺の強さはもう充分わかってるだろう? この日のために八年間、しっかり鍛えてきたんだ。この辺りの魔物なら余裕でたおせるようになったし、俺はこれからもっと強くなるために魔導軍事学校に行くんだから、あんまり心配しないでくれよなあ」


「……絶対にお父さんのようにならないって、約束してくれる?」



 今にも泣き出しそうな顔で瞳を薄くうるませながら、母親は自分の息子に問いかける。


 すると静かだが、しかし、青年ははっきりした口調で答えた。




「ああ、約束するよ。――俺は必ず、ここに帰ってくる」




 そう固く誓い、フィールカは母親の細い身体をぎゅっと抱き締める。青年の温もりが身体を通して優しく伝わり、彼女は少し落ち着いた様子で眼をつぶる。


 しばらく二人がその状態でいると、ようやく母親は覚悟を決めたようにゆっくり抱擁ほうようを解いた。



「……わかったわ。でも辛くなったら、いつでもここに帰ってきていいんだからね」


「うん……。ありがとう、母さん」



 今までずっと自分のことをそばで見守ってくれた人に感謝を伝えて、二人は互いに身体を離す。



「気をつけてね……」



 フィールカは力強く頷き返すと、最後に別れの言葉を告げる。




「それじゃ、行ってくる!!」




 母親と村人たちに大きく手を振り返し、青年は、未だ見ぬ外の世界へと飛び出していったのだった。




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